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姿のない目に囲まれているんだ

お酒はだいたい好き。

このだいたいっていうのは「モンテローザ系の居酒屋で出てきても美味しく飲める」っていう意味で。


そりゃお高い美味しいワインがまずいわけないじゃん。レアもの焼酎はレアになるくらいなんだから美味しいに決まってる。

安くても美味しいものはあるけど、そこまでジャンルを理解する前、粗悪品でしか知らない場合は判定前ということでノーカンで好きでも嫌いでもない状態だ。

そんなノーカンなお酒がウィスキー。といいますかウイスキーはハイボールでしかたっぷりと味わったことがない。これでもウイスキーの味わかってるってことになるのだろうか。


てな話をしたら一時期ウイスキーがお好きなようだった佐野さんが美味しいところに連れていってくれるとのことで待ち合わせしたわけなのですが。


「……こういう露骨にバーなお店はちょっと、敷居が走高跳びのバーより高いかな……」


言外に入れなくね?と伝えてみたものの佐野さんには全く伝わっていない。


「思ってるよりラフなんで大丈夫」

「店の名前を聞くの忘れてた私も悪いけど、会社用の粗末な普通のかっこですけど大丈夫ですか、これ」


ビルには沢山のバーの看板が並ぶ。そもそもこういうビルに足を入れたことがない。


「こういうところ、来ないんですか?」

「いかないですよー。だいたいセンベロ。なんか食べたいものがあったらそのお店。基本はみんなでワイワイ好き放題ですよ」

「そっか」


海外では酒を飲むこととご飯を食べることは別として扱うため、パブやバーに行く前にそれぞれがご飯を済ませてから「飲みに行く」らしい。私、外人じゃないから知らないけど。

日本じゃ飲みとご飯はセットだ。だから佐野さんにご飯食べてから行きましょうって言われて適当なダイニングバーで適当な食事をしているときに気づくべきだった。「74秒の旋律と孤独」の話してる場合じゃなかった。


「所詮雑居ビルのバーだから」

「うーん、そんなもんかな?」


ビルのエレベータは狭くて古く、私たちともう1組のサラリーマンで体を寄せ合うほどになった。

佐野さんが気持ち私に体を寄せてくる。サラリーマンの視線を私たちは無視してエレベーターの不安になる軋む音を聞いていた。


ドアは重厚な、セーブポイントがきちんと手前にあるようなドアだった。なんてことは口に出さなかったけど。

入れば壁にびっしりと酒瓶が並び、何かとても良い香り、何かよくわからない花のような薪のような香水とは違う空気に世界が変わったと思った。


漫画で見るようなバーテンが会釈をして「いらっしゃいませ」と言った。その声は静かでこの空間の最低限の音量だった。すごくバーっぽい。

私たちの他に客は一人だけだった。この時間バーにとっては早い時間なんだ。ご飯食べて二軒目、三軒目がバーなんだよな。一人暮らしでいい大人なはずなのに夜遅い時間にお店に入ることに罪悪感を覚えてしまう。


おしぼりとメニューがでてきてバーテンは佐野さんにお久しぶりですと言った。佐野さん的にかなり前に通っていたみたいなこと言ってたけど、バーテンは覚えていた。これ、すごくバーっぽい。

促された席はアンバランスな高い椅子。すごくバーっぽい。静かにジャズがかかっていてバーっぽい。もうさっきから「バーっぽい」という感想しか出てこない語彙力。


メニューを見ても何が何だかわからない。ワインならロマネ・コンティ、日本酒なら獺祭みたいなアイコンがないからこの高いお酒が一般的に評価が高いのか、ただレアなだけなのか、どの価格帯が「普通に美味しい」なのかさっぱりわからない。

飲むならロックかストレートで飲むからそんなに試してみることはできないし、そもそもウイスキーってどれくらいの量で出てくるなの?


「嶋井さん、よくわかんなかったら好みの味を伝えればいい感じの出してくれるよ」


バーテンは私を見て微笑んだ。あ、そっか、こういう会話もバーなのか。

ウイスキー初心者であることなんかをつっかえつっかえで伝えてロックでお願いする。佐野さんは「いつもの」と言った。バーっぽい。

初めての環境に落ち着きのない子供のようにそわそわしてしまう。インスタ映え大好きっ子なら興奮を写真に落とし込むこともできるんだろうけど。


「ロックです」


球体の氷が入ったグラスはとても綺麗で、居酒屋で飲むハイボールとは似ても似つかない。


「わ、美味しい」

「ありがとうございます」


バーテンは出しゃばることなくお礼を言った。


「私が選ばない限りものは出てこないかと思った」

「わからないなら聞けばいいから、向こうはプロなんだから」

「そっか」


薄暗い、ではなく間接照明で程よく光量を落とされた空間はさっきまでのビル街を忘れそうだった。

ふわりと変わるスモーキーなお花の匂いはこれまでかいだことがなく、お酒からこんな匂いがするんだとびっくりした。これは美味しいものだから記憶しておきたいけど、聞いた名前をもう忘れてしまったし、ラベルに書いてある名前は意匠すぎて読めなかった。たぶん聞きなれない単語だから二、三回言ってくれないとわかんないだろうな。


「美味しいし、香りがすごい」

「同じウイスキーなのにこんなに香りが違うなんて驚きでしょ」

「うん」

「嶋井さん今ロックで飲んでるけどストレートはまた違った味になるから不思議だよ」

「はぁー」


これだけのウィスキーがありロックとストレートで風味が変わるなんて、飲み尽くすなんてできそうにない趣味だ。それは日本酒も焼酎も同じだけど。


「今飲んでるのはシングルモルトっていう単一の蒸留所のウイスキーだけど、それだけでも色んな個性があるのに、色々なウイスキーを混合させてブレンデッドウイスキーもあって、嶋井さんが好きな味っていうのはきっと見つかるよ」

「混ぜちゃうの!? そんなことしたら無限に楽しめちゃうじゃん」

「ハイボールで出されるウイスキーはたいていがブレンデッドウイスキーですね」


なるほどー。こういうお酒のうんちくもバーっぽい。

でもブレンデッドウイスキーで好みの味にたどり着くの肝臓が3つあっても足りないんじゃないかな。そして私の「日本酒だと香りがクセのあるの結構好きです」とかいうふんわり注文に答えられるバーテンって、この壁一面のウイスキーを全部飲んで味知ってるってことなのかな。


「ほんとこれ私の好み。すごいなあ」

「前にAmazon barっていう5つの質問に答えるとAIがオススメのお酒を出すっていうのやってたけど、それはちょっと味気ないかなと思ったな」

「そう言っていただけるとバーテン冥利に尽きます」

「人間にしかできない仕事ね、でもそれってすっごく贅沢なことになっちゃうのかな」

「だろうね」


バーテンは自然い静かに消えていた。こういうところも人ならではだなあ。


「パッセンジャーのバーテン」

「?」

「映画。他星系に移住するための宇宙船でトラブルでコールドスリープから目覚めた男女が二人っきりで宇宙船のプールで泳いでバーでお酒飲むんだけど、そのバーはちゃんとバーテンがいるバーなの」

「バーテンも起こしたの?」

「バーテンはアンドロイド。上半身だけで下半身はpepper君。」


アンドロイドを不気味の谷ちょい超えで演じられる役者は素晴らしかった。


「未来的な宇宙船のなかで、そこだけレトロなバーの空間になってるの。別に近未来バーでもいいのにさ、木製のカウンターにバーテンらしいバーテンのアンドロイド。ハリウッドイケメンとハリウッド美女がお酒飲むんだけど素敵だったな。これぞ、想像していたバーって感じで。映画の話的には絶賛面白いとおすすめできないけど」

「見てみたいな」


ここは映画のように二人っきりではないが、他の客を極力意識の外に出すようにカウンターは広い。空間が贅沢だ。


「想像していた大人の世界」

「え?」

「バーらしいバー。大人になればこういうところでお酒を飲むような人になるんだって当たり前のように思ってた」

「確かに」

「ところが現実はまるで成長していない子供のままで、びっくりする。自分がもう30になるなんて信じられない」


大人はもっと大人だと思っていたのに。


「そんなことないよ」

「かっこいい服着て高いカバン持って良いものを食べて高尚な趣味を持ってゆったりと大人の会話しちゃうみたいなこと一度もしたことないよ?」

「そういうことしたいの?」


したいか、したくないかで言ったら。


「あはは、興味なかった」

「それで嶋井さんは困らなかったんでしょ」


港区女子的なエビージョ的なものは興味がない。

でも「猫城記」あげるよって言われたら私はホイホイついて言っちゃうし、そういうマウンティングされたらすっごくすっごく羨ましくて死にそう。私にとっての「猫城記」は港区女子にとってはいけルブタンとかバーキンとかで、固有名詞が違うだけで元になる感情は同じだ。


「でもそういうのが主流派で、主流派は理解者が多くて、人気者で、みんなですぐ共有して楽しめて、正しくて、ダサくない。佐野さんは私と違ってそっち側でしょ?」

「共有してないし楽しんでもない。ただのロールプレイだよ」

「ま、まあ最近はオタクもリア充も垣根なくなってきたっていうかカジュアル派増えたから似たようなもんかな」

「嶋井さんの言うリア充って、なに?」

「え?」

「らしくないとか似合わないって言われるのが怖くて萎縮して、僕がどうしたいかって考えられず流行りだけ気にして、学校という枠組みがなくなったらどうなるのかと恐怖でしかなかった。そういうのが充実したリアル?」


なんでこんな話になったんだろう。


「大人になってもおなじこと繰り返してるだけ。怯えて、軽蔑していたけど、俺にはこれしか知らなくて、それに甘えてただけなんだ。」


佐野さんは飲みすぎたんだろう。二軒目だから。


「嶋井さんは俺みたいなつまらない人間といて楽しい?」


どうして私はそんなことないと言ってあげられなかったんだろう。

74秒の旋律と孤独……久永実木彦著。第八回創元SF短編賞受賞作。こうして受賞作を小分けでKindleで100円で販売してくれるのすっごく嬉しい。

空間めくり(リーフ・スルー)で発生する人間が認識することのできない74秒間を守るための戦闘アンドロイドの話。


パッセンジャー……セットが素晴らしく美しく、素晴らしく美しい男女が、素晴らしくダラダラと時を過ごすって、これもう物語いらないんじゃない?山なくオチなく美しさしかない映画でいいんじゃないかな。とすら思った。


猫城記……サンリオSF文庫きっての大人気レア本。老舎著。基本的に高い。持ってると強い。これ持ってsnowで自撮りしたい。中国SFの波が来ているのでこれも読みやすくなるとありがたいんだけどなあ。

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