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28. エルフの森4

 ぱっ、とクリスの手元から放たれた矢が、獣の眉間を綺麗に射抜いた。

 残心を残していたクリスは、それを見てほっと息を吐く。

「へえ、上手いもんだ」

「冒険者なら、さほど珍しくもないでしょう」

「いや、頭に一発で即死ってのはなかなか出来ねえよ」

 そう言いながらアインが、獣の死体に近づいていく。血抜きをするようだった。

 クリスは自分の腕を見る。筋力は当然戻っていないが、身体を動かす勘所だけはなんとか付いてくるようになったように思える。

「ほっそい腕だよな」

 いつの間にかアインがクリスを覗き込んでいた。

 男にしげしげと見つめられるのは慣れないと言うか、気持ち悪い感じがある。

「何でしょうか」

 思わず身体を隠すように、腕で抱えてしまう。

 アインがそれを見てバツが悪そうに頭をかく。

「いや、悪い、そういう意味じゃなかったんだ。気を悪くしないでくれ。ただ、技の出来と身体の出来がちぐはぐな気がして、」

「女性の事情を詮索すると、嫌われますよ」

 クリスはアインの言葉を遮るように返事をする。

 まあ、よく見ている。伊達に剣士をやっていないし、相応の実力があるのだということもよく分かる。

 だからこそ、詮索されると本当に困る。

 適当なことを言っても誤魔化しが効かないからだ。

「それは嫌だな」

 アインがおどけるように両手を上げる。

 事情を詮索されたくない冒険者は珍しくない。

 そのことが分かっているから、アインも無理に聞き出そうとしない。

「しかし、弓までやるのか」

「武術は一通り収める必要があったのです」

 街が焼かれて、ケイアスとクリスが冒険者となったとき、何をやるかを選べるほど贅沢を言っていられる状況ではなかった。

 まず、どうやって明日から生きるかすらわからなかったのだ。

「ただ、弓手はもう必要がなくなるでしょうね」

 手の中の木で出来た弓を軽く握る。

 アインが血抜きをしている手を止めて意外そうにクリスを見る。

「銃、か。あれ、たいそう不評だが、使えんのか」

「はい、少なくとも弓には取って代わるでしょう」

 クリスはケイアスと旅をした経験から言う。

 銃は弓に比べると必要な物が多い。火薬や銃弾は言うに及ばず、道具として使うためには複雑なメンテナンスが必要だ。

 その上、銃器本体も周辺機器も全て高い。

 それでいて、威力が下位から中位の魔法程度な上、発砲音が大きすぎて弓のような隠密性もない。

 現役の人間、特に大きなバックアップのない冒険者からすれば不評なのも分かろうものだった。

「ですが銃器が今よりもさらに発達し、連発性と威力が向上すれば一定の地位を得るでしょう。弓やクロスボウにはその拡張性を望めないのです」

 単純な道具としての寿命の問題だった。

 弓やクロスボウでは、工業化時代においては原始的過ぎる。

 逆に社会の工業能力を背景にした銃器の発展と普及は、あっという間なのではないかと思う。

「竜や、巨人、人間で言えば到達者相手に使うのではなく、もっと低位の相手に使うことが一般化すると思います」

「到達者相手だと、銃弾はやっぱ弱いか」

「はい、弾速と質量が今よりもはるかに向上しなければ話になりません。そして、そうなると今度は機動性でついていけなくなります」

 銃弾では小さすぎて、魔法防御や鎧などを貫徹できないのだ。

 ただ、それは弓でもさして変わらない。

 冒険者や軍隊で剣や槍を使用するのが一般的なのは、遠距離では魔法を使えばよく、剣士などは機動性で簡単に相手に肉薄できるからだ。

 多分、魔法がなく、人間以外の種族がもっと弱ければ、人は弓や銃を中心に戦術を組み立てるようになっていたのではないかと思う。

「何年後になることやら」

「それは私もわかりません」

 そう言って二人で苦笑する。

 軍事面で、工業の発展の貢献は目覚ましい。

 だが、一人で使えば良い魔法に比べると未だ取り回しの良さで負ける。

 だからこそ、軍事の中心には魔法が居座っている。

 それに工業が取って代わる日がいつか来るのか、ということはクリスも答えれない。

「よし、終わった」

 アインが一通り血抜きの終わった獲物の身体を担ぐ。

「私が持ちますよ」

「いいって、病み上がりに付き合わせて、取ってもらいまでしたんだからこれくらいはするさ」

 アインはそう言いながらさっさと歩きだしてしまう。

「じゃあ、お言葉に甘えることにします」

 そう言うと、一つ気にかかったことを思い出した。

「今更ですがウェハではなく、私と狩りに来ても良かったのですか」

 アインの歩みが固まる。

 ギギギっとアインが振り返る。

「……ウェハさんは肉を多分食わないだろ?」

「でも、狩りは一般的にアピールの良い機会なのでは」

 まあ、クリスもよく知らないが。

 かつて冒険者仲間がそんなことを言っていたような気がする。

「……駄目なんだよ」

 アインが呟くように言う。

「俺は弓の腕がからっきしなんだ」

 素朴な疑問だったのに、思いっきり気まずいことを聞いてしまっていた。

「す、すみません」

「謝らないでくれ……」

 すみません、ともう一度言おうとしてループに陥りそうなのでやめる。

 言葉を探す。

「魔法が使えれば、弓って必要ありませんし」

「動物取るのには向いてないけどな」

 事実なので何も言えない。

 魔法は大抵の場合、動物の殺し方が雑になりすぎる。

「まあ、うん、街に帰ったら銃でも買ってみるかな」

「それは良いかもしれません、弓とは随分と使い勝手は違うそうです」

 クリスは景気づけるように言う。

「貯金あったかなあ……」

 アインのつぶやきが哀愁を誘う。

 金の問題は弓の腕前より、どうしようもなかった。


「水浴びをしましょう」

 帰るなりリタがそんなことを言い出した。

「水浴びって、このあたりに川でもあるのですか」

「ウェハが、連れて行ってくれるそうです」

 視線を向けるとウェハがうなずいている。

 それくらいは問題ないということだろうか。

「連日歩きっぱなしで、汗もかいていますし、気になりませんか」

「……気になります」

 男のときはそうでもなかったことに、敏感になっていた。

 性別が変わって、嗅覚などが変わっているのかもしれなかった。

「ただ、いくら初夏が終わりそうでもこの緯度では、水温も低いのではありませんか」

 ホウロスより更に北に来ている。

 ビテリアス山脈の近くということもあって、川を流れているのが雪解け水という可能性もあった。

「問題ない」

 ウェハがクリスの疑問に答える。

「それくらいはどうとでもなる」

 どう反応すればよいのか迷う。

 ウェハの言い方だと、水温が大丈夫という話ではなく、低くてもどうにかするというように聞こえる。

「わかりました、行ってみましょうか」

 男性陣は留守番をしてもらうことにして、女性陣で行く。

 時間をずらして、男性は女性のあとで水浴びということになった。

 二十分ほど歩くと、湖の畔に出た。

「綺麗……」

 リタがうっとりとした表情で呟く。

 少女の横顔から視線を外して、クリスも湖を見る。

 水底の様子がうっすらと分かるほど、水が澄んでいた。

 クリスも見たことがないような美しい湖だった。

「ただ、生物は住めないのでしょうね」

 水に手をつけながら言う。

 いくらなんでも澄みすぎていた。それに妙に温かい。不快ではない水温だった。

 生物が住んでいれば、何かしら繁殖するため多少は濁るのだ。

「でも、水浴びをするならそちらのほうがいいでしょう」

 濁っていれば汚いと思ってしまうのは人間の性だ。

「いいからさっさと入りましょ」

 アリゼがさっさと服を脱ぎだしていた。

 慎みもクソもない。

「え、脱ぐんですか」

 そんな言葉が口をつく。

 子供の頃、水浴びと言えば大抵薄着を着て行うものだったからだ。

 逆にアリゼは変なものを見る目をしている。

「そりゃ脱ぐでしょ。わざわざ服を着てする理由ある?」

 ない、かもしれない。

 が、クリスにとっては大問題だった。

 リタだけでなく、アリゼやウェハの裸まで見ることがいたたまれなかった。

 などとクリスが悩んでいる間に、アリゼが全裸になっていた。

「わああ」

「何叫んでんの」

 おかしくなったか、みたいな顔をされている。

 心外だった。

 クリスの反応は至って正常だ。そう、男子ならば。

「クリスは、裸の付き合いというものになれていないようなのです」

 リタがフォローを入れてくれていた。

 そんな彼女も服を脱ぎ始めている。

 ウェハも真似をするように、服を脱いでいる。

「クリス、今着ているものもこの際洗ってしまうので、脱いでください」

 なかなか脱ぎだそうとしないクリスに、リタが言う。

 周りを見ると、裸になっていないクリスのほうが浮いていた。

「……はい、わかりました」

 クリスは観念するように言う。

 三人の裸を見ていることに罪深さを感じる。

 自然と視線が下る。

 湖に入って、自分の身体や衣類を洗っていると、背後から水をかけられた。

 振り返ると、不安げな表情をしたリタが立っていた。

 全裸で。

 ホウロスの温泉宿と違って、今は真っ昼間なので、色々と見えていなかったものがさらに見えてしまっている。

 頭に血が登っていくのがわかる。

「あの、気に触りましたか」

 リタの声に不安が混じっている。

 クリスがリタのことを見ていられず視線をそらしたからだ。

「いえ、違うのです。えっと、恥ずかしくて」

「ホウロスで散々一緒に温泉に入っていたではないですか」

 リタが呆れたように言う。

 ふと視線を感じて、そちらを見るとアリゼが生暖かい目でこちらを見ていた。

『やっぱできてんじゃない』という顔をしている。

 違うんだ! と言い出すことも出来ない。

 腕をつねられる。

「どこ見てるんですか。人が話してるときに」

「すみません」

 頼み事があるのに、と少しすねている。

「どんな頼みごとでしょう」

「私に、泳ぎ方を教えてほしいのです」

 なるほど、と思う。

 聖王国は随分と内陸にあるから、泳ぐ機会はあまりない。

 王女ともなれば、なおさらだろう。

「私で良ければ」

「本当ですか」

 はい、と頷いてしまってから気づく。

 この、全裸の少女に、指導?

 やっぱなし、と今更言い出せる雰囲気でもなかった。


 結局、二時間はたっぷりと水浴びを済ませて帰った。

 男性陣は待ちくたびれた様子で、湖の方へ向かっていった。

 二時間の間、何があったかの仔細は割愛する。

 ただ一つ言えるのは、クリスはどうにかこうにか耐えきった、ということだけだ。

水着回(全裸)でした。

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