19. 経典の第一節
はるか昔、この惑星に神が降り立ち、三つの種族を作った。
神に造られた龍と精霊と大巨人はそれぞれ、神に役目を与えられた。
龍はこの世界の監視者としての役目を。
精霊は調停者として生命と惑星をつなぐ役目を。
大巨人は大地に豊穣を与える耕作者としての役目を。
そして、惑星に住まう生命を与えられた。
三つの種族はそれぞれに与えられた役目を果たした。
そうして永き時が流れた。
永すぎる時の中で、龍は各地で目覚めの時を待つようになり、精霊は隠れ、大巨人は大地に眠り豊穣の支えとなった。
人間はその頃になって現れた。
随分と遅く現れた四つ目の種族に神は三つの種族と同様に役目とそれを成すための力を与えた。
神は、人に種族を統べるようにと言われた。
そして七つの聖剣を与えられた。
「経典の第一節だな」
ナセルが、リタの説法を聞いて呟いた。
「はい、ありきたりですが、聖王国ではしばしばこうして就寝前などに話して聞かせるのです」
リタが言う。焚き火にその金の髪が照らされている。
「ま、他の国でもやってることではあるよ」
アリゼが退屈そうにつぶやく。
カーナ村を出て、クリスたち六人は徒歩で、迷いの森を目指していた。
旅の最中、暇だったので、就寝前にそれぞれ何か話を聞かせようという話になった。
それでリタは経典の一節を話した。
それは恐らく人類が知る文字や物語の中で最も有名な話だ。惑星と人の発祥について、教会が事実として語っているものだからだ。
だが、神を見たとされる人間はおらず、それどころか神に創造されたとする三原種、龍や精霊、大巨人の存在すら確かではない。
「確かではないことが多すぎて、光の塔ではしばしば議論の的になる。そもそも最後の、人に聖剣を与えた動機が謎すぎ、人にわざわざ他種族を統べろと言う意味がわからない」
ナセルの声には猜疑がある。
ナセルだけでなく、多くの光の塔出身の魔術師は教会に反発的だ。
教会は人類の組織の中では最も長い歴史を持つ。
けれど知識も豊富で蔵書などもあるはずなのに、それらを全く公開しない秘密主義で魔術や学問の発達に全く貢献しようとしない。
だから、光の塔は教会に何度もそれらを公開するように要求していたはずだ。
リタがナセルの物怖じしない態度に苦笑する。
教会の信仰は人間が持つ唯一の宗教で、ほとんどの人間がその教えを信じている。
単純にナセルの発言は、多くの人間に喧嘩を売ってしまっている。
「神も三原種とされる種族も実在を証明できませんが、その末裔である竜やエルフ、巨人は存在し、聖剣も聖王国が所持しています。それを根拠としては駄目なのでしょうか」
リタが大抵の人間の考えることを言う。信じる根拠は多少薄弱でも三千年以上前のことを確かめる手段などないから、多くの人間にとっては問題がない。
ナセルが首を振る。
「学問としては落第だ。そもそも人がどうやって現れたのかすら分かっていないのだぞ」
「それは、進化論といわれるものでしょうか」
クリスが口をはさむ。かつてココがそのような学説があると言っていたような気がする。彼女もまたその説を支持していた。
ナセルが驚いたような表情を浮かべつつ首肯する。
「三原種に連なる種族以外は、全てその生物がどのように発生したのかが推察できる。たとえば豚人は猪を祖先と持つというように。だが、人は一体なんの生物から進化したのかがわからないのだ」
「それはむしろ、人が三原種と同じように神に創造されたからだ、という教会の一部の派閥の主張を補強しませんか」
「では、人間が聖剣を除けばむしろ生命としては貧弱なのはなぜだ? そもそも三千年経って、なぜ人は他の種族を相手に未だに戦争などしている」
「神がお与えになった試練だからだ、と敬虔な方なら答えてしまうでしょうね」
リタが苦笑いを浮かべながら答える。
ナセルの疑問は正しい。経典の神の言葉は人間に都合が良すぎる。
「ウェハはどう思いますか」
リタがウェハに問いかける。
わざわざリタが経典の一つを話したのは、もしかしたらエルフの彼女から違う話が聞けるかと期待したからかもしれなかった。
リタもまた、決して敬虔なだけの信徒ではないのだ。
「私も神と出会ったことはないし、人族に伝わる細かい事情など知らぬ」
ウェハの返事を聞いて、ナセルが肩を落としていた。
エルフからの新事実は、彼にとっても興味を引かれるものなのだ。
アインを見ると、なんというかウェハが話しているだけで満足しているような顔をしている。
「だが、七本の聖剣だけは興味がある。あれらが無ければ人はいまだ大陸の中央で縮こまっていただろう」
やはりエルフから見ても聖剣は異常な存在なのだ。
ウェハは言外に、聖剣が無ければ人は今の文明を築くことすら出来なかったと言っている。
現在では五本しか所在が確認されていない、剣が強すぎる力を持ってしまっていることに対する疑問だった。
「聖剣は魔術師の間でも話題になる。見ることすらまれなので何も分かっていないが、いわゆる魔法具などとは性質が違いすぎる。いくらなんでも魔力を無限供給する剣などありえない」
学者肌のナセルから見ても、やはりおかしいという結論になるらしい。
危険だから血統による制限がかかるのかとも思うが、それが安全装置となっているかと聞かれると疑問だった。
「それに疑問が残る。なぜ神は豚人や蜥蜴人に聖剣を与えなかったのだ。同じ知性があり、彼らにも勇者と呼ばれる存在がいても良かったはずだ」
敬虔な人間が聞けば激怒しそうなことを、ナセルは口にする。
アインやアリゼは慣れているのか、特に表情も動かさない。
クリスは今までそんなことを言う人に出会うことがなかったから、リタがどう思うかと冷や汗をかいていた。
今思うとココはケイアスのパーティーにいるときから、相当遠慮していたのだと気付かされる。
だが、リタは興味深そうにナセルの言葉を聞いていた。
「ナセルさんの仰ることは面白いですね」
「皮肉か? 君のような敬虔な信徒なら激怒するかと思ったが」
ナセルはリタの聖印を見ながら言う。
「神の本当の意思を汲み取ろうとするのも信仰です。ただ人づてに聞いたものを信じるだけでは、神ではなく教会への盲信でしかありません」
「随分と口が達者だな」
いいながらも、ナセルの声色には感心があった。
「さて、もう寝ましょうか。明日も早いのでしょう」
「はい、日の出とともに出発したいと思います。日が出ているうちになるべく距離を稼ぎたいので」
クリスは頷く。
「では、獣避けの結界を張っておこう」
ナセルが六方に香をさして、結界を展開する。
「これで寝ずの晩は必要ないだろう」
「ありがとうございます」
ナセルは学者肌だが、冒険に慣れているように感じる。
彼ら三人と出会えたことは随分と僥倖なことであったと、クリスは感じていた。