22. クリスの不調3
「おかしい」
野営する場所を決める頃には、クリスは身体の変調を自覚した。
今まで感じたことのない類のしんどさで、少し焦る。
体が重い、というかだるい。それに妙にイライラする。
今誰かと会話すると、八つ当たりしてしまいそうだった。
錯乱した人間相手に使う鎮静術式を自分に軽くかける。
頭がぼうっとするが、イライラについては随分とマシになった。
上手く働かない頭で理由を考える。病気や呪いというのが真っ先に思い浮かぶ。
どちらにしても感染性が高いとかなりまずい。
自分自身に簡易診断術式を作動。
正常、という反応が出る。
正常なわけねえだろ、と思うがあくまで簡易であって、きちんと診断しなければわからないものもある。
エーリカがいればもっと詳細に診断してくれただろうが、いないものは仕方がない。
そういえばリタも治癒術式を使っていた。彼女ならなにかわかるかもしれない。
依頼主にこういうことを頼むのは我ながら相当どうかと思うが、何らかの病気であったときのほうが問題だった。
リタの姿を探す。
アリゼと二人で夕食の準備をしている。
「後にするか」
あまり邪魔するものでもない、と思う。
アインの方に歩いて、一緒に薪を割ることにする。
身体が女性となって、力の入れ方も以前と違う。
重心も変わっていて何気ない動作も見直していかないと、体に負担がかかる。
「クリスは、なんというか変わっているな」
そんなことを考えていると、アインがそんなことを言う。
「そうでしょうか」
「今まで会った女性冒険者はもっと、男を警戒しているというかこんなふうにわざわざ薪を一緒に割ったりしない、かな。大抵はあっちで食事を作っている」
「色んな人がいると思いますけど」
「いや、すまん、単に印象に対する例えだ。それだけ強いのがまず珍しいし、相当な美人だ。それなのに、君の噂を聞いたことがない」
冒険者の世間はなんだかんだ狭い。
だから強いやら美人やらとなると、噂になることは珍しくない。
逆に、クリスのような人間が噂となっていないほうが不自然だった。
「あまり気にしたことがありませんでした」
嘘だ。
知名度の問題のことが頭からすっぽり抜けていた。
「そうか、まあ大した問題じゃないからいいんだが」
「すみません」
疑われているのか、気を使われているのかわからなかった。
もしかしたら、冒険者とは思われていないのかもしれなかった。
聖王国の身分証から、騎士団の人間あたりを疑われているだろうか。
ただ、今のところ問題はない。
薪が準備できると、櫓を簡単に組んで火を付ける。
パチパチと燃える火を見ていると、リタとアリゼが鍋を持ってきた。
「クリス、ここは私が切ったのですよ」
「綺麗に切れていますね」
クリスとリタの会話をアリゼが苦笑しながら聞いている。
「リタ、夕食の後、少しお時間をいただけませんか」
「どうしましたか」
「少し相談したいことが」
そう言って離れる。体調を見てもらうつもりだった。
夕食はいつもどおりの塩味のスープだったが、すくい上げたスプーンにリタの切った野菜が乗っているのを見て、少し微笑んだ。
「こちらに」
そう言ってリタを連れて木陰に入る。
アリゼたちはまだ焚き火の前で談笑していた。
「クリス、どうしたんですか」
「すみません、少し体調が悪いみたいで。リタは診断術式を使えますか。私自身でも使ったのですが、わからなくて」
「それは大変です」
そう言ってリタがクリスの鎖骨のあたりに直接手を当てて、術式を発動する。
ぽうっという光があたりを照らす。
リタの体温が暖かく感じられる。
リタは思案げな顔をしている。
「特に異常はないようです。どういった症状が出ていますか」
「胃のあたりが重く、気分がイライラするのです」
リタがクリスの答えを聞いて、さらに困惑の顔となる。
何か思い当たる節はあるが、そんな訳はない、といったところだろうか。
「それはいつ頃からですか」
「ひどくなったのは今日の昼以降ですが、多分昨日あたりからです」
むー、とリタが考え込んでいる。
リタの反応を見るに重篤なものではなさそうだが、よくわからない。
「あの、クリス、それは、」
リタが、戸惑うように口を開く。
その時、自分の太ももの内側をつぅ、となにかが流れた。
とっさに手で拭って見る。
暗くてよく見えないが、ベタついた鉄の匂いがする。
血だった。
わけが分からず混乱する。
リタがクリスの手を覗き込んで言った。
「クリス、それは月のものではないでしょうか」
「え」
「つまり、月経です」
恥じらいと、困惑が入り混じった声色でリタが言う。
月経。
遅れてその意味を理解する。
ざあっとクリスの顔から血の気が引く。
リタがクリスの顔を見ていた。動揺を隠せない。
「大丈夫ですか」
リタが気遣わしげにクリスを見ている。だが、同時に疑われているようにも感じる。
クリスは外見年齢は十八歳くらいで、今まで月経が来なかったとは考えづらい。
更に女性の冒険者は大抵、薬を常用して抑えている。依頼や旅の途中で体調を崩すわけにはいかないことが多いからだ。
つまり、クリスは普通の女性で冒険者なら常識として知っていることを、何も分かっていなかったということだ。
怪しまれて当然だった。
「あの、何か事情でもあるのでしょうか」
「いえ、あの、」
言葉が出ない。緊張で喉が乾いていた。
何か言わなければならなかった。気がつけば頭に思いついた言葉を、そのまま口から吐き出すように並べていた。
「すみません。普段は冒険ばかりなので薬を使っているのですが、ここのところ薬を切らして飲んでいなかったことを忘れていました。それで戻ってしまったようです。体調も優れないので、もう寝ますね」
まくしたてるように言って、リタの前から足早に立ち去る。
リタが後ろで何かを言っているような気がしたが、振り返る勇気がなかった。
言い訳にしても苦しすぎた。リタやアリゼが食後に飲んでいた錠剤を思い出す。あれがそうだったのだ。
薬を切らしたなら彼女たちから貰えばよかったのに、そうしなかった時点で矛盾していた。
「あれ、クリス、どうしたの。リタは?」
「すみません、もう寝ます」
「え、ちょっと、」
アリゼの引き止めるような声を振り切って、天幕の中に入る。
服を脱ぐと、下着が血に染まっていた。
ひどく惨めだった。
今までにないほどに、自分の身体が変わってしまったのだということを自覚した。
服を着替えて、横になる。
目を閉じる。
寝てしまいたいのに、明日を迎えることがひどく怖かった。




