始まりの場所はおしゃれな場所じゃなかった
一応最初だから自己紹介しておくね。私、嶋井基子、29歳、B型の乙女座。末期資本主義社会で黙々と働く会社員。身長は160センチで、体重はあ、今体重計がないみたい(笑)趣味は読書。最近面白かったのは……って彼氏? え、それ聞いちゃうの? はーい、どうせ彼氏いない歴史=年齢ですよ。居酒屋で女ひとりでいるんだからいろいろ察して黙っててよね。はー、と、に、か、く、私には美味しいお酒と面白い本があればそれでいいんだから。おっと頼んでた梅割りが来るみたい。また後で自己紹介するねー。はーい一口早速いただきまーす!
「はい、お姉さんお通し」
ここはおかみさんが女の人なら「お姉さん」と呼んでくれるのでちょっと嬉しい。
一口すすった焼酎で胃が熱くなったところに漠然とした煮物のお通しを放り込んで準備は完了。私は鞄から「ハローサマー、グッドバイ」を取り出す。まれによくある居酒屋読書タイム。
え、本を読むなら家に帰って読めって。うん、それはごもっとも。
しがない一人暮らし。どうしても他人の作ったご飯が食べたくなる。ご飯を食べたらお酒が飲みたくなる。美味しいご飯に、美味しいお酒。楽しくなれば読んでたあの本の続きがきになる……ってことで居酒屋読書が捗ってしまうことに気づいたのだ。
そうして誰に気兼ねすることない読書飲みが私の仕事終わりの習慣となりつつある。
はー、甘酸っぱい。甘酸っぱい恋愛。この甘酸っぱさを梅割りの最初の焼酎を多くすすり梅シロップを多めにすることで表現してみたんだけど、私ってなかなか粋だな。ツイートしとこ。
ドローヴは神木隆之介くんだな。おそらくこの世には神木隆之介に演じてもらいたい役が彼のこの一瞬よりも多すぎる。なので各ジャンルから平等に演じる役を配分するべきだ。神木隆之介くんがフェンス越しにブラウンアイズと雪の中愛を囁く。はあ、梅割りもカルピスの味がする。
さてそろそろおでんを頼もうかな。ここはちくわぶがないのは残念だけどそれでも美味しく味のしみたおでんは楽しみにしていた。屋台のおでん屋さんに憧れるけどあれ実在するのかな。
「あの、よく来るんですか?」
声をかけられるのは嫌いじゃない。私も声をかけることがある。以前隣り合った美女のスマホに牡蠣とアワビの食品サンプルストラップがついていたものだから「素敵なストラップですね」と声をかけた。仕方ないよね、美女が牡蠣とアワビだもん。二度見するし声もかける。新しすぎるOKサインでしょ。
「ちょいちょい来ますねー」
「初めてだったんで梅割りの意味がわからなくて。自然にスッと一口すすってかっこいいなと思って見てました」
「知らないとわかんないですよね。焼酎だけを注がれて飲めって」
居酒屋で話しかけたくて仕方がないっていう人がいるのも知ってる。でもそういう人に言いたい。話したいなら然るべき店に行くか友達誘って飲みに行けと。
声をかけて来た男性はイケメンで。そんならバルにでも行けと思った。あ、あれか酒場放浪記的なあれか。センベロ来てみちゃいましたって感じか。
会話が途切れてすぐさま本に目を落とす。
おでん、梅割り、読書。おでん、梅割り、読書。お客さんが帰る際の開いたドアからの急な冷気。ここがパラークシのようだ。パラークシの居酒屋。仕事に疲れた社会人が酒を飲む。そう私は第五級モトコ。食べているのはおでん。
きっと食べてるものによって同じ本でも感想が違ってくるに違いない。おでんを食べながらとアイスを食べながらじゃきっと。やきとん食べながらもきっとまた違った「ハローサマー、グッドバイ」を感じられるはず。
「何読んでるんですか」
ん、このイケメン興味あるのかな?
「マイクル・コニイの『ハローサマー、グッドバイ』です」
「どんな話なんですか」
「SFです」
「へえ」
あ、興味ない感じですね。すみません。
表紙からなんか勘違いしたかな。
「SF読んだことがないんですけど、オススメありますか?」
えすえふでおすすめ、だと?
勧めた人物の人間としての器を試される究極の質問を今このイケメンは私にしたのか?
初心者さんに進めるならアシモフとかハイラインとかどメジャーがいいのか。いや映画の原作系のほうが映画で見たことある分敷居が低くて良いのかもしれない。でも「2001年宇宙の旅」、お前はだめだ。でもでもなんか安直というか私が読んでないことバレるっていうかもっと「お、これは!」的なそういうものを進めたいんだよな。あ、それすすめるんだ、センスあるっていうやつを。神林しおりが悩む気持ちがわかるわー。ディックはまだ早いよね。うん。
宇宙で壮大で歴史絵巻的なそういうのが苦手って人もいるよなー。最近主流の精神世界系のSFのほうがいいかな、セカイ系とか流行ったし。「虐殺器官」とかこの前劇場アニメにもなったし。いや、普通の人は知らないか。あ、日本人作家と海外作家はそれぞれ別ですか。バナナはおやつに入りますか?
「ロリコンですか?」
「え?」
「そうでないなら、『星を継ぐもの』がおすすめです」
自分の自意識とプライドとマウンティングしたい欲とを抑えて、ベタな作品を答えた私を誰か褒めてほしい。いや、ここで「1984」はちょっと狙いすぎでしょ。初心者に、初めてさんに興味を持ってもらうのだ。私のSF通ぶりたい自己顕示欲は必要ないのだ! 必要ないのだ!
「へー、読んでみますね」
イケメンはそのとても見栄えの良い顔を笑顔にして私にお礼を言った。
かっこいい人の笑顔っていうのは本当に人を不快にさせないんだな。会話の継続時間を競うゲームのためにおすすめを聞いてくる人いるけどそれって興味あるわけじゃないから絶対読まないんだよね。でもなんかこの笑顔見たらまあいっかって気になってきた。
面白いから読んで欲しいけど「星を継ぐもの」。ほんとにほんとに面白いから。見てください、読んでください、そして楽しんでください。
でもやっぱり「紙の動物園」よかったかな。短編だし。いやそれなら……。
冒頭自己紹介……新井素子が多用する一人称小説の「自己紹介」。ポイントは一旦トラブルのため自己紹介が中断し「またあとでね」と言うところ。
「ハローサマー、グッドバイ」マイクル・コニイ……賢く世の中を知らない男の子とファムファタルな女の子が大好物な人にとっての「史上最高のSF恋愛物語」。ちなみにヒロイン、ブラウンアイズはわたしの中では栗山千明。たいていの美少女は栗山千明。
アシモフ……アイザック・アシモフ。「アイ、ロボット」著者。ロボット三原則が有名。アシモフのあれはもみあげ?ひげ?
ハイライン……ロバート・A・ハイライン。「夏への扉」「月は無慈悲な夜の女王」など著者。アシモフ、ハイライン、クラークで世界SFビッグスリー。ゴルフをするわけではない。
「2001年宇宙の旅」……アーサー・C・クラーク原作をキューブリックが映画化、ではなく共同制作した映画公開後にクラークが小説を書いた。小説の映画化と思ってみると大惨事、映画のノベライズと思って読んでも大惨事。気をつけなければいけない。
神林しおりが悩む気持ち……施川ユウキ「バーナード嬢、曰く」に登場するキャラ神林しおりが主人公町田さわ子にSFでオススメを聞かれて悩む。おすすめを紹介するだけなのに気持ち悪い感じになってしまう神林しおりが愛おしい。
ディック……フィリプ・K・ディック。「ブレードランナー」の原作、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の著者。再販の表紙がかっこいい。
「虐殺器官」……伊藤計劃の最後の作品。伊藤計劃ははてなダイアラーということだけで信頼に値する。
「1984」……作者はジョージ・オーウェル。映画「未来世紀ブラジル」のインスパイア元。あとAKBチームドラゴン「心の羽根」のPVがなぜか「1984」オマージュになっていて胸アツなんだけど曲に合ってなくて意味がわからない。この件で言及した著名人をわたしは知らない。大島優子と高橋みなみが真理省って最高。「たかみな具合わるいんだぞー」
「紙の動物園」……又吉が紹介したということで平積みでよく見かける。文庫化に当たって二冊に分冊されているが意味がわからない。