25. エルフの森1
「ここがエルフの森なのですか」
リタがあたりを見回しながら言う。
リタの疑問も最もで、今クリスたちが歩いている場所はただの森だ。つまり、生活感と言うか、文明の匂いがしない。
「ウェハが以前言っていた人間への疑問がよくわかりますね」
クリスは呟く。
ウェハは人間の建造物そのものに対して疑問を持っていた。
それは裏返して言えば、エルフは普段の生活においてそうした建築物が必要ないということだ。
木々の影から一人のエルフがクリスたちに歩いてくる。
「よく戻りました、ウェハ」
「ツェラ」
そのエルフは青年のように見える。だが、美形過ぎて性別が判然としない。
アインも訝しげにその青年を見つめていた。
「私達の性別は意味がないので、考えても仕方がありませんよ」
ツェラと呼ばれた青年がアインに声をかける。
ぎょっとしたようにアインが身構える。
苦笑の気配がある、が、ツェラの顔が無表情すぎてよくわからない。
「大老が呼んでいる」
それだけ言うと、ツェラはさっさと前を歩き始める。
付いてこい、ということだろうか。
顔を見合わせながら、歩き始める。
リタが不安そうにしているから、手を取った。リタがクリスを見上げる。微笑む。
少女の体温が暖かい。
森を歩いていると、時折人影が見える。エルフたちだった。
じっと、クリスたちを品定めするかのように、見つめている。
森は、どこまで行っても木々ばかりで、家や小屋のようなものすら見えない。
雨風を凌ぐという文化すらないのだ。根本的に生活感そのものが違っていた。
そうしてどれほど歩いただろうか。
いい加減、エルフたちの視線と移動そのものに疲れ始めたころ、唐突に森が開けた。
「こ、れは」
その光景を見て思わず唸る。他の面々もまた言葉を失っていた。
そこにあるのは巨大な樹だった。
いや、巨大過ぎる樹だった。直径さえどれほどあるかわからない。上を見上げれば山かと思うほどに高い。
これほどの構造体が地上にあることがあり得なかった。
「なぜ、外からこの巨大な樹が観測されていないのだ」
「当然、我らが隠しているからですよ」
ナセルの当然の疑問に、ツェラが答える。
魔法で隠している、にしても異質すぎた。隠蔽や欺瞞の術式は、それが巨大になるほど難易度が跳ね上がるのだ。
伝承にも残っていないということは、ここを訪れた者の口を何らかの方法で封じたのだ。
更に巨木の方へ歩いていく。
その幹の根本に一人の青年が座っている。
「よくぞ参られた、客人よ」
青年が閉じていたまぶたを開いて、立ち上がった。
背丈は今のクリスより頭一つ高いくらいだろうか。外見だけは他のエルフとそう変わらないように見える。
「ツェラ、下がりなさい」
「はい、大老」
軽く会釈するとツェラが森の中に消えていく。
エルフの大老は、幹に手を置くと樹を見上げながら言う。
「この樹は人間で言うところの、父であり、母であり、墓標なのだ」
無感情な抑揚とは裏腹に語られる内容はひどく重要な事柄のように思える。
「我らは人やその他の生物のように、生殖で子を増やさぬ。老いもなく、死という概念も生物のものとは異なっている」
目の前のエルフが何を思い、クリスたちにそのような話をするのかわからない。
通り抜けるだけのクリスたちにわざわざ言うことではないはずだった。
大老が、クリスたちに向き直る。そしてウェハに声をかけた。
「ウェハよ、ご苦労だった。思いの外早すぎる帰還ではあったが」
「はい」
こころなしかウェハがしょげているように見える。
こうしてみると、ウェハは随分と感情がわかりやすい方なのだと気付かされる。というより、他のエルフが表情が変わらなさ過ぎるのだ。
「なぜ、私達はここへ呼ばれたのでしょうか」
リタが大老に話しかける。
大老はリタを見ると、少し眉を上げた。
「シュペーラリアータの末裔か」
「えっ」
リタが思いがけない言葉を聞いたというように驚く。
ナセルが訝しげに問いかける。
「シュペーラリアータといえば、既に失われた聖剣の銘のはずですが」
クリスもそれで思い出した。
シュペーラリアータは聖ヒュリオ教国が建国された時期に失われたとされる聖剣だ。
その理由は判然とせず、学者の間でも意見が分かれているという。
「なぜ、私をそのように思われたのですか」
リタは慎重に問い直す。
よく考えれば、リタはウェハやアインたちに本当の身分を明かしていない。
だが、このエルフの口から出る言葉をよく考えてみると、聖剣に縁のある人間だと簡単にバレてしまう。
そして、エルフにとってそのような人間の事情は些事でしかない。
「その全く魔力を感じられない身体を見れば分かる。スタニスラワはあれほど心を砕いていたというのに、そなたらはまだ、そのようなことを続けているのか」
エルフの瞳がふせられる。それに合わせるように風が吹いた。
それはまるで哀しんでいるように見える。
「スタニスラワって、最初の勇者の一人だろ」
そして、人類史でたった一人の聖剣シュペーラリアータの所有者だった。
それはつまり三千年以上前の人物ということだ。
それをまるで知人のように話す眼の前のエルフが異様に映る。
というかこのエルフ、喋ってはいけないことをポンポン喋っている気がする。
リタも同じことを思ったようで、話題を逸らそうとする。
「どうして私達を呼ぼうとされたのですか」
「興味が湧いたからだ」
そっけない返事だった。
「人が我らの森を訪ねてくるのは大抵は争いや諍いを運ぶときだけだった。それが争いを止めるためにただ森を通るという者たちを見てみたくなった。だが、もう良い」
失望なのか、満足したのかすらよくわからない。
エルフの瞳や表情は人間に何も返さない。だから感情さえわからない。
「ウェハは今後もこの者たちについて行き、その行く末を見届けなさい」
「ですが大老、私の仕事は捜し物で……」
「もともとあればよいという程度のものであった。それに急ぎもせん」
そうウェハに言って、今度はクリスたちに向き直る。
「必要ならこの森で休息するが良い。寝床が必要なら用意しよう。食料は狩りをしても良い」
随分と寛容な言葉だった。
リタもそう感じたようで頭を下げる。
「ご配慮、感謝いたします」
「よい」
それだけ言うと、また座り込んで瞳を閉じてしまう。
いつの間にかツェラが近くにいた。
「ご案内しましょう」
言われるままに六人で付いていく。
他の面々の顔色を疑う。それぞれが考え込んだり、思い悩んでいるようだった。
クリスも、リタのことを知っていながら話していない側だった。
さて、どう説明したものかと、悩みながら歩いていくのだった。




