プロローグ「エルフの森へようこそ(前半)」
深夜0時00分、高層ビルの立ち並ぶ街の中心部、大きな駅。
薄く雪が積もった初冬の深夜、残業を終えた"俺"は、雪を踏みしめ駅の出口から自宅への帰路についていた。
終電になるまで会社に詰めて仕事をする。
労働基準法も何もあったものではないが、今の俺が勤める会社ではよくあることだ。悲しいことに。
"安心みんなの無差別ローン、どんな職種、どんな年収の方でも受け付けます"
"詐欺にご注意! 今期被害増加中!"
"不要パーツ高値買い取り! 生体パーツ、義肢のことなら当社にお任せ!"
人っ子一人いない駅前の大通りは、広告用の看板がいくつも並んでいる。
そして煌びやかな看板には、それぞれの企業が採用した宣伝用のイメージガールが添えられている。
彼女達はいずれも美人で扇情的、なので……
「こういう美人なお姉さんのスカートに、顔つっこみたいな……」
そう思うのも当たり前の事だろう。口に出してしまうのも当たり前だろう。
残業疲れの頭だからなおさらだ。
公序良俗に反する言葉がつい口をついてしまったが、しょうがないことなのだ。
決して俺が変態というわけでは無……
"そこの貴方! ちょっといいですか!?"
「うわああ!! ごめんなさいごめんなさい!! 俺が悪かったです、俺は変態でした! 通報だけは! 通報だけは勘弁……」
"貴方だけに、今だけの特別サービス! 当社ELFでは期間限定、無料での……"
「通報はやめ……って、なんだ広告か……」
駅前の広告看板には、こういった音声が流れるタイプの看板もある。
夜に出くわすと、口から心臓が飛び出そうになることもしばしばだ。
最も、大抵は一定時刻で電源が落ちるようになっているため、こんな時間に遭遇する事はめったに無いのだが……
"ちょっと、聞いているんですか? 貴方に話しかけてるんですよ! そこの貴方!"
!?
……広告のイメージガールが話しかけてきた。
自立AIでも搭載しているのだろうか、広告看板としては珍しい。
"おお、ようやくこっちを向きましたね! どうですか、我々の仕事に興味ありませんか? あなたのお願い叶えますよ?"
広告看板の女性AIは、セリフに合わせてコロコロ表情とポーズが変わる。
相当優秀なホログラムを搭載しているようだ。
「しかしまぁ、願いを叶えるって……」
胡散臭いにもほどがある。
"おやおや信用されてないのです? あ、もしかして代金の心配ですか!? 大丈夫ですよ! 今なら期間限定、貴方だけに! 無料で願いを叶えます!"
"無料"、"貴方だけ"、"期間限定"、詐欺の常套句ばかりである。
このポンコツAIは、すぐ近くにある"詐欺にご注意!"の看板が目に入らないのだろうか……
それとも知っていてなお、知らぬ振りして自分の役割をこなしているのだろうか……
少し哀れになってきた。
"お! 私の話聞いてくれますか!? お願い言ってくれますか!?"
このポンコツAIを哀れに思うのは事実、少しならかまってやろうとは思う。
しかしこいつの話が胡散臭いのもまた事実。
故に、ありえない事でも注文して、"その願いは叶えられません"と言わせてやろう。
向こうは役割を全うできて、こちらは無傷。win-winだ。
だから……
「わかった、俺の願いを言おう」
"おお!! 助かります!!"
「美人な生身のエルフのおねーさんをファックしたい」
"お、おお……"
ELFなんて会社名だ、"エルフ"くらい知ってるだろう。
この世に実在しない、アニメやマンガだけの架空の存在、エルフ。
それも"ファックしたい"なんてあやふやで、後からいくらでも難癖がつけられる表現だ。
こんな願い叶えられるはずがない。
"ま、まぁなんですか、人の趣味なんて色々ありますからね……否定はしませんヨ……?"
AIの癖にヒいてんじゃないよ。
"まぁまぁでも、そういう願いなら叶えるのは余裕綽々です! まかせてくださいな!"
……ポンコツのくせに随分大口を叩くAIだ。
"あ、でも願いを叶える代わりにですが……貴方の一番大事な物を頂きますので"
「……大事な物?」
"家族とか恋人とか、人によって様々ですが"
そんなものがいたら、こんな残業だらけの仕事はしていない。
「面白い、取れるものなら取ってみろ」
"おお、ありがとうございます! 契約成立ですね! それではあなたのお願い叶えましょう!!"
……つい、"どうせできっこない"等と挑発してしまったが、気が付けば俺は相手の条件を呑んでしまっていた。
もしかしてこれ、新たな詐欺の手口だろうか。
しかし、お金に関する契約書などは何もないわけで、俺は騙されたのではないわけで……
"ふっふっふ、古き者たるこの私にはその程度、造作もない願いですよ!”
古き者って何だ、悪魔か何かか。
”ようするに、エルフの国に招待すればいいんですよね! 簡単ですよ!"
願いが曲解されてる!?
"さぁさぁ目を瞑って下さい! 3、2、1、で貴方はエルフの国の住人になっていますよ!"
そんなしょぼいマジックみたいな……方法……で……なるわけ……
あれ…………?
気が付けば、広告の看板から赤く淡い光が放たれている。
その影響か俺の意識が急速に薄れていく。
このポンコツAI、いったい俺に何をした。
まさか本当に悪魔か何かか。
"うむうむ、魔法は成功ですね、失敗しなくて良かった! それでは良い来世を送ってください!"
魔法ってなんだ、そんなファンタジーみたいものがこの世にあるのか、このポンコツAI はまさか本当にエルフの国の住人なのか。
そんな疑問も、やがて黒く塗りつぶされていく。
薄れていく意識のなか、ポンコツAIの声が脳に響く。
"次に目が覚めるとき貴女はこちら側の住人です、歓迎しますよ、「エルフの森へようこそ!」"
広告看板から放たれる言葉はそこで終了、同時に俺の意識も完全にシャットアウト。
これが、俺のこの世界での最後の記憶となった。
……
……
……それからどれくらいの時間が経っただろう。
やがて意識が戻り、目を覚ますと俺は"エルフ"の赤ん坊になっていた。
異世界転生というやつである。