18、休みの朝
いつも通りの時間に目が覚めた。家でゴロゴロしていた時には考えられないほど早い時間。
パンが焼ける音とカリカリ弾けるベーコンの油。スイの実と胡桃のジャムをテーブルに置き、新聞と淹れたてのコーヒーの前に座る。すべてが混じった朝の香りはゆっくりとした朝を完璧なものにしてくれた。小指を立ててカップの中身を飲み干す。非の打ち所がない、素晴らしい朝だ。
「でも、ロンリー」
しゅんしゅんとわくお湯。さえずる小鳥の声。窓からさしこむイエローの朝日。優雅にロンリネス。
そっと立ち上がりテーブルの向かい側にマンドラゴラ(特許出願中)の鉢を置く。寝ているのか、鉢から出て歓びの光合成ダンスを踊ることはなかった。
ひさしぶりの慌ただしくない朝は、どこか嬉しくそして寂しい。
特別な日のお洒落は、髪に編み込んだリボン。鏡台の前で一度頬を叩いてボーッとしていた頭に喝をいれる。
「よしっ」
着る服は前日までに用意しろ、などという正論は聞こえない。その日の天候によっても変わるし、前日にどうしても決まらないことだってある。
そう言い訳して翌日までもちこした難題を仁王立ちで見下ろした。
ベッドの上に並んだ二着の服。
片方はいつものワンピース。朝顔型のスカートは動きやすさと最低限の見た目を兼ね備えているので好ましい。目の色と同じ若草色で気に入っている。
そしてもう片方の選択肢は、母が混ぜ込んだ荷物に入っていた水色のドレスシャツ。セットでパニエとピナフォアがついている。嫌い、ではない。見ている分には好ましい服。綿雲のようなレースは苦手だが、自分のピンクの髪に合っていると人は言う。
好みをとるか。客観視を参考にするか。それが問題だ。
出かける相手はディーである。あの、ディーである。はりきりすぎたお洒落は、変に思われるかもしれない。いやどちらを着て行っても「可愛いですね」とか「似合っていますよ」とか、歯の浮くような褒め言葉を並べるだろう。まぁ、ディーならレースのついた方が好きそうだけど。
「って、何でそこでディーがでてくる!」
手に持ったフリルがへしょんっとなさけない音をたててベッドに叩きつけられた。
一緒に出かけるのだから、彼のことを考えても別におかしくはないのだ、うん。ちょっと我にかえったとき気恥ずかしいだけで。
ディーに褒められたくて服を選んでいるわけではない。ここ一年近く、家族以外の人と買い物に出かけたことがないから緊張しているだけなのだ。
よし、決めたぞ。動きやすさだ。動きやすさを重視する!
もう迷わないと決めて若草色のいつものワンピースに着替えた。待ち合わせの時間までまだ一時間以上ある。どうにか間に合った。
安堵しながら窓に近づき、外を眺める。今日も一日、晴れそうだ。
襟のボタンを止めながら外を見れば、白い花をつけた街路樹が今朝も花を降らせていた。掃除はおやすみ。見ない見ないとそらした視線の先にポツンと灰色の塊が立っている。
「ん?」
時計を見る。
「んんんん?」
もしかしたら見間違えかもしれない。階段を降り、表玄関を開けた。
「あっ、おはようございますー。早いですね」
彼はそこに立っていた。
頭やら肩に花が積もっている。
きっと考えたら負けだ。つっこんだら負けなのだ。そう思う事にしよう。
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「申し訳ありません、急がせてしまって」
「ううん。私も出る準備できてたから、丁度良かった」
「楽しみで早くに出すぎました……」
いったい何時に家を出たのだろう。しょんぼりしたディーの隣を歩きながら思う。
まだ早朝の匂いが残っている並木道は人通りも少ない。爽やかな涼しい風が吹きぬけていった。
文具屋と雑貨屋、それに小間物屋は、すぐ傍に建っていた。長屋のように同じ店構えが並んだ坂は、ちょっとした商店街だ。
開店時間前だからか、人通りは少ない。これ幸いと外から見える窓辺の展示をゆっくりと眺めていく。
蜂蜜区画にある店はどこも可愛らしく、見える商品の選択や配置も凝ったものが多い。どこの店にも共通していたのはテーマを決めて商品を配置していることだった。
「お客さんの視線を縦に動かすように商品を配置をすると、購入者が増えるという噂は本当なんでしょうか」
「試してみたいけど、今の配置も気に入ってるしなぁ」
祝祭日、季節、色、商品。窓辺に飾られた展示物にはワクワクするものから、シンプルなものまで様々なものがある。芸術品のように精巧なディスプレイから、手作りの暖かみを感じるものまで。店ごとの特徴や雰囲気が上手く生かされていた。
「どこも素敵ですね。センスが良いなぁ」
「覚えておきなさい、ディー君。これが天の才を持つ者と持たざる者の違いなのだよ」
「そんな大げさな」
いまローワンフォード・リトル・マーケットの窓辺を飾るのはマンドラゴラだけ。時々鉢の中から脱走して正座して日向ぼっこをしている。
先日、隣に時薔薇を置いたら拗ねてしまったので、彼(もしくは彼女)と同居できるような名産品があればいい。
「人が集まるようなローワンフォードの名産品ってなにかなぁ」
「ローワンフォードといえば」
独り言を耳ざとく拾ったディーが手を叩く。
「二人の英雄がいるじゃないですか! ほら、拳闘王と葬剣姫のふたりですよ。お二人は王都でも人気が高くて、路上吟遊詩では一番人気の題目だと聞きます。せっかくの聖地なのですから、二人関係のお土産を」
「それだけは、無い」
きっぱりと断言する。
目を輝かせて力説してくれる彼には申し訳ないが、身内の肖像画やら絵葉書やら人形やらが店内にびっしりいると想像するだけで、私の胃が崩壊の序曲を奏で始めるのだ。
「そいつらのような、物理火力マニアな二足歩行の生命体は除外して、新しいローワンフォードの名産特産品を考えてくれると、とても助かる」
「そ、そうですねぇ?」
とたんに言葉数が少なくなったディーが「日帰りできる、すてきな田舎町」と失礼なんだか、頑張ったんだか分からない感想をひねり出した。
「……あとは、トゲなし時薔薇?」
そう言った彼を責める事などできようか。私も今のところ、それしか思いつかないのだから。
「あっ、見て下さい。キークロシェンの墓地が見えてきましたよ」
わざとらしく話題を変えたディーが指さした先には、こんもりとした木々が生い茂る、森のような区画が見えはじめていた。




