37. 展望室
汽車の車窓から見える景色は、聖王国から離れるほど牧歌的になっていく。
人類諸国をつなぐ大陸間鉄道はその実、各都市間をつないでいるだけだから、その沿線に見れるものなどそうはない。
「海岸線に沿ってりゃまだ見れるものもあったんだろうが」
「敷設コストが高くなるため、大抵は平野を通ることになってしまうようですね」
ケイアスのぼやきに、リタが答える。
実際のところ所詮移動のため、かなり暇を持て余している。
「まあ、なんだ、飯は美味い」
ケイアスがフォローのつもりか、フォークで白身魚をつつきながら言う。
「ケイ、それは行儀が悪い」
クリスがたしなめるように言う。
クリスも、他の勇者の仲間も手慣れた手付きで食事を続けている。冒険者と言えば粗野な印象なのに、テーブルマナーもしっかりしていた。
ティアルメダ号の食堂車はさながら聖都のレストランとそう変わらない内装と食事を提供する。
食堂のための厨房車すらあるのだから、この食事を提供するためだけにいくらかかっている分からない。
「普段では考えられない贅沢をしているな」
ジェラルドが満足げに言う。
「叶うなら妻と娘も連れてきたかった」
「流石にそれはちょっと……」
ココが苦笑している。横でエーリカが黙々と魚を口に運んでいた。
他の護衛たちは、別室で待機している。
彼らが食事をできるのはリタたちの食事が終わってからになる。
「同じ護衛なのですから、私達も彼らと扱いを同じにしたほうが良かったのではないですか」
クリスが申し訳無さそうに言う。
「勇者がほかの護衛と同じ扱いのほうが問題あるだろうが」
「まあ、そういうことですね」
ケイアスの言葉にリタも同意する。
「それに私一人で食事というのはいかにも寂しいので。こうしてみなさんと食事できた方が私としても嬉しいです」
リタの言葉にココが食いついた。
「王女様とお話したいです!」
冒険者は大抵年上な上に、女性が少ないから、人間関係の中で同年代の少女と友達になる機会自体が少ないココが張り切っていた。
その事情を察して、リタも笑顔で応じる。
「はい、ぜひ」
というか、そのあたりの境遇に関してはリタもそう変わりはしない。聖王家という閉じた社会で、どれほど同年代の友達を作れるのかという話だ。
「ココさんは十階位の魔導師だそうですが、どうやって認められたのですか」
「あ、それは研究が認められたんです。共同研究なのですが」
剣士と違って、魔導師の階位認定は途中から研究等の功績にシフトする。
これは、魔導師の価値は戦闘ばかりではないからだ。
高位魔導師の大抵が実戦に必要な魔法を習得しているのは、かつて魔導師は一人で戦えることが必須技能だったという伝統を継承している側面が強い。
光の塔や国家群によって進められてきた術式の系統化と規格化が魔法習得難度を押し下げた結果、かつてと違い魔法が使えることは特別なことではなくなっている。
「共同研究とは、モレ=サハール=ティラナカル理論のことでしょうか」
「よくご存知ですね」
ココが驚いた顔をしている。
「知り合いが話に出していたものですから」
ロレット・イーディズィが使っていた次元術式の基礎を作ったのは目の前の少女ということだった。
十階位に認められるのも分かる話だった。
多分、魔法の腕以上に研究者として突出しているのだ。
「ココさんはどうして勇者のパーティーに入っていらっしゃるのでしょうか。光の塔で研究者としての道を歩むという手もあったのではないですか」
「あー、えーっと、それはですね……」
ココがバツが悪そうにしている。
「私が十階位になったときにちょっと面倒なことに巻き込まれまして。それで今は光の塔から距離を置いています。そのときにたまたま助けてもらった縁で、このパーティーにいます」
基本的に研究者と変人の集まりとされる光の塔すら、政治からは無縁ではいられない。
なまじ集団として見ると力をもつため、むしろ政治的な思惑に巻き込まれやすくすらある。
光の塔は個人主義が過ぎる側面があるから、そうした思惑からココのような若い力を守ろうとする大人は少ない。それどころか、ライバルを蹴落とすために大人の方が排除のかかろうとすることもある。
「すみません、聞くべきではなかったですね」
「いえ……」
年若い少女のする話ではなかった。多分、ココも楽しい話を期待していたはずだった。
強引に話題を変える。
「光の塔があるラナ・ディーラルの名物を教えていただけませんか。私も公務で訪れたことはあるのですが、いかんせん観光などする機会はなかったのです」
ココがリタの言葉に笑顔になる。リタの気遣いだと分かっていても、多分それ自体が嬉しかったのだ。
人の好意を素直に受け取れる、心根の優しい少女だった。
「喜んで。ラナ・ディーラルは学徒の都市という印象が強いですが、剣闘、というか魔法を使った決闘も盛んなのです。研究都市となったのはここ二百年ほどの話で、もともとは割とろくでなしの魔法使いのたまり場だったそうですよ」
ココの言葉を勇者たちも微笑んで聞いている。
彼らの関係性の親密さが見て取れた。
この関係性があったから、クリスはああなのだとわかった。
リタの無茶な頼みを聞けた。彼女にたった一人でも付いてきた。お人好しでいられた。
例え女になったとしても、今も勇者と肩を並べていられる。
それはリタにはないものだ。
今、政治的に道具として使い捨てられようとしているリタリアという少女が、ついぞ得られなかったものだ。
彼らが、クリスがひどく眩しく見えた。
目を落とすと、白身魚が食べかけのまま皿に乗っていた。
リタもコレだった。ちょうど他人に皿に乗せられて、食べられてしまう直前なのが今の彼女の人生だった。
ハレーブにつくことを待つまでもないと思った。
今夜、今夜決着を付けてしまおう。
抜き足差し足忍び足、という具合でリタは自室の扉をそっと開ける。
廊下に護衛が立っていた。聖王国から付いてきた騎士の一人だった。
音を立てないように術式を構築する。睡眠ガスを構築する術式だった。
まさか護衛対象が護衛に対してそんなものを使うとは思わなかったのだろう、護衛は廊下で眠りこけてしまっていた。
「申し訳ありません」
小さく謝りながら、目的の部屋を目指す。
部屋の扉の前に立つと鍵束を取り出す。リタに渡されていた客室の部屋の合鍵だった。
「王族専用列車だから、全部屋の合鍵を渡される、というのは冷静に考えると色々問題がありますね」
今まさにそれを悪用しようとしているリタの言えたことではなかった。
苦笑しながら鍵を回す。
ガチャリ、と思いの外大きな音が響いて思わず周りを見渡す。
誰かが廊下に出てくる気配はない。
ほっと息を吐いて部屋の中に入る。
灯りは落ちていて、部屋の中の様子はよくわからない。
目を凝らしてよく見ようとする。
部屋には大きなベッドが一つだけあって、そこに小さな山が一つ、二つ、
「動くな」
ひたり、と冷たい感触が首筋にあたった。リタはロクに反応すら出来ない。
「動けばこのままこの手を引く――」
明確な殺意が、言葉と共に尻すぼみになっていく。
「って、何をしているのですか、リタ」
ぱっと、首にあてられていた感触が離れた。
振り返ると、呆れたような困惑したような仕草でクリスが立っていた。
「驚かさないでください、こんな夜中にどうしたんですか」
リタは声が出ない。
クリスに一瞬でも殺意を向けられたことが、ショックだったのだ。
「リタ?」
「すみません、ちょっと驚いただけです」
小声で答える。
「実は、あの、」
――クリスと話がしたくて来たのです。
という言葉が言い出せなかった。
何故か妙に気恥ずかしかった。
もじもじとしていると、クリスがふっと微笑んだ。
「ちょっと、外に出ませんか」
「こうした展望室まであるのは、豪華ですね」
クリスが感心するように言う。
客車の天井をくり抜いて半球のガラスを取り付けた展望室は、精々二人が入れるくらいの広さしかない。
はしごを登って、空を見上げれば星空が瞬いている。
「まあここから侵入される危険があるので、警備の人間からすればどうかと思いますが」
リタからすれば、ここは密談や密会に最適だと思った。
というか多分そのために作られたのだ。
「どうしたんですか」
リタが黙っていると、クリスが口を開いた。
本当に気遣うようで、腹が立った。リタからすれば、クリスから弁解なりなんなりの言葉がまず飛んでくると思ったのだ。
そのことを気にしていないような態度で、二人の関係性を軽く扱われたように感じた。
「クリスは言い訳もしないのですね」
どうしても言葉が刺々しくなってしまった。
「どうして言ってくれなかったのですか。いつでも言えたのに」
彼の、彼女の口から教えてほしかった。
他人の言葉から、クリスの秘密を知ってしまったことが不本意だった。
あれほどリタのことを親密そうに扱いながら、ずっと教えてくれなかったことが裏切りのように感じられた。
「貴女の仲間は知っていたのに」
いざこうして二人きりになると、堰を切ったように恨み言が湧いた。
「どうして、私には」
言葉が絶えた。
ふと、言いながら気づいてしまった。
リタはリタでクリスに秘密があることに感づいていたのに、クリスに秘密が秘密のままであることを許した。
暴こうとすれば出来たのに、それをしなかったのだ。
「リタに嫌われることが怖かったのです」
クリスの声に、顔を上げた。
その表情には苦悩があった。
「今もそうです。私は女性の身体をしていますが、その実、心の有り様は男性です」
クリスはその整った顔で言う。
「私は女性として生きるしかないのに、男性としての心を捨てることもまた出来ませんでした。十八年、男として過ごした重みはそうそう変えられなかったのです」
クリスの言葉はリタにとって想像が難しかった。
後天的に性別の不一致を経験したものなどまずいないから、知識としてさえ持ち得ない。
「私は生きているだけでその人を裏切ることになります。相手は私のことを女性だと思っているのに、心は男性なのです」
リタもそれで裏切られたと感じたから、何も言えなかった。
だが、それはクリスにはどうしようもないことだ。
人の心がそれほど簡単に変えられるのなら、誰も苦労しない。ままならないからこそ、人は苦悩して生きていく。
「私は、リタのことが好きです」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
まじまじとクリスの顔を見つめ返す。
「けれど、それも男性として女性に向ける情欲です」
「いえ、あの、待ってください」
思わず手を上げてクリスを制す。
割と男性がどうとかそういうことがどうでも良くなってしまった。
いや、本当にそれどころではない。
「今なんて言いましたか」
「男性としての情欲だと」
「その前!」
「……リタのことが好きです」
言いながらクリスが頬をかく。
「……少し照れますね、これは」
そう言いながら微笑む。
そのクリスの顔が本当に美しく見えた。
顔が熱かった。
思わず顔を手で覆う。
「リタ?」
「何なんですか、もう!」
たまらなくなって叫んだ。
クリスはこういう人だった。無防備にこちらの心に飛び込んでくるのだ。
「しー、静かにしてください。皆寝ているんですよ」
「これが冷静でいられますかっ」
思考がまとまらない。
ああ、本当に、もう、
「クリスは、どうしてそうなのですか。もっと、こう、あるでしょう」
「何がでしょう」
「場所とか、雰囲気とか、そういうのですっ」
「展望室は絶好だと思ったのですが……」
「だからって、唐突すぎます」
クリスが真面目な顔になる。
「今しかないと思いました。リタはこれから婚姻に向かう身なのですから、本来はこんなことを言う事自体、私のわがままです」
クリスが胸の前で手を組む。
まるで祈るようだった。
「リタと別れてからずっと考えていました。私は心は男性ですが、世間はそうは見ません。身体は女性なので、これは教義においては禁じられた愛情です」
同性愛というものがあることは知っているが、大ぴらに語られることはない。
子をなせないから、人にあるまじき罪とさえ考えられるのが普通だ。
「私はリタの重荷にはなりたくありません。けれど、この想いを伝えないことも堪えられませんでした」
自分のどこに、そんなクリスに好かれるところがあったのか分からない。
クリスは何度も自分は男だと言うけれど、ずっと素敵な女性に見えた。
「本当に、これは私のわがままなのです」
クリスは、リタの返事に期待していない。
普通、愛されたいと思うならもっとそういうことを言うはずだ。
なのにクリスは、これが叶わない恋なのだということばかりを強調する。
まるでリタに諦めさせてもらいたがっているようだった。
「クリスは勝手です」
クリスの顔が歪んだ。彼女自身がそれははっきりと自覚していることだっただろう。
「はい、そのとおりです」
リタの言葉に従うクリスが気に入らなかった。
もっと、もっとわがままで良かった。
「人の事情ばかり考えて、もっと自分のことを考えてください」
たまらなくなって、クリスの胸に飛び込んだ。
見上げると、クリスの驚いたような顔がある。
「諦めさせてなんてあげません」
クリスの頬に手を添える。
ゆっくりと顔を近づけていく。
自然と目を閉じた。
クリスの吐息がすぐ近くになる。どこか甘い匂いがした。
胸がうるさいほど鼓動を打っていた。ひどく大胆なことをしている背徳感が心地よかった。
一瞬だけ、柔らかい感触が触れてすぐに離れた。
目を開けると、赤い顔をしたクリスの顔があった。
「私も貴女のことが好きですよ、クリス」
クリスの顔がみるみるうちに真っ赤になる。
「顔が赤いですよ」
「それはリタもですよ」
言って、二人して笑う。
もう一度目を閉じて、クリスに抱きついた。
クリスが言うように、二人の関係性は決して社会には認められない。
それでもこの体温を手放す気にはなれなかった。
難産でした……




