3、オールドチェスの一般兵
CLOSEと書かれたボードを横目に、雑貨店の中に足を踏み入れる。
干したハーブの束が軒に下がり、天井には鍋がぶらさがっている。古い木材と花がいりまじった甘い匂い。窓布が下げられた店内は薄暗く、天井の梁と同じ色だった。差し込む琥珀色の陽光の中に舞い散る埃の量にぎょっとする。
「散らかっておって、すまんのう。その辺りに座っていておくれ」
洋燈花が浮いていないためか、いつもと店内の印象が違う。商品に当たらないように隙間をぬって歩く。
乱雑に放置された値札、商品が取り出されたまま放置された空の木箱。翡翠のテーブルに十本一纏めとして置いてある食器セット。商品の大半には白いテーブルクロスがかけられているけれど、慌ててかけたのか、ところどころ商品がはみ出している。
「あの、さきほどの騒ぎは一体」
「おそらく、何かの誤解が重なったんじゃろう。外周地区とはいえ、王都で店をやっておれば、ああいったトラブルもある」
温かいお茶を盆にのせたギギ老が奥から戻ってきた。売り物のソファに座るよう促し、彼も座る。鮮やかな色合いの紅茶をひとくち飲んで、気持ちを落ち着ける。
「身内の看病で店を空けておったんじゃが、ほっほ。戻ってみれば、ずいぶんな大事になっておって驚いたわい」
「それで、私になんのご用ですか?」
「おや。娘さんはアンジェラ殿ではないのかい」
切り出した私の言葉に、驚いたようにギギ老の眉があがった。白いもさもさとした眉毛のせいで、上がっても隠れた目はまだ見えない。
「……確かに私はアンジェラですが」
「ははぁ、リアのやつめ。どうやら本当に説明せんかったとみえる」
ギギ老は一枚の便せんを取り出し、私にさしだした。覚えのある香水が、テーブルを挟んだここまでふわりと香る。今日、私を王都まで連れて来た人の顔を嫌でも思い出してしまう。
まったくあの人は。私が何年娘をやっていると思っているのだろうか。
こういう時は大抵無茶な要求をされると既に読めている。人とは経験から学ぶ生き物なのだ。「一人で王都から帰ってね」程度の要求では、もはや動じぬ!!
『ジョルジオ・ギルマーニ様 住みこみの店番の件ですが、私の娘などどうでしょうか。パパに似て可愛いピンク色の髪、私に似てとても器量の良い子です。控え目に言って天使。まさに天使。嫌だと言っても送りますので、あしからず。
追伸:アンちゃんへ びっくりしたかな? 王都で働く件については、パパからも了承もらってまーす。アンちゃんの私物は今日の夕方にはとどきます。騙してごめんね~』
「母上様ァー!?」
結びがハートマークの手紙を誰が見間違えるというのか。数行しか書かれていない文字の上に視線を何度も滑らせる。
雑貨屋に入り浸るという夢が唐突にかなえられたのは嬉しいが、娘の奉公先を、それが例え馴染みのある店だとしても、本人の同意なしに決めるのはどうだろう。千尋の谷へと突き落とすような凶行である。
母とギギ老がどういった知り合いなのかは分からないが、手紙の文面から考えるに、ギギ老は母に店番の相談をしたようだ。そして母は最寄りの暇人こと私を抜擢した。間違いのない人選であると思う。
私は両親とは違ってか弱き文系。荒事には向いていない。そして雑貨が好き。雑貨に囲まれて生活できるチャンスを逃すはずもなく、ギギ老の依頼に応えるには、最適な人材、かも……?
「今日からよろしくお願いしまーす」
「ほっほ、切り替えのはやい娘さんじゃ」
そう言ってギギ老は優しく笑った。
□□□
鋼鉄の将軍と、冷血軍師の間に生まれた自分をどう思うか。
周囲に問われた幼い俺は、こう答えたらしい。
「れいぞうこ」
いまでも、笑い話のネタとして重宝している。
「そういうわけで、おわびに何を持って行けばいいでしょうか。隊長には放っておけと言われましたが、どうしてもスッキリしないのです」
恥をしのんで、ディナーの時に今日起こった一部始終を両親にはなした。
母は頭が良くて、心の機微に鋭い。
父は責任感があって、立派な長だ。
すぐに良いアイディアをくれると思ったのだが、二人とも難しい顔をして考えこんでしまった。
「ディートリヒ、お前。そのおなごに惚れたのか」
銀縁の眼鏡のツルを上げながら、母が鋭いところをついてくる。
白銀の髪に、白い肌。夜光虫によく似た色の眼。体の色素が薄いのは、一日のほとんどが夜という北アマヤ人特徴。母が住むには王都オールドチェスは陽射しが強すぎるらしく、目の下のクマが消えることはない。俺は母の血が強いのか、北アマヤの特徴を継いでいる。顔がよく似ていると言われるけど、頭のキレまでは受け継がれなかった。
「否、皆まで言わずとも良い。表情が雄弁に語っておる。うちののんびり屋にも遂に春がきたか」
「い、いや。ただ一度会っただけですし、その、また会いたいと思っただけでして!」
漆黒の髪に漆黒の隻眼。黒竜革の眼帯からはみ出る、頬から額にかけて走る三本の大きな古傷。昔、タンスにぶつけた時にできたんだとか。聞くだけで痛い。
父は、あまり表情が変化しないせいで誤解されがちだが、とても優しくておもしろい人だ。たとえば子供のころ、全身の筋肉は鍛えたが、うっかり顔の筋肉だけは鍛え忘れてしまったなんて話をしてくれる。
俺も表情筋だけ鍛え忘れたから、その話にはずいぶんと勇気づけられている。いまだににっこり笑おうとしても、うまくいかない。
切りそろえられた髭をなで、父が隣の母に聞く。
「ギッテちゃん、やはりディートリヒにクール俺様系は無理がある。やはり素の魅力で勝負するのが一番だ」
「需要があると思ったのだが……。ハルたんそっくりなクール俺様モードは、誰にとっても魅力的だ」
「君も、クールな私の方が好きかね?」
「もちろんだ。しかし、優しいハルたんも、す、好き……」
巷で聞く怖い噂とは違い、うちの両親は優しい。ついでに仲も良いので、見ていて俺はとても嬉しい。兄弟姉妹ができますようにと願っているが、神様はなかなか授けてくださらない。特に、兄と姉は難しいそうだ。順番的に。
「こほん。それで、相手はどのような娘だったのだ」
「謝罪に行く相手は雑貨屋さんですよ」
「参考までにな」
父にたずねられ、白身魚の香草焼きを切り分けながら彼女のことを思い出す。
「俺よりも年下で、背丈はこれくらい。ふわふわとしたピンク色の髪で、綺麗な緑の目をしたとても愛らしい子でした」
カシャンと音がした。見れば父の手からナイフとフォークが落ちている。
「事態を掌握したぞ。ディートリヒ。次にそのおなごと会った時は、こうすれば良い」
父のあとを引き継いだ母が、自信をもって断言した。




