4. 枢機卿への報告
車窓から白い建築物が立ち並ぶ都市が見え始める。
人類文明発祥の地とされる、アーリア聖王国の聖都サンハントラスだった。
クリスたちは南東の隣国ナシュケ共和国から汽車を乗り継いで帰ってきていた。
全体で四日程度の行程だが、国家間鉄道が開通する前は街道を二週間程度かけて移動する必要があった。
魔導師とされる人々なら、汽車がなくとも同じかそれ以上に短い旅程で移動できるだろう。
だが、汽車は魔法に秀でていない大半の人間も利用できる。
個人の技量に左右される魔法以上に、科学は確実に多くの人々に便利さを与えていた。
汽車が止まり、一等客室の人間から先に降ろされる。
慣れた足取りで、駅を通り抜ける。一等客室から出てきたクリスたちを見て駅員が驚きの顔になる。全員が若く、乗り慣れた風だからだろう。
「まずは大聖堂かな」
クリスがケイアスに話しかける。
ケイアスはクリスを見ないまま返事をする。
「ああ、すぐに報告する」
ケイアスの反応にクリスは憂いの顔になる。
ケイアスは取り乱すようなことはなくなった。
だが、露骨にクリスを避けるようになった。
会話の素っ気なさがそれを表している。ケイアスは生い立ちと境遇のせいか、親しい人との触れ合いをことさらに求める傾向がある。
逆に親しくない人間にはひどくそっけない。
初対面の人間に対する礼節は持ち合わせているし、気も使うがそれだけだ。
今のケイアスのクリスへの対応はそんな他人に接するようだった。
何か気に触ることでもしただろうか、と不安になる。四日間、ほとんど会話もできなかったのだ。
クリスの頭を硬い手が撫でる。
「気にするな。ケイアスもどうすればいいかわかっていないだけだ」
クリスはジェラルドを見上げる。まるで子供を見る親の目をしていた。
「あの小僧は勇者となってもまだ青い。自分の感情に折り合いをつけるのが下手なだけだ。だから、気にするな」
繰り返し言う。
「まあ、お前もお前だ。察しが悪すぎる。少しは気づいてやれ」
撫でていた手で小突かれる。
小突かれた頭を撫でる。
気づく、とはなんのことだろうか。
前を行くケイアスの表情は硬い。緊張しているのかもしれなかった。
駅から真っ直ぐ続く大通りの突き当りには、聖王家とそれを守護する聖四武家、そして行政と祭事を司る聖法家、大聖堂が内包される聖区がある。
アーリア聖王国は、多くの人類諸国が政教分離と議会政治に転換している中で、いまだ古来よりの宗教国家なのだ。
聖区の入り口に当たる大聖門と呼ばれる門の前では何人もの衛視が門の中に入るものを見張っている。
東西と南に分けて三つある門で、毎日一万人以上が出入りする。聖地でもあるために、巡礼に来る人々が絶えないのだ。
衛視がケイアスに気づくと、手を合わせ叩頭する。勇者に対する敬意があった。
門の中は、更に白い建造物が多く立ち並ぶ。
これは、かつての法王が、『法衣が白くあるのは何ものにも染められぬ信心を示すものだ。建物もそのようであれば、我らはより強き信仰を得られるだろう』として推奨したためだ。わざわざ白く染め直した建物もあるという。
ばかばかしい話だが、これは法王の信仰心を示す逸話として受け入れられている。
それほど、この国の生活は宗教と強く結びついているのだ。
白い建物の群れを横目に見ながら聖区の中央に進むと、大聖堂が現れる。
その更に北の区画は、聖王家とその他の家々が立ち並んでいるためより警備が厳重になる。
大聖堂の中に入ると、ケイアスの顔を認めてすぐに案内役のシスターが駆け寄ってくる。
「ロティト枢機卿がお待ちです」
小部屋に通されると片眼鏡をかけた初老の男が立っている。
「やあ、お久しぶりです、皆さん」
「お久しぶりです、ロティト枢機卿」
向き合って礼の形を取る。
ロティト枢機卿は普通の神官服に、白い長衣を羽織っているだけの姿だ。知らなければただのおっさんにも見える。
胸元に七本の剣が描かれた銀細工が掲げられていることだけが、彼が枢機卿であることを示している。
ロティト枢機卿は片眼鏡を外して胸ポケットに入れる。机には書類と万年筆。恐らく書類仕事をしていたのだろう。
「電報で簡単に話は聞いていますが、詳細を報告いただけますか」
「エーリカの神託に現れた悪魔を討伐いたしました。また、悪魔を召喚したと思われる術者を取り逃しました。申し訳ありません」
「問題ありません。もともとはナシュケ共和国と更に南のネーア国との街道を再び開通させるための依頼でした。そちらは達成されています」
ロティト枢機卿の顔には憂い。
「五百年ぶりに現れたオムニキスの担い手に、このような雑事を押し付けていることを申し訳なく思います。しかし五人いる勇者のうち、イースティティアは西方、アーリクォタムは北方戦線から引き抜けず、 プラェージディアムは国内の守護に、イーディズィは各国への牽制として動かせません。オムニキスが家格として復興しておらず比較的義務が発生していない今、超術式を連発するような脅威に対して教会は貴方しか動かせないのです」
「承知しております。枢機卿には後見人としての恩もあります」
ケイアスはロティト枢機卿を後見人として、勇者としての立場を固めている。勇者を取り込みたい人間はいくらでもいるが、ケイアスは政治ができるわけではない。
ロティト枢機卿は政治的干渉からケイアスを守っている。 ロティト枢機卿の四女であるエーリカがケイアスのパーティーにいるのも、そうした背景のためだ。
「それと、こちらは電報ではお知らせできなかった内容ですが」
ケイアスがクリスの方をちらりと見る。
クリスは顔を隠すために被っていたフードを取る。
ロティト枢機卿が疑問の声を上げる。
「そちらのお嬢さんは……? それにクリス君の姿が見えませんが」
ケイアスが意を決したように言う。
「彼女がクリスです」
ロティト枢機卿は意味を測りかねたように問い返す。
「どういう意味ですか」
「そのままの意味です。クリスは悪魔の呪いを受け女性になってしまったのです」
ロティト枢機卿の視線に全員がうなずき返す。
驚きが隠せないというように、ロティト枢機卿が首を振る。片眼鏡をかけてクリスを見る。
「幻術というわけではないようだ。私をそのような嘘で騙す理由もない」
片眼鏡を外しつつハンカチでレンズを拭く。
そうそう自分の感情を見せない枢機卿が動揺していた。
「それで私に何をしてほしいのかな。その呪いをディスペルする神官を紹介しようか」
「ココによるとディスペルでどうにかなるものではないそうです。ただ、クリスの身元を保証してほしいのです。性別が変わり、銀行に預けた財産や戸籍など本人確認ができないため、クリスが社会生活を送れなくなってしまうことを防ぎたいのです」
ケイアスの言葉にクリスは驚いていた。
多分、ケイアスはずっとこのことを考えていたのだ。
友人の気遣いが本当にありがたかった。
「分かりました、手配しましょう。しかし、勇者の友人が悪魔の呪いを受けたというのは外聞が悪いため、別の戸籍を用意し別人として生きてもらうことになります。行政手続きとしても性別が変わるという想定がなく、混乱をきたしかねません。また、クリスくんは重症を負い療養のため、引退した、という扱いでも良いでしょうか」
「それで結構です。ありがとうございます、枢機卿」
「特別なご配慮に感謝いたします、ロティト枢機卿」
クリスも感謝の言葉とともに頭を下げる。事実上、クリスという男は死ぬ。それが悲しくないといえば嘘だが、実際問題として男としてのクリスはもういないのだ。
「美人に感謝されるというのも悪くないですね」
信仰の視点で言えばむしろ嫌悪感すら持ちそうなものだが、軽口で返す事のできるロティト枢機卿は人格者だ。
実際、彼は枢機卿の中では一番庶民からの人気が高い。
そして、最近の動向や今後の予定などを話し合う。
ケイアスが家長としてオムニキス家を復興するのが一年以内になるのは確定したらしい。
ケイアスがオムニキスを手にしたのが二年前だ。この二年での実績が評価されてようやく、正式に認められたということになる。
「五百年ぶりのオムニキス家の復興です。盛大な祝いとなるでしょう。一年しかないので、すぐに準備を始めなければなりません」
「はい」
ロティト枢機卿が緊張するケイアスに笑いかける。
「しかし、今すぐ何をやるというわけでもありませんし、大半は私の方で手配します。疲れているでしょうし、今日はもう帰りなさい。宿が必要ならこちらで手配しましょう」
「いえ、すでにとってあるので結構です。お気遣いありがとうございます」
大体、聖職者の宿というのは、教会やそれに準ずる場所になる。つまり、ほとんど気が休まらない。
大抵は下町に宿を取ることにしている。
ロティト枢機卿がいつものことに苦笑する。
「まあ、いいでしょう。ああそれとケイアス、君は聖都にいる間に婚約者に会っておきなさい。彼女も心配していましたよ」
「……はい、分かっています」
ケイアスは気づいていないかもしれないが、いつもよりも声が硬い。
ケイアスがオムニキスの担い手になったときに、婚約者も選ばれた。すでに二年の付き合いのはずだが、まだ慣れないらしい。
クリスは勇者の事情を詳しく知らない。ケイアスも守秘義務のため話せないのだ。
自分は助けられてばかりなのに、ケイアスの問題に手を貸せないことがひどくもどかしかった。
「それでは失礼します」
そう言って退室する。
「宿は」
「いつものとこ」
「分かった」
電信で先に宿に連絡を入れて予約ができるため、あとは宿に行くだけでいい。
「便利な時代になったものだ」
ジェラルドが過去を懐かしむように言う。
クリスはケイアスの背中に声をかける。
「ありがとう、ケイ」
「ああ」
それがたとえそっけない返事でも嬉しかった。
タイトル回収どこ……? ここ……?




