40. 婚姻について
「此度の婚姻、なかったことにはしていただけないだろうか」
クリスとリタの眼前ではセルヴァトーレ王が頭を下げていた。一国の王が頭を下げること自体、早々あってはならないことだから異常な事態だった。
最初の謁見のその日のうちに使者が来て、今日の会談が設定された。
つまり、セルヴァトーレ王としても早急に解消したい案件だったということだ。
顔には出さないが、クリスもリタも当惑していた。
「どういうことでしょうか」
二人の困惑は、ではなぜ婚姻などという話が出たのかというところに尽きる。
前提がひっくり返ればこの話、ハレーブにとってはデメリットしかない。
聖王国といらぬ溝を作るばかりか、大きな借りとなってしまう。
セルヴァトーレ王もそれがわかっているのか、大きくうなだれている。
昨日は玉座で堂々と二人を見下ろしていた王が、眼前で見てみると老けて見えた。
疲弊か、顔には深く皺が刻まれている。
「お察しかとは思うが、我が国は後継者問題に悩まされている。余には息子が三人、娘が二人いるが、それぞれが余の後継者として名乗りをあげている」
「こうした場合は、ご長男が継がれるものではありませんか」
「そうであれば良かった。だが、それぞれの支持者の力関係が奇妙な均衡を保って、別れてしまった」
クリスは妙なセルヴァトーレ王の物言いに首をかしげる。
リタが少し考え込むようにして問いを重ねる。
「誰を後継者にしても不都合があるということですか」
「少なくとも今、後継者を指名すると、国が割れる。だが、もし余が今死ぬような事があれば、やはり動乱となってしまう」
「それは聖王国も望まないことです」
聖王国は、人類全体のために存在する国家だから、人類同士の戦争を良しとしない。
だから、領土獲得も常に人類以外から奪おうと考える。それが戦線の拡大を生んでいる。
「そうだ、そして、ハレーブが力を持ちすぎないことも、聖王国が望んだことだった」
おや。
少々話の雲行きが怪しくなってきたような気がしなくもない。
「ここは聖王国からはるか西にある。当然、中央に比べれば信仰心も薄く、聖王国の威光も届きにくい地だ」
宗教や思想、それに政治は結局のところ距離の問題にとらわれる。
どれほど強大な国とて、大陸を横断するのに一瞬で移動するわけにも行かず、宣教師の数は限られる。どうしたって地域差は出るのだ。
「だが一方で資源が豊富で、巨人の国と隣接している国でもある」
「聖王国は制御したがるでしょうね」
リタがため息をつく。彼女はセルヴァトーレ王が言いたいことを察したようだった。
クリスはそれほど察しがよくないので、頭を捻るばかりだ。
だが、主人はわかっているようなので、口をはさむわけにもいかない。
クリスが今ここで同席を許されている事自体、セルヴァトーレ王の寛大さとも言えた。
「ハレーブの王位継承問題は、私も無関係ではない、ということです」
クリスの心の内でも読んだように、リタが補足するように言う。
「厳密に言えば、聖王国がこの国の継承権問題に関わっているのでしょう」
リタが苦い表情を隠そうともせずに言う。
「王女はお嫌いか」
「意味のない策謀は」
リタの答えに王が大笑する。
心の底から面白がっているようだった。
「聖王国の王女らしいと言えばいいのか、らしくないと言えばいいのか」
セルヴァトーレ王はそう言って目の前のカップを手にとって口に含む。
「この紅茶もこの国で採れたものだ」
「存じております」
「だが、他国への流通は結局のところ一度聖王国を通らねばならん」
厳密にはそこまでではないはずだが、最も街道や交通網が整備されているのが聖王国を経由するルートだからそちらを使ったほうが便利で安全だ。
「そういう事情も耳にしております」
「そこでかけられた関税で聖王国は潤う。他の事柄についても同様に。聖王国は聖王国であるというだけで繁栄を約束される。だが、他国はいつまでその楔に繋がれていなくてはならん?」
「それが西方諸国の統一見解でしょうか」
王の言葉は、ともすれば聖王国への反逆を疑われかねないものだった。
リタは、建前上の聖王国の使節という役職を果たそうとしている。
「まさか!」
セルヴァトーレ王は手を頭の上に掲げて言う。
まるで降伏するかのようだが、その顔は笑っている。
「できるわけがない。勇者の半分も投入されれば西方は落ちるだろう。それに信徒も黙ってはいまい」
国民の生活基盤である宗教という首根っこを押さえられ、西方諸国が集まっても軍事力でも遥かに及ばない、という現実の前では笑うしかない。
「我々には聖王国に従う、という選択肢以外ない。だが、不満を持たない、というわけでもないことを王女には知っていただきたい」
セルヴァトーレ王の言葉は随分と直截に思えた。
いや、というか、
「私は聖王国のメッセンジャーではないので、それほど警戒されなくても大丈夫ですよ」
クリスが思ったことをリタも感じていたようだった。
リタが一拍を置くように、紅茶に口をつける。
「聖王国で飲むものよりも、香りが立っているように感じます」
「ああ、それは、おそらく輸送の間に葉が酸化してしまうからだろう」
突然話題が変わったことに戸惑いながらも、王が返事をする。
「なるほど、産地ならではの味や香りがあるのですね」
カップを置きながらリタが言う。
「この紅茶と同じです。聖王国は、各国に特色があり、それが重要であることを承知しています」
リタは訥々と語る。
「制度の改正と技術発展の速度の齟齬から聖王国は結果的に繁栄していますが、人類全体を支えられません。支えられないから、こうして各国に頼るしかないことも自覚しています。だからこそ、こうして婚姻のために私をよこしたのです」
セルヴァトーレ王が目を瞬かせて、確認するように問いかける。
「では、本当に婚姻のために?」
「私はそうとしか聞かされていません」
セルヴァトーレ王は放心したように、ため息を吐く。
「どうも疑心暗鬼に陥っていたようだ。余の代では何かと聖王国の干渉が多かったものだから」
「そもそも、どういった経緯で婚姻という話になったのでしょうか」
そこが、リタもクリスもとんと分からない。
リタのような少女が好きな少々特殊な性癖、という感じでもない。いや、自分は特殊な性癖ではない、多分、おそらく、きっと。
「聖王国との交渉の中で、婚姻関係を結ぶような支援でもなければ諸国の不満を納得させられない、という話はした。ただ、それはたとえ話で、まさか本当にこうして王女をよこされるとは、」
そこで言葉が途切れる。
「いや、リタリア王女に何か不満があるわけではなく」
セルヴァトーレ王はそう言いながら、視線がリタの胸に向いている。
微妙に残念そうな顔をしていた。
寒気がしてリタの顔を見ると、笑顔の中に青筋が立っている気がした。
随分余裕あるなこの王様、と他人事ながら思う。
リタとクリスの視線に気づいたのか、王は咳払いをするとひげをなでながら言う。
「先程も言ったように、婚姻は取りやめとさせていただきたい。ただ、使節として来ていただいた王女に、一つ依頼をしたい」
「依頼ですか」
「この国の次期国王を決めていただきたい」
忙しかったり、体調を崩したりで一週間も空いてしまいました……。




