31. 旅の終わり
「クリス!」
リタの声が森に響く。
アインたちは、翼亜竜すら倒したクリスがあっさりとやられてしまったことに驚愕していた。
勇者は文字通り次元が違う強さなのだ。
リタがクリスの元に駆け寄るとするのを、アリゼが押し止める。
「落ち着きなさい」
「でもっ、クリスが」
「大丈夫だから、よく見なさい」
クリスは多分気絶しているだけだ。
殺さないように手加減までされたのだ。
「威勢の良いことを言っていたのは、子供の威勢の良さ?」
アリゼが思わず口にしていた。
彼女にしてみれば、勇者の少年は、悪いことをするぞというだけの悪ガキに見えた。
「おねーさん、僕は貴女よりだいぶ年上だよ」
ロレットが呆れたように言う。そして腕をふる。
「見えているものが必ずしも真実とは限らない」
ロレットの姿が、聖都で見るような青年のものに変化していた。
青年の姿が消える。
「この世界なら、こうした詐術も簡単に行えますから」
後ろから、少し枯れた女性の声が聞こえる。
振り返ると、顔にシワを刻んだ初老の女性が立っていた。
「勇者に加えて、高位魔導師でもあるのか」
ナセルは驚きを通り越して、呆れたように言う。
聖剣の魔力で強引に魔法を行使しているのではなく、純粋に彼の魔導師としての腕が高いということだ。
「ま、面倒だから普段はこの姿だけど」
ロレットは少年の姿に戻って言う。
「勝てるわけがない」
諦めたようにアインが言う。
実力差がありすぎて、確かめてみる気にもなれなかった。
「そして、勇者と渡り合う竜や巨人もまた怪物過ぎる」
戦線を三年もの間硬直させていることだけでも、驚嘆に値した。
「お前の問いだが、今は時間稼ぎでもオムニキスが使えるようになれば、戦線をそれぞれ収める戦力となる」
イブライムが畳み掛けるように言う。
「今のオムニキスの使い手は素性がしれなかったため二年の期間を置いたが、正式に家格として復興することが決まった。ロティト枢機卿も戦争を終息させられるなら、オムニキスを使うことに反対はすまい」
「……共存という道はないのですか。今のままでは本当に滅ぼし合うだけではないですか」
イブライムは首をふる。
「そんなものはない」
「――彼はそうは言いませんでした」
リタが誰かを思い出すように言う。
その目には確信がある。
「彼は人と竜の間に共存の道があると、信じていました」
イブライムがため息をつく。
「竜の甘言に踊らされた愚かなる妹よ。あの竜すら同族の中では異端だったから、放って置かれていただけだ」
心底面倒そうに、手をふる。
「ロレット、そこの愚妹以外はさっさと始末してしまえ。わざわざ生かしておく理由もない」
「いえ、それは困ります」
男の声が割って入った。
ツェラがウェハとともに並び立って、イブライムを見ていた。
いつの間にかツェラが森の外に出てきている。
「引きこもりの種族がなんの用だ」
「我らの森の前で同族を巻き込んで争い事をされては、出てくるしかないでしょう」
無表情のまま彼が言う。
「それに、彼らには旅を続けてもらわなければ」
「その旅はここで終わりだ」
剣呑な雰囲気が立ち込めていた。
ウェハとツェラが腕を掲げる。
「では、これならどうでしょうか」
空間に十重二十重と術式が展開していく。
リタとナセルにはそれがエルフの古い魔法だということしかわからない。
エルフが単純な暴力で人を脅していた。
「力比べなら負ける気がしないけど」
ロレットもまた術式を展開する。
次元術式が先程とは比較にならない規模で展開されていた。
「モレ=サハール=ティラナカル理論を応用した超位術式《次元萌芽》なら、エルフの森も吹っ飛ばせるかもしれないけどどうする?」
ロレットが、無邪気に問う。
二つの超術式がぶつかり合えば、周囲の人間はただでは済まない。
ロレットの言うとおりエルフの森にも被害が及ぶかもしれなかった。
「止めよ」
イブライムがロレットを手で制していた。
「流石にエルフという種族全体を敵に回すのは骨が折れる」
そして倒れているクリスや、戸惑っているアインたちを見回しながら忌々しげに言う。
「彼らの命は保証しよう。だが、リタリアは連れ帰る」
ツェラとウェハが掲げていた手を下ろす。
それに合わせてロレットも術式を解除していた。
「そのあたりが妥協点でしょうか」
ウェハとツェラはクリスたちが殺されてしまわないように、わざわざ矢面に立ってくれたのだ。
本来エルフの価値観として、人間をかばう理由はないはずだ。
だからイブライムはウェハのことを勘定から外していたのだし、これはイブライムにとっても予想外の譲歩のはずだった。
「話は終わりだな。連れて来い」
ロレットが、リタの手をうやうやしく握ろうとする。
「どうぞ王女様、こちらへ」
「一人で歩けます。今更逃げようなどとは思いません」
「つれないなあ」
リタは差し出された手を無視して歩き出す。
リタのにべもない反応に、ロレットが苦笑していた。
リタは兄の前まで歩く。
「お兄様、私からも一つお願いがあります。クリスたちを一緒に聖都まで送ってくれませんか。彼ならできるのでしょう」
そう言って、ロレットを見る。ここから帰ろうとすると、また相応に日数がかかる。ロレットの次元術式で聖都まで行けるなら、そちらの方が便利なはずだった。
ロレットは肩をすくめる。
「ま、できるよ」
イブライムがうなずく。
「良いだろう」
「ありがとうございます」
アインがクリスを背中に担いで、リタの隣まで来た。
ナセルやアリゼも微妙な表情で、そばにいる。
リタを守るという護衛を果たせなかったことを気に病んでいるようだった。
「クリス、すみませんでした」
リタはクリスの頬を撫でる。
クリスは目を覚ます様子がない。息をしているのを感じて、ほっと息をつく。
「クリス……?」
ロレットが首をかしげていた。
「クリス、クリス、ねえ。なーんか引っかかるんだけど」
「何がですか」
リタが剣呑な声色で、ロレットに聞き返す。
気絶させたのがロレットだから、気に食わない様子だった。
「いや、この娘の使ってた剣が見覚えあるというか。うーん」
「何を悩んでいる。さっさと帰るぞ」
イブライムが呆れたように言う。
「いえ、なんかおかしいなあと思って」
そう言いながら、アインの背に担がれたクリスの顔を覗き込んでいた。
顔を見ながら何かを思い出そうとするように目を細めている。
「あ」
そして、何かに気づいたようにロレットが手を打つ。
「そうだ、ケイアスのところのクリス君か」
ロレットを除く全員の顔が疑問の顔になる。
一人で悩んで、一人で解決して、何を言っているんだこいつという目をアリゼがしていた。
だが、ロレットの表情もすぐに疑問に変わる。
「――でも、クリス君って男だったはずだけど、どういうこと?」




