14. リタの目的
「これが宿というものか」
ウェハは外套を脱ぐとつぶやいた。
エルフは人間のように外気温によって服を変える必要がない。
自然と調和するということは、彼ら自身が自然と一体となることに他ならないからだ。
クリスたちがウェハに外套を着せたのは、その目立ちすぎる美貌と、長い耳を隠すためだった。
「そなたら人間は自ら石や木を切り、このように住居などの人工物を作る」
声には興味と疑問の色があった。
「この惑星の他の知的生命体も、簡単な道具や、歌や絵などを創造する。だが、人間のように、多様性に溢れ、自然の形を変えるほどのことはしない。なぜ、人はここまで自然を恐れるのだ」
長寿であり、精霊の末裔である加護を受けた種族の、傲慢とも言える疑問だった。
人と同じ姿をしながらも、人間とエルフの間には決定的な溝があるのだ。
「私達人間は、竜のように孤高ではあれず、エルフのように大地や自然には愛されておらず、巨人族のように巨大で強靭な肉体を持っているわけでもありません。亜人でも豚人や蜥蜴人のように繁殖力と免疫力に優れているわけでもなく、人は最も簡単に死んでしまう種族なのです」
リタが、ただ事実を淡々と言う。
教会はこの惑星において最も繁栄したとして、人間の偉大さを喧伝する。だが裏を返せばそれは、それほどまでに栄えなければ人間は簡単に滅び去ってしまう運命だったということだ。
「生きるために必要だったから、我らの領域を侵犯した罪を許せと言うことか」
ウェハは咎めるように言う。
このあたりの領域はかつてエルフの領域だったのだ。
「許せとは申しません。ですが今の人間の繁栄は、紛れもなく人間が勝ち取ったものです」
リタは、人の、何もかも変えなければ生きていけない業を肯定していた。
二人の間に緊張が走る。
ウェハがふっと表情を崩す。
「試しただけだ、許せ。今更かつての因縁を掘り返すつもりはない。我らは納得してここを去ったのだ。」
ウェハの言葉に、リタも気を抜く。
「いえ、私こそ失礼しました、尊き方よ」
「よせ、私はまだ齢三百程度の若き芽で、あくまで若輩なのだ」
時間の感覚が追いつかない。三百ということは、彼女が生まれた頃はまだ、魔女狩りが横行していた時期だ。
人間の主観ではすでに歴史の彼方なのに、目の前にその時代から生き続ける存在がある、というのが実感として湧かなかった。
「ウェハ様は――」
「ウェハで良いと言った」
「ウェハは、どうして人里に下りてきたのですか」
エルフは人と争わない。だが、人のことを好いているわけでもない。
彼らはむしろ人間のことを徹底的に避けてきた。
そんな彼らがわざわざ人里に出向いている時点でただ事ではないのだ。
「探しものをしている」
「それはどのような」
「今それを言うことはできない」
ウェハが首を振る。
そしてリタを見て言う。
「むしろ、そなたの願いとは何だ」
「迷いの森を抜けて、竜の領域へ行きたいのです」
「なぜ」
リタの瞳が宙をさまよう。
クリスもリタを注視していた。クリスもまだ、なぜリタがそこへ行きたいのか聞いていなかった。
リタが覚悟を決めるように息を吐く。
「北方戦線を停戦し、講和するためです」
聖王国の王女としては禁句に等しい発言だった。
北方戦線は、聖王国が聖戦として発動したものだからだ。
リタがウェハよりもクリスに説明するように言葉を続ける。
「聖王国が思い描いていた内線戦略がすでに限界なのです。聖王国は前身となる聖ヒュリオ教国の時代から三千年以上もの間、聖王国の外側に王を立て国を作り、それを干渉領域として、戦線を外へ外へと拡大していきました」
地図を見ると年代を追うごとに、人間の支配領域はまるで年輪のように聖王国を中心にして同心円状に広がっているのがわかる。
「聖王国が、教義を盾に失地回復運動として人々の戦意を煽ったのです。それを三千年もの間続けてきました。まだ未開の土地があるときは良かったのでしょう。ですが、現代ではどの種族もこれ以上人間に侵略されると種の存亡にかかわるため、決死の防衛戦となっていて、北方も西方も泥沼化しています」
かつてはせいぜい一年もあれば大抵の戦争は終わっていた。
それが北方、西方においては開戦から三年が経過している。
「人類諸国においても前線に近いほど、厭戦感情が発生していて、後方である聖王国の国民感情と乖離しつつあります。また、煽っている聖王国が後方に引っ込んでいて多くの負担を他諸国に押し付けていることから、聖王国への不満も強くなっています」
「でも、聖王国も勇者や神聖騎士団に加えて、経済的な支援も行っていますよね」
「戦地となり、被害を被っているのはやはり前線の国々なのですよ。家族や住む場所を失うことをそうした支援で納得しろと言うのは、無理があります」
リタが、クリスの問いに答える。
リタの言葉が本当なら、ケイアスは辛い時代に勇者となってしまう。
ただ聖王国が正しいと盲信できる時代ではないのだ。
「竜と講和か」
ウェハがつぶやいていた。
何を考えているのか、その表情や口調からは感情が見えない。
「そなた一人しかいないということは、人間の総意でもなければ、聖王国の支援すらないのだろう。それで竜と講和などできるのか」
ウェハの指摘は厳しい。
リタの行動を支持する人間がいるなら、もっとまともな護衛なり何なりを付けたはずだった。
リタも指摘されて苦い顔となる。
「状況が厳しいことは自覚しています。しかし、聖王国内部でも私の行動を黙認している勢力があります。彼らは私が対話の糸口を作ることができれば乗ってくることでしょう」
クリスもリタの言葉で思い出す。
ロティト枢機卿はリタが望まなければ、リタを護衛するようにと言っていた。
彼もリタの行動は把握していたのに、過剰に干渉しようとはしていなかった。
ロティト枢機卿もリタの言う、リタの行動を黙認している人間の一人だ。
もしかしたら、クリスの存在はロティト枢機卿が出来たリタへの精一杯の支援なのかもしれなかった。
ウェハが口を開く。
「私は、迷いの森を抜けられるまでそなたらに付き合えば良いのか?」
「ではっ」
「北方が静かになるのは我らにとっても利益があり、また、そなたの行いに興味が湧いた。ので、付き合うこととしよう」
ウェハの快諾に二人して息をつく。
「ですが、私が貴方に返せるものがありません」
「確かに私は人の財などに興味はない。だから、そなたらの旅が終わった後に、私の探しものに付き合ってもらうこととしよう」
「それで良いのですか」
まるで返せるあての無い借りだった。
このエルフは、言ってしまえば人が良すぎ、義侠に厚すぎた。
「人は急ぎすぎる。我らからすれば、多少の寄り道に過ぎず、そこまでケチではないつもりだ」
ウェハがそう言って、小さく微笑んだ。
エルフがなかまになった!