story3 世界一の名探偵 2
案内されたのは、森の奥にそびえる洋館だった。船着き場から姿が見えていた洋館だ。
歴史ある建物なのだろう、海岸にあったウミノイエの安っぽさと比べものにならない、威風堂々とした姿のその建物は、外見もさることながら、中身も高級志向を徹底していた。
敷き詰められた絨毯、あちらこちらに飾られた調度品。
高い天井からぶら下がっているシャンデリアは、重さゆえにいまにも落ちてきそうだ。
ここに辿り着くまでの約十分、森の中の獣道を歩かされ、エリスンはもうくたくただった。体力面よりも、これでもかと不信感がつのっていったのだ。だがそれも、到着したことで、安堵に変わった。これなら、少なくとも食事はちゃんとしていそうだ。
シルクハット老に促されるままに、『くつろぎ庵』と看板の掛けられた部屋に入る。洋風な邸なのに、かすかに香るジャパネスク臭。
そこは、ソファセットがいくつかと、あまり大きくはないテーブルセットが複数、無秩序に置かれた部屋だった。名前のとおり、くつろぐことを用途としているのだろう、アンティーク調の本棚には、雑誌や本の類が詰め込まれていた。
ここで待っているようにいわれて、すでに数十分。することもないので、エリスンは他の面々をこっそりと観察していた。
「あたしたち以外に、十八人……微妙な数ね。どういう基準で選出したのかしら」
目を開けたまま寝てるのではないかと思うほど、ただ座っているだけの上司に話しかけてみる。こんなのでも話し相手ぐらいにはなるはずだ。
どうやら起きていたらしいシャルロットは、ふむ、とうなずいた。
「全員が探偵とも限らないがね。君のように、助手も混ざっているかもしれない。まあ、たとえ百人だろうが二百人だろうが、結果は変わらないが」
「そうね、結果は変わらないわね」
シャルロットとは正反対の意味を込めていってみたが、皮肉が通じるはずもない。よくわかってるじゃないか、はっはっは、などとご機嫌度上昇。
他の十八人は、それぞれがコミュニケーションをとるということも特になく、本を手にしたりパイプを吹かしたり、ふよふよと浮遊したり、だれもが一人の世界に入っているようだった。同じ空間に二十人が集まっているというのに、不自然なほど静かなときが流れる。
全員、似たような格好をしているものの、よく見れば、年齢は様々なようだった。もしかしたら女性も混ざっているのかも知れない。小柄なスーツから大柄なスーツ、丸くて浮いているスーツまで、多種多様のスーツ姿が集まっている。
世の中にはいろんな探偵がいるものだ──エリスンがそんな結論に辿り着こうとしたとき、ノック音が響いた。
「お待たせしましたね、どうも」
ドアが開き、シルクハット老が現れた。ずいぶん時間をかけたわりには、本人が着替えた様子もない。相変わらず、頭のシルクハット以外は海の男だ。
「ああ、いや、そのままでだいじょうぶですよ。旦那様がお昼寝の時間だったもんでね、遅くなってしまいました。ささ、旦那様、こちらですよー」
「……お昼寝?」
思わず、エリスンがつぶやく。不穏な空気が流れる。
シルクハット老のうしろに続いた存在に、だれもが、目を奪われた。
それは、燕尾服に身を包んでいた。
ものすごく小さい。
小型、といういい方が正しいだろう。
大きくも鋭い目。野性的な口元、茶色の毛並み。
「ワン」
犬だった。
ハッハッハッ、と全身で息をしている。実に愛くるしい風貌。
名探偵たちは、息を飲んだ。
「これは、笑うところか」
探偵のうちの一人が、重苦しい口調で尋ねる。シルクハット老はうなずいた。
「笑うところですとも。にこやかに、はじめまして、と」
「ワン」
旦那様も同意したようだ。
これだけ人数がいるなかで率先してつっこむのもどうかと思いながらも、やはり我慢ができなかったので、エリスンは厳かにつっこんだ。
「あなたは、犬に仕えているんですか?」
できるだけ、ソフトな表現を選択。
シルクハット老は、まさか、と首を左右に振る。
「一見、犬のようかもしれませんが、旦那様は犬ではないですとも。まあ、最初はね、勘違いされる方も多いですけどねえ」
いよいよ、室内がざわついた。
得体の知れない招待状に誘われ、なにかとんでもないところに来てしまったのではないか──そんな確信めいた予感が、エリスンの胸中に去来する。
舌を出し、全身を小刻みに動かしながら呼吸しているらしい犬。
彼──旦那様と呼ばれているのだから、おそらくオスだろう──が探偵たちを集めたのだとして、いったい、なんのために。
そもそも、情報伝達能力はどうなっているのか。
「つまり、招待状の差出人、ワンダフル氏というのは、あなたなのかな?」
シャルロットが立ち上がり、燕尾服姿の犬に近づいた。
足を折り、右手を差し出す。
「はじめまして。私が、名探偵シャルロット=フォームスンです」
エリスンは、心底からこの上司を尊敬した。
こういうシチュエーションで、彼ほど頼もしい人物もいないだろう。
そもそも、こういうシチュエーションにはほとんど遭遇しないものだが。
「どうぞ、よろしく」
「ワン」
ワンダフル氏は元気に吠えた。差し出された右手に応えるように、前足を上げる。お手。
「よろしくワン」
──水を打ったように、室内が静まりかえった。
息を飲むような、沈黙。
「いま、しゃべ……」
「さあさあ、ショーの開催は明日だと、旦那様はおっしゃっておりますのでね。今日はこのままフリータイム、皆さん、作戦を練っていただきたい。みなさまもお疲れでしょうしねえ、ご主人様からの挨拶も終わったわけですし」
シルクハット老が、両手を打ち鳴らして声をあげる。
エリスンは、絶望的な表情で、シャルロットを見た。
どこからつっこめばいいのかわからない。
アレが本当に旦那様なのか。いまの「ワン」が挨拶だったのか。それだけのために、ここで長時間待たされたのか。
さすがに驚いているかと思えば、シャルロットは平然としていた。もしかしたら、事態に脳がついていっていないのかもしれない。
「お部屋にはネームプレートをつけてありますのでね。あたしが案内すれば良いのですが、まあ、探検のつもりで、各々の部屋まで辿り着いてくださいまし。必要なものはすべて用意してございます。いまから今回のショーの要項を配りますので、皆さん、各自ご確認ください。──それでは、また、明日の朝に」
シルクハット老は慣れた様子で一礼すると、白い封筒を、それぞれに配りはじめた。