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6. 夜逃げ

「なぜ」

 ケイアスが信じられないと言うようにクリスを見ていた。

 すでにクリスとケイアスの付き合いは十年近い。故郷を失ってから、二人は助け合いながら生きてきた。

 クリスはその関係性の一端を絶とうとしているのだ。

「今の僕だとケイの足手まといになる」

 言いながら自分の身体を見る。筋肉が落ちきっていて、とても戦士の身体ではない。多分ココやエーリカの方がよほど体力がある。

「筋力が落ちて剣が振れないどころか、 女性となったせいか、魔法まで不調でろくに使えない。僕が死ぬだけならまだいい。でも、それで仲間が死ぬのはつらすぎる」

 クリスにとっても苦渋の決断だった。

「せめて、一年は鍛え直さないとダメだ。もしかしたらもっと掛かるかもしれない。そして、ケイに僕の悠長な修行を待っている時間はない」

 一年もすれば、ケイアスはオムニキスの担い手として今よりも活発に動き回ることになる。

 そのときにクリスがいれば、どうあっても迷惑をかけることになる。ただ友人であったと言うだけで重用されていれば、それはただの縁故に過ぎない。今は良いが、いずれ確実にトラブルになるのだ。

「一年ある。ケイ、今からなら新しい仲間も見つけられる。ジェラルドさんも賛成している。だから、」

「駄目だ」

 拒絶の声だった。

 ケイアスが低く、硬い声で続ける。

「駄目だ。その体でどうやって生きていくんだ。今こそ仲間に頼るべきだろ。別に聖都にいて調子を戻せばいい」

 ケイアスの言うことは一面では正しい。

 だが、それは周囲から見ればどこの馬の骨とも知らない女を勇者が囲っているように見えるだろう。

「ケイは婚約者だっているだろう」

「婚約者ね」

 ケイアスは言ってしまってから、傷ついたような顔をする。ひどく含みのある言い方が気になった。

「僕がケイアスに頼ってしまったら、それこそ周りに勘ぐられる。不貞を疑われる」

 ココやエーリカさえ妬みや悪意からそうしたことを言われることがある。クリスが以前と同じ距離感でケイアスと一緒にいることは、冷静に考えると相当問題なのだ。

「いいじゃないか」

 ケイアスが、投げやりに言う。

「言わせておけば良い」

 その態度がクリスの癇に障った。喧嘩を買うように怒鳴ってしまう。

「ケイは婚約者がいるだろう! その女性を裏切るのか!」

 親友がそんなことを言うのが許せなかった。不貞を疑われるのも、されるのも、とてもつらいことだ。それを何でもないように言うケイアスが信じられなかった。

「もうすでに次の妻と、次の次の妻が決まっている」

 ケイアスが自嘲気味に言う。

 ケイアスの言葉の意味がわからず、沈黙が降りる。

「どういうこと」

「聖王家とその周りが、血統主義なことは知っているか」

「待て」

 ジェラルドが割って入った。

「部屋に戻って話そう。その話はここではまずい」

 クリスが声を上げてしまったせいで視線を集めてしまっていた。

 グラスの中のワインをあおる。

 はしたないと、エーリカが視線で咎める。だが、今はそうしたい気分だった。



「聖王家とその周りの家の血統主義は異常だ」

 ケイアスは嘲るように言う。右手にはワインが入ったグラスがある。宿屋に言ってボトルごと部屋に持ち込んだのだ。

 エーリカが盗聴されないように遮音術式をはっていた。

「人類が発祥したとされ、アーリア聖王国の前身である聖ヒュリオ教国の建国当初の頃からの血統を保ち続けるのに必死なのだ」

 聖ヒュリオ教国といえば三千年以上前の時代まで遡る。血統の確からしさなど、本来ないに等しい。

 ありえない、という言葉を察するようにケイアスが続ける。

「聖四武家は勇者を排出する家柄だ。勇者とは聖剣の担い手のことで、聖剣に選ばれるかどうかは血統に依存する、らしい。だから、最強で最悪の兵器である聖剣を人類が使い続けるために、聖四武家は延々と近親相姦を繰り返している。聖王家や、その他の家柄もまた、そのスペアとして特定の血統を保持するために近親相姦ばかりだ」

 この国の機密が赤裸々に暴露されていた。明らかに教義が語る、貞操観念を説く内容と矛盾していた。

 近親相姦が招く、各種病気をどのように乗り越えているかなど疑問が残るが、ケイアスが嘘を言っているようにも見えない。

「五百年前、いくつもの不運が重なってオムニキスの家が断絶し、俺が現れるまで使い手がいなかった。そのことを教訓に血統を保持する者の数自体を増やしたらしい。そして俺にも同じことが求められる」

 ケイアスの顔には諦めの笑みが浮かんでいた。

「対外的には今の婚約者が正妻として発表される。だが、今度こそオムニキスの血統を絶やしてはならないと、周りはやたらと張り切っている。政治的駆け引きなしに、すでに次の妻と次の次の妻が決まっており、最終的には十人程度は妻、というか愛人のようなものを囲うことを覚悟しなければならないらしい」

 壮絶すぎる事実に皆が絶句していた。

 エーリカだけが、そうした内情を知っていたせいかさほど衝撃を受けているようには見えない。

「もちろん、美しい娘が選ばれるだろう。俺の言うことに従順で、勇者の妻として愛し、受け入れてくれるだろう。だが、普通の人間のように、普通に恋愛をし、普通に結婚をし、普通に子を設け、普通に家庭をなすことは許されない」

 血を吐くような言葉が続く。

「無理だ。周りから決められた婚約者でも、せめて一人、頑張って二人までならそうした家庭ごっこが出来たかもしれない。だが、十人は無理だ。だから、一人、たった一人でいいから、そばに勇者の義務とは無関係な人がほしい」

 ケイアスがクリスを向く。

「一緒にいてほしい。故郷を失い、二人で支え合ったときのように俺のそばにいてほしい。女性となった君を見て、女性として愛してしまった。だから、冒険の仲間でなく、恋人として俺のそばにいてほしい」

 あまりのことに、頭が真っ白になっていた。

 まさか親友に告白されるなど、思ってもいなかった。

 ココとエーリカが顔を真っ赤にしている。大人の世界だよ、などとつぶやいているが興味に目が輝いているのがわかる。

 ジェラルドは完全に頭を抱えていた。

「ほ、本気で言ってるの」

「本気だ」

 ケイアスがクリスの手を握る。硬い手で逃さないというように強く握られていた。

 今ここでケイアスの求めに答えれば、クリスは男としての自分はおろか、冒険者としての自分も捨てることになる。ケイアスはクリスに、帰りを待つ恋人としての女性を求めているのだ。

 クリスに強く冒険者を続ける理由はない。

 だが、女性として正妻がすでに決まっている男の愛人になることのほうが、よほど難しい。

 しかし、拒絶すればケイアスがどういう反応をするか予測できなかった。それほど必死に見えるのだ。

「か、考えさせて……」

 クリスにはそう言うしかなかった。



 夜もまだ明けていないころ、クリスはまとめた荷物を持ってそっと宿を抜け出した。

 気づかれるかと思ったが、皆寝静まっていた。

 誰にも何も言わずに勝手に姿を消すことを申し訳なく思いながら、書き置きだけを残した。

 ケイアスがこのことをどう思うかが不安だった。もしかすると恨まれるかもしれない。

「夜歩きは危ないぞ、お嬢さん」

 ぎょっとして振り返るとジェラルドが立っていた。

「何も言わずに行くのか」

「すいません」

「いや、責めてる訳じゃないんだ。あれはケイアスが悪い」

 言いながらジェラルドは腰に手を回す。何やらゴソゴソとしたあと、一枚の封筒を取り出した。

「餞別だ、持ってけ。あと、たまには連絡くらい寄こせよ。ケイアスのフォローはこっちがやっておく」

 封筒を受け取る。少し分厚いが、紙幣というわけではなさそうだった。

「ありがとうございます。勝手に抜けることになってしまってすいません」

「いいさ。もともとお前を鍛え直す必要があるってことは賛成だったんだ。気をつけて行ってこいよ」

「はい、ジェラルドさんもお達者で」

 そう言ってクリスは背を向ける。

 東の空の闇に切れ間が差した。

 夜が明けようとしていた。

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