32. 過去の夢
故郷が燃えていた。
「アメリア、手を離しちゃ駄目だ」
「お兄ちゃん、痛い」
クリスが強く握りすぎて、妹が痛がっていた。ハッとなってゆるく握る。
「お父さんとお母さんは?」
「分からない。ケイも今日は町の外に出ていたから」
子供二人でどこに行けば良いのかすらわからなかった。
大人たちは、魔物たちから子供を庇って逃したのだ。
ただ、子どもたちの集団だから、統率など取れるはずがない。結局皆が思い思いに逃げ出してしまって、はぐれる結果となってしまっていた。
「クリス!」
聞き慣れた声に振り向く。
ケイアスが息を切らして、こっちに走ってくるところだった。
「なあ、どうなってんだこれ。クリスとアメリアしかいないのか。おじさんとおばさんは」
「分からない。僕とアメリアも逃げてきただけなんだ」
「くそっ、魔物の大量発生なんてありえないだろ」
人は魔物を駆逐してきたから、暮らしが安定し、文明を発達させることが出来た。
逆に言えば、こうした魔物の大量発生を野放しにしていれば、近年の躍進とも言える文明の発展はあり得なかったということだ。
「そんなこと言っても仕方ないだろ。逃げないと」
こんなところで言い合いをしている場合ではなかった。
「つってもどこに行くんだよ」
「町の外しかないだろ」
知らず知らずのうちに言い合いになっていた。二人とも子供で、疲れていたし恐怖していた。
「喧嘩しないで」
アメリアがクリスとケイアスの手を握る。
「ごめん」「悪かった」
二人ともこの一つ年下の少女に甘かったし、頭も上がらなかった。
アメリアも怖いはずなのに、人の心に寄り添う余裕があった。
「私達がここにいたら、大人も逃げれない。だから、隣町まで逃げましょう」
アメリアが、父と母のことを気にかけていないはずがなかった。
だが、それ以上に逃げるべきだと冷静に判断したのだ。
「ごめん、兄ちゃんが言うべきだった」
妹に言わせてしまったことが不甲斐なかった。
ケイアスもこころなしか落ち込んでいた。
「行こう」
そう言って三人で歩き出そうとした矢先だった。
魔物が一匹、町の中から三人に向かって来たのだ。
「逃げろ!」
アメリアの手を引いて駆け出す。
「くそくそっ、くそお」
魔物の足は早すぎた。魔法で強化された脚力に、人間の子供の足が敵うはずがない。
ケイアスが突然立ち止まった。
「俺が食い止める! だからクリスとアメリアは逃げろ!」
「馬鹿! できるわけ無いだろ!」
ケイアスを見捨てることが怖くて、立ち止まった。
ケイアスは小さな子どもでも使えるような魔法すら使えない。剣の心得があるわけでもないから、魔獣相手に立ち向かえば結果は見えていた。
クリスの手からするり、と体温が逃げていった。
アメリアだった。
立ち止まっただけのクリスとは違って、アメリアはすぐにケイアスのもとに走っていった。
「だめ!」
そう言ってアメリアが、今まさに爪を突き立てられようとしていたケイアスを庇った瞬間を、クリスは呆然と見ていた。
鮮血が吹き出す。
妹の身体が赤い尾を引いて地面に転がる。
ケイアスが地面に転がったアメリアを抱えていた。
そして妹が死にかかっているのに、クリスの身体は動かない。
アメリアがケイアスに何かを囁いていた。
ケイアスは泣きながら首を横に振っている。そのケイアスに魔獣の牙が再び迫っていた。
動けないままでいるクリスの両脇を風が通り過ぎた。
そして、魔獣に二本の剣が突き立てられた。
「間に合わなかった……」
見覚えのある男が言う。女がケイアスに抱えられるアメリアを見て涙をこぼした。
クリスの父と母だった。
二人は全身が血だらけで、立っているのも不思議なような傷を負っていた。
「おじさん、おばさん、アメリアが、俺を庇って、俺なんかを」
泣きじゃくりながらケイアスが言う。
父がケイアスの両肩を掴んだ。
「クリスとすぐに逃げなさい」
「でも、アメリアが、おじさんもおばさんも」
「アメリアは私達が見ているから。大丈夫、すぐに追いつく」
明らかに嘘だとわかった。二人の傷が楽観視できるほど浅くないことは、子供でも理解できてしまう。
父と母がクリスの方を見た。
「ケイアスを連れて逃げなさい! 早く!」
そう言って、父はクリスにケイアスの手を握らせた。
母がいつものように言い聞かせるように言う。
「生きて。あなた達二人ならきっと大丈夫だから」
これが今生の別れになると悟った。
魔物の咆哮が聞こえた。随分と近い。
「行って」
母が言う。
動けなかった。
父も母も妹も、これで別れになると思うと、いっそここで一緒に終わりを迎えたほうが幸せなのではないかと思いさえした。
「行きなさい!」
怒鳴りつけるように、父が言った。
「早く! いって、いって、いって、ふりかえらずに」
クリスは言葉に押されるように、ケイアスの手を引いて走り出した。
涙で前が霞んで見えなかった。
「いきなさい! いきて、いきて、どうか」
祈るような声が背を押す。
走って、走って、走った。
ほとんど記憶がないままに、気がつけば隣町で倒れていたところを二人は大人に保護されていた。
ベッドで目が覚めたとき、思った。
――何も守れずに、生き残ってしまった。
だから、今度こそは、守りたいものを守るために力を付けたはずだった。
だが、また何も出来なかった。
いつもクリスは何も守ることも出来ずに、一人生き残ってしまっている。
クリスが目を覚ますと、両目から涙が出ていた。
「夢、か」
手を顔に当てて涙を拭う。
故郷の夢を見たのは久しぶりだった。
亡き父と母、アメリアの姿を思い出したのも随分と久しぶりな気がした。
「僕は随分と薄情だな」
アメリアのために何もやってやれなかった不甲斐ない兄だった。
街全体の慰霊碑はあっても、家族のための墓すら立ててやれていなかった。
自嘲するように笑う。
なぜあのとき、アメリアではなく自分が生き残ったのかわからなくなっていた。
「そういえばリタは……」
寝ぼけた頭が動き出して、あたりを見渡す。
ベッドに寝かされていた上に、内装がどこかの教会のようだった。
少なくとも、エルフの森からすぐにこんな建物があったとは思えなかった。
嫌な予感がした。
コンコンと部屋の扉がノックされた。
「はい」
思わず身構えつつも返事をする。
「起きたか」
言いながらケイアスが部屋に入ってきた。
脇には果物を抱えている。
「な、なんでいるの、ケイ」
予想外すぎる人間の登場に動揺していた。
クリスはケイアスから夜逃げまでしていて、和解もまだだった。
ケイアスは少し悩むように言う。
「あー、んー、ここがどこだか分かるか」
「……分からない」
皆目検討がつかなかった。
「ま、だよな」
そう言いながら、ケイアスは果物を取ってナイフで斬り始める。
切り分けた一個を、自分の口に放り込んでいた。
「僕のじゃないのかよ」
「食いたくなった」
「適当だなあ」
苦笑する。
そして、ケイアスとの関係はこんな感じだったなと思い出していた。
対して時間も経っていないのに、随分昔のことに思えた。
ケイアスが、ゴクリと果物を飲み下す。
「あー、まあ、あれだ、ここは聖都サンハントラスの聖王家が所有する教会の一つだよ」




