第8話 事態急変
「・・・レイチェル、来たか・・・?」
「ヒェイル様! おります、ここにいます!」
「そうか・・・」
ヒェイル様が笑みを浮かべられました。
「しまったな、もう腕が辛い・・・」
「嫌です、どうしてこんなことになっておられるのです!」
「全くだ・・・」
「呑気な! どうすれば良いのです、どうなさったのです」
「他もいるか? 呼んだのは皆?」
「執事長とリドがおります。お医者様に、他の方々も・・・」
「レイチェル、手を」
言われて、急いで握ります。ギュッと握るのに、指先がピクリと動くだけのようです。とても冷たくなっておられます。
どんどん新しい涙が溢れてきます。
「きみの、お腹の、子どもを、守って、家を守ってくれ」
「えっ」
驚きました。
私のお腹の中には、まだ子どもがおりません。いえ、いてくれる可能性はありますが、まだいると言われておりません。
「皆も、妻と、子どもを、支えて欲しい・・・頼む」
他の皆様に向けても、そんな事をおっしゃいます。
「ヒェイル様・・・」
私は手を両手で温めるように握ります。
ヒェイル様は執事長の名を呼びました。
「頼ん、だ」
「どうしてこのような事に・・・!」
「全く・・・。時間が無いな・・・」
ヒェイル様の言葉に執事長も急に泣き始めました。
「リド・・・」
「はい。ここに」
リドも硬い声をしています。
「レイチェルを・・・一番、に、尊重を・・・」
「はい、必ず、ヒェイル様と奥様のお気持ちを一番に」
リドの声も震えています。リドもこらえきれず、泣きだしました。
ヒェイル様はそこで長い息を吐き、何も話さなくなりました。
私はずっとヒェイル様に声をかけ続けました。
執事長は医師に、何とか手を打ってくれと頼み込んでいます。
リドは周りの方々から話しかけられていました。周りの方々が知る細かな経緯を教えてもらっているようです。
「ヒェイル様・・・?」
ヒェイル様が薄ら目を開けて私を見つめておられます。微笑もうとしておられます。
何かを言おうとされました。
あいしている・・・?
「私もです・・・! 置いて行かないでください・・・!」
私を眺めながら、ヒェイル様は目を閉じられました。
「ヒェイル様、ヒェイル様・・・!」
医師が動きます。
頬を叩くようにし、耳元で呼びかけています。
ヒェイル様は、動かれません。
人目もはばからずに泣きました。
ヒェイル様は突然、亡くなってしまいました。
***
ヒェイル様にご友人がおられたのは本当の事でした。
いえ、疑っていたわけではありませんけれど。
教えていただいたことから分かった事は、もともと仲の悪かった家があり、殺傷沙汰にまでなってしまったそうです。
そして、ご友人の方々は、ヒェイル様の家を守ろうとしてくださいました。それが、ヒェイル様からの皆様への遺言でもありました。
私たち夫婦には、跡継ぎができていません。
ですから本来は、屋敷や資産は没収、取り潰しになります。
私は実家に戻るのが普通で、使用人も解雇することになります。
ですが、私が妊娠していたら。特例として判断は延期され、無事産まれたらその子を跡継ぎに。全てを引き継ぎ、家を守ることができます。
けれど・・・困りました。お腹に宿っていてくれると良いのですが・・・。
ヒェイル様の賭けのはず。
とっさに、他の方々には、実は妊娠したばかり、と見せかけましたが。
ただ、妊娠していていない場合・・・どこかで流産したことにすれば・・・。少なくともそれまでは、判断は保留され、今すぐ取り潰しになるよりは時間稼ぎができます。
可能な範囲の家財整理、使用人の再就職先など含めて、さまざまに手配できることでしょう・・・。
ヒェイル様はそちらを考えたのかもしれません。
あぁ、どうか、妊娠していますように。
そうしたら、ヒェイル様のご遺言を正しく守れます。
ヒェイル様はとても大切な人で、私はこの家と生まれてくる子を守りたいです。
***
葬儀が済み、私のところに、できる限り協力すると申し出てくださりながら、ご友人方も帰って行かれます。
私はお礼をお伝えする事しかできません。
あまりにも突然すぎるのに、今後のことなど考えたくないのに、考えないといけません。
***
翌月。
妊娠していないことがハッキリとしました。
目の前が真っ暗になった気がしました。
それでも、絶望しているわけにはいきません。
執事長だけを部屋に呼び、事実を伝えました。
そして、子どもができていなかった場合の事を考えていた通りに、動く事にしました。
「真実を知っている者と、お医者様に、きつく口止めを。私は、妊娠している事にしてください」
執事長は硬い表情で、じっと私の顔を見つめています。
「リドを呼んで。私は、ヒェイル様の子どもを必ず生みます」
伝える時に、少し震えてしまいましたが、キッと睨むように執事長を見つめていました。
執事長は少しの間黙っていました。
それから私に頭を下げました。
「かしこまりました」
***
速やかに、リドだけが呼ばれました。私の部屋です。
リドも硬い顔をしていました。
私は寝室に移動し、リドも来るように言いました。
ベッドに腰をかけます。リドは寝室の入り口のところで立っており、それ以上入って来ません。
「来なさい。話があります。他に聞かれてはいけないの」
リドは少し動揺しながら、どこか私を見ないようにして入ってきました。
「扉は閉めておいて。念のためです」
近づき、立ち止って私を見たリドを、私は見上げるようにして言いました。
「私は、ヒェイル様の子どもを、産みたいのです」
「・・・はい」
リドはきっと勘違いをしました。ヒェイル様の子どもと聞いて、少しホッとしたのですから。