7話「マッスル後奏曲」
学校近くのオフィス街。
様々なビルが立ち並ぶその街を西へ西へと進んでいくと、ビルの狭間に十字架を掲げた古く大きな教会が見えてくる。
"西方正教会"と呼ばれる教会だ。
俺は赤毛と共にその教会へやってきていた。
教会の噂を聞いたうちの赤毛が、"礼拝に参加してみたい!"と言って聞かなかったため、休日に二人で訪れたのだ。
時刻は8時ちょうど、週末の今日は安息日。
聖堂内は広く、体育館ほどのスペースがあるが、広さに対して椅子の数が少ない。
二人で古びた椅子に座って待っていると、ステンドグラスの真下の壇上に若いシスターと神父が並び立つ。
壇上の神父がマイクを持つと、少ない参加者達も居住まいを正す。
それにならい俺の隣の赤毛も姿勢を正す。
こういった雰囲気は前世を思い出してどうにも苦手なのだが……
「はぁーい!敬虔なる神の信徒さん! 今日もミサの時間がやってきたわよ!」
「まずは準備運動! 腰を固定して脇を閉め、上半身を左右に運動させるマジカル・ラグだ!」
突然神父とシスターが修道服を脱ぎ捨て、シャツとハーフパンツでエクササイズを始めだした。
軽快なBGMがオルガンから鳴り響き、参加者達も倣って筋肉を躍動させる。
意味がわからない!
え? 何これ? 何これ!?
「ヘイ、そこのシャイガール! じっとしてないでカモンカモン!」
え!? シャイガールって俺!? 俺もやらなきゃダメな奴!?
「教会ってこういう運動する所じゃないのエリちゃん?」
教会ってそういう所じゃなくね!?
「さあさあプログラムはノンストップでどんどん進むわよ!」
「今日は日曜入門編! 筋肉を一から苛め直すハードスタイル! きついかな? 辛いかな? もしそう思ったのならいい兆候だぞ!」
「それはあなたの筋肉が生まれ変わる前兆! この礼拝で新たな自分を作り上げるのよ!」
礼拝……!? これ礼拝なの!?
「ミサはまだまだ始まったばかり!」
「今日も神に感謝し楽しくいきましょー!!」
「エリちゃん! 早く始めないと置いていかれるよ、ほら!」
疑念を抱く俺を、クリスが強引に巻き込んでそのままエクササイズに参加させる。
総時間30分、休憩なしの有酸素運動で全身くまなく虐め抜くハードプログラムであった。
死ぬ……素人にこの運動量はマジで死ぬ……
「さぁ次で今日のプログラムは終了よ、みんなお疲れ様! この安息日をあなた達と迎えられたこと、本当に感謝しているわ!」
「最後は神様にむかって報告だ!」
「せーのっ!」
「ビクトリー!!」
ぜぇぜぇ……び、ビクトリー……
「お疲れ様ーッ! 今日もよく頑張ったわね!!」
「また来週のミサで会おうな!」
……俺の知ってるミサと違う。
「エリちゃん! 私ミサ初めてだけどこれすごく楽しいね!」
汗だくの赤毛がはしゃぎながら話しかける。
なんでこいつは平気なのだろう?
「あれ? もしかしてエリちゃんミサ楽しく無かった?」
いや楽しい楽しくない以前にこれミサと違くない? 礼拝要素なくない?
"お客様、どうなされましたかな? 何か当教会のミサに不満でも?"
俺達の会話を聞きつけ、年老いたシスターが俺の肩に手を置いてきた!
動きが素早い! 肩にかかる力が妙に強い! コワイ!
違います! 何でもないです! 別に不満なんてこれっぽっちも!
「あ、シスターさん! なんかエリちゃんが"ミサが違う"って」
なに余計なこと言ってんだこの糞赤毛!!
「あぁなるほど、他国のミサを知っておるのか……好都合じゃな」
老シスターの目が獲物を捉えたハイエナの如く光始めた!
俺の心の松茸が警鐘を鳴らす、地雷を踏んだと叫んでいる!
「我々は貴女のような博識な方を待ち望んでおった! シスター・クラリス! この方を"VIPルーム"へ!」
「はい、ただいま!」
ちょっと待っておかしくない!?
ねぇ、普通こういう時って俺の意思確認するでしょ!?
ねぇ、何で二人がかりで俺の脇を抱えるの!?
ねぇ、これVIPって待遇じゃないよね!? 異端者を確保する時の待遇だよね!?
「シスターさん! 私は!? 私もエリちゃんと一緒の部屋行きたい!」
「なんと素晴らしい友情! 貴女もぜひご一緒にどうぞ!」
離せ! やめろ! 面倒事は嫌だ! せっかくの休日なのに! 誰か、誰かたすけ
午前8時40分、俺と赤毛は教会奥の扉へと連れ込まれた。
周囲にいた参加者は、何もせずただ温かい目で俺達を見つめるだけだった。
数分後、教会地下の隠し通路。
黴臭くて仄暗い、じめじめした通路をひたすら歩かされている。
先導するのは先程名前を呼ばれていたシスター・クラリス、修道服を纏った小麦色の肌の銀髪美女だ。
しんがりをつとめるのは先程俺の肩を掴んだ眼力婆さん。
逃げ出せないよう挟み撃ちにされている。
「シスターさん、VIPルームってまだなの?」
「もう着きましたよ」
先頭を歩いていたシスターさんが横にずれる。目的地に着いたらしい。
通路の終点にあったのは広い空間と中央に鎮座する禍々しい銅像、その手前には枯れた古い噴水が。
「これはこの教会の中枢、我々ダークエルフを代々支えてきた命の泉じゃ」
「信仰を捧げることで邪神様がプロテインを授けてくださるのです」
「……エリちゃん、私この人達が何を言っているのか全然わかんないんだけど」
偶然だな、俺もだ。
邪神様はまだしもプロテインってなんだ。
あとさらっと言いやがったがダークエルフってなんだ、普通のエルフと何が違うんだ。
「百聞は一見に如かず! シスター・クラリス、いつものあれをやるのじゃ!」
「はいッ! お婆さま!」
我々の疑念を無視し、シスターさんは修道服を脱ぎビキニ姿の出で立ちに。
黒光りする筋骨粒々のその姿は、エロさとは程遠く神々しい。
「なるほどこんなに黒いからダークエルフ……」
違くね? ダークってそういう意味じゃなくね?
邪神に仕えているからじゃね?
「さぁ受け取ってください邪神様! これが私の信仰です!」
シスターはそう叫ぶと両腕を上げ、自慢の筋肉を隆起させる。
意味がわからず呆然とする俺と赤毛。
ひたすら笑顔のシスター・クラリス。
混沌とする噴水前で眼力婆さんだけが一言呟く。
「ナイスバルク」
すると噴水の天頂部より白い液体が顕れ吹き出した。
プロテインである。
シスターの祈りを受け、無からプロテインが生まれ出でたのだ。
「これぞ邪神様が我々に与えてくださる恵みなのです」
「しかし、近年そのプロテインの採掘量は減るばかり!」
「さぁ! 我々が貴女をここにお連れした理由、もうお分かりでしょう!」
ごめんなさい、何一つ分かりません。帰っていいですか?
「貴女の信仰と我々の信仰、そのすり合わせを行いたいのじゃ」
「プロテイン減少の理由は、現在の信仰方法が間違いだからなのでと思い始めたのです」
「これ以上ないベストマッチだと思うけど!?」
「しかし今まさに採掘量の減少というデータが示されているのですぞ!?」
神様の思し召しを数字で測るのはどうなのよ?
「そうはいっても泉より採掘されるプロテインはこの教会の財政の根幹」
「このままでは信徒の方々が飢えてしまうのです」
「売ってるの!? 邪神様の恵み売ってるの!?」
無礼にも程があるんだけど! 原因それじゃねえの!?
「邪神印のプロテインは千年以上続く伝統工芸! よって問題は何一つない!」
千年前からこんなこと続けてんのあんたら!?
「神様マンネリしてないかな?」
「そう、それ! マンネリです! かつて同じ問題で悩んだ同志達は、異国の信仰を取り込むことで邪神様を満足させたと聞きます!」
「我々もそれに乗っかろうかと思うてな!」
罰当たりにもほどがある……
「そう思うのならお主の考える正しい信仰をわしらに教えてくれんかのう」
「貴女が嫌というなら、お友達の方でもかまいませんが?」
おい馬鹿やめろ! うちの赤毛に話を振ったら……
「なるほどわかったよ! 私、頑張って邪神様を満足させてみるよ!」
ほらこうなった!!
「一番! クリスティーナ! 一発芸します!」
「は?」
ああもう! 何しようとしてんだ馬鹿!
これ邪神なんだよ!? 迂闊なことは止めろって!
「いかんシスター・クラリス! その馬鹿を止めるんじゃ! 邪神様の怒りに触れたらこの場の全員何が起こるかわからんぞ!」
「無理です! もうあんな所に!」
俺達の叫びも空しくクリスはすでに遠く邪神像の下にたどり着く。
こういう時だけ無駄に足が速い。
「糞! あやつ一体何するつもりなんじゃ!?」
碌なことにならないのは間違い無い!
「でも、あの人今日のミサでもいい筋肉してましたし万が一ということも……」
「邪神様! 私、ゴリラの物真似します!」
死んだわ。俺ら全員ここで死ぬわ。
「もしかしたら邪神様ゴリラ好きということも……ことも……」
わずかな期待を抱いていたシスター・クラリスの表情が、ミリ秒単位でじわじわと苦虫を噛み潰していった。
うちの赤毛が物真似を始めたからだ。
それはゴリラと似ても似つかぬ名状しがたい珍妙なナニカだったからだ。
「終わりじゃ……わしらは終わりじゃ……」
だが、眼力婆さんの予想に反し。
「あれ? 泉のプロテインが増えました!」
「邪神様がお悦びじゃ!」
なんでこの糞みたいな芸で!?
「"ドラミングを握り拳じゃなく手の平でやってるのがポイント高かった"って」
邪神様、ゴリラに詳しすぎない!?
「それよりこやつなんで普通に邪神様の通訳を?」
「あと、次エリちゃんの番だって!」
え!? え!? 急に言われても!
「さあさあさあ早く早く!!」
急かすなよ! 讃美歌でも歌うから!
「無難なチョイスじゃのー」
「悪く無いですよ金髪さん!」
えー、おほん。
"汝の為に我が歌を捧げん
主よ御許に近づかん"
「む! これはうエルフの国で昔から使われる讃美歌じゃな」
「おぉ! うちの教会の聖歌隊より格段に上手ですよ!」
「かなりのプロテインを期待……あれ?」
「プロテインの勢いがぐんぐん減ってます……」
な、なんで!?
ゴリラの物真似より悪いってこと!?
「"そういう歌は聞き飽きた"って」
しまった! 邪神のニーズを読み違えてしまった!!!
「でも歌ってるエリちゃん可愛かったから勝手に加点するね」
「ああ! プロテインが増えました!」
さらっと何やってんだお前!?
「ふふふ! 邪神様が私を操るとき! 私もまた邪神様を操りグエッ!?」
「赤毛さんの首がおかしな方向に曲がりましたが!?」
「怒られちゃった……」
そりゃそうだ。
「でもどうしましょう!? またプロテインが元の少なさに戻っちゃいました! このままでは我が教会の財源が!」
「仕方あるまい、どうやらわしの出番のようじゃな」
眼力婆さん!
「わしは500年以上忘年会の一発芸大会でラストバッターを務めていた! 故に付いたあだ名が年忘れババア!」
おお!
「わしのとっておきの一発ギャグなら邪神様も大いに満足してくれるはずじゃ! いざ我が芸をみませい大いなる主よ!」
婆さんの後ろから巨大なオーラが!
これは期待でき……あれ?
「プロテインが完全に止まってしまいました……」
「な、なぜじゃあああああ!!」
「"前フリが長すぎる"だって」
婆さん相手には採点厳しいな!?
「我が主よ! どうかわしにもう一度チャンスを……」
「"それではすべての参加者の芸が終わりましたので今回の結果を発表します"」
「無慈悲!」
なんかもう隠し芸大会見たいになってるな……
「"今回の栄えある一位は……"」
溜めなくていいよ、大体わかるよ3人しか芸やってないもん。
「"シスター・クラリス!"」
「なんで!?」
この筋肉シスター、芸やってなくね!?
「"やっぱりいつも通りのマッスルアピールが一番いい"って」
「おお!さすが邪神様、お優しい!」
「これで万事解決ですね!」
いやいや、何ひとつ解決してないじゃん! プロテインどうすんの!?
「"設備が古くなって出が悪くなってるだけだと思う"って邪神様が……」
「そういえば最後に修繕したのいつだったかのぅ」
今までのゴタゴタは何だったんだよ!?
「"赤毛くんのおかげで会話できたのでテンション上がってしまった、反省している"」
腰低いな邪神様!?
「"君ら異教徒共にも無理に参加さたので詫びにプレゼントを用意した、帰る前に受け取るがいい"」
何から何まで丁寧だな!?嬉しいけど!
「プレゼントってなんじゃろうな?」
「"参加賞はこちら、プロテインです"」
そんなこったろうと思ったよ畜生! いらねえよ!
数分後、俺と赤毛はシスター・クラリスに連れられ無事解放された。
ドラム缶一個分のプロテインを無理矢理手土産にもたされて。
「どうしようこれ……」
正直邪魔……
(異教徒共よ……聞こえますか……?今、貴様らの心に話しかけています……)
うわ!?なんか聞こえる!?
(今我が邪教に入信すると効率的なプロテイン消化法を無料でコーチングいたしますよ……)
いらんわ! 二度と来ねーよこんなとこ!
「割とフランクな邪神様だね……」
(信仰してもいいのよ?)
いつまでいるんだよ!? もう帰れや糞邪神!
現在エルフの国で確認される邪神は約20柱。
いずれもエルフの生活に根付き、これといった害もなく各々楽しくやっている。
世界は今日も平和であったそうな。