6話「洒落て上海セレナーデ(前編)」
"可愛いお嬢さん、私と一緒においで? 楽しく遊ぼう
キレイな花も咲いて 黄金の衣装もたくさんある……"
PM12:05、幽霊塗れの大空洞。
霞がかかるほどの巨大なその穴の中で、俺と姉御は数の子を束ねて作ったようなひも状の管楽器と対峙していた。
その化け物の現れた次元の裂け目に、俺と友人の前髪さんがいるからだ。
「……上等じゃないの! 上位存在だか何だか知らないけど、この塔ごとぶち壊して……!」
アホかあああ!?
戦うなんて馬鹿のすることだ!! 今は逃げるんだよ!!
「はあ!? 馬鹿はアンタでしょ! あの化け物の後ろにはミシェルとアンタが……」
"可愛いお嬢さ、お、おじょお、おおお!"
ああもう無理! 攻撃がくる! 戦闘の意思を見せたから!!
「だったらさっきみたいに防げばいいだけの事……」
"おおおおお!!"
「……え?」
姉御の掲げた防御魔法は、先程とはケタ違いの本気の魔法であった。
世界から隔離されたかのような、素人でもわかるほどの凶悪な防御魔法!
しかし、ひも状管楽器が放った禍々しい黒い吐息は、それらを容易く腐食させた。
その黒い吐息は、怨嗟の呪いの如き黒は、ゆっくりと、じんわりと、しかし確実に、姉御の全力の防御を蝕み崩壊させていた。
人類の努力など一笑に付し、次元の違いを見せつけるかのように!
「う、嘘でしょ!?」
だから逃げろって言ってんだよ!?
文字通り、次元が違うんだから!!
「逃げるってどこによ!?」
とりあえず空中にいるのはまずい!
どっかその辺の通路にでも!!
"私と、一緒に! お、お、お前! も! 私、にぃいいい!!"
逃げる我々を追い、攻撃を止めて動きだした、かずのこ管楽器。
速度自体は姉御の方が優っていたが、かずのこから放たれる黒い呪いの吐息は、消えることなく我々を包囲するように包んでくる!
「どっかその辺って……あ、あそこ! あそこなら!!」
姉御は壁に空いたいくつかの孔の、その中のひときわ狭い一つへ逃げこんだ。
確かにこれなら狭い通路ゆえに、黒い息から包囲されることは回避できるだろう。
「黒い息から"は"って……あのかずのこ3mくらいあるのよ? アタシ達二人がやっとの通路じゃ入れるわけ……」
姉御の希望的観測も空しく、かずのこ管楽器は相も変わらず追ってくる。
狭かろうが広かろうが、奴らには関係無いのだ!
文字通り存在の次元が違うのだから!
「じゃあどうすんのよ!?」
時計塔の守護者と真正面から戦うなど絶対にありえない。
相応の準備をしてから再突入するべきだ!
少なくとも、奴らが使う禁忌の術について、我々は学べる場所があるのだから。
「これから先の事なんて後よ! 今この状況を何とかしないと!」
"お、お、お前! も! 一緒にぃい!!"
もう奴が来てしまった、こうなれば通路の端の壁まで行かないと!
「壁!? 壁まで行ってどうすんのよ!?」
いいから早く!!
"新鮮な、娘ぇえええ!!"
ひも状管楽器と黒い腐食の呪いに追われながら、ほうほうの体で通路の突き当りまでたどり着く。
一見何の変哲の無いただの土壁。
しかし、入って来たときと同じくそこには隠し扉がある。
次元を歪ませ出口まで直通させる、いざという時の避難口が!
手順を辿り魔力を流し込むと、土壁は格子状に開き、仄暗い通路となった!
少し狭いが、これなら逃げ道として……
「……どうしたのよ? 早くいかないとアイツが!」
中に、誰かいる……
「はあ!? 通路なんだからそりゃ誰かしらいる……あっ……」
姉御も俺と同じく"ソレ"を認識した。
我々が開けた、狭い通路のど真ん中に立つ"ソレ"。
我々と同時にこの時計塔へ侵入した、白スーツの男を。
いや、元白スーツの男と言うべきか。
「き、君達!? よかった! 助けてくれ、この服脱げないんだ!! あの魔王もどきに着せられて……」
元白スーツの男は、スーツを脱ぎ去り裸となり、その上に純白のエプロンを着ていた。
いい年した男が、薄暗がりの通路で、裸エプロン。
……どうしろと、どんな反応をしろと。
「あの……私達は、何も見てませんから!!」
姉御はそう言うと、今しがた開けた通路を、魔法も使わず腕力だけで塞いでしまった!
「私たちは何も見てないわ!! 何も見てない!! いいわね!?」
いや、何やってんの姉御!?
そこ閉めたら逃げ道なくなるでしょうが!?
「だって、だって、アタシの初恋が……アタシの一目惚れが、裸エプロンに壊されるなんて!!」
今それどころじゃないでしょうがああああ!!!
"可愛いお嬢さ、お、おじょお、おおお!"
ああもう、もう一回! もう一回開け!!
開いてくれ、頼む!!
先程と同じ手順で魔力を流す。
姉御がゴリラみたいな腕力で滅茶苦茶にした通路の入り口は、完全にイカレてはいたものの、ヒト一人は入れるであろう穴は開けてくれた。
泣きじゃくる姉御を強引に押し込み、自分も中に入ると、裸エプロンさんと協力して封印を施す。
どうせ10秒と持たないだろうが、時間稼ぎにはなるだろう!
時計塔の住民は、住民であるというだけで警察に追われる身、外には出られない。
外に出てさえしまえばひとまずは安全だ。
「あの……君達、この姿の事はアンジェラには……」
今それどこれじゃねえから!!
まずは地上に逃げるんだよ!!
この通路、すぐそこが外に繋がってるから!!
「頼むよ君達! こんな姿でアンジェラに復縁なんてしてもらえるはずがないんだ、頼むから!!」
色ボケしてる場合かよ!?
"娘、私の娘の……!!"
まごまごしてる裸エプロンさんにかまけたせいで、後ろの扉に施した封印はすでに見るも無残に溶けだしていた。
崩れた壁の隙間から、カズノコみたいな粒粒が顔を出す!
「な、なんだあの化け物は!?」
……?
裸エプロンさん、あのかずのこ管楽器にその姿にされたんじゃ……?
「いや、違う! 私をこんなにしたのは、黒いスーツに髭の魔王もどきだ! それにあれほどの力も持ってはいなかった!」
ますます、理解ができない!
俺と前髪さんを攫った魔王もどきと、あのかずのこ管楽器は同じではないのか!?
「……ねぇ、よくわかんないんだけど、あの化け物の他に別なのがいるってこと?」
姉御がようやく泣き止み発言をする。
他にいる……?
いや、しかしそれは有り得ないはずだ、だって、あのおっさんも、このかずのこも、同じ歌を歌っているのだから。
うん……? 歌だけ? 同一であるという証拠は、歌だけ?
"可愛いお、お嬢さん、私と一緒、にぃい!!"
悩んでいる間に、通路の入り口にかけた封印が、もうほとんど破られていた。
怨嗟の呪いをふりまくかずのこが、今にもこの通路に侵入してくる!!
「よくわからんがヤバそうだ! 早く逃げよう!!」
「アリエル、どうしたの!? 考えるよりまずは逃げないと!!」
わかってる! わかってるけど、あとちょっとで何か閃きそうなのだ!
別々の存在が、「同じ歌を歌う」のは何故?
それらが俺とミシェルさんの「体を狙った」のは何故?
最初の魔王に「いい年して何してるの?」と言った娘達が、今はでてこないのは何故?
その後現れた魔王のおっさんを見て、幽霊たちが"魔王"ではなく「魔王の呪い」と言ったのは何故?
今眼の前にいるかずのこが、同じ魔王の呪いであるならば、「呪いをかけた魔王」は誰?
もうちょっと、もうあと一歩で何かが分かりそうなのだ!!
これらの整合性を取る最後の1ピースは、この事態を打開する情報になりそうな……
「後ででいいでしょう!? 今は逃げないと!」
あと一つ、何か足りないのだ!
何かが欠けている、あと一つ……
「何かって何が!?」
欠けているもの……そうだ欠けている。
今までの話の中に、欠けているものが一つあった!
"お嬢、さん、お嬢、お、嬢嬢嬢うううう!!"
俺の体に入ったあの女、"アンジェラ"は、いつ、どこから来た?
あいつの本当の体はどこにある?
いつ、どこで、どうやって俺の体に入った!?
なぜ、「これが新しい自分です」と言わんばかりに、俺の体からでてこない!?
「君、何を言っているんだ!? まさか私の妻を疑……」
"これから死ぬお前達が、それを知る必要はない"
裸エプロンの言葉を遮り、いつの間にか我々の後ろ、時計塔地下からの出口に、黒いスーツの髭面魔王おっさんが構えていた。
先程とは違い、正気を保ち、かずのこと同じ黒い吐息を吐きだしながら。
今このおっさんの中にいるのは、先程とは違い、おそらく……
「私の妻だとでも!?」
"適当にあしらって帰してやるつもりだったのだがな……元妻のよしみとして"
「……ッ!」
俺と前髪さんを攫った犯人が今、自ら正体を明かしてしまった。
別に疑念を抱いただけで、証拠などどこにもなかったのだが……
しかし、自ら正体を明かしたということは、つまり我々を殺すと宣言しているようなものだ。
先程までの追いかけっこは、遊び半分であったのだろう。
もうこうなれば、やることは一つだ。
「やること? 何言ってるの? 戦うなんて無理だってそれはアンタが……」
警察に、電話をかけます。
"は? この時計塔で、警察? 何を馬鹿な……"
確かに、この時計塔は警察も手の出せない無法地帯。
しかし残念なことに、我々の今いる通路は出入り口への直通路。
すぐそこに外の光が見えている。
そして、その出口を塞ぐアンジェラさんの位置は当然……
"……まさか! ……ッ!?"
アンジェラさんが気付くが時すでに遅し。
俺の発言を聞いた時点で、意図を察した姉御と裸エプロンさんがすでに飛び出していた。
二人のエルフのタックルが、不意を突かれた魔王を大きく後退させる。
押し出されて出た先は、時計塔の外。法治国家エルフの国。
"市民、通報感謝でス"
"エルフ首都警察一同"
"これより凶悪犯の捕縛を行いまス"
外にはすでに、通報を受けた機械の警官達が、シャカシャカと不快な音を立てながら待ち構えていた。
無数のロボ達が、一斉にアンジェラさんへ襲い掛かる!
……対応が早すぎる気がしないでも無いが。
しかし、ひとまずこれで安全に……
「アリエル! ボサっとしてないで早く戻るわよ!!」
警官隊とアンジェラさんの格闘をぼんやりと見ていると、アラサーの姉御が俺を引っ張り時計塔の中へと連れ戻そうとする。
一体そんなに慌ててどうしたというのか。
もはや、我々にできることなど……
「あの警官が勝つにしろ負けるにしろ、ミシェルとアンタの体は取り戻さなきゃ駄目でしょうが!」
……そうだった忘れていた!
俺、今幽霊だった!
「あの裂け目がいつまで残ってるかも分からないんだから! 急いで!」
慌てて駆けだす俺と姉御。
道中を塞ぐひも状管楽器は、主人からの命令が途絶えたからか、こちらには目もくれない。
次元の歪んだ狭い通路を駆け戻り、大空洞へととんぼ返り。
厭世間の強い魔術師達も、二度目の来訪には何も攻撃して来ない。
「あったわ! 次元の裂け目! まだ消えてない!!」
有りがたい事に、先程かずのこが出てきた割れ目はまだ健在であった。
GPSの受信機が強く我々を誘導する。
「ほら、もう物もすり抜け始めるんでしょう? 急がないと!」
姉御が穴の手前で俺を催促する。
確かに、急いだ方がいいのは事実だ。
だが……
「どうしたの……?」
最後にもう一つ、解決しなければならない問題がある。
俺の体には……
"糞! どこで間違えた!? いったいどうしてこんなことに!!"
俺の体には、今回の事件の張本人、アンジェラが中に入っているのだ。
最後にもう一番、俺と姉御には、やることが残っている。
張本人との、直接対決が!
PM12:30。時計塔の最深部。
次元の割れ目のその先の、広く豪華なアンジェラの自室。
俺の姿をした魔王が、前髪さんを抱えながら悪態をついていた。
赤く目を光らせた中身魔王の金髪エルフ、俺。
超絶美少女たるこの俺は、中身がなんであろうと美人だった。
「ねえ、こんな時になんだけどさ、アンタの事一発殴っていい?」




