7、アエウム・ローズの価値
「そんな馬鹿なことがあるか!」
特大の机に拳が叩きつけられる。
王都最大のフラワーショップチェーン『メリー・ベリー・ハニー』、愛らしい名前に反して、たっぷりとした腹部ときらりとした頭部を持つ現社長メルバノ・ツォツェンは顔を赤く染め、口の端からつばきを飛ばした。
「トゲがない時薔薇だとッ!?」
「は、はい」
報告をあげた秘書は恐縮しきっていた。
「キークロシェンの墓地に、トゲの無い時薔薇が供えられていた、とのことで……」
墓守りから渡された白いリボンがついた時薔薇はいま、ツォツェンの目の前に横たわっている。
時薔薇の花を傷つける事はできない。なぜなら自らが傷ついた瞬間に、時を止めるからだ。
つぼみのある状態で傷がつくと、時薔薇の遺伝子に組み込まれた強固な時空停止陣が発動する。それ以降、花弁を含んだ部分があらゆる外部からの干渉を受けつけなくなるのだ。時薔薇の時間が解凍し始めるのは三~四年後と言われているが、物によっては十年近く時を止めたままでいる。
つぼみがつく以前に傷がついていると、花が咲いた時に摘んでも時を止めず、そのまま普通の薔薇としての価値しかない。「時薔薇」が育てにくいと言われるのはそのためだ。
つぼみのついた薔薇のトゲを一つ取った時点で、時薔薇は時を止める。他のトゲを取るどころか、採取すら不可能。
ただ、方法が無いとは言い切れない。
例えば、停止した時薔薇の時空に瞬間的な、音や光よりも早く、時すらも誤魔化すほどの速度と力で負荷をかけてやればトゲは取れる。
時薔薇の採集は何重にも重ね超圧縮した水魔力の刃を使い、一瞬で行われる。しかも一度の茎を切るためだけに二ヶ月近くの準備を必要とするのが現状だ。それを何十とあるトゲ、しかもごく小さな一つ一つに施すとなると、どれだけの魔力と人件費を使わねばならないのか。採算が合うはずもない。
もしくは、停止した時薔薇の遺伝子情報を部分的に書き代え、トゲと茎との接合面だけ時間を進めれば可能とされている。膨大な植物の情報を読み取り、接合面だけ固定停止解除の並列魔組紐文字を新規挿入すればトゲは取れるが、あくまで理論的にはの話だ。トゲ全てに施すとなると一本の処理で数人の脳が使い物にならなくなる。
どちらも天才的な、否、馬鹿のような力、悪魔のような計算力で可能とする机上の空論。
人間が可能な方法ではなく、ましてや時薔薇のトゲを取るためだけに使われたなんて労力の無駄遣いにも程がある。
一晩で難攻不落の城塞都市を築ける設計者が、砂場で城を作るようなものだ。そのような酔狂な者など、世界に存在する訳がない。
トゲの無い時薔薇は、「青薔薇」「白い水晶薔薇」と同じく、花屋の間で「ありえない物の例え」として使われる。もしこれが品種改良に成功した新種の時薔薇だとすれば、市場は間違いなく混乱する。
本物ならば、喉から手が出る程、欲しい。ツォツェンの鑑定からしても、目の前の時薔薇は本物だ。品種は「鮮血の双剣」、辺鄙な田舎ローワンフォードで栽培されている品種だ。
「その墓守はどの墓に供えられていたのか言ったのか?」
「い、いえ。来る途中に突然渡されたので、そこまでは……」
「この役立たずが!」
「もっ、申し訳ございませんっ」
持ってきたコーヒー入りのカップを投げつけられた秘書は、悲鳴をあげながら社長室から飛び出して行った。
□□□
時薔薇が、微妙に人気だ。
昨日の怪しいお客さんが買っていったおかげなのか。
それとも、どこかで時薔薇ブームでもあったのか。
真実は闇に包まれているものの、今日は朝から時薔薇を求めるお客さんが五人も来た。
しかし喜ぶのは早い。大成功をおさめているのであれば「微妙」なんて言葉は使わない。
来店者は五人。買ったのは一人。
今しがた帰って行った三人の娘さんたちは時薔薇を探して来たと言うのに、騒ぐだけ騒いで買わずに帰った。
後を尾行して何がダメだったのか聞き耳を立てようとしたけれど、それはマズイよ犯罪だよと、頭の中の天使に止められた。
「どう思うかね、ディー君や」
「不思議ですねー」
エプロンをしたディーが、リボンにペタペタとローワンフォード村の統一名称印を押しながらのんびりと言う。
二人で昨日大量のトゲをプチプチ取り除いたので、しばらくトゲ取りはお休みだ。
代わりに、一目で産地が分かるように、二人でリボンや小袋に村の名前と紋章入りのスタンプを押している。
つまり、お店は今日も暇だった。人の出入りがあるから、やる気は違うが。
手渡されたリボンを時薔薇の茎に結ぶ。茎を結ぶ赤色のチョウチョ。なかなかの傑作ができた。慣れない時は横向きのチョウチョを量産してしまったが、一度コツをつかんでからは上手くいっている。
ディーとは昨日今日でだいぶん打ち解けた、気がする。少なくとも敬語は自然消滅した。
「見目が悪いということもありませんし、値段は他と比べて安すぎるほどなのに」
ふと思いついたようにディーが顔をあげる。
「いや。もしかして安すぎるから、かな?」
「販売戦略員、詳しく説明を」
販売戦略員とは何でしょうと聞かれたが、答えるすべを持っていない。適当にそれっぽい単語を並べただけなので。
「はい。アンさんが町で『新・魔道具選集(鏡編)』を探しているとします。いくらまで出しますか?」
「金貨二枚まで」
具体例が具体例じゃなくて、事実だけれど、この際「何で知ってるの」とは聞かないでおこう。やぶ蛇な気がする。
「街中探しまくって大きな本屋も全部見て無かった。それが、小さな古本屋で大銀貨六枚でぽいっと売られてたら、どう思いますか」
「安っ。保存用観賞用書き込み用で三冊欲しいけど……そんなに安いなんて偽物かもしれないって勘ぐるかな」
今日も眼鏡をかけたディーがはい、と頷いた。
「それです。恐らく、この店で提示されている時薔薇の売値は安すぎるんです。自分が考えていた値段とあまりに落差があると『お買い得品を見つけた』というよりも『何か理由があるのでは』と勘ぐってしまう人もいるのだと思います」
バケツにまとめて突っ込んである時薔薇。見事に開いた赤い花弁が少しばかり元気を失ったように見えた。
「今日買う気は無く、単に下調べのために来たという線もありますけれどね」
「値上げをして様子を確かめてもいいけれど、今日は一本売れちゃったしなぁ」
リボンを結び終わったバラをくるくると回す。値下げや値上げは私の裁量でしても構わないという契約だ。しかし朝と夕方で値段が違うというのも、何だか気まずい。
チリン、と音がして店のドアが開いた。咄嗟に時薔薇を元あった位置に戻し、椅子を引き、カウンターの隅にしゃがんで身を隠す。
「い……いらっしゃいませ」
一連の流れを見ていたディーが、かろうじてひきつった笑顔でお客さんを迎え入れる。
巻いたカールの髪に、白カチューシャ。シフォンブラウスにひだ付きの黄色のスカート。首に大柄なスカーフを巻き付けた若々しく可愛い印象の女性だ。
なにやら焦っているようで、汗をかきながらキョロキョロと店内を見渡している。
カウンターの裏で膝を抱えている私に向かって、ディーがひそひそ声をかけた。
「いったいどうしたんですか、アンさん」
「ごめん、ディー君。詳細は伏せるけれど、私、このまま隠れるわ」
長い引きこもり生活ゆえ、一日に六人以上と会うといまだ緊張してしまう。特に、先ほどの睫毛の見事なきらびやかな娘さんたちの眩しさに当てられてから、まだ回復しきっていない。
そんな弱っている時に、母とよく似た雰囲気の女性が入ってきたのだ。思わず体が回避行動をとってしまった。けれども正直に「お客さんと母を見間違えて隠れた」と自己申告するのはもっと恥ずかしい。
「私は存在しないものとして扱って」
「は、はい。そう仰るのなら……」
お客さんはツカツカと脇目もふらずにディーへと近づいた。そして、その可愛い顔に似つかわしくないほど鬼気迫った表情で、カウンターを両手で叩く。
「ここに置いてある時薔薇、すべて下さいっ!!」
やっぱり、どこかで流行してるわー、と私は思った。