4、ローワンフォード・リトル・マーケット
短く刈り込まれた芝をほうきで掃く。鈴なりに咲いた街路樹の花は白くて可愛いけれど、落ちてしまえば回収対象。容赦なくかきあつめていく。
中心にある板チョコレート色のドア。両脇には大きなアーチ窓が二つずつ。はちみつ色の石壁。緑の蒸気機関車を一両、そのまま陸に上げたような窓枠。花壇代わりに、店の前へと植えられた見事な芝生。
【ローワンフォード・リトル・マーケット】と窓に書かれた小さな文字を布でふけば、開店準備は完了する。
「店の名前を気にしておくべきだった」
ジョルジュ通りのジョルジオさんのお店は、田舎町ローワンフォードと提携した出張販売所でもあった。
どうりで部分的に見覚えのある雑貨が置いてあると思った。
もともとはリトル・マーケットという名前で、いまはそこに「ローワンフォード」の文字がくっついている。
接収ポスターを剥がす手伝いの最中、窓に書かれた正式な店名を見た私はその場で昏倒した。
今まではジョルジュ通りの雑貨屋さんと呼んでいたけれど、まさか、自分の村と提携した店だったとは。観察力のなさを反省する。
母からの手紙通り、夕方には衣装箱に入った私物一式が店に届けられた。遺跡にあった古い宝箱を改装したもので、耐久性が素晴らしい一品だ。上で飛んだり跳ねたりしても壊れない。
中には見覚えのない新品のドレスや化粧品も入っていたが、ほとんどが私の普段着や普段使いの日用品で占められていた。
上階は空き部屋になっているということで、三階を借りることになった。
三階とは、すなわち屋根裏部屋のことだ。実家でも人目をはばかるように屋根裏に生息する私にとって、もはや出張自室もおなじこと。
屋根の形に傾斜のついた屋根。タンスにベッド、机にサイドチェスト。そして衣装箱。本棚が空白なのは残念だけれど、王都にいる間にお宝を発見すればいい。
何より素晴らしいのは景色。階下を望める丸窓からは、ハチミツの大地と夕日の朱が混じった、暖色に染まったオールドチェスの街が一望できる。
ジョルジオさん。通りの名前とまざってややこしいので、ギギ老と呼ばれている店長は、店の裏にある小さな長屋に住んでいた。奥さんが体調を崩し田舎で静養しているので、今は留守にしがちだ。
私に業務の引継ぎをしようと一時的に王都に戻ってきたところで、昨日の騒ぎがあった。タイミングが良かったのか悪かったのか。悩むところだが、心配するジョルジオさんを説得し、契約書にサインをすると朝一の汽車にむりやり乗せて見送った。
販売員と思いきや、渡されたのはお店の裁量権を一任するという代理店長としての契約書だった。驚く私にギギ老はこう言った。
「ほっほ、何かあったらサトクリフ家に請求するから大丈夫じゃよ」
大丈夫ではない。
かんぜんに、失敗できないながれである。
一カ月のお給料はローワンフォードから支給される金貨七枚、それと月々の売り上げの一割。
王都で働くには、まず労働者市民として登録をする。そして毎月、王都に労働税金を納めなくてはいけない。王都直轄の施設を利用したい時には別途、使用税も払う。
私は一般労働者としての登録だからどちらも一カ月、金貨一枚。つまり毎月二枚はお給料から金貨が引かれる。つまり売り上げを増やせばお給料はあがるが、減らせば王都で一カ月。最低賃金、金貨五枚で生活しなければならない。
ローワンフォードで一カ月にかかる四人家族の食費は平均金貨三枚、水龍費と光熱回路費はそれぞれ金貨一枚ずつ、家賃は金貨五枚。そう考えると、独り暮らし、家賃無料な私は恵まれている。
幸運。けれど、金貨五枚は少しこころもとない。そんな印象だ。ちなみに母のお買い物ツアーにかかる費用は一度につき平均金貨十枚。新・魔組紐字理論二冊分に匹敵する。
開店前は意外とやることが多いので、休む間もなく動き続ける。
在庫の確認。売買履歴記憶装置の点検。洋燈花の中でもオレンジ色の強いものを咲かせて、店内に放つ。
それから、店の掃除。「接収ポスター」の剥がし忘れを見つけて、力のままベリベリと引き裂いた。次にあの衛兵をみかけたら、容赦はしない。くるくると丸めて白い花のつまったゴミ袋へと投げ入れると、少しだけすっきりした。
今日から、私の新しい一日が始まる!
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分かっていたけど、暇だった。「ローワンフォード・リトル・マーケット」は閑古鳥が鳴いている。
ギギ老に言われてはいたものの、実際に目の当たりにすると、寂しい。
商品の納品は来週。業者が注文品を引き取りにくるのも、来週。一般客は少ないし、それまでゆっくり商品を見て覚えておいてね。言われていたものの、初日の、この溢れんばかりのやる気をもてあますのが勿体なかった。
もちろん、やることや覚えることは山のようにある。分かってはいる。けれどお客様の有無はモチベーションに関わる。
再生した時薔薇のトゲを地道に取り除きつつ、誰も来ない扉や窓に風が当たるたび、顔をあげた。
作っておいたサンドイッチを食べ、うとうとしかけた昼過ぎ。ついに扉の前にシルエットが浮かんだ。
念願のお客様第一号だ。カラカラと来客の鈴の音を鳴らし、ドアが開く。
「いらっしゃいませ!」
私は持ちうる全ての表情筋と愛想を導入し、過去最大規模となる笑顔で迎えた。
「こ、こんにちは……」
入ってきたのは全身鈍色の鎧に包まれた衛兵だった。私の目に狂いがなければ、昨日接収のポスターを張っていた衛兵と同一人物。私の顔を見て体を強張らせた。
「帰れ!」
馬車は急には止まらない。笑顔も急には止められない。思ったままの言葉は、事故のように口から飛び出す。おのれ、笑顔の労力を返せ。にこにこと笑い続けながら、私はカウンター下に設けられた引き戸から静かに塩を取り出した。
投げつけようと振りかぶった時、ドアを開けたきり硬直していた衛兵が、先んじて動いた。
洗練された、流れるような流麗な動きで膝をつき、そのまま頭と手のひらを床板につける。
「昨日は、すいませんでしたっ!」
はるか東方。海を越えた極地の孤島で使われたという謝罪方法ドゲザ。ここ、王都でも頭を地につけるなど、屈辱極まる行為であることは変わりなく。
私にとって記念すべき来店者第一号は「ドアを開けた瞬間、土下座をかまされる」という忘れられない入店によって、歴史に刻まれることになった。