2、ジョルジュ通りの雑貨屋
「母よ、さらばだ。五時の鐘が鳴ったら、噴水広場でまた会おうっ」
「アンちゃんがまた逃げたぁー!」
都に入り、速度を落とした瞬間を見計って馬車から飛び降りた。母の声を背中で聞きながら、財布の入ったかばんをたすきのようになびかせ、ジョルジュ通り三番地に向かって走る。セール・イズ・スピード勝負。
石道に合わせたハチミツ色の家々が並んでいる。
王都周辺では黄色い石材が産出されるため、宣伝もかねてか、石造りの建物が多い。大通りから外れた三番地もハチミツ色の区画。街路樹の緑が鮮やかに映え、見ごたえのある景観となっている。
処分市に釣られてか、雑貨屋の前の芝生には人だかりができていた。
けれど近づいてみると、どうも特売の雰囲気とはちがっている。明るい街並みに反して浮かない顔ばかり。その視線の先では店のドアに勧告を貼りつける衛兵がいた。
「あれはいったい、何の勧告です?」
「それがねぇ、ギギ爺さんのお店を接収するって、さっき国の衛兵さんが来たのよ」
やじうまの質問に、細長いパンを抱えた妙齢の奥様が、頬に手を当て答えてくれた。
「せっしゅう!?」
何がどうしてそうなった。
処分市の危機に声を上げると、糊のついたローラーを持った衛兵と目があった。相手はフルフェイスヘルムで顔が見えないので、あくまで目があった気がする、だ。
手にもった物が日用品だけに、重厚な板金鎧との落差がおかしい。
鈍色の鎧は新兵特有。所属を現すアカシアの花が、縁取り刺繍として灰色の釣り鐘マントの裾を彩っている。兜の奥から突き刺さるような視線を感じるものの、殺気はない。負けじとにらみかえした。
「……長期間、の、税……未納」
「そうなんですか?」
「そういえば最近、ギギ爺さんを見ていないわね」
低い声を耳が拾う。もっと腹から声をだせと、父なら言うだろう。思い返せば、私もずいぶんと店に来ていない。奥様と私が詳細な記憶を掘り起こす前に、窓全てに勧告を貼り終えた兵士が立ち去ろうとしていた。
「待ってください。事前通知なしで、いきなり接収なんてひどいです。もう一度よく、確かめてください」
そうだそうだと同意するやじうまの声に気をよくして、両手を組んでの必殺、上目遣いを放った。
身長差のある相手には有効打になることが多い、この自爆技。うるうるな瞳にたじろがぬ輩は……けっこう多いのだが、そのへんはプライドのために「いない」と答えさせてもらう。
今日は雑貨屋の処分市と聞いてやってきた。店内の品ぞろえを季節ごとに変える催しを期待していたのであって、店ごと変える閉店催しは望んでいない。
そんな時、とつぜん問題のドアが開いた。
「おっと、こりゃあなんの騒ぎですかのう」
中に人がいるとは。
誰も予想しなかった展開に、帰りかけていた衛兵すら硬直している。
みんな中に人がいないものとして話を進めていたのだから、驚きもするだろう。
衛兵に非難の視線が集中する。やじうまたちの眼差しは「ちゃんと中に人がいるのか確認しなかったのか」とものがたっていた。同時に「こんなミスを犯すくらいなのだから、接収もやはりそちらの勘違いなのでははないか」という空気がひろがっていく。
ドアから顔を出しているのは、雑貨屋の店主。見覚えのある白いひげと頭を揺らしながら、ふぉっふぉっと、楽しげに集まった人たちを見て笑っている。
「中にいると、外の声がまるで聞こえませんでしてなぁ。年をとると耳が遠くなってこまります」
白い毛虫みたいな眉を挑発的に持ち上げるギギ老。衛兵は糊の入ったバケツと刷毛を持ったまま、吐き捨てるようにぼそりと呟いた。
「……また、来……」
ぼそぼそと呟き足早に去っていく衛兵。二度とこないように、悪意避けの陣を周囲三百メートルに張っておくべきだろうか。物騒なことを考えながら睨んでいると、声をかけられた。
「そこのピンクな髪の娘さん、こっちに来ておくれ」
見ればギギ老がちょいちょいと手招きしている。
喜んで、と私は店のドアをくぐった。どうも処分市について聞ける雰囲気ではない。
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人気のない路地裏。
薄暗い裏道に、音もなく滑りこんだ影がいた。驚いたねずみの群れが、路地のさらに奥へと逃げ込んでいく。影はかぶっていた衛兵の兜を脱いだ。フルフェイスメットの下から現れたのは、若い青年。まるで、人を土に埋めたばかりのように、荒い息を吐いている。
切れ長のつり目の下には濃いクマが浮かんでいる。支給された兜を脇に抱え、汗で額に張りついた前髪をかきあげた。奸計を巡らせるかのごとく、静かに青年は目蓋を閉じる。
「うわわっ、恥ずかしいー! ノックするのすっかり忘れてました! 俺、もしかして違う住所に接収ポスター貼ってしまったのですか? ありえそうで怖い、真実を知るのが怖い。でも確認します。えいっ」
衛兵は口をむにゃむにゃと動かした。変化に乏しい表情とは裏腹に、本人はショックを受けているらしい。
「……謝罪の手土産は、菓子折りと花束が主流なんですよね。俺はポテポテ君トースト味かトマトの苗木が良いと信じてるのですが、前に持って行ったら『謝罪する気ないだろ』って怒られましたし今回はやめましょう。そうだ。父さんと母さんなら、良い助言をくれそうです。久しぶりに会いに行って……あ、これって絶対怒られる流れですよね。はい、素直に怒られます」
秘蔵のポテポテ君、おみやげにもっていこ……という声さえなければ、主君を裏切った騎士が苦悩する場面にしか見えない。
「しかし悪い事ばかりではありませんでした。さっき目があった子、凄くかわいかったぁ……へ、変な男と思われてないといいのですが。よーっし! あした、店長さんに謝罪する時に彼女について聞きますっ。もっ、もしかしたら謝罪ついでに、彼女に会えるかもしれませんし。がんばれ、世の中勇気と根性だ、俺っ! ちょっと心配ですけれど、明日が楽しみになってきましたっ」
ふわふわとした桃色の長い髪。
透き通った若葉色の瞳。
大きな黒ぶちの眼鏡は童顔を際立たせ、魔法使いが愛用する、ぶかぶかなフードつきのカーディガンは小柄な体系の彼女によく似合っていた。
少女のことを思い出し、灰色の髪と目をもつ青年は幸せな気分で拳を天につきだした。
オールドチェス王国軍最高司令官、黒衣のゲッヘハルト・ミュラーはかつて鋼鉄将軍と呼ばれていた。
血も涙も無い戦略により各地方を恐怖に陥れた際も、表情一つ変えなかったと言う。
その鋼鉄将軍と好敵手の関係にあり、数々の名戦を生み出した流氷の女軍師、帝国海軍准将ビルギット・エイマーク。
あまりの執念深さから眠らぬ蛇と揶揄され、遂に王国に拿捕された彼女は帝国から離反することにより王国での生命を保証された。その後、ゲッヘハルトに下賜された彼女は彼の子を生む。
青年の名前は、ディートリヒ・ミュラー。
超がつくほどの軍略家系から生まれた、天然である。
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