あの約束の場所へ
「親父、これからバイク借りていい?」
家族三人で兄貴の墓参りを終え、帰宅後、自室で着替えていた親父に声を掛ける。
「ああ、貸すのは構わないけど、本当に大丈夫か?」
親父が心配している事が、その表情から伝わってくる。
「大丈夫だよ、十分気を付けるから」
キーを受け取りながら親父に笑いかける。
ガレージのシャッターを開け、黒塗りの車体を引っ張りだす。
一見、映画、ローマの休日でおなじみのべスパと勘違いされるが、
じつはべスパではなくインド製のスクーターだ。
親父いわく、べスパに比べて価格が安いが、呪われてるかのようによく壊れるそうだ。
だけどそれでも手放せないのは、現代の無味無臭なバイクに無い、
独特の魅力があるからだそうだ。
排気音で近所迷惑にならぬよう、表通りまで車体を押し歩いた後、
チョークレバーを一段引き、クラッチレバーを握りつつ、スタートボタンを押す。
何とも形容しがたい、低めの排気音でエンジンが目覚める、
冬場は暖気をしないとエンジンの機嫌が悪いが、
暖かい今日は短めでアイドリングが安定する。
独特のハンドシフトを駆使しながら、ゆっくりと発進する。
丸みを帯びた黒い車体に春先の淡い日差しが反射する。
あの場所まで続くワインディングは高低差もあり、
右に左にと軽快に車体を傾けさせると
自然のジェットコースターに乗っているような感覚になる。
右手のアクセルで自由自在に景色を手繰りよせる。
俺がバイクに乗るようになった時、親父に言われた事がある。
車は一部を除いて移動のための乗り物だ、必ず目的地がある。
だけどバイクは目的地を決めなくても楽しめる乗り物だ。
走る事自体が目的になるからだと……
その時は意味が判らなかったが、今なら何だか理解できる。
バイクに乗るといつも感じる事がある。
走らせる事だけで、何故こんなに楽しいのか?
それはバイクという乗り物が、危険と表裏一体だからだ……
ヘルメットを始め、身体を守る装備をしているとは言え、
足元に広がるアスファルトは死と直結している……
一瞬の操作ミスで簡単に身体は、いとも簡単に路面に叩き付けられる。
そんな薄皮一枚のスリルがあるから、
こんなにも感覚が研ぎ澄まされるのだろう。
これまでの生きることに執着のない自分だったら、
バイクと一緒に、カーブをオーバースピードで突っ込み、
そのまま、死を選んでいたかもしれない……
だけど今の俺には、たどり着かなきゃいけない場所がある。
あの約束の場所に……




