8. 温泉宿
ホウロスにつくと、独特の腐卵臭が鼻につく。
クリスは車両から降りるリタの手を取って下ろしてやる。車両の段差は、少女には高すぎるように思えた。
「クリスは、騎士の方みたいですね」
くすくすとリタが笑う。笑うと妖精のような彼女を見て他の乗客が目を奪われている。
「騎士って。百年前くらいに滅んだ人種ですよ」
「でも、夢があるわ。女性はどうしたって自分だけの騎士に憧れてしまうから」
「私も女性なのですが」
呆れながら言う。
言ってから、何の違和感もなく自分が女性だと言ってしまったことに天を仰ぎたくなる。
自分はまだ心は男、だと信じたい。
「ここで仲間を探しましょう。前線に近いため、腕に覚えのあるものが多いはずです」
言いながらクリスはリタを連れて歩く。
ホウロスは有名な温泉街で、前線で疲れた戦士たちの慰安地でもある。
少し行き先を間違えると風俗店が立ち並ぶ花街に行き着いてしまうから、注意が必要だった。
男たちの馬鹿騒ぎが聞こえる。喧嘩でも始めそうな雰囲気だった。
戦地に近いため、決して治安がいいとは言えないのだ。
視線をちらちらと感じる。リタとクリスに向けられていた。
好機と情欲の視線だった。
男たちが持て余した欲望を、わかりやすく妄想や視姦という形でリタとクリスにぶつけているのだ。
忘れそうになるが、クリスも他者の目を引くほどの美人だ。自分は男のつもりでも、他人から見れば美人が美少女を連れて歩いているように見える。
そう見られていると意識すると、気持ち悪さで悪寒が走る。
「行きましょう」
そう言ってリタの顔を外套で隠して歩く。せめてリタはそうした目線から防いでやりたかった。
ホウロスに宿屋は数多くある。温泉が各地から湧き出て、それぞれ簡単に引けるからだ。
ただ、女二人だと下手なところを選ぶと危険だった。
ということを、リタに説明すると彼女はにっこりと笑って、
「お金ならあります」
幼いながら恐ろしい雇い主だった。
というわけで、厚意に甘えて程々に格のある宿屋に泊まっている。
聖都で泊まった宿の三倍はしそうな部屋と食事は、護衛ということを忘れて堪能してしまいそうになる。
「お酒は良いんですか?」
リタが食事に舌鼓をうつクリスを見ながら、そんな事を言う。
「ここまで甘えておいてなんですが、仮にも護衛の身です。いくらなんでもお酒は飲めません」
だが、飯は食う。本当に美味い。
主に肉料理だが、酒が飲みたくなる。駄目だ、それは本当に駄目だ。
酒が飲めないことがこれほど悲しいとは思わなかった。
リタが、従業員を呼んで手紙を手渡している。従業員の男は一礼すると退室。何の手紙だったのだろうか。
「せっかくだから温泉に入りましょう。きちんと体を洗いたいんです」
食事を終えると、リタはそう言って部屋を出ようとする。
リタを見る。
温泉。
裸。
「私はリタが出てくるまで、温泉の外で待っていますね」
クリスの口から反射的にそう言葉が出ていた。
いくらなんでもまずい。ココとエーリカに勘弁してと言ってからまだ一週間も経っていない。
「どうしてですか?」
リタが不思議そうに言う。
どうしてもこうしてもない。貴方のような美少女と一緒にお風呂とか、やばいからです。
と、言えるわけがない。
クリスは今、女なのだ。温泉に一緒に入るのは自然だ。
もちろん、リタに自分は元男ですなどと説明しているわけがない。
「護衛のためです。温泉では、武器も手元に置けないでしょう?」
「でも私のそばから離れるほうが、ずっと危険ですよね?」
ひねり出した理由が、一瞬で論破される。
そりゃそうだ。アホか。
「私と入るのが嫌なんですか?」
潤む碧眼の瞳で、見上げるように言われる。
美少女に儚さと可愛さが合わさり、最強に見える。この生物に勝てる存在がこの世にいるのか。
「私も入ります……」
理性や倫理感といったものが簡単に折れていた。
温泉は露天で、運良く貸し切りだった。
他の客がいれば面倒だった、と右の人差し指にはめた指輪を撫でる。予備の魔法の発動体だった。
女性の指には少々大きすぎるそれは、簡単に外れてしまいそうになる。どこかで作り直す必要があった。
「クリス、三角座りで縮こまってないで、こっちを見てください」
背中から声がかかる。
「それとも私のような醜女など見たくないのでしょうか」
泣きそうな声で言われる。
「わかりました、わかりましたからその声はやめてください」
振り返ると、先程の泣きそうな声は何だったかと思う笑顔がある。明らかにからかわれている。
嘆息。
した拍子に、
白、
桃、
落ち着け落ち着け、自分は女自分は女自分は女、心は男だが、今だけは女。
「どうしましたか」
「あー、いえ、あまりにもリタが綺麗なので見とれていました」
適当を言ったつもりが、本音が出ている。まずい。
完全に思考が死んでいた。
「えっと、それは、ありがとうございます……」
ふいっ、とリタの視線がそらされる。彼女の顔が赤かった。
それを見てまた衝撃。破壊的に可愛い。
女二人が、湯船で顔を赤くして対面していた。
「私の体を洗ってください。髪が長くて面倒なのです」
恥ずかしさをごまかすようにリタが背を向けて湯船から上がる。
クリスも言われたとおりに彼女の髪を手にとって洗う。
まるでこぼれ落ちる絹のような手触りがする。金の髪が月と火の明かりに反射して、薄く輝いている。
「私の髪とは違って、とても美しいと思います」
思わず口からこぼれていた。クリスの髪は灰色で、月光もくすませてしまう。
「クリスがそれを言うのですか」
リタの声には苦笑の気配。
「それを言うなら、クリスティア、貴方の体はどうなのですか。冒険者でなくても、普通、環境や、加齢で体は傷つくものです。でも、貴方の体はまるで生まれたてのように美しい」
リタの指摘に、クリスの鼓動が早くなる。
考えてみれば当然だった。冒険者と言い張るには、今のクリスの体は綺麗すぎるのだ。
リタが振り返る。
「クリス、貴方は一体何者ですか」
見事に急所を突かれていた。
そして、答えることは出来ない問いでもあった。間違いなく、リタとの関係がそこで終わるからだ。
黙るクリスに、リタも客観的な事実の指摘で返す。
「私を狙う暗殺者という線は、いくらでも殺す機会があったため違うでしょう。強引に私を故郷へ連れ帰りたいなら、ここまで付き合う理由がありません。他にも推測はありますが、確信はないという程度の推測しかできません」
リタの口に笑みが浮かぶ。
「でも、クリスが私のことを慮ってくれていたことはわかります。だからとりあえず、そのことは信用します」
張り詰めていた空気が解けたような気がした。
「でも、クリスの隠し事はいずれ教えて下さいね。その時は、私の隠し事も教えますから」
返事は出来なかった。
クリスの、もともと男、という秘密は他人が聞けば大したことがないものだ。
だが、リタはこうして一緒に温泉に入ることを許したように、クリスが女だと思っているからこその接し方がある。
つまりクリスはすでに、クリスは女である、というリタの信頼を裏切っているのだ。
だから、きっと言うことはない。
もし言うとすればそれは、二人の関係が終わるときなのだ。
温泉回です。書きたかっただけです。
以下謝辞。
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