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西方の最高なMrs.が書いた

薄々お気づきかと思いましょうが、佐野さんはアニメ漫画芸能など21世紀型サブカルチャーのオタクという地域にお住まいではない。またそういった地域の原住民とはこれまで意識的に交流をされていない人生をすごされている。

これがどういうことかというと、我々のジャーゴンが通じないということと、これまでの歴史を知らず新しく受け取ることができるというのだ。


今、日本で育ち大人になった人間で第二次世界大戦の結果を知らない人はいないだろう。そして第二次世界大戦についての情報を得ずに大人になることは難しいが、もし仮にそういう大人がいたとしたら、あの戦争はどちらが勝つと予測するだろうか。


「貸してくれた『愛はさだめ、さだめは死』読みましたよ。すごい面白いのと読みづらいのと両極端だったな」

「『接続された女』どうだった?」

「あれは面白い。あの話、今だとバーチャルYouTuberの話なんだと思うと、すごいなと。これ結構古い作品ですよね」

「うん」

「あれは別にデブでブスの女でなくても、男でもよかったはず。でもそこは『絶世の美女になって調子にのるブス』を書きたかったんだろうから、意地が悪いよ、作者は。ほんと」

「その調子にのる、もすっごく普遍的な感情だよね。ツイッター見てると。そう考えるとやっぱすごい」


脊椎にプラグ差し込んでのアンドロイドに意識をダイブっていうのは攻殻機動隊の草薙素子が坂本真綾になるくらい見てるので特に感想を申し上げることなく普通のことになっているが、それで超人的戦闘を行うんじゃなくてステルスマーケティグを行うだけっていうのが「驚き」なんだ。ティプトリーのその先見性に。

CMが通用しなくなって芸能人のステルスマーケティングが信用されなくなるに比例して素人が広告塔のようにツイッターやインスタグラムやYouTubeで宣伝し始めている。買ってもらうために顔の加工を増す素人と美しい擬態を操作するデブスのP・バークは何が違うんだろう。


「で、絶対とるなって言われてたこのクリップ、結局なんだったんですか? 本にクリップのあとついちゃったけど」


佐野さんは私が貸した前数ページと巻末数ページにクリップのはさまった本を返しながら聞いた。


「この作者、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは女性なの」

「そうなんだ」


……。


「って、ええー、こんな作品を書くのが男性じゃなくて女性だったなんて〜! とかない?」

「女性作家のSF作品を読んだことがないし、そもそも書くものに性差ってあるもの?」


そういえばそうだった。ル・グィンとか新井素子とか大御所すらも紹介してなかった。私が未読だから。


「……なにも知らない佐野さんがなにも知らないまま読んだらどうなるかって思ったけど、だよね、そっかだよね」

「ジェンダー的な言説は日本じゃまだまだと言われるけど、でもまあ俺らが生まれた頃に比べたら広がって認知はされているし、metoo運動も出てきて意識はしているし。」

「だよね! もう田中美津も上野千鶴子もいる日本なんだもん。サージェントペパーズだってあるし、百年の孤独だってある。最初に出てきたものがありふれてる世界にいるんだもん。その凄さなんて本当には理解できないよね」


私は止めていた前半のピンを外して佐野さんに手渡す。


「これの冒頭でシルヴァーバーグってSF作家が「ティプトリーは男だ」って力説するの。で、女性だってわかって戸惑い恥ずかしいまま「ぜんぜん違ってた」って追記してるの。これがまた面白くて」

「へえ」


文庫を受け取って佐野さんはそのまま読み始めた。


そういえばこれだけ本の話をしているのに、佐野さんが本を読んでいる姿を見るのは初めてだった。なんか人が本を読んでいるところを見るのって、なんか不思議だな。

けっこう本と目、離していて左手だけで文庫を持っている。器用に親指でページをめくり、小指でおさえる。指が長いな。いや、長いんじゃなくて手が大きいのか。右手は膝の上だ。子供の頃のしつけなのか少し背筋が伸びている。前髪が少し邪魔なのか首を軽く傾けて読んでいる。佐野さんは髪染めてないんだ。

上下に文を追っているゆっくりとした目の動きは変則的。ゆっくりと見つめている文はどこなんだろうと思ってじっと見る。佐野さんがクスリと笑う。きっとシルヴァーバーグが「女性という説もあるが馬鹿げている」の部分だろう。これだけ自信満々に言いきって大間違いって今じゃなかなか見られない。


文字と文字を追っていた2つの目が急に私を向く。

じっと見つめていたなんてことがバレたくなくてさっと目を伏せた。


「これだけ自信満々に言い切って、本人から『気にしないで』の手紙が届くなんてなんのフォローにもなってないよな、これ」

「ですよねー。」


相当に驚き、そして相当にショックだったんだろう。その驚きの感情は少し化石化してはいるが今もこうして残っている。

ハヤカワ文庫は電子書籍化の際に解説をカットする。著作権上の関係だそうだ。まだティプトリーは電子書籍化されていないが、このシルヴァーバーグの恥ずかしの序文も「老いたる霊長類の星への賛歌』へのル・グィンの序文も収録されないのだ。


「嶋井さんは最初に読んだ時はどうだったの? 男性だって思ったの?」

「私は『たったひとつの冴えたやり方』を読んだんだけど、エヴァのサブタイトルネタで。表紙が少女漫画的な絵で主人公も少女で、作者の名前もよく考えずに女の人かなって勝手に思っちゃってた」

「表紙どんな絵?」

「これ」

「あぁ」


女の子の旅に出る様子が生き生きとしていて、とても良い少女小説だったから特に何も考えていなかったんだよね。勿体無いことしたな。


「『男たちの知らない女』が物議をかもしたんだろうなというのは想像がつくけど」

「母親と女と地球人。どれにもケンカ売る姿勢は好きだな。できるかどうかは置いておいて」

「嶋井さんもすきあらば彼方へ脱出を試みようとする女?」

「あれさ、なんで宇宙人は連れて行ったんだろう。希望すれば必ず叶うものじゃないよね。選ばれないことだって……なんでもない、話逸れたね」


私がつまんない話をしそうになって、誤魔化す腕力もなくて、冷える空気はほんと最悪。


「男の知らない女」


佐野さんが言った。やっぱりピンとこない。男の知らない女じゃない。


「佐野晶の知らない嶋井素子。かな」

「じゃあ、嶋井素子の知らない佐野晶でもあるわけだ」

「そうそう。私、佐野さんのことなんて全然わかんないし」

「いや、俺結構わかりやすいタイプだと思うけど」

「わからないから面白い、でしょ」

ジェイムズ・ティプトリー ・ジュニア……女性作家が席巻する68年に颯爽と現れたティプトリーは瞬く間に人気SF作家となったが、彼には編集の人間ですらも会ったことがない謎の人物だった。そしてあるとき彼がアリス・シェルドンという女性であることがわかる。ただの女性ではない。幼少期には両親に連れられアフリカや様々な国で過ごし、12歳で自殺未遂。社交界デビューをぶち壊すためだけに知り合ったばかりの男の子と結婚、そして離婚。美術評論のライターから思い立って陸軍へ入隊し写真解析士官としてペンタゴンで働く。終戦間際にはドイツで科学者を合衆国へ連れ帰るプロジェクトに参加、この時ナチスでV2ロケットを開発その後アポロ計画を指揮するヴェルナーフォンブラウンと会っていたかもしれない。このプロジェクトの指揮官と結婚し。除隊後CIAで働くこととなる。フルシチョフの尿を手に入れる作戦を立てるなどして活躍したのちCIAを退職。大学で実験心理学を専攻しその論文執筆最中に気まぐれにSF小説を書き、そして男性名で出版社に投稿した才能溢れる女性である。

彼女のCIA時代のテクニックを用いて76年に正体がバレるまでは謎の匿名作家として、とても良質なSFを書く作家として活躍した。アリス・シェルダンとわかってからも作品を発表し続け、87年痴呆症が悪化した夫をショットガンで射殺し、アリスも自殺する。彼女の人生は最後まで劇的で、その映画のような彼女の一生はどんなSFより、ワンダーに溢れている。


愛はさだめ さだめは死……シルバーバーグによる「ジェイムズ・ティプトリー ・ジュニア作品の筆者は男性だと信じている」という熱いコラムと、追記のティプトリーが女性だとわかって戸惑う様子が愛おしい序文が掲載される中短編集。


接続された女……デブでブスで引きこもりのどうしようもない女がある会社から依頼を受け美少女の義体を操り、広告の禁止された世界でステルスマーケティングをする、というお話。サイバーパンクという言葉が生まれる前、1973年の作品。ちょっとデブでブスって言い過ぎなんじゃないと思われるでしょうが、主人公P・バークの描写はとてもひどく、デブでブスはむしろ控えめな表現だったりする。


ネタバレしないようにページをクリップで挟む……高野文子「黄色い本」で主人公が各章であらすじがわかってしまう「チボー家の人々」を読む際、クリップでページを挟んで開かないようにして読書をしていた。

「黄色い本」は本を読むことが好きな人間にとって大切なあの時間を丁寧に描いている。どんなに自分とかけ離れた世界でも全く縁のない登場人物でも、本を読んでいる間は自分と共にある世界になる。本当に素晴らしい最高の漫画。

当然ながら「チボー家の人々」を読もうとするが現在出ている文庫(全13巻)では雰囲気が出ず最初の一冊も読了できなかったが、黄色い本(全5巻)なら1日で読みきれた。


新井素子……ライトノベル小説の草分け的存在、とウィキにはあるが、私はあえて「ヤングアダルト小説の草分け的存在」と言いたい。その口語体文章は日本に衝撃を与え、多くの人間が新井素子自己紹介が無意識下に刷り込まれた。新井素子はSF界のアイドルとして今も君臨する。本名、手嶋素子。


サージェント・ペパーズ ・ロンリー・ハーツ・クラブ……ビートルズこれまでのヒット曲を収めるアルバムと違い、コンセプトに基づいたアルバムとして画期的なアルバムらしい。が、そういったコンセプトアルバムであふれた現代でこの画期的さは真に理解できない。


100年の孤独……これまでなかったマジックリアリズムなる文学に世界中が驚愕したという。その当時の作家の多くは傾倒しエヴァの後のセカイ系のようにマジックリアリズム的な作品が発表されるほどだったらしい、が、その雨後の筍を食べ尽くしている現代でその衝撃を真に理解できない。


たったひとつの冴えたやり方……企画段階でのエヴァンゲリオン最終話サブタイトル。女の子が16歳の誕生日プレゼントにもらった宇宙船で両親に内緒で初めて一人で宇宙へ旅をする。そこで出会った地球外生命体と友達になるのだが……。この16歳の女の子が生き生きと冒険を始めるところは男たちの知らない少女だなあと思った。


男たちの知らない女……地球の男に飽きたところよ、ということ。

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