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15、満員御礼と試食

「ふふん。一度食わせてしまえば、こちらのモンよ」

「アンさんが悪い顔をしています」


 そこは、知的に企んでいる顔と言って欲しかった。


「一個ずつ試食用に回して、あとは安売り木箱に入れよう」


 魅了効果著しいジャムの賞味期限。値上げした時薔薇の評判。問題が多い割には微妙な当店の売り上げ。

 考えることは多い。けれど、やりがいがある。


 見落としがないように、在庫表と入荷日、そしてミルクジャム現物の個数を念入りに照らし合わせていく。

 試食用のミルクジャムは各種類ひとつ選んでキッチンへ持ち込んでおいた。残りは小銀貨一枚の値をつけて、藁を敷いた安売り木箱の中へ並べるつもりだ。


 薄くスライスしたバケットをオーブンの中に突っ込んでいる間に、戸棚の中からケーキドームをひっぱりだす。木皿の上にスミレ柄の白い紙ナプキンを引いて、ココット皿に、ラズベリーチョコレート、オレンジ、ハニージンジャーのミルクジャムを三種類ほど入れ、木さじをそえた。


 この三つは私のお気に入りだ。今日中に全部なくなるとは考えにくいから、開封したこれらの残りは、私が責任をもって全部食べよう。ディーのお昼にデザートとして出してあげるのもいいかもしれない。


 そこまで考えて、ディーという存在がずいぶんと自分の生活に入りこんでいるなと思った。

 家に引きこもっている時は家族としか関わらなかったし、誰か一人についてこんなにも考えることはなかった。

 初対面の印象はお互い悪いものだったけれど、いまはそんなに悪くない、はずだ。

 そうだと思う。はっきりとした自信はないけれど。そうだといいな。


 オーブンから小麦の焼ける匂いと胸弾む高音がはじき出された。まだ熱いパンを一口サイズに切り分け、ジャムを添え、埃がつかないようにホールケーキと同じ形をした透明なグラスドームをかぶせる。

 謹慎期間が延びたとディーは言っていたけれど、結局、衛兵の仕事に戻ることに変わりはない。ギギ老が帰ってくるまで一人でお店をやる気だったけれど、今は一人でやることが恐ろしい。

 たとえば大きなお店なら「この店で一緒に働こう」とディーを引き抜くこともできただろう。衛兵というエリート職と雑貨屋。給料は比べるまでもない。彼のキャリアを考えると、声をかけるのをためらってしまう。


「はー、何とかして引き抜けないかなー」

「マンドラゴラの植え替えですか?」

「ひょわっ!?」


 とつぜん背後から声をかけられて、飛び上がった。


「すいません、そんなに驚くなんて。一通り終わったので報告に」

「あああ、ありがとう」


 ディーについて考えていたところだったので、心臓が止まるほど驚いた。彼はじっとグラスドームの中身を見つめている。いつもより目がキラキラしているのは気のせいではないのだろう。


「これ、食べてもいいですか」

「どうぞ」


 礼儀正しく気取った態度のウェイターを真似て、銀盆代わりに試食を差し出す。


「美味しいです! 砂糖が控えめで、たくさん付けてもベタベタしないんですね」

「でしょう!?」


 頷きながら、私もラズベリーチョコレート・ミルクジャムをつけたバケットを口に放り込む。朝食は食べ終わっているが、甘いものは別腹なのだ。


「これ、どうして売れていないんですかねー」

「不思議だよね」


 サクサクと口を動かしながら、互いに首を傾げる。自分が好きな物を褒められると嬉しいし、なんだか誇らしくなる。私が雑貨屋で働きたいと考えたのも「自分が好きなものを誰かに認めてもらいたい」という気持ちからだった。


 チリンとドアが開く音がする。開けるたびに音が変わるドアベルが、涼やかな音色で来客を招き入れた。


「あら、美味しそうな匂いね」


 慌ててキッチンから店内へと戻る。そこに立っていたのは、いつぞやのやじうま奥さんだった。


 彼女は競い合うようにして現れた私たち二人を見て驚いたようだった。まだ朝も早いせいか、バケットは持っていない。これから買いに行くのかも。この上品な奥さまは、たびたび姿を見ている。そのたびにパンを抱えているので、すっかり「バケットの奥様」というイメージがついている。


 そっと試食の皿を差し出した。時計を見ると、すでに開店時刻間際。誤魔化すにはちょうどいい。


「試食、よければ一つどうですか?」

「それじゃあ頂こうかしら」


 今日は朝から幸先が良い。口にジャムをつけたバケットを入れた瞬間、ほころんだ顔を見せてくれた奥さんはそう言った。


「これ、すごく美味しいわ!」

「こっちも美味しいですよ」

「やだ、食べ過ぎちゃいそう」


 ディーが合いの手を入れ、奥さんは三種類すべてをぺろりと平らげた。気に入ってくれたのか安売り木箱に入っているジャムを一つ手に取る。


「賞味期限が長いものは無いのね」

「申し訳ありません。現在品切れで、来週、入荷する予定になっています」

「じゃあ来週も来なくちゃ」


 奥さんはにっこりと笑い「今度は友達を連れて来るわ」と言って帰っていった。入れ違いに、見覚えのある茶髪の男性がひょっこりと姿を現す。

 

「よう、繁盛してるみたいだな」

「いらっしゃいませ、エミリオさん」

「仕事前に寄らせてもらったよ。何か面白いものはあるかい?」


 一番街と三番地は区画も地区もまるで別なので、仕事前に寄ったという言葉は嘘なのだろう。彼が訪れる理由を考えるが、分からない。それでいいのだろう。きっと悪意のあるものではないから。

 エミリオさんは目ざとく試食品の入ったグラスドームを見つけ、ジェスチャーで食べてもいいかと聞いて来た。ディーがぼーっとしていたので私がどうぞと答える。


 口にいれたエミリオさんの反応は……なかった。まさかのノーリアクション、無表情。しかし悪い評価ではなかったのだろう。その証拠に、木箱に入ったジャムを二つほど掴んでレジに持ってきた。


「二つで小銀貨二枚になります。賞味期限が近いので、お早目にお召し上がりください」

「相変わらず安くて心配になる値段だな。それじゃあ……今日はがんばれよ。お二人さん」


 大銀貨二枚と書かれた時薔薇を一瞥したエミリオさんは、納得したように頷き、ウィンクと、高くなり始めた朝日と共に去って行った。瓶が二つ入った茶色の紙袋をランチバッグのようにつまんでいる。


「毎日来てくれるって、いいお客さんだよね」

「そうですね。本当にありがたいんですけれど……」


 ディーはエミリオさんの後ろ姿を見ながら首を傾げた。


「今日は、ってどういう意味でしょう?」

「あれ? 今日もがんばれ、じゃなかったっけ」


 はぁ……と少し曇った表情でディーが続ける。


「俺の聞き間違いだったかもしれませんね。すいません、うちの父母が悪戯をするとき、今のエミリオさんと同じような顔をするもので……少々反応してしまいました」

「へぇ、エミリオさんとディーのお父さんお母さん。悪戯なんてするんだ」

「はい。凄く手がこんでいるんですよ!?」


 それは意外だった。てっきり厳しく真面目な人だと思っていたけれど。ディーの両親がどんな人なのか、興味がある。やっぱり両親ともに白っぽい人なんだろうか。そしてエミリオさんみたいな飄々とした人なのだろうか。

 

「一度会ってみたいな」

「えっ!? それって」


 以前、ディーに聞いていた面白い話を思い出し、私は噴き出す。


「だって、ディーが言ってたじゃない。『最初にお前がすることは土下座だ』って言ったのはお母さんだって。凄く厳しい人だなと思ってたから、どんな悪戯するのか気になるよ」 

「そうですよね? そっちの意味ですよね!」

「他にどんな意味が?」

 

 チリンと再びドアベルが鳴り、お互いに口をつぐんだ。



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