9話「悪霊ヘブンズアップ」
「……えー、このように本来学業というものは将来の…………であり……貴女が今回行った行為は……」
初雪を迎えた11月末のとある放課後。
帰宅しようとしていた俺は学年主任の女教師に拘束され、校舎の隅にある生徒指導室で2時間ほど正座で指導を受けていた。
「……はい、じゃあもう日も暮れましたし初犯ということで今回はここまでにしますが、次はありませんからね?わかりましたか?」
深夜の繁華街でいかがわしいお店に入る所を学校関係者に見つかり止められ、翌日の放課後に呼び出しを喰らったのだ。
高校入学より三か月、結局あれから、自分が外の世界の記憶を持っている、という事を言い出せずにいた焦りが、今回の行為の原因である。
「それと反省文の提出も明日忘れないでくださいね?じゃあ今日の指導はここまでです、外は暗いから気を付けて帰るのよ」
模範囚的態度で指導をやり過ごし、学年主任から解放され、教室へ鞄を取りに行く頃にはすっかり日も沈み真っ暗になっていた。
普段一緒に帰っているクリスやルチアさんには、指導が長引くことを見こし先に帰って貰っている。
期末テストが近いため部活動で残る生徒もいない。
人気のない真っ暗な学校、教室には俺一人。
……あ、これって怪談とかでよくあるシチュエーション
「あら? 貴女がこんな時間まで残ってるな……」
いやああああああ!! ごめんなさいごめんなさい幽霊さんもう悪いことしません神に誓います許してください後生ですからあああ!!!
「落ち着いて! アタシよアタシ!!」
女性の声が耳に響きおそるおそる目を開けてみると、そこにはさらさらの長い金髪、童顔、自称プロ、アラサー。
いやああああああ!! アラサーの姉御だあああ!!!!
「ちょっと、何で机に下に隠れるの!? 人の顔見てその反応は失礼じゃない!?」
そういうセリフは、あんたが今まで俺にした仕打ちを思い出してから言って欲しいよ!
「何よ、ちょっと氷漬けにしたりしただけじゃない!」
「そんなことしてたら苦手意識ついても仕方ないと思うわよー?」
教室のドア方向からのんびりした声が響いてきた。
あぁよかった、前髪さんもいたんだ!
「ねぇなんでミシェルには普通の反応なのよ!?」
「あらあら誰かと思ったらアリエルちゃんじゃない」
「アリエルもミシェルも無視しないでよ!」
そんな事より二人は何でここに……
……ってうん? 今姉御、俺の事名前で呼んだ……?
「え? いや、別にそんな知らない仲でもないしいいでしょう?」
「あらあらあらぁ!?」
はい、そこ、茶化さな……あ、あああ!! い、いやあああ!!
「ちょっと急に叫ばないでよびっくりするじゃない!」
後ろに! 前髪さんの後ろに幽霊が!
「幽霊? 幽霊が何? どうせ実体も無い無害な奴でしょ?」
「それに私達それが目的で来てるのよ」
目的? 目的って何!?
……ってそうじゃない! それよりあいつが!
「幽霊ごときにビビりすぎよ!」
「実は私達、霊術研究の先生と一緒に学校の幽霊退治しに……」
違う、違うのだ。
前髪さんの後ろに現れたそいつは、骨と皮だけのガリガリの手足に、くぼんだ眼孔、ぼさぼさの髪に無精ひげ、どう見てもホラー映画に出てくるような白衣の化け物で……
そいつは! そいつは今まさに前髪さんの肩に手を!!
「いやあ探したよ! ミシェル君にレイチェル君こんなところにいたのか!」
「ひゃあ! びっくりした! ……ってなんだ先生じゃないですか」
「相変わらず声大きいわね」
きゅう。
「アリエルちゃんは知らないわよね? この人は3年の霊術授業のモーゼス先生で……あら?」
「おーい、どうしたアリエルー?」
「なぁ君達、この金髪の子はどうしてこんなところで寝てるんだ?」
「……たぶん先生を見て気絶したのかも」
「え? 僕のせい? なんで?」
「あれ? もしかして自覚無しでその恰好を?」
「そんなことより今はアリエルちゃんよ、このままここに置いとくのもあれだし一緒に連れてきましょうか」
「よくわからんが今日の仕事は人手は多い方がいい、それがいいかもしれないな」
「ねぇ本当に自覚無いの先生!?」
<<5分後>>
離せえええええ!! 俺はこんなところにいられるか!! 家に帰らせてもらう!!
「帰ってもいいけど今この時間は学校中幽霊だらけよ? アリエルちゃん一人で帰れる?」
ごめんなさい調子乗ってましたほんとすんません。手繋いでもらってもいいですか。
「はいはいしょうがないわねー」
「アンタ本当にヘタレね……」
気絶から目覚めると、そこは幽霊の巣であった。
正確には学校の職員室前。
昼間学び舎であった場所は、今や幽霊達が自由気ままに飛び交っている冥府の一丁目となっていた。
廊下から教室から校庭から、どっちを向いても幽霊幽霊。コワイ。タスケテ。
「ハハハハハ!! 幽霊が! 幽霊が一杯だ!! やはりこの時期はいい! 命の河へ還る前の魂が一杯だ!」
絶望する俺の目線の先。
化け物みたいな人間のモーゼス先生は飛び回る幽霊に興奮し、虫取り網を振り回して子供みたいに駆けまわっている。
無邪気に駆け回るその姿はホラー映画のワンシーンにしかみえない。
「知っているかねアリエル君! なぜ幽霊がこんなに集まるかを!」
どうでもいいです知りたくないです。何も見たくないです。目を瞑ります。
「アンタ本当にビビりね……」
「この幽霊たちは! 皆マナラインに惹かれてやってくるのだ! 死に至り、魂を洗浄され、命の河に還り、再び生を受け転生する! 自然の流れ、命のサイクルの隙間のほんのわずかなモラトリアム! この光景がまっさにそれだ! 実に美しい!」
あーあー聞こえなーい!
目も瞑ってるので何も見えなーい!
「ああ美しい! またぐらがいきり立つ! 服なんか着てられない!!」
ちょっと待って! 今何か恐ろしいことが聞こえたんだけど!?
ねぇ前髪さん! 何が起こってるの!? 色んな意味で目を開けるのが怖いんだけど!
「見ない方がいいと思うわ……」
「ひゃあああっほう! 肌で直に感じる幽霊の感触! 素晴らしい! ほら見たまえアリエル君! この幽霊なんて触れただけで真っ赤になったぞ!」
ねえ今なんか生暖かい吐息が頬に触れたんだけど!?
どっちかな!? これ幽霊と先生どっちかな!?
「見ない方がいいと思うわ……」
「ところでアリエル君に一つ聞きたいことがある!!」
いやあああ!! 何か当たった!! どう考えても人の手じゃない何かが俺の肩に!!
「あー、それは先生の……」
言わないで!! それ以上言わないで!! 聞きたくない!
「アリエル君! 君は筋力に自身はあるかね!」
ひゃあ!? 急になに!? 人並み外れた力は持ってないよ!?
「なに、これから行う仕事にはどうしても筋力が必要だからね!」
「アリエルちゃんはたしか平均よりやや高めの身体能力だったと思うわ」
「素晴らしい! まさにうってつけではないか!」
ねえなんでナチュラルに俺も手伝う流れになってるの!?
「手伝えば内申あがるぞ」
「バイト代も出るわよ」
「それに早く帰れるわ」
やります! やらせてください!
進級できるか不安になってきたんです! 今月財布も寂しくて!
「よし! 人手ゲット!」
「言質を取ったわ!」
「録音オッケーよ!」
「事後承諾だけど愛さえあれば問題ないわよね!」
あれ? なんか不穏な空気が……
「途中で逃げるなんてダメよ?」
……何をやるか聞いても?
「「「悪霊退治」」」
Oh my god!!
「安心したまえ! 危ないことは我々でやるからな!!」
「貴女はちょっと荷物もってて貰えればいいから!」
「装備が嵩張る上に重くてさー」
ねえ何させられるの!? 俺今から何させられるの!?
「アリエルちゃんはこれ持ってればいいわ」
なにこれ掃除機?
「この特殊な掃除機で悪霊を吸い取るのだよ! これだけ幽霊がいっぱいいると二~三匹は必ず混じるからね!」
「吸えば吸うほど重くなるのよね、質量なんて無いはずなのに」
「ほうら、早速一人目がこちらにやって来たよ!」
化け物先生が指差す先、廊下の端の暗がりに、赤い服の女が姿を表した!
長い髪を振り乱し、こちらに走り狂う姿はまさしく……まさしく……
あれ? あいつ見覚えがあるぞ?
「あれは学年主任のレヴィン先生ね」
俺に指導していた女教師か!
「あの人まーた悪霊に取り憑かれてるのね」
"また"って何!? いつもの事なの!?
「ここ最近は毎日取り憑かれてるわ」
「学年主任ってぐらいだし夜まで残ってやる仕事も多いんじゃないかしら?」
「アリエル君まずはそこで見ているがいい! 私が除霊のプロとして手本を見せてあげ、がはっ!?」
赤い服の学年主任は瞬きする間に間合いを詰めると、目にもとまらぬボディブローで化け物先生を悶絶させる。
さらにそこから追加で放たれた主任のベアハグで、化け物先生は完全に沈黙した。
コンマ数秒の早業である。
「そんな馬鹿な!? 以前より強くなっているわ!」
「きっと前より強い悪霊に憑かれたのよ!」
悠長にしてる場合じゃないよ!? どうすんだよあの主任!
除霊のプロが泡吹いて失神したんだぞ!?
「あら? 私達は何度もあの主任を相手にしてるのよ? 対策は織り込み済み! 精神的ダメージで悪霊を追いだすのよ!」
「そうそう、基本は前のコメットさんの時と同じで……」
「ではちょっと失礼して」
姉御の言葉を遮り前髪さんは軽く息を吸い込むと、大声で叫び始めた。
「あ、ちょっとミシェル待っ」
「やーいやーい独身アラサーの学年主任! 年増! 行き遅れ! 厚化粧!」
「ぎやぁああ!!?」
「ぐぉおおおお!!!?」
「ほらこの通り、学年主任もこの様よ」
流れ弾で姉御も悶えてますが!?
"独身アラサー"のあたりでもう虫の息になってたんですが!?
「これはいわゆる"やむを得ない犠牲"というものよ」
どうすんだよこれ、姉御このままじゃしばらく戦闘不能だよ?
「大丈夫! とりあえず主任はもう肉体から悪霊が飛び出るはずよ! 掃除機を構えて!」
……
……
……?
出てこないよ?
「あっれれー?」
あっれれー? じゃないよ! 何ぶりっこしてんだ!?
「これはもう一押しなにか精神的ダメージが必要だわ! アリエルちゃん協力して!」
協力ったって何を……
「ふふふ! 私に良い考えがあるわ! 私の言う通り主任の耳元に囁くのよ!」
前髪さんから秘策を与えられ、俺は身悶えしている主任へ接近する。
距離10、互いの吐息が顔にかかる距離。
前髪さんの"良い考え"を炸裂させる。
"先生、実はずっと前から……好きでした! 愛してます!"
「先生と生徒の禁断の愛! これで揺らがない教師はいないわ!!」
「が……ぐ、ぎぎ?」
ねえ前髪さん! 全然効いてないんだけど!!
「あっれれー?」
あっれれー?じゃないよ!! ねえどうしてくれんの!?
俺、告白するの人生初なんだけど!! 俺のバージン返してよ!!
「まさか主任、すでに好きな人がいるとかじゃないかしら!?」
何言ってんだよ! あんないかにもな堅物にそんなのいるわけが……
前髪さんの指摘にある考えが頭をよぎる。
先程悪霊に取り憑かれた主任を見たとき抱いた一つの違和感、ある一点で交錯する。
再び距離10、互いの吐息が届く距離。
"主任、もしかして霊術のモーゼス先生好きなんですか?"
「ぎやぁあああああああ!!!?」
「出た! 悪霊が出てきたわ!?」
ただの推測であったがまさか本当にあの化け物先生が好きだとは……
「ねえなんでそういう風に思ったの?」
一日二日ならともかく毎日取り憑かれるというのはどう考えても不自然なのだ。
彼女はこの学校の先生なのだから、毎年恒例の幽霊の大発生に対策もなしで居残るなどありえない。
なによりボディーブローで相手の頭を下げた後は、かつてのルチアさんがしたようにDDTやスープレックス等の投げ技が有効なのだ。
ベアハグ等という技を選ぶ必要はない。
「レヴィン先生……まさか、そうだったとは……」
あ、怪物先生復活した。
「先生、主任の思いにどう答えるんです?」
学年主任はなんやかんやでエルフの女性だ。
美人でスタイルもいい公務員、化け物先生には不釣り合いな程度に優良物件であるはずだが。
「すまないが僕は生身の人間には興味ないんだ」
「あらまぁ……それは……」
「そもそも、この人の事あんまり知らないからね……」
「積み重ねって大事ねー」
……これ主任に伝えた方がいいのかな?
「残酷だけど伝えた方がいいと思うわ、隠したままにしていたら、きっとまた悪霊に憑りつかれるわ」
「曖昧なままにしておくのが、一番残酷なことだからね、本人にとっても、周りの人にとっても」
10分後、幽霊だらけの学園に妙齢の女性の叫びが反響する。
儚い大人の冬の恋が、ひとつ終わりを告げる音であった。
だがそんなことはどうでもよく、ある言葉が俺の中で反芻される。
"曖昧なままにしておくのが、一番残酷なこと"
俺は友達に隠し事をしている、前世の記憶がそのままあることだ。
入学から三か月、もう半月もすれば冬休み。
腹を括るには少し遅すぎた気もするが、ヘタレの自分にはちょうどいい時期かもしれない。




