10、七番街の駄菓子屋
『メリー・ベリー・ハニー』社長室。
机の前に飾られている一本の時薔薇。匂い芳しいそれを前にしてメルバノ・ツォツェンは思い切り眉を潜めた。
「ローワンフォード・リトル・マーケットか。クソ雑貨屋ごときが、どうやってトゲ無しの時薔薇を? それとも、あの田舎町に裏があるのか。何にせよ調べる価値はあるな」
ツォツェンの肉付きのよい頬がぐいっと持ちあがり、笑みを作る。
社長秘書ゼイ・マードックは思わず姿勢を正した。先刻手に入れた二十本の時薔薇はリボンをほどき、一本大銀貨四枚で売りに出している。思った以上に客の食いつきも良い。明日の朝も出せば全て売り切れるだろう。
「店には、店主の爺しかいなかったんだな」
「はっ、はい!」
ゼイは必死になって記憶を掘り起こす。
扉を開け、目に飛び込んできた見事な時薔薇。その後はおぼろげな記憶しかない。握った時の、茎の滑らかな手触りは今でもはっきりと思い出せるのに、カウンターに座っていた灰色の塊のことは金貨一枚を突きつけたことしか思い出せなかったのだ。
店舗記録によれば店主の名はジョルジオ。還暦をとうに過ぎた老人だと言うのだから、金貨を渡した相手こそ店主本人に違いないだろう。
「どんな手を使ってもかまわん。時薔薇のトゲが消えた理由をさぐれ。そして、ウチの他にローワンフォードの時薔薇を販売する店を無くせ」
「ですが、それは街の協定に違反します。それにローワンフォードと言えば、あの、サトクリフ家の村。下手に不興を買うような真似はお止めになった方が……」
「うるさいっ! 分かったならさっさと行け、この愚図が!」
「はいぃぃ!」
持ってきた紅茶を盆ごとひっくり返され、秘書は朝と同じく慌てて社長室を飛び出していった。
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今日は開店直後から、とても楽しい事になっている。
「だっはっは、ディー、おま、雑貨店、めがね、可愛いもの、似合わね、おわっはっはっは!!」
ディーの友人という人が来たのだ。
「処罰とか謹慎って聞いていたから、心配してたら、ぎゃっはっは、マジ、こんなかわいい子と二人、一日中密室で店番って、おま、アッヒャッヒャ」
ジャラジャラとしたアクセサリーに包まれ、ひたすら笑っていたオレンジ髪の青年は、突然すっと顔を元に戻した。元々整っていた涼し気な顔立ちが、元の位置に戻ることではっきり露わとなる。
「うらやましすぎ」
肝が冷える様な真剣さでした。
「友達のマルクです。七番地で駄菓子屋さんをやっています」
「よう、アンちゃんだっけ? ディーが迷惑かけたな! こいつ鈍いから大変だろー」
オレンジのギザギザ頭。にかっと笑った時に見える犬歯に、じゃらじゃらと全身につけたアクセサリー。一見して菓子と無縁そうに思える青年は茶袋に入った大量の駄菓子をディーに押し付けていた。
「賞味期限切れてる」
「お前用に持ってきたやつは、な。アンちゃんのはこっちー」
やけに距離を詰められ果物の形をした飴を渡される。フレンドリーだけれど、村を思い出すこの懐かしい距離の詰め方に、何とも言えない複雑な気分になってしまう。
「いや、それにしてもアンちゃんってさぁ、マジで可愛いよな。いま彼氏とかいんの」
「へ?」
摩訶不思議な問いかけをされたところで、見たこともない速度でディーが動いた。
「ご来店、ありがとうございましたー!」
「おい、待てよ。それが心配して様子見に来た友人に対する態度か!?」
「ありがとう! ございましたっ!」
怒っているのか恥ずかしいのか。顔を赤くしたディーを適当にあしらっていたマルクさんが、突然キュッと口角をつりあげた。
「もしかして……はっはーん、もしかしなくとも、本気でそういうことかぁ?」
どういうことだ。
「じゃあな、アンちゃん。ディーが居なくなったら、また来るぜー」
ディーが居なかったら来る意味ないのでは。
とにかく、扉から締め出されつつ投げキスをする、そんな奇妙な人物ことマルクさんのことは、しばらく忘れられないと思った。
「面白い友達だね」
「そう言ってもらえると、助かりますです。はい」
疲れはてたのか、いくぶんげっそりとしたディーの敬語が怪しい。机の上に積まれた時薔薇のトゲを黙々と取っている。このうっかり衛兵にも様子を見に来てくれるくらいの交友関係があるのだなと酷く羨ましくなる。王都に来て早三日目。知り合いの顔を見ていない。いや、村にいたら普通に一週間くらい顔見ない時もあったけれど。それとこれとは話が別だ。
「お茶、片付けるね」
マルクさんに出したお茶を片づけていると、今度は店の入り口から派手な音が聞こえた。ドアを思い切り開け放ったらあんな音が出るのかもしれない。そろそろ店のドアを開放したままにすべきかもしれないと思いつつ、台所から顔を出す。
カールした髪に白いカチューシャ。鮮やかな黄色で全身を包んだ女性が仁王立ちで立っていた。彼女の背中には、眠そうな目をした冒険者が二人立っている。
「ジョルジオさん。今日はどんなことをしてでも、トゲ無しの時薔薇の秘密を喋っていただきます!」
彼女は決闘を宣言するように、ディーに向かって指を突きつけた。
「はい?」
名前を間違われたディーは、いつもと同じくきょとんとした顔であった。最近、場の空気を読む事を覚えた彼は、とりあえず黄色の女性……名前はゼイさんだったか……に付き合う事にしたようだ。
「私の後ろにいる二人組はとーっても凄腕の冒険者です。もし時薔薇の秘密を喋らなかった時には、彼らがあなたの大切なお店を滅茶苦茶にします!」
「おっ、女子供向けの店かと思っていたが、これは良い薬液だな」
「そういや麻縄切れてたな」
「いらっしゃいませー」
彼女と冒険者の間にはかなりの温度差があるようだ。背後に控えていた大柄な二人の冒険者は普通に店の中を見て回っている。なので私もお客さん相手とはりきることにした。
「おい、娘さんよ。水玻璃硝子の欠片と猩々鳩の飾り羽はあるか」
「あります」
「じゃあ、五つばかりくれや」
「はーい」
「俺はこの春泣麦の束を三束」
「ちょっと、何ですかあなたたち! ちゃんと仕事してください!?」
半分涙目になったゼイさんが冒険者の二人にくってかかった。すでに商品を持ってレジスター前でお買い上げ頂いているので、彼女の反応はだいぶ遅い。
「いや、俺たちは雑貨屋までついて来てくれって依頼を受けただけだからな」
「それとも、姉ちゃん。俺たちがこんなチビたちの店で乱暴を働くような犯罪者に見えてたのかい?」
のんびりとした口調で冒険者の二人が口々に言う。口調は穏やかだけれど、ゼイさんに向かってチラチラと抜き身の刃のような殺気が向けられていた。
「う、それはっ、そのっ。うーっ!! 今日のところは引いてあげます。あなたたち、覚えていなさい!」
半分どころか全力の涙目になったゼイさんが出ていく。恋人との別れを彷彿とさせるくらい、恨みに満ちた捨て台詞を残していった彼女は、店から数歩出た何もないところでキャッとつまずいてこけた。
あの人、何のために来たんだろう。誰も口には出さないが、誰もがそう思っている。そんな何とも言えない空気が店内を包んでいる。
何が彼女を駆り立てているのか。時薔薇の秘密も何も、ただプチプチ地道に取っていくだけである。一度にトゲが取れる道具があれば、此方が知りたいくらいだ。
「嬢ちゃん、迷惑かけたな。あの花屋の姉ちゃん、ちょっと思いつめた顔していたから何かあるとは思ったんだけどよ」
「職務に忠実なだけで悪いやつじゃないんだよ。多分、ホント」
じゃあな、と冒険者の二人も去って行ってしまった。
脅迫行為というよりも、ただお買い上げ頂いたり、お客さんを連れてきてくれたようにも見えるゼイ女史に対し、どうやって対処すべきだろうか。結果得しているから放っておこうか?
そうやって頭を悩ませていると、もう一人、隣に悩みを抱えた青少年がいた。
「俺、ジョルジオさんに間違われるほど、老化して見られていたなんて、そんな……」
「それは恐らくカラーリング的に間違われたのかと」
遠目から見てギギ老は全体的に白っぽいし、ディーはぼやっとした灰色だし。
フォローしたつもりがトドメをさしてしまったらしい。目に見えて「ガンッ」とショックを受けたディーはふらふらと店内をさまよっていたが、途中で何にショックを受けていたのか忘れたらしく、普通に棚整理をして、元気に戻ってきた。




