1話「孤児院閉鎖」(挿絵アリ)
朝。
太陽が昇り、木々の朝露が輝く時刻。
時節は秋、広葉樹が赤や黄色に変色し始める季節、明け方の空気は肌寒い。
エルフの国の首都、その隅っこにある孤児院の、それまた隅っこある小さな角部屋。
秋の空気が窓の隙間から押し寄せるこの一室で、俺は寒さに震えて目を覚ました。
俺がこの世界に生を受けた、あの出来事から15年。
この立て付けの悪い孤児院が今の住処だった。
隙間風の寒さに身を震わせて目が覚める、そんな環境が俺の住処だった。
魔法で暖をとればいい、魔法を覚えればこんな場所でも大丈夫……なんて来た当初は思ったが、現実というモノは甘くない。
この世界、魔法は無料で使えない。
この世界では魔法は使えば使うほど金がかかる。
魔法の源、魔力は科学工場で作られて、地下の魔力ラインを通りエルフの国全体に配給されているのだ。
空気中に漂う天然の魔力、なんて物は500年も前に枯渇していた。
謎のポンコツAIによって女性の赤子に変えられて、赤ん坊のまま冬の森に捨てられて、車の中にわいせつ物と一緒に放置されて……。
果てにたどり着いたのが寒さに震える孤児院暮らし。
魔法も自由に使えない。
それがこの国に俺が転生してからの顛末だ。
なんという踏んだり蹴ったり。
ため息をつきながら窓を覗くと、そこに映るは金髪碧眼の美少女エルフ、俺。
ブサイクに育つことなく、あのポンコツAIの発言通り美少女に育った事、否、超絶美少女に育った事!
それだけがこれまでの人生で唯一の救いであった。
……だが、それも今日まで!
なぜなら俺は明日、高校生になるからだ。
エルフの国の入学式は秋。
高校入学と共に孤児院の子供は、国によって指定された寮に入る決まりとなっている。
そこなら学生プランにより、一定量まで定額で魔力使い放題!
つまり俺は、明日からこんなボロ家とおさらばできるのだ。
健康で文化的で魔法技術に囲まれた生活を、ようやく手に入れることが出来るのだ!
ああ、明日が待ち遠しい……
「"エリちゃん"エリちゃん大変だよ!! "院長先生"がジョーハツで大変で孤児院が滅亡の危機なんだよ!!」
明るい未来に胸躍らせる俺の元に、平穏をぶち壊す騒々しい声が届いた。
この孤児院に暮らす、赤毛で背の低い幼馴染エルフ、"クリス"と言う名の大馬鹿少女がやって来た。
「あのねあのね、院長先生がジョーハツで大変で孤児院が滅亡の危機で、私達"高校に行けるか危うい"んだって! だから大変なんだよ! 旅に出なきゃ駄目なんだよ!」
ノックもせずに俺の部屋に入ったこの赤毛エルフは、短いツインテールを振り回し、わけのわからない言葉をまくし立てていた。
内容が支離滅裂で理解し難いが、要約すると……
"孤児院に何かが起こって、俺は高校に行けなくなる"
……とコイツは言いたいらしい。
……
……
!?
一体俺のまともな居住環境が危ういとはどういうことか!?
「だーかーらー! 院長先生がフットーで大変で世界が滅亡の危機なんだよ!!」
さっきと言ってることが変わってる……
頼むからゆっくり、落ち着いて、まともに説明してくれ!
「結論から言えば! 旅に出ないといけないんだよ!」
だめだこりゃ。
(あー、こいつじゃ話にならないから、こっからはあたしが説明するよ)
馬鹿から話を聞くのを諦めた矢先、突然脳内に言葉が響いた。
魔力によるテレパス通信だ。
「おー! この声"おばちゃん"だ! やっと連絡ついたんだね!」
孤児院周辺の首都郊外を管理をしている、"おばちゃん"からの通信であった。
彼女はこの施設の責任者である"院長先生"とは違い、もっと位が高いエルフさん。
この孤児院とは因縁があるらしく、めったにコンタクトを取らない人だ。
そんな人が出てきたということは、この孤児院に相当な事が起こったのだろう。
「おばちゃんおばちゃん! エリちゃんに、この孤児院に何があったか説明してあげて!」
おばちゃん、頼む。
こいつの説明は支離滅裂でわからん。
(そうだね簡単に説明しよう、この孤児院の"院長先生"が夜逃げしたんだ)
"夜逃げ"。
夜中にこっそり逃げ出して他の所へ移ること。
負債を抱え、" 借金取り"から逃げるために、夜中に行方を眩ます事を指すのが一般的。
ただし、ストーカー・恋愛トラブル・家庭内暴力・詐欺事件etc……"身の危険"から逃れるためにそれを行う場合も夜逃げと呼ぶことがある。
「夜逃げって……うちの孤児院、そんなにお金に困ってたの!?」
(どうもあの馬鹿院長、隠れて色々やってたらしくてね、色々と金銭トラブルがあったみたいだよ)
ポンコツAIといい、院長先生といい、この赤毛幼馴染といい。
どうしてこう、俺の出会うヤツには録な奴がいないのだろう。
(責任者がそんな訳で失踪したから、親のいないアンタ達と、借金抱えた施設、っていう二つの厄介事の管理監督が、今後誰になるかで色々揉めてるんだ)
「あ! 私そういうの知ってる! たらい回しってヤツだよね!!」
回されてる奴が嬉々として語る台詞ではないぞ!?
「たらい回されてるから、私達高校も寮もいけるか怪しいんだね!」
やめて! 改めて今の立場を明文化しないで!
悲しくなるから!
(そんな状況ではあるがね、高校入学の方はアタシの権力で必ずなんとかするから、そっちは安心しな!)
「おお、おばちゃん頼もしい!!」
寮は!? 入寮の方はどうなるので!?
俺の健康で文化的な最低限度の生活はどうなるんです!?
(そこは新しい責任者に聞きな、アタシの知ったことではないよ)
な、なんで!?
(寮に入る入らないは法律の問題だからアタシじゃどうにもならん)
法律って……もしかして孤児としての支援も打ち切られるかも、とかそういう……?
(そんなところだよ、最悪この孤児院そのものが消滅するかもね)
「この家が、無くなっちゃう……」
(事情は大体わかったね? じゃ、そういうことだから、詳しく決まるまでは大人しくしてるんだよ?)
待って待って!!
寮には行けないって、これから俺はどうすれば!?
このボロ家でまた冬を越さなきゃならないなんて、まさかそんな事……
(ちゃんと飯食って早めに寝て、明日の入学式に備えるんだよ、くれぐれも余計なことはしないように)
ま、待っ……
(…………)
「切れちゃったね、通信」
ま、まだだ! もう一度通信を!
「止めなよエリちゃん、いつもこっちからはおばちゃんに繋がらないじゃない? 大体、私達の今月の魔力は料金未納で止められてるでしょ?」
通常の電話回線なら! そっちはまだ止められてないから!
「電話番号知ってるの?」
…………知らない。
「ね、おばちゃんに連絡するのは諦めよう?」
……なんということだろう。
目の前まで来ていたはずの輝かしい未来が、窓の立て付けがちゃんとした生活が、一瞬のうちに消え去った。
法律の問題、新しい責任者次第。
こんな他人の掌の上な状況で、どんな気持ちでこの先の生活を過ごせというのか。
一方的に告げられるだけでは、納得できるわけがないだろう!
「……エリちゃんエリちゃん、私にいい考えがあるよ」
……なんだ、言ってみろ。
今なら絶望でどんなアホな事でも受け入れるぞ。
「私達で院長先生を探してみようよ! 院長先生が戻ってきたら、問題が解決するかもしれないよ!」
……
……なるほど、考えてみれば大本の問題は"院長が居ない事"から起こっているのだ。
そこを解決すればなんとかなるかもしれない。
悪く無い発想だ、馬鹿なのに。
「私、この孤児院が無くなるの嫌なんだよ! 他のみんなはもう卒業しちゃって、今はエリちゃんと二人きりだけど、私達卒業したら誰もいなくなっちゃうけど、それでもこの家が無くなるの嫌! 院長先生が戻れば何とかなると思うの!」
おお、何言っているかよくわからんが、やる気はすごいな。
俺はこんなボロ家無くなってもかまわないと思うが、お前のやる気は伝わったぞ!
「なんで今の流れでそんな酷いこと言えるのかな!?」
だってこの家、冬になると部屋の室温が氷点下だぞ。
目を覚ますとそこは雪国なんだぞ。家の中なのに。
「うぐ……そ、それは……確かに辛いけど……でもでも、この家にだって思い出とかが一杯……」
まあなんにせよ、院長先生を探すってのは名案だ。
「無視ですか! そうですか!」
協力相手がこの馬鹿である事だけが気がかりだが、それ以外は文句無しの提案だ。
今日中に院長先生を探し出して、借金取りのもとに引きずりだせば、問題は無事解決。
明日には入寮することも叶うかもしれないのだから!
「いやぁ、寮に入るのは無理じゃないかなぁ……おばちゃん、法律がどうのって言ってたし……」
そ、それはこう、なんとか! なんとかする!!
「……エリちゃんって、たまに私より馬鹿になるよね」
う、うるさいうるさい!
いいから院長先生探しに行くんだよ!
後の事は見つけてから考える!
「まあそれはそうだね、まずは院長先生見つけてからだね! さっそく出かけよう!」
こうして、総勢二名による院長先生捜索隊が結成された。
高校入学前、中学生と高校生のモラトリアム最後の日は、ここから始まっ……
「……あれ? 玄関のドアが開かない」
始まるはずだったのだが……
「エリちゃん大変! 玄関のドアが、全然、びくともしないよ!!」
何を言っているんだ、そんなわけが……
あれ? ほんとだ!? 開かない!!
(あーそうそう、言い忘れてたよ、今日この孤児院のドアと窓は、あんた達が外に出られないようこっちから魔法かけてあるからね)
「おばちゃん!?」
なんでそんな事を!?
(あんた達のことだから、どうせ"自分達で院長先生みつけて解決する!"とか言ってんだろう?)
「ば、バレてる……」
普段ロクに俺達の面倒見てないくせに、こういうとこだけ鋭い……
(明日入学だっていうのに、今、この状況で、素人が余計なことに首突っ込んで、問題起こしてみなよ!? 一体どうなると思う? うん? 言ってみな!?)
「どうなるって、それは……」
高校入学が……危うくなる……?
(そうだね、その通りだ! 理解したなら"今日だけは"大人しくしてなよ! 入学さえしてしまえば、そっから先はあたしが力尽くでも何とかしてやるから! わかったね!?)
「で、でも……」
(返事!)
「「は、はい!」」
おばちゃんからの通信はこれで終了、以降は完全に遮断される。
こうして高校入学前の最後の1日は、盛大に、何も、始まらなかった。
かくして俺とクリスは、他人任せのもやもやした気分のまま、高校生活を送ることとなる。
……はずだった。
次の日の朝、入学式の日、"借金取りの男"が、銀色のクラシックカーに乗って俺達の前に現れるまでは。
薄汚い深緑色のコートを身を纏った、顔に傷のあるスキンヘッドのエルフが、通学前の朝に来るまでは。
「突然でスマンが、頼むお嬢ちゃん達! あの馬鹿院長探すの手伝ってくれんか!」
ゴブリンみたいな顔をした、背の高い借金取りのおっさんが、いきなり孤児院に現れて、俺とクリスに頭を下げるまでは!
「待って待っておじさん! 手伝うって……いったい何があったの!?」
それも金貸してる相手の身内に頭下げるって何事だよ……?
「あんたらのトコの糞院長な……俺の娘と駆け落ちしよったんじゃ!!」
「「駆け落ち!?」」
9月1日、入学式。
高校生最初の一日は、身内の聞きたくもない恋模様から始まった。