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3. 女の子になっちゃった!?

 クリスは喉の乾きで目が覚めた。

「あ、あー」

 声がうまく出ない。まるで自分の声ではないようだった。

 体も妙に重かった。

 設えたベッドから降りて、室内を見渡す。内装を見ると聖都などで見られる電灯がないから、近くの街に宿を取ったようだった。

 クリスは寝ぼけた頭で何があったのかを思い出す。

 悪魔が消える最後に何かをされたところで記憶が途絶えていた。

 クリスには見覚えのない術式だった。ココのように、見たこともない術式を判別することなど無理だった。

 何をされたのか分からないことが不安だった。

 呪いは大抵の場合、呪いをかけられた人間を中心にして不幸をばらまく。

 そして、呪いをかけられた人は大抵誰かの親しい人だから、殺すことができずに事態が悪化していく。大抵の人類国家で呪いをかけることは死罪にもなりうる重罪だ。

 肌寒さを感じて、自分が裸だったことに気づく。

 ふと下を見ると、


 肌色の丸みが2つ、


 なんだこれ。

 幻覚でも見たのかと思って目をこする。

 特に何も変わらない。

 むしろ幻覚と言うには生々しすぎる桃色の突起が丘の上に座っている。

 いや待て。

 待ってほしい。

 なんだこれ。

 混乱してろくな反応が思い浮かばない。こんなものは自分の体にはなかったはずだ。

 落ち着け、こういうときは深呼吸だ、そう深呼吸――

「クリス? 起きたのか」

 声と共にドアが開く。

 目が合う。

 親友が、ドアを開けた格好のまま硬直していた。

 親友の視線が徐々に下に降りていく。永遠とも呼べる時間が経ったような気がした。

 親友の視線の下降が止まる。顔が真っ赤になっている。

「すまん!」

 ケイアスはそう言うと慌てたように部屋を出て扉を閉める。バタバタと慌ただしく駆けていく音が聞こえる。

「何なんだよもう……」

 クリスは途方に暮れる。

 親友の反応を見て確信した。

 クリスは女になっていた。



 パーティー会議が開かれた。

 当たり前だった。パーティーメンバーの一人が男から女になったのだから。

 この会議のために借り切った宿の個室では、ケイアスが頬杖をついてそっぽを向いている。

 ココとエーリカは、気遣わしげに、けれど妙にわくわくしたような雰囲気でクリスを見ている。

 ジェラルドは目を閉じて何も言わない。

 クリスは病人用の貫頭衣を羽織っただけの格好で椅子に座っていた。

「もう起きてて大丈夫なのか」

 ケイアスが、そっぽを向いたままぶっきらぼうに言う。

「ああ、うん、大丈夫だよケイ」

「知らなかったんだ」

 突然ケイアスが頬杖をやめてクリスに訴える。それでも視線は合わせようとしない。

「いや何が」

「お前が、その、そんな風になってるなんて」

「ああ、うん、なるほど」

 ココとエーリカを見る。

 今度は二人がそっぽを向いている。

 この娘たちが言わなかった理由は分かる。単純にクリスが生きていられるか分からなかったから、希望的観測を言わなかったのだ。

 決してそちらの方が面白そうだとかそういうことではないはずだ。

「まあ、裸くらい今更だろ。昔は風呂だって一緒に入ってたんだし、気にしてないよ」

 そう言って笑う。

 ケイアス以外の三人が、そんなクリスを見て微妙な顔をしている。

「クリスは今の自分の状態を自覚したほうが良い」

 ジェラルドが重々しく言う。ココとエーリカがこくこくと頷いている。

「確かにそうですね」

 クリスはそう言うと、貫頭衣の腕をまくる。白く、ほっそりとした腕が現れる。

「なぜ腕をまくる!?」

「え、自分の状態を自覚したほうが良いって言いましたよね。ほら、見てくださいよ」

「綺麗な腕だな」

「ケイは何言ってんの」

 ケイアスが何も考えていなさそうな顔で感想を口にする。

「そうじゃなくて、ほら、ケイ、触ってみてよ」

「は!? 何を!?」

「いや、この腕を」

 ケイアスの視線が、クリスの顔と腕を行ったり来たりしている。

 ケイアスが珍しく取り乱していた。

「さ、触るぞ」

 そう言ってクリスの二の腕を、ケイアスの鍛えられた手が掴む。

「あっ、んっ」

 変な声が出た。

 ケイアスが唖然とした顔でクリスを見ている。

「ごめん、くすぐったくて」

「そ、そうか」

 そう言いながらケイアスは二の腕を揉んでいる。

 ココとエーリカが何やらこちらを見ながらつぶやいている。

「あれが悪女って言うんだよ、エーリカちゃん」

「あれが……」

 決定的に何かを間違えた気がした。

 何やら気恥ずかしくなって、まだ二の腕を揉んでいるケイアスに声をかける。

「えっと、もういいかな」

「あ、ああ十分だ」

 二の腕はケイアスに揉まれすぎて、少し赤くなっていた。

「それでどうだった?」

「やわらかかった」

 呆けた顔でケイアスがつぶやく。

 何故か使い物にならなくなったケイアスを放置することにして、クリスは話をすすめる。

「つまりですね、何が言いたかったというと僕の全身の筋力が完全に落ちているということです。正直、取り戻すのには時間がかかると思います」

 起きたとき体が重く感じられたのもそのせいだった。

 まるで、赤ん坊のように体が生まれ変わってしまったようだった。

 ココがおずおずと手を挙げる。

「多分、クリスさんにかけられたのは《蛙呪(レ・ラナム)》の術式の変形、だと思います。本来は対象者を蛙に変えてしまう術式なのですが」

「おとぎ話みたいだ」

 古くから伝わる童話に、カエルに変えられた王子様がお姫様のキスで人間に戻るという話があった。

 だが、おとぎ話くらいでしか見ない魔法ということは、まず現実的な魔法ではないのだろう。それを瀕死の状態で行使したあの悪魔はやはり異常な存在だった。

「おとぎ話みたいに蛙に変えられた人が、人間に戻ることはありませんけどね。身体の構成ごと変えてしまうので、大抵は蛙に変化する途中で死んでしまいますし」

 陰惨すぎる魔法だった。

 ココが何を言いたいかを察する。

「つまり、僕は男には戻れないのか」

「はい、恐らく……」

「そっか。ココが言うならそうなんだろうな」

 諦めにも似た納得がストンと胸に落ちた。

 そう思うと、明日からどうしようかと、生活のことに意識が向いた。

 突然、女として生きろと言われても何をどうすればいいか分からない。

 男性としての価値観は知っていても、女性の持つ価値観に対してはほとんど無知だ。生活観すら違うのに上手くやっていけるのかと不安になる。

「いっそシスターにでもなろうかな」

 呪いなどの被害者が教会に入って隠棲することは珍しくない。教会は世俗から隠れて暮らしたい人の最後の場所でもある。

「ダメです!」

 ココが珍しく大きな声を出した。

 考えてみれば冗談でもシスターになろうなどと言うべきではなかった。もはや死ぬしかなと思いつめて、教会に入る人もいるのだ。

「ごめん、不謹慎だった――」

「そんなに綺麗なのに!」

 ココが、だいぶ思っていたことと違うことを言った。

「ダメです、もったいないです! 聖都に帰ったら服を買いに行きましょう! ああ、きっとクリスさんなら何でも似合います!」

「私のお気に入りのお店に行こう」

 ココとエーリカが詰め寄ってくる。

 なんというか、押しがすごい。

 そういえば彼女たちは旅装でも仕立てのいい服を着ていた。ココもエーリカも聖都で暮らしていたから、いわば流行の先端に触れられる少女たちなのだ。

「いや、でも似合わないと思う」

 ココとエーリカが顔を見合わせる。ジェラルドはもう好きにやってくれというように、煙草に火を付けていた。

「鏡は見ましたか?」

「見てない」

 というより、見られなかった。

 女になった自分が想像できず、なにより、どれほど醜くなっているか直視したくなかったのだ。

 最悪、顔だけが男のままということさえあり得た。

「すごい綺麗ですよ」

 ココとエーリカに手を引かれるままに、クリスは鏡の前に立つ。

 意を決して見ると、鏡には美人が映っていた。

 もともと刈り上げていた灰色の髪は肩の下まで伸び、二重の目は長いまつげが目立つ。

 目と鼻と口の配置が絶妙で、異様に整った顔になっていた。

「無理やり面影を探せばないことはないけど、」

 クリスは自分の顔を凝視しながら言う。

「それにしたって美人すぎないか。僕は男のときはここまで面は良くなかったと思うけど」

 言いながら思い当たる節がある。

「あの悪魔の趣味か」

 《蛙呪(レ・ラナム)》の術式は術者が対象の肉体の構成を変える。つまり、整形の要領で顔も美人に変えてしまえる。

「何がしたかったんだ」

 そう問う相手は今はこの世界にいない。

 意図を探そうとしてやめる。面白いからと言う理由だけでこの世界に留まる悪魔の思考など考えても、答えなど出るはずがない。

「まあ、美人で良かったよ」

 そう言うと二人が笑う。

 クリスからすれば事態は深刻だが、無用に二人を心配させる必要はない。自分の不幸に酔って悲観的な気分にさせるのは最悪だった。

「終わったか」

 ジェラルドが、煙草を灰皿に押し付けながら立ち上がった。

「クリスの無事も確認できた。だが、今回の件は報告すべきことが多い。明日、ここを出てハマリスまで向かい汽車に乗って聖都まで帰る」

 ジェラルドの方針にクリスたちも頷く。

 もとは教会の依頼という形で、冒険者ギルドに横槍を入れている。

 だから、成果を報告しなければ、ギルドから教会に無用な反発を生む。

「それと、そこの馬鹿を起こせ。いつまで呆けてるんだ」

 ジェラルドがケイアスを指す。

 クリスはケイアスの前で手を振って、顔を覗き込む。

「ケイ、大丈夫か? やっぱり負傷が尾を引いてるんじゃ」

 勇者といえど人間で、あれほどのやけどを負えばただでは済まない。いつ倒れてもおかしくないのだ。

 ケイアスの目に光が戻る。

 目が合う。

 ばっ、と飛び退くようにして、ケイアスは椅子から立ち上がった。

「大丈夫、大丈夫だ!」

「どう考えても大丈夫じゃねえだろ……」

 ジェラルドが、ぼそっとつぶやいた。

「寝る! 今日はもう寝る! おやすみ!」

 ケイアスはそのまま階段を駆け上がっていく。

 クリスは呆然とするしかない。

 流石に察した。

 明らかに避けられていた。

タイトル回収できませんでした……。

次、次こそは……。

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