23. クリスの不調4
「熱だね」
アリゼがクリスのおでこから手を離して言った。
ぼうっとした頭で、アリゼの言葉を反芻する。
護衛が体調不良で倒れるなど、プロとしてあるまじきことだった。
「すみません、起きます」
「だから熱があるんだって」
アリゼがクリスの額を小突いて寝かせようとする。
「あの、他の皆さんは」
「男どもは食料を調達に行った。ウェハとリタは料理」
「そうですか」
リタ、という言葉に身体がこわばる。
彼女にどう思われているかが不安だった。
疑われているだけなら、まだ良かった。いや良くない。
だがそれ以上に、彼女がクリスの事情に気づいているのではないかということが、怖かった。
「なんて顔してんの」
アリゼがクリスの顔を見て言った。
思わず自分の顔に手を当てる。
アリゼがそんなクリスを見て呆れていた。
「そこまで自覚ないわけ」
「何がですか」
アリゼは肩をすくめる。処置なし、とでも言いたげだった。
「昨日から様子が変。気づかないとでも思った?」
「体調が悪かったのです」
「誤魔化さなくていいから。リタと何があったの」
アリゼの口調がきつい。クリスを咎めるようだった。
どこから話せばいいかわからない。
それに気をつけなければ、クリスの事情を感づかれてしまうかもしれなかった。
「リタに身体を診てもらって、体調不良の原因を教えてもらいました」
「それだけなはず無いでしょ。リタも様子が変だったし」
「本当にそれだけです」
嘘ではない。真実でもないが。
苛立つように、アリゼが言う。
「雇い主を困らせるのが、一流の冒険者の仕事なの? リタが不安がってたわよ。貴方に嫌われたんじゃないかって」
「そんなことはありません!」
弾かれるように言葉を返す。
むしろそれは、クリスの言葉だった。
リタに嫌われたのではないかと、不安だったのだ。
「じゃあなんで、そんな話になったの」
「それは……」
言えない。
かつては男だったから月経のことを知らずに相談して、気づかれかけたと思って動揺して逃げ出した、なんてことを言えるはずがない。
はあ、とアリゼがため息をつく。
「分かった、とりあえずそれでいいから。薬を飲んで、寝てて」
「すみません」
クリスが、本来の旅程を崩してしまっていた。
アリゼが天幕を出ていく。
薬を飲むと、すぐに睡魔が襲ってきた。目を閉じる。
悪夢で目が覚めた。
寝汗を袖で拭う。服が気持ち悪かった。
妙に体が重いとそのあたりを見ると、リタがクリスに覆いかぶさるようにして寝ていた。
日は頂点を回って徐々に落ちようとしている頃だった。後一時間もすれば夕暮れだろう。
なぜ、リタがこうしているかは流石に察した。
クリスを心配してくれていたのだ。
「こんなところで寝ていたら風邪を引きますよ」
そう言いながらリタの肩を小さく揺する。
リタがんんっと小さく声を出して、目を覚ます。
「おはようございます」
「おはようございます……」
目をこすりながらリタが起き出す。
寝ぼけ眼が、ハッとしたように開いてクリスの前によってきた。
「体調は、大丈夫ですか」
「はい、多分。楽になってきました」
続く言葉を探す。
「熱で倒れてしまって、すみませんでした」
違うだろ、と思いながら思いついた言葉を言う。
リタが首を振る。
「いえ、私が無理をさせてしまったのではないですか」
「そうではありませんし、たとえそうだとしても体調の管理まで含めて私の仕事です。リタが責任を感じることではありません」
実際問題として、多分体調を崩したのはクリスのほうに原因がある。
慣れない女性の身体に心身がついていかず、精神的な動揺で更に体調を崩したのだろう。
「あの、リタ、昨日は」
「クリスには何か事情があるのでしょう」
リタがクリスの手を取って言った。
罪人の懺悔を聞く、修道女のような微笑みに見えた。何もかも許してしまいそうな。
「ホウロスで私が言った言葉を覚えていますか」
――クリスの隠し事はいずれ教えて下さいね。その時は、私の隠し事も教えますから。
リタは既に大きな隠し事を教えてくれていた。
クリスはまだ何も言えていない。
リタはクリスが自分で言い出すことを待ってくれているのだ。
「私もまだクリスには秘密にしていることがありますから、今ここで話してほしいとは言いません」
リタの気遣いだった。
人間、隠し事などいくらでもある。恋人や夫婦でさえ、全てが互いに詳らかにされているわけではない。
本来、リタが自分の出自を名乗ったときに、クリスもそれに答えるのが筋だった。
それを棚上げにして、なあなあの関係で済ませてきたのはクリスの方だった。
リタの厚意に甘えていたのだ。
そして今も甘えている。
「けれど、いつか、話しても良いと思ったときにクリスから話してくれませんか」
本当のことを言うのは恐ろしい。
だが言わなければ、変わらないことのほうが多い。
「はい、いつか、きっと」
不安は多い。
身体が女性となって、戸惑いや未知のことばかりだった。
今はもう、自分が性別としては何なのかさえよくわからない。
本当のことを言って、リタがもし受け入れてくれなかったらという恐怖もある。
それでも、目の前の少女には誠実にありたいと、そう思う。




