夏への扉が嫌いでもハイラインのことは嫌いにならないでください
「ロリコン!」
「だから言ったじゃん」
佐野さんは入ってきて言った。うん、そう思うよね。気持ちはわかるけど居酒屋入って第一声が「ロリコン」っていうのはなかなか不審者じゃあないか?でも顔がいいから大丈夫のか?
「『夏への扉』日本じゃ大人気ですよ」
「ご都合主義というか、いやー、ないな。うん、ない」
「ここ、キャッシュオンなんでお金を出しておいてくださいね」
1人で飲んでいるところにLINEがきたので場所を伝えたら早々にやってきたけど、暇なのかな。
ネクタイはすでになく完全に呑む体制だ。佐野さんはSEだけどスーツ着なきゃいけない系の会社なのね。
「そしてお前は次にこういうだろう『なんかバックトゥーザ・フューチャーに似てますね』と」
「なんでわかるんですか!」
「お約束すぎて神林しおりも怒らないレベルだから」
座って一通りの注文をすませ、私の鳥刺しを食べる。
え? 座って? 注文して? 割り箸を割り、鳥刺し最後の一切れを、口に、入れた……?
大事に大事にとっておいた鳥刺し……。
「それ、最後にとっておいたのに……私の鳥刺し………殺す」
「うわあ、すみません!すみません! あの、すいません! 鳥刺し追加で、あと俺の頼んだホッケの刺身全部食べていいんで」
「許す」
ホッケといったら干物だと思っている私に驚くべきメニュー、ホッケの刺身。や、海にいるんだし、干される前の状態だってあるよね。お刺身にだってなるよね。でもこれまでの29年の人生でホッケの刺身なんて見たことがなかった。
迷ったところでお肉のお口だった私は鳥刺しを選んだんだけど、次は絶対に食べようと心に誓っていたんだよね。
はっ!? その逡巡すらも見抜かれていたのか!?
「てっきり残してあるのかと思って、ほんとすみません」
「いや、自分で頼んで残すってしないですよ。ま、まあホッケの刺身と追加鳥刺しで手打ちにしてあげますけどね。」
佐野さんは申し訳なさそうにビールをすすった。お通しの煮物の豆を1つ1つ箸でつまんで食べている。綺麗に豆を掴むのでじっと見ていると、非常に恐縮している佐野さんがなんか気の毒になってしまい話題を変えてあげることにした。
「夏への扉、どうでした?」
「あ、いや、あれ、なんつうか、なしでしょ」
「なしとは?」
「勧善懲悪でスッキリするハッピーエンドになってるけど、あのロリコンエンドは、なしでしょ」
「殿方はああいうのがお好きなんじゃないんですか?」
「いやー、あれはー……。主人公はそもそもあのクソ女、失礼、ちゃんと年相応の恋愛をしていたのに相手が最悪だったからとかまあ理由はあるにしろ急に10歳にって。読み飛ばしたのかと思ってページ戻りましたよ」
佐野さんの献上品ホッケの刺身を一切れいただく。うま! ホッケって刺身だとこんなに美味しいんだ。知らなかった。私これ好きな味だな。でもなんでないんだろう。ホッケの干物はどこにでもあるのに。これからはメニューにあったら絶対に頼もう。
「まあロリコンエンドはおいといて、面白くはあったでしょ?」
「確かに嶋井さんのいう『古いガジェットのSF』っていうの意味がわかりました。iPhone的なタッチディスプレイがないからですかね?」
「でも家庭用ロボットは普及しつつあるとか、未来はそうなってるけど、なんか古いというかローテクな感じしますよね」
テクノロジーが古くて未来感消えるの、昔のSF読んで見たらあるある。オールタイムベストは確かにベストなんだけど、これは60年代に書かれましたとか前提がないと面白みが減るものもあるのは事実。結構私たちって未来に生きちゃってるし、死なないし。
「1970年から30年の冷凍睡眠だから2000年。そうすると窓拭きロボとか掃除ロボってすごい、か……いや、ルンバがいるからなかなか妥当な」
「その割には家庭にパソコン的なものがある気配がしない。ダンの製図に使ってるものはそれ専用のものなのか家庭には必ずあるパソコンなのか……」
「確かにパソコンは普及してもCADがパソコンユーザー全員使えるってわけでもないし、そういう意味では正しいのか?」
「結局あの時代のパソコン的なものってどんなのなんだろ、メモリーチューブって言われるとどうしても水を撒くチューブを想像しちゃうんですよね」
「YMOのタンスシンセ的な。確かに」
「ちなみに佐野さん初マシンは?」
「……iMacの青」
「うわぁ、それっぽーい(笑)」
「え、俺馬鹿にされてんの?」
バカにはしてないけど、iMac使ってそうな顔っていうのが人に対して褒め言葉なのかは判定が難しい。ホッケもいただいたしこれ以上は黙っておこう。
佐野さんは自分の「初マシンiMac顔」について悩んでるのか顎に手を当てて考えている。真剣に悩む顔は本当にイケメンで笑ってしまう。なんでこの人居酒屋で私と「夏への扉」の話して呑んでるんだろ。
「金がザクザク出てきてもCPU、まああればだけど色々精密機器には使えるのになんか無駄遣いしてる感じするのは俺だけなのかな」
「ユートピアのオマージュじゃないですか?」
「ん?」
「小説ですよ。ユートピア。貧困も争いもない美しく平等な国、ユートピア。金は奴隷の足輪に使われていて、軽蔑するものなんですって。そもそも軽蔑するってことは価値があったからこそ生まれてくる価値観だと思うし、そもそも自由で平等なのに奴隷がいるって変だし。まあとにかく『金という高価な希少価値のあるものが無価値になっている状態は幸せで平和な素晴らしい未来』ってことにしたいんじゃないかなと」
知らなかったとつぶやきながら佐野さんはビールを飲み干し、鳥刺しとホッケを頼んだ。最初に頼んだ鳥とホッケは私のお腹に収まり、佐野さんはまだお通し以外食べていなかった。すまん、いや勝手に私の鳥刺し食べた罰じゃ。
私も鳥レバ刺しを頼む。生肉が好きな罪深い私をお許しください。あとお好み焼きのタネも半ナマでいけちゃうタイプでごめんなさい。先生ごめんなさい。
「嶋井さんはいつからSF好きなんですか」
「……ゴセシケ」
「なんですか」
「合成神経細胞群塊、略してゴセシケ。「合成怪物の逆襲」っていうタイトルのSFこども図書館というシリーズで子供たちは図書館で出会いトラウマとSFを植えつけられる……」
「知らないなー」
……。
「ってSFエリートたちは言うんですよ。子供の頃から読んでましたってね……。」
「読んでたんですか?」
「読んでないよ、ゴセシケにトラウマ植え付けられてねーよ! どーせ私はあさりよしとおの『まんがサイエンス』と『なつのロケット』からののわかSF読みですよ」
なんだかんだアイテムはお金をかければ蒐集できるけど、経験だけは手に入らないのだ。子供の頃読んだゴセシケ、14歳の時に見たエヴァンゲリオン、雨が窓を叩きつける電車で初めて読んだドラゴンヘッド一巻、雪がちらつくバス停で読んだ氷。どんなに羨ましく思っても、どんなにお金を積んでもそれだけは手に入らないのだ。
古参は未来に、新参は過去に嫉妬し続ける。
「なんでそんなに申し訳なさそうになってるんですか」
「私だってゴセシケはトラウマっていいたい! なんかSFエリートって感じぶりたい! ナチュラルボーンSFしたい! あ、でもあさりよしとおがダメってわけじゃないから。つーか名作だから。なつのロケット、最高だから。夏の季語はロケットだから! 」
「別に張り合わなくていいと思いますし、どっちも俺読んでないんで、十分嶋井さんはSFですよ! ほらホッケ、嶋井さん食べていいから」
佐野さんはいい人だな。
この前も思ったけど、私なんか手間のかかる子供枠? お世話されてる感じ? いやそんな迷惑かけるつもりはないんだけど、でもつい感情触れすぎてヒットエンドランになりがちだよね。私の周りのみんなもこんな感じだけど。
「で、そこからエヴァに出会って、エヴァのサブタイトル元ネタから小説を読んでいって……佐野さんいうてもエヴァくらいは見てますよね?」
「うーん、……ちゃんと見たことはない、かな」
「えー!11歳でドフトエフスキー、14歳でエヴァンゲリオンでしょ!」
「ドフトエフスキーは読んだかな。」
「逆におぼっちゃんだな」
イケメンでお坊ちゃんで結構定時に帰れるってそれどういうトラックに轢かれるとおこるチートなの? それとも人間複数回目?
「今、何回目?」
「え?」
言えないタイプか。
「で?」
「え?」
「次の課題図書、なんですか?」
え、これそういうシステムなんですか? いつのまに「もとちゃんのオススメSF小説コーナー」になってるの?
「そろそろ自分で好きなの選べるはずですよ」
「この前みたいに失敗したくないし」
「失敗を恐れて本が買えるか! ジャケ買い、タイトル買いして、『あ、これなんか合わないかも……』って経験を経て人は大人になるんじゃー! 私もその繰り返しで大きくなってるんじゃー! あとノヴァ急報は失敗じゃないぞー!」
FXと違って財産がとけるわけじゃないんだからどんどん失敗すればいいんだ! と大きな声で言いながら私はいつもamazonレビューで様子伺いしていたりするのは、内緒だ。いや、やっぱ他人の評価はちょっと気になっちゃうよ。
「嶋井さん、次は何買う予定なんですか?」
「私は最近話題の「巨神計画」を買おうと思ってます。表紙から面白さがビンビンなんですよ、あれは絶対面白いですよ。まず表紙がゲキかっこいい!」
「じゃあそれで」
「あ、いや面白いけどわかんないですよ、新刊だから。合うかどうかも全然わかんないし!」
「嶋井さんが面白いと思うので大丈夫ですよ」
夏への扉……ロバート・A・ハイライン著。猫SFアンドロリコンSFとして日本でかなりの人気を誇る。エヴァンゲリオン25話のサブタイトル予定だったもの。
なんかバックトゥーザ・フューチャーに似てますね……バック・トゥー・ザ・フューチャーは1985年、夏への扉は1956年。
お約束すぎて神林しおりも怒らないレベル……バーナード嬢曰く。8話。逆にね、もうお約束になると怒る気も失せるけど、でもニワカの発言に激怒する神林しおりはわたし。
合成怪物……こういう「あのとき読んでおかないといけなかった」ものを読んでいない劣等感。それはオタクが本当に集めているのは物ではなく経験だから。
あさりよしとお……漫画家。エヴァンゲリオン第3使徒サキエルのデザイン。●年の科学の読者だったわたしの科学的なものは全てここに集約されている。
なつのロケット……小学生の夏休み、ロケット。この単語だけで名作間違いなし。90分の映画のように素晴らしい短編漫画。これも幼い頃の神木くんに……。日本の実写が爆死するのは金や技術ではなく、何十巻もある長い作品を2時間にしようとする傲慢な心ではないだろうか。
ヒットエンドラン……走&打つ→躁鬱
11歳でドフトエフスキー14歳でエヴァンゲリオン……SPANK HAPPY「普通の恋」。リストカッターの男の子と性的虐待を受けた女の子がコンビニで出会って普通の恋をする、ウルフルズみたいな歌。