1. 事の起こり
勇者。
それは人間であれば、誰もが一度は憧れる称号だ。
神託の導き手。
聖剣の担い手。
人類の守護者。
称号は様々あれど、つまるところ人間という種を代表する存在が勇者だった。
クリス・サーガルもかつて勇者に憧れた。
だが、彼は普通の男に過ぎなかった。神託も降らず、聖剣にも選ばれなかった。
「今日は空振りだったな、クリス」
「ケイ」
クリスが肩を叩かれて振り返ると、そこには長身の男が立っていた。
このあたりでは珍しい真っ黒な髪が風にそよいでいる。
「ギルドの情報も相変わらず適当というか、もう三日は探してるんだがな」
「君が見つけられないってことは、そのへんの冒険者の情報なんて当てにならないってことだよ。気長にやるしかないんじゃないか」
「まあ、そりゃそうだけどな」
男はかったるいよといいながら、草原に寝転がる。子供の時からめんどくさがりで、よく芝生で寝ていた彼を思い出して、クリスは苦笑する。
ケイ――ケイアス・オムニキスはクリスの幼馴染だ。
二人が冒険者になったとき、クリスのほうが身長が高かった。
けれど、今はケイアスのほうが一回りも身長が高い。
「だけどな、悪魔だぜ? あの、異界からの来訪者だ。普通ちょっとは痕跡があるだろ」
「まあ、そうだね」
クリスも同感だった。
悪魔は喚び出されてこちらの世界にやって来る。
それも儀式なりなんなり、それなりに準備してやっと召喚することができる。
だから、この草原か林ばかりの人気のないようなところで、悪魔などそうそう現れるはずがない。
「だが、すでに人が消えている」
渋い声が二人の会話に割って入った。
「旅人や商隊、それに冒険者を含めて三十人になる。この街道は封鎖されているし、早く解決しなければ街が干上がる」
そういいながら、男は担いでいた桶を下ろす。
ジェラルド・ルーセルは、クリスたちの先輩に当たる。
そして、冒険者になりたてのころから二人の面倒を見てくれている恩師でもある。
「今日はこのあたりで野営にしよう」
「はい」
クリスはうなずくと集めていた薪でやぐらを組む。そのやぐらに手をかざすと、薪が燃え始める。
ごく基本的な火の魔術だった。
「ココとエーリカはどこ行ったんだ」
「食材調達してくるってさ」
ケイが寝転んだまま返事をする。
「もう日が暮れるぞ」
「大丈夫だろ。あの二人なら」
ケイは心配した様子もない。薄情というよりは、信頼しているのが見て取れる。
事実、大抵の障害ならあの二人は問題にしないだろう。
だが同時にクリスは、殺しても死にそうにない人があっけなく死ぬ様を見たことがある。
そういう世界だから、仲間のことも心配に思う。
信頼できないのではなく、ただ怖いのだ。そして、その自分の臆病な心が恨めしかった。
空を見る。
日は地平線の向こうに落ちようとしていて、夕暮れの空は真っ赤に染まっていた。
「帰ってきたか」
ジェラルドが息を吐くように呟いた。
見ると、空の中に黒い点がぽつんと浮かんでいる。
その影が大きくなるに連れてブンブンと手を振っているのを見て、クリスも呆れたように苦笑した。
「バカ娘ども!」
ジェラルドの鉄拳が二人の頭に落ちる。あれは多分殴ったジェラルドも痛いだろう。
「日が落ちる前に帰ってくるというのは、夕暮れ前には帰るということだ。夜間飛行が危険なことは承知しているだろう」
「まあまあ、ジェラルドさん」
「「ごめんなさい」」
ココとエーリカがシュンとしている。ケイアスはジェラルドをなだめていた。それを見ていると、ひどく微笑ましい気分になる。
いつもの光景に安心しながら、クリスは鍋をかき混ぜる。二人が張り切ってくれたおかげで、今日は少し豪華なものにできそうだった。
「でも、どうして遅くなったの? 二人ならこれくらいとってくるのにギリギリにはならないでしょ」
ココもエーリカもこと戦闘においては一流だ。そして、半年も旅をすればその他の雑事も一人前くらいにはなる。
仲間として、彼女たち二人がそういったことを今更見誤るとも思えなかった。
「結界を、見つけたんです!」
ココが俯けていた顔を上げて言った。
ケイアスが、確認するように言う。
「本当か」
「はい、人よけの結界がありました。すごく高度で空から見ていてもわからなかったんですけど、エーリカちゃんが見つけてくれて」
「ココが大体の場所のあたりをつけてくれてたから、わかった、だけ」
エーリカがぼそっと呟く。
ココが、か、かわいい、と感極まったようにエーリカに抱きつく。
エーリカが鬱陶しそうにしているのが、少し笑いを誘う。
こんな形をした少女達だが、その実力は確かだ。
ココは、魔術師たちの集団である『光の塔』の若手筆頭。
エーリカは聖都サンハントラスの枢機卿の娘。
どちらも魔法や神学に長けていて、一騎当千の力を持つ。
クリスは恐ろしく優秀なパーティーメンバーに囲まれている。
「明日、その結界を破る。多分、そこに件の悪魔がいるから準備して取り掛かろう」
ケイアスがいうと、全員がうなずいた。
このパーティーはケイアスのパーティーだ。だから、ジェラルドも判断をケイアスに任す。その上で、彼の経験から賛成か反対かを示すのだ。
クリスは鍋をかきまわしていたお玉を置いた。
「とりあえず、夕飯にしましょう。二人が材料を取ってきてくれたから、今日は少し豪華ですよ」
クリスがそう言うと、ふっと空気が緩む。
ケイアスが何も言わずにお椀だけ差し出したのを受け取って、はいはいと野菜と肉がごった煮になったスープをよそって返す。
クリスはこうして、みんなと食事を囲むことが好きだった。
最初は家族だった。
少しして、そこにケイアスが加わった。
そして、全てを失った。ケイアスがいてくれたことが、救いだった。
行く宛もなく、なし崩しのように冒険者になり、ジェラルドや、ココとエーリカ、沢山の人に出会った。
クリスはかつて失ったものを取り戻しかけていた。
だから、失いたくはなかった。
もう二度と、あのような思いは嫌だった。
投稿してしまったので書きます。
一日一話が目標です。