1、ローワンフォードの異端児
ここ、ローワンフォードには二人の伝説が住んでいる。
一人は、火竜すら拳で屠る王都の剣闘士、拳闘王ルーウェリン・サトクリフ。
もう一人は、死神すら双剣で屠る冒険者、葬剣姫ヴィクトリア・エゼルウルフ。
当時、まだ戦地であったローワンフォードの平原に投入された度を超えた物理火力×2は、圧倒的なスピードと物理火力とか物理火力とか物理火力とかで、文字通り平原をすり潰した。見渡す限りの砂地であったと、当時を知る人は言う。何故か皆、揃って遠い眼をしながら。
区画整理がすっきり終わったローワンフォードの平原は、ローワンフォードの村になった。そして、その村でルーウェリン・サトクリフとヴィクトリア・エゼルウルフは恋に落ち、結婚した。
誰もが知ってるお話。誰もが知ってる、私の両親のなれそめ。
私の名前はアンジェラ・サトクリフ。圧倒的体育会系の血筋から誕生した、完全文系である。
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人間、誰しも苦手なものがあると思う。
ぞくりとした悪寒が背中を走りぬけた。
来る、間違いなく。
「アンちゃーん、アンちゃーん?」
パタパタと可愛らしい足音をたてながら、誰かが階段を昇ってくる。私は読んでいた本を放りなげると、急いで机の前へと座った。
「アンちゃん、入ってもいーい?」
トントン、というノックの音。
「どーぞー」
私がそっけなく返事をすると、部屋のドアがガチャリと開いた。
すべすべの肌、ふわふわにウェーブした栗色の髪。ここからでもはっきりと分かる長いまつげ。
甘く垂れた翡翠の目をゆるませ、さくらんぼのような唇は紅をさしたのか、いつもより少し赤い。
誰もが憧れる容姿を持ち、お気に入りのワンピースを着て笑う姿はどう見ても私と同い年。とても四十過ぎには見えない。
「ねぇ、アンちゃん。ママと一緒に王都までお買い物に行かない?」
私が母と共に買い物へ行くと、100%姉妹か友人同士の買い物に見られる。
いつまでも美しい母を持って幸せなような、なぜ私の方が100%姉扱いなのかいつか微に入り細を穿ち、ついでに腹部も穿ちつつ店員を吐かせたいような、複雑な心境である。
「行かない。勉強があるから。メアリーと行って来たら?」
メアリーはうちで働いている住み込みの家事手伝いだ。そう言いながらそっぽを向くと、心底残念そうな声が聞こえる。
別に買い物が嫌いとまでは言わない。けれど、今日は一歩も部屋から出たくない気分なのだ。具体的に言うと、ベッドの上で着替えもせずにダラダラと本を読んで過ごしていたいのだ。王都まで馬車に乗って片道二時間。労力を考えると、乙女を気取りたい心より面倒くさいとものぐさ心が勝つ。
「でも、アンちゃん。今日は安息日だよ。一緒に行こうよ。たまにはお日様に当たって体を動かさないと毒だよ」
お願いと言って手を可愛らしく組んでも無駄だ! 父は屈しても、私はその可愛さにけして屈しない!
「そう言って、マダム・クロッシェのレース屋で長話したり、エルメバニラの新作靴を履いたり見たり買ったり、マッシュルームズポピーの春物新作を片っ端から試着したりするんでしょう」
「ぎくり」
母の良いところは素直なところ。そして、分かりやすいところだ。
「その上帰ろうとしたら『夕ご飯どっかで食べよー?』と言って、高級食堂で金貨1枚はするコースディナーを頼むに違いない! 恐ろしい! 見よ、想像しただけでこの鳥肌、実に恐ろしい休日の過ごし方ではないか!! 私は影に隠れ、人の居ない場所でのんべんだらりと読書をしていたいのだ!!」
うおおおお、と渾身の力を腕に込めて机にすがりつく。しかしいつの間にか背後に回っていた母に優しく肩をつかまれた。
「アンちゃん、学校を辞めてから毎日が休日じゃない」
「ぎくり」
「人前に出なくとも、自分を磨くのにある程度の出費は必要よ。さあ、お洋服買ってあげるわ! それにね、アンちゃん。アルケミストスプリングの香水屋めぐりが抜けてるわよ?」
キャッというハートマークが付きそうな勢いで、私の予想を母が訂正する。出かける前から言葉のナイフで死にそうだ。葬剣姫の名は伊達じゃない。
経験から生み出される自身の想像力で、そのルートをはっきりと思い描いてしまった私は眩暈をおこし、力なく机の上に広がった。
「殺せ……いっそ無惨に殺してくれ……くるしむ前に介錯を……」
がちゃんと眼鏡のフレームが木板に当たる音がするが仕方ない。しょせん私は敗者なのだ。ついでに眼鏡は伊達なので、別に無くても困らない。ただ単に好きなアクセサリーなのだ、眼鏡は。
「うう、アンちゃんがそこまで嫌がるなら、仕方ないけどママ、メアリーちゃんと出かけることにする。今日は偶然、ジョルジュの雑貨屋さんが処分市をしている日だけど」
ピクリ、と身体が勝手に反応を示す。ジョルジュ通り三番地の雑貨屋。あの、宝の山が切り崩されている?
「偶然ウェストティックの古本市がアサデア広場で開かれる日でもあるんだけれど」
「さっ、母上。参りましょうか」
本! 雑貨!
扉を開ける私の顔は、きっと輝いていたと思う。完全に掌で遊ばれていた。
街に到着するまで私の住むローワンフォードの村について少し話そう。誰に向かってなんてことを聞いてはいけない。
ローワンフォードは遺跡に挑戦に来る冒険者や、湖底や森林洞窟の探索に来る王国調査隊を主な金づる……資金源……持ちつ持たれつの関係……で発展しはじめた小規模村落である。
王都からは馬車で2時間ほどの距離。
貴族の避暑地として有名なウィートフィールド、学校事体が一つの都市として機能しているブックオブフォレストまでの中継地点として利用されることで、新たに宿場町としての側面もみせはじめた。観光客が落とす収入資源も加えて、村でありながら町と言っても差し支えないほどに発展している。
それも、父、ルーウェリン・サトクリフの功績である。
鍛え上げたマッスル。舞踏のように洗練された優雅なふるまい。そして綿菓子やユニコーンを彷彿とさせるピンクの髪。魔のピンクと呼ばれる頭髪を見なければ、我が父ながら見惚れるほどカッコいい。
しかし、フワフワピンクがなければ可愛いもの好きな母を射止めることはなかったので、世の中、なにが幸いするかわからない。
なお「魔のピンク」は娘へと受け継がれた。
ふわふわとした綿菓子のような、淡いピンク色の髪。ファンタジックヘアーに父母は歓喜し、我瀕死。床に落ちた紺紫の髪を拾い集め、カツラを作った。本気で「止めてください」と止められた春の日。あれは四才の時であった。
「楽しみねぇ」
花をもまき散らす笑顔で母が言う。ちなみに、隣に座っているのは元大陸一の剣鬼。誰もが畏怖し、人一人で大陸が部分的に平たくなると実証した恐怖の根元だったお方だ。
そんな相手からどうやって逃げ出そうか。
馬車に揺られながら、私はそればかりを考えていた。