story3 世界一の名探偵 3
「帰りましょう」
部屋に入るなり、エリスンは強い調子で主張した。
帰るべきだ、という主張は、どちらにしろするつもりだった。だが、部屋に入った段階で、つもりどころではなくなった。
扉の前に掛けられた『シャルロット=フォームスン様、エリスン=ジョッシュ様』の札。その時点で、嫌な予感はしたものの。
「なにをいうんだね、エリスン君。ここまで来て、尻尾を振って逃げ帰れと? 世界一の名探偵という名誉を得るまでは、帰るわけにはいくまい」
「どうせここにいたって、そんな名誉得られないわよ。あの犬が『君が世界一の名探偵だワーン』とでもいうってこと? バカにしてるわ! ──それに!」
エリスンは荷物を放り投げると、ずかずかとベッドに歩み寄った。
部屋の左半分に、ソファやローテーブル、さらに奥にはトイレとバスルーム完備。
右半分は就寝スペースなのか、並べられた二つのベッド。
並べられた、二つの、ベッドだ。
「──これ! どういうことよ!」
エリスンは、手前のベッドに手をかけた。どうにか離そうと、力一杯引いてみる。
びくともしない。ダブルベッドというわけではないのだから、引き離せるはずなのだが、どうにもこうにも、重い。
シャルロットは肩をすくめた。ソファの脇に荷物を置き、楽しそうに目を細め、その光景を眺める。
「キャサリンさんではあるまいし、君のような華奢な女性が、一人で動かせられるわけもないだろう」
いらだちを露わに、エリスンはシャルロットを睨みつける。
「だったら! 手伝いなさいよ! そもそも部屋が同じっていうのがおかしいわ!」
「はっはっは、なぜ私がそんな労働をしなくてはならないのだね。仲良く眠ればいいではないか」
エリスンはいよいよ目を三角にした。デリカシーがないにもほどがある。
「嫁入り前のオトメが、なんで世界一のバカとベッド並べて寝なきゃいけないのよ!」
シャルロットは、少し考えるようなそぶりを見せた。
「世界一のバカというのが私のことだとしても、なんら問題を感じないのだがね」
「──あなたの頭を開けて、その脳みそ、ここのジャパネスク好きな旦那様とやらに提供したいわ……! きっと今夜はミソスープね!」
だとしても、おそらく、たいした量のミソは入っていないだろう。
エリスンはイライラと足を踏みならした。シャルロットのいうとおり、ベッドを動かすのは難しそうだ。彼の手助けがあったとしても、動くとも思えない、無駄に重厚なベッド。
部屋を出て、シルクハット老を探して、文句をいおうかとも考える。だが、それなら、夕食時にもの申せばいい話でもある。外はまだ夕暮れだ。
──そこまで考えて、はたと気づいた。
「あの人、また明日の朝に、っていったわ。夕食、どうなるのかしら」
尋ねたのだが、返事はない。見ると、シャルロットはソファに腰掛け、先ほど手渡された封筒の中身に目を落としていた。一見難しい顔をして、黙って読んでいる。
とりあえずベッドは諦めて、エリスンもシャルロットの隣に座った。
「なに?」
「ふむ……夕食のことは書いていないが──これは、なかなか、おもしろそうだ」
「なんて書いてあるの?」
方眉を上げて、シャルロットはエリスンに紙を差し出す。
そこはかとなく嫌な予感がしつつも、エリスンはそれを受け取った。
世界一の名探偵決定戦、愛のトレジャーショー──要項。
お越しいただいた全員に、ショーの参加者となっていただきます。
この屋敷のどこかに、世界一の宝が眠っています。名探偵の皆様は、隠されたヒントを元に、宝を探し当ててください。
見事宝を手にしたアナタこそ、『世界一の名探偵』──つまり、このショーの主役です。
ショーは、日の出と同時にスタートです。宝が発見された時点でショーは終了、盛大なるパーティへと移行します。
※ 当日、参加者の皆様は、各部屋に用意された衣装にお着替えください。
※ ショーへは必ず参加していただきます。辞退は認められません。但し、決定戦についてはその限りではありません。
「要するに、誰よりも早く宝を探し出せ、ってことね」
予想よりも普通の内容だったことに胸をなで下ろしつつ、エリスンはそんな感想を洩らした。もっととんでもないことをやらされるかと思ったのだ。
用意された衣装、というのが気になるが、気に入らなければ着なければいいだけのことだろう。
ふむ、とシャルロットはうなずいた。
「単純明瞭でわかりやすいな。世界一の探偵を決めるのに、いったいなにをするのかと思えば、宝探しとは。これほど簡単なものならば、開始と同時に私が発見するのは間違いない。つまり、明日の日の出と同時に、私は名実ともに世界一の名探偵になるということか。はっはっは、明日が待ち遠しいなあ」
もはやつっこみようのない自信。根拠は、と聞いてみたい気もするが、聞いたところで疑問は増すばかりのような気がして、エリスンはいつもどおりノータッチを貫いた。
それよりも、目下の疑問に意識を移す。
並んだベッドをどうしてくれようか。
今夜の夕食はどうなっているのか。
「……ねえ」
絶望的な気持ちで、エリスンはつぶやいた。
ローテーブルの向こう側、戸棚の上に、小さなトレイが置いてあるのが、目に入ってしまった。トレイの上に乗っている、気づいてしまっては負けなような気がする、何か。その隣には、ポットとカップが並べられている。
「おや、ちゃんと用意されていたようだな」
シャルロットが立ち上がり、トレイの上のそれを、ためらいなく手に取った。
こんもりと盛られた、ビスケットタイプの携帯食。
「……帰りましょう!」
怒るよりも行動を、とエリスンが主張を繰り返す。
シャルロットは、怒り心頭のエリスンが手にしたままの紙を指した。
「ショーへは必ず参加していただきます、辞退は認められません──と、明記されているが?」
「知らないわよ! ここまで連れてきといて、さんざん歩かせて、待たせた挙げ句の主催者が犬で、夕食が携帯食ってどういう冗談っ? 抗議してくるわ!」
エリスンは憤然と立ち上がった。おやおや、とひとごとのように、シャルロットは肩をすくめる。携帯食を口に運び、美味ではないか、などとつぶやく。
「────!」
部屋を飛び出そうドアノブを握り、エリスンは声にならない悲鳴を上げた。
ガチャガチャと、押したり引いたりひねったり、できうる限りの行動を試みる。
「……開かないわ……」
口に出してしまえば、もはやどうしようもない事実に思われた。
特別な仕組みのドアではない。どこにでもある、ごく普通の、ドア。
この感覚には、覚えがあった。
カギが掛けられているのだ。動くはずのノブがほとんど動かないというのは、そういうことだった。
エリスンは高いヒールでドアを蹴りつけた。びくともしないそれに対し、足の方がよほど痛んで、悔しさに唇を噛む。
「これって犯罪じゃないのっ? どういうことよ! あのシルクハットと犬……! 明日会ったら殴り飛ばしてやる!」
「なあに、そんなに怒ることでもない」
「怒ることだわ、充分に!」
エリスンの怒りの矛先は、あっさり上司に切り替わった。
シャルロットは、まるで自宅でくつろいでいるかのような自然体で、ムシャムシャと携帯食を食べ続けている。
その存在そのものが、癪に障った。
「だいじょうぶだ、エリスン君。安心したまえ」
「この状況で、どうやって安心しろっていうのよ」
ぐんぐん上昇していく怒りゲージを感じながらも、努めて押し殺した声で返し、エリスンはドアから離れる。シャルロットは、いつもの馬鹿笑いを一つ。
「プレーンだけではなく、ココア風味、メープル風味──それに、小倉風味まである」
「…………!」
エリスンは怒気を吐き出すことすら通り越し、ぎりぎりと歯噛みした。つっこむこと自体煩わしい。
シャルロットの隣に戻って携帯食を口にする気にもなれず、音をたててベッドに腰を下ろす。明日、シルクハット老かワンダフルか、どちらを見かけようものなら飛びかかりそうだ。首を締め上げて泡を吹かせても許される気がする。
きっちり半分を平らげたらしいシャルロットは、ポットから湯を出してそれをそのまま喉に流し込むと、スーツのジャケットを脱ぎ、壁のフックに引っかけた。ネクタイをゆるめ、靴を脱ぎ、ソファに寝そべる。
最後に帽子を、顔の上に乗せた。腕を組み、肘掛けに足を投げ出す。
「おやすみ、エリスン君。明日は早起きになるだろうから、君も早く眠りたまえよ」
「…………」
エリスンは黙った。これはまさか、気遣いだろうか。
しかし、この男に限ってそれは──などとぐるぐると考えつつ、ボソリと聞いてみる。
「あなた、そこで寝るの?」
「君が私と枕を並べて眠りたいというのならば、すぐにでもそちらに行くが?」
「──っ! そこで一生寝てなさい!」
エリスンは枕と毛布を丸めて、力一杯シャルロットに投げつけた。