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困ったさんのスフレは太平洋に浮かぶ

どうしよう、山芋の鉄板焼きが美味しい。ちょっと待って、ほんとどうしよう。


お一人様を恥ずかしいと思ったことはこれまで一度もないが、例えばトッピング二種類選ぶときに同じものにするのとか、立て続けにおかわり注文するのは恥ずかしい系です。

なにがソースでこの羞恥心が出来上がったのか私にはわからないがこの残り三分の一の純情な山芋鉄板焼きをおかわりするかどうするか、自分の羞恥心と戦っている。いっそのこと牛丼屋行くのが恥ずかしいとおもう人間だったらよかったのに。


「よかった、嶋井さんまだいた!」


走ってきたのか汗ばんで息を切らせて犬のように佐野さんはやってきた。


「別に私は一人で飲んでるんで佐野さんは無理してこなくていいですよ?」

「いや、無理はぜんぜん」


いやいやどう見てもダッシュ後じゃないですか。コート、もう着てないし。

LINEでダラダラと話していて、今呑んでることを話したら「すぐに行く」と。


「LINEしてたとき会社だったんですか?」

「そうだけど?」

「いや、ダラダラLINEするなら帰ればいいのに」


結構即レスだったよ? てっきりご帰宅されてるんだと思ってLINEしてたよ。しかもくだらない話しかしなかったよね。サグラダファミリアとか。

むしろ私のほうが食べたり飲んだりでレス遅いくらい。ハイボールで最高にハイってやつだ。


「待ちだったんでいいんです」

「じゃあ待ちだったものは?」

「後輩に押し付けてきましたよ」

「うわぁ……後輩が今度は佐野さんに押し付けられますように」


佐野さんは出てきたビールを頼み一気に飲み干す。その姿はCMのように美味しさが伝わってくる。

ビールの最初の美味しさは至高。走って来たのならなおさら最高。

ただ二口目からどんどん美味しくなくなって、最後のグラスの底にある残っちゃったビールって本当に美味しくない。それも理由で私はあまりすすんでビールを頼まない。

お行儀が悪いからしないが、厚顔無恥な独裁者になったら常にビールの最初の一口を飲むような、そんなスタイルでビールを飲み散らかしたい。


「なに食べてたんですか」


メニューを見ながら佐野さんは聞いた。ふふふ、よくぞ聞いてくれました……。


「山芋の鉄板焼きですよ」

「へー、山芋をいためてる的な?」

「いや実はこれすった山芋をバターを敷いた鉄板で焼くんですよ……。そうするとスフレのように!スフレのような食感に! しかし鉄板の底はおこげ! フワッとおこげで美味しいですよ。ほんと、なんか、いい感じに。山芋と味付けだけなのに。美味しい。ほんと美味しいの!」

「じゃあ頼んでみようかな」


まじか! ひ、一口ほしいな。というか、お金払うから頼んで。私の分も頼んで。これならおかわりじゃないから。今来た人が頼んでるからノーカンだから。


「嶋井さんも食べていいですよ」

「わーい!」


やった!


「嶋井さん漫画も読むんだ」


近い近い。

私の手元のスマホを覗き込むように佐野さんは肩を寄せる。だから近い近い。

私の視界範囲のギリギリに佐野さんの顔がフレームインしてくる。いや、ほんと近い近い。

イケメンはいい匂いもするのか。私なんかこの時間は加齢臭しだすダメOLですよ。いやそうじゃなくて、ちょっとまって。ほんと近いから。


「なんか独特の絵柄ですね」

「五十嵐大介のディザインズ」


携帯を押し付けて距離をとる。

あーびっくりした。いや、イケメンが近寄ると溶ける宗教に所属してるんでダメなんすよ。ほんと、イケメン近づいてきたらダメなんですよ。私め、石の裏のダンゴムシなんで。


「遺伝子組み換えってレベルじゃないですね。うわ、これ好きかも」

「五十嵐大介いいですよー。短いのだと『魔女』も面白いです。あと『リトルフォレスト』っていうスローライフっていうかガチ自給自足漫画があって、ご飯がいちいち美味しそうでうらやましくなります」

「この漫画面白いですね!」

「連載中だからちょっとずつしか読めないのがもどかしいんだよね」

「そうなんですか? いやー、普通豹の頭が人間だったらギャクでしかないのに、なんか説得力あるのすごいですね。顔は人間で犬歯だけ豹? 」


と読んでるページを見せて来た。

いや、それ私が買った一巻ですし、読んでるし、知ってるから別にいちいち見せに来なくていいんで。すっごい接触しちゃってるんですけど。いやこんなに近いのおかしくないですか?


「その『母親』がまたすごいんですよ。続きは自分で買って読んでください」


スマホを取り上げて少し離れる。……といっても混んでる店ではそこまで距離も取れず、そして今またお客さんが一人入って来てお店の人に詰めてくださいと言われたところ。皆勝手知ったる感じで寄せてくる。いや、私も作法は存じておりまするが。


ちらりと盗み見る佐野さんは特に変わらずいつも通りの顔でいるもんだから、意識しすぎている自分が恥ずかしくなる。あ、こういうの普通ですよね。あ、ですよね、すみません。もういい歳だもんね、29歳だもんね。動揺なんてこれっぽっちもしてませんわという顔でやりすごしてやる。さっきから触れてる肘なんてそんなの気がついて全くませんわってね。


「嶋井さんはいつもなにしてるんですか?」

「ひゃぁい?」


声が裏返った。


「いつもってなんですか?」

「休みの日。あ、休みって土日ですか?」

「暦通りです。うーん、買い物行ったり本読んだり」

「今週末って予定あります?」

「あ、今週末は買いたいものがあって、出かけようかと」

「それ、一緒にいってもいいですか?」

「は?」


え、なんでよ?


「よく嶋井さんは『これも好きなんだけどやっぱあれ』みたいに言うじゃないですか、これのほうも気になるんで本屋に一緒に行きたいんですよ」

「いや、これとあれも全部メモってコピっておけばよくなくないですか?」

「本屋だと盛り上がるかなーって」


確かに読んだこと忘れた本ってのもあるし、実際スマホで検索しながら本紹介したりしてるしね。


「で、私が言うの全部買うつもりなんですか?」

「そのつもりですけど」


私が欲望に任せて紹介する本どれだけあると思ってるんだよ。それを買うつもりって……。外国人観光客の爆買いかよ。紙の本を爆買い?


「紙の本をまとめ買いってびっくりするほどディストピア……」


私の年収低すぎ状態になっている私に心配した佐野さんが新しい山芋の鉄板焼きを寄せてくる。や、食べ物で落ち着かせようって私は熊ですか。いただきますが。


「紙の本をまとめてがさっと、カゴ? カゴに入れちゃうの?レジで買うって、複数の本を? 電子書籍があるこのご時世に? ネットテキスト氾濫して文字文化は滅びる気配のないザナドゥ状態なのに、あえて紙?書籍? うわ、うわ、かっこいー! ちょっとまって、そんなの憧れのディストピアすぎる」


amazonでまとめ買いってするけど(それでまとめ買いじゃなくてうっかり合本版買っちゃって表紙の処理とかダサくてあぁーって変な声出た)、あれを本屋で紙の本でやるって、なんかヴィジュアルインパクトインパクトやばくね?

おかしいな、大人になってたくさんお金が使えるようになったのに、なんで私、本屋で一冊、おおくて二冊みたいな細い買い物しかしてないんだろう。あたし、まだ大人になれてないのかな……。


「なにをそんなに興奮するのかわからないですけど今週末どうですか?」

「お、おう。もともと出かけるつもりだったし、休みだし……。私も大人になるために……」

「え、大人になるって、どういうことですか」


それはな、下を向いて歩くってことじゃよ。


「あのところで嶋井さんは仕事はなにしてるんですか?」

「食器のおろしの会社ですです。白い色の違いにはうるさいです」

「嘘ですよねそれ」


嘘を嘘と見抜けないものには居酒屋飲みは難しい。

こまったさん……困った口癖の花屋の人妻が料理を作る「こまったさんのシリーズ」、話が作り方になっていて最後にはレシピも掲載されている。わかったが口癖の「わかったさんシリーズ」はお菓子。大好きな児童文学で、たまに無性に読みたくなる。Kindle化してたらうっかり二、三冊買いそうだからしてなくてほんとよかった。


太平洋のスフレ……「ザ・ワールド・イズ・マイン」はすごく面白いのに「キーチ!」になるとこっぱずかしくなるその絶妙なさじ加減で測っているわたし自身が謎。「ワールド・イズ・マイン」はギリ面白かっこいいより。なぜだ。


ちょっと待って……なぜ女オタ(ジャンルは特定しない)は大好きすぎるものを前にして「ちょっと待って」と言ってしまうのか。何を待ってほしいのか、どうしたいのか。わからないんだが興奮すると言ってしまう。ちょっと待って。


トッピング二種類……例えばパンケーキに添えるフルーツ二種類選べますって言われた時にブルーベリー大好きなわたしは本当は2つともブルーベリーにしたいんだけど、恥ずかしい。お好み焼きでイカ玉頼んでるのに追加トッピングでイカ入れるの恥ずかしい。


「ディザインズ」五十嵐大介……モアイで第1話がを読んですぐにKindleで買ったら最初のカラーページが白黒で初めてKindleに憤りを感じました。


大人になる……ならないようにするには逆に、上を向いて空を仰ぐように。


合本版……ほんと、なんで出版社は表紙の重要性を理解してくれないんや……。

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