時が満ちる時
よく晴れた二月の午後、大糸線の白馬駅で新宿行きの特急あずさ二十六号に乗車した。車内はほどよく暖房が効いている。混雑しているだろうと予想して指定席を買っていたのだが乗客はまばらだった。スキー客で一杯だった時代がとんでもなく遠い昔のことのように思えた。チケットの番号を確認し、窓際の席に腰を下ろす。前の席にも後ろの席にも誰もいない。肘掛けのレバーを引いてシートの背もたれを倒した所までは記憶にある。
それからどのくらい経ったのだろう、ふと目が覚めると列車は駅に停まっていた。白い光に照らされた明るいホームの駅名標には《松本》と表示されている。どうやら二時間ほどぐっすり眠っていたようだ。女性の声で車内アナウンスが流れた。それによると列車は定刻通り順調に運行しており、松本駅を出発するのは三分後ということだった。このまま乗っていれば僕は終点の新宿まで何の問題もなく確実に移動することができる。日の暮れた新宿駅はきっといつものように強烈な人工照明に満たされて煌々と輝き、地下深く縦横に張り巡らされたレールを無言で走る銀色のメトロに乗り換えて何事も無かったかのような顔をしていれば、再び整然とした巨大都市の住人として生きることに何の疑問も感じなくなるだろう。
けれども僕が戻っていこうとしている世界は果たして僕が帰ってくるのを待っているのだろうか。そもそもあの街の誰が僕を必要としているというのだろう。
……心から僕を待っている人は誰一人としていない……
そう思った時、言いようのない重みを持った『何か』が胸にのしかかってくるような気配がした。待つ人のいない街へ帰る必要が果たしてあるのか? と『何か』に問われているようでもあった。僕はしばらく目を閉じてじっとしていたが、得体の知れない『何か』に導かれるように立ち上がり、誰かに手を引かれるように列車を降りた。
改札を出るとそこは広いコンコースだった。行く宛てがあった訳ではないが『お城口』と書かれた案内板が目に入ったので矢印に沿って歩き、雑踏の中を抜けた。日が傾きかけた駅前広場に吹く風は身を切るように冷たい。腕時計を見ると十六時前だった。
とりあえず電話を掛けてみよう。僕は背負っていた大きなザックを地面に降ろし、フラップのポケットからビニール袋にくるんだ古い型の携帯電話を取り出した。短縮番号を押して耳にあてると三回目の呼び出し音の後で相手が出た。
「青木法律事務所でございます」
心を優しく包まれるような落ち着いた声だ。なんだか懐かしい。
「さっちゃん、久しぶりだね。僕が誰だかわかるかな」と尋ねてみた。
「まあ、ウエダ君、無事だったのね。よかった……。今どこにいるの?」
どうやら彼女にはすぐに僕だということがわかったようだ。
「信州の松本駅だよ。そっちはどうだい、変わったことはなかった?」
「あなたがいなくてみんな寂しがってるわ」
「冗談はよしてくれよ」
「本当なのよ。帰ってきたらきっとびっくりするから。みんなあなたを待っているのよ」
そんなはずはない。
「所長は事務所にいるかい?」
「ええ、今日も朝からずっとご機嫌よ。代わるから少し待ってね」
彼女はちょっと大袈裟に言っているのだ、と思った。僕と同年代の彼女は中村幸子という平凡な名前の、これといって目立つところのないごく普通の女性だ。なんの変哲もないごく普通の女性はどこにでもいるようでいてどこにでもいるわけではない。そのことに気付いたのはいつのことだったのだろう。案外最近のことのような気がする。事務所で長年受付をしている彼女とは時々飲みに行く程度の仲でしかないが、どちらもバツイチの独り者ということもあってか妙に気が合った。もしも僕がいなくてほんの少しでも寂しがっている人間がいるとしたら彼女だけかもしれない。
電話転送中のメロディーが途切れ、続いて男性の野太い声が聞こえた。青木所長だ。
「おおっ、上田君か。今は松本駅だって? ついに下山したんだな」
「はい、所長」
「どうだ、楽しんできたか」
「おかげさまで十分楽しむことができました」
僕は長い休暇を利用して北アルプスの後立山連峰に聳える標高二八八九メートルの鹿島槍ヶ岳とその周辺の山々に登ってきたのだった。
「思い切って休暇をとってよかっただろう」
「はい、とてもすばらしい休暇でした。けれどもあと三日だけ延長させていただけませんか」
「どうした、怪我でもしたのか。それとも凍傷か」少し心配そうな声だ。
「怪我でも凍傷でもありません。特に理由はないんです」
「理由はない? ははぁ、温泉にでも行く気だな。まあいいだろう、せっかくだから思いきり羽を伸ばしたらいい。何日か遅れることもあると思っていたんだよ。何しろ厳冬期の単独登山だからな。あと数日は君がいなくても回るようにチーフが段取りしてくれているはずだからゆっくりしてこい。山のような土産を期待しているからな」
と、かつて岳人(=登山家)でもあった所長は機嫌良くあっさり了承してくれた。理解があるというか何というか……。それはそれでとてもありがたいことだったが、自分がいなくても何の問題もなく事務所は回るということでもあった。
僕は新宿にある小さな法律事務所に勤務する事務員で、弁護士の業務をサポートすることが仕事だ。このような仕事をしている人間のことをパラリーガルと呼ぶこともあるが、一般にはあまり馴染みのない言葉かもしれない。事務員をしながら受験した期間を含めると司法試験合格を目指してかれこれ二十年近くになるが未だに合格できない。
弁護士を目指すようになったのはあることがきっかけだった。僕が小学四年生の頃、父が経営していた町工場が乗っ取り屋に狙われた。多人数で凄味をきかせて乗り込んでくる彼らを恐れ、いつも父と親しくしていた羽振りの良さそうな人たちは誰も父を助けてはくれなかった。
周りが命の心配をするほど困り果てていた父を救ってくれたのは同じ町内に住む弁護士だった。その人の事務所は通学路の途中にあったのだけれど、貧相な蛍光灯が数本灯っているだけで薄暗く、決して繁盛しているようには見えなかった。
いつも灰色のデスクの向こうで昼行灯のように暇そうにしていたその人がある日父の工場へ「町内会のよしみ」と言ってひょっこりと現れた。そして普段はあまり付き合いの無かったはずの父と何事か話をした。あまりぱっとしないおじさんとしか思っていなかったその人は、その夜、工場へ押しかけてきた目つきの悪い乗っ取り集団の脅しに全くたじろぐことなく、静かに一つずつ相手の言い分を論破していった。
冴えない禿げ頭のおじさんとしか思っていなかったその人は、実は強大な力を秘めた正義の味方だったのだ。その人の力の源泉はどうやら『法律』というものらしかった。物陰に隠れて様子を窺っていた僕はその人のあまりの格好良さに心を奪われ、憧れ、将来は弁護士になろうと決意した。
けれどもそれから八年後、父は巨額の不渡手形を掴まされ、厳しい取り立てを受けるようになった。僕が大学に入学した直後、父と母は取り立てによって受けた心労がたたって相次いで病死した。その上両親が亡くなるとすぐに家も工場も全て外資系銀行に取り上げられた。工場が持っていた門外不出の技術も全て奪われてしまった。無念でならなかった。
父はなぜ不渡を掴まされたと気付いた時に弁護士を雇わなかったのだろう。八年前に父を救ってくれた弁護士は既に亡くなっていた。もしかしたら引き受けてくれる弁護士がいなかったのだろうか。あの不渡手形は工場の技術を奪うために最初から外資と組んだ組織が仕組んだ罠だったのだろうか。あの時もし僕が弁護士であったなら両親が命を縮めることはなかっただろうと思うことが、今でもある。そう思う度に父と母の無念が思われていたたまれない。
僕の趣味は登山と読書だけだ。妻も子もいない。一度結婚したことがあるが、約十年前に別れた。僕は彼女のことを好きだったが、彼女は僕のことを好きではなくなったらしい。
「私ね、いつまで経っても司法試験に合格できない不甲斐ない人が嫌になったの。私、弁護士と結婚することにしたわ。お願いだから私の人生の邪魔をしないで」
彼女は冷たく一方的に言い放ち、署名捺印済みの離婚届を僕に突きつけると憤然として去って行った。なんだかキツネにつままれたような気がした。
愛し合っていると信じて一緒に暮らしていたのは一体誰だったのだろう。もしかしすると彼女は『司法試験に合格して弁護士になる可能性のある男が好きな女』だったのだろうか。ということは、彼女の見立てでは僕は永久に合格することはないということだ。僕は色々な意味で落胆した。彼女を追いかけることはなかった。
今回の鹿島槍ヶ岳周辺への登山は、僕が四十歳になった記念に「少し羽を伸ばしてみるのもいいのでは」と、所長をはじめ所員たちが送り出してくれたから実現したのだった。入所以来十五年間、司法試験の期間以外は一度も有給休暇を使ったことがなかったので少々戸惑ったが、十日間の休暇はあっという間に過ぎた。
久しぶりに単独で冬山に登ったが、日頃から筋力トレーニングやジョギングをしていたせいかブランクはあまり感じなかった。雪がとても少なかったのは残念だったが、山にいると気力が充実してくるのを感じた。いい休暇だった。再び仕事に戻ったらきっと今までよりも密度の濃い仕事ができるだろう。そう思っていた矢先だった。僕が松本駅の改札口をふらりと出てしまったのは……。
本当にそうなのか? ……僕は本当に『再び仕事に戻ったらきっと今までよりも密度の濃い仕事ができる』と思っていたのだろうか。もしそうだとしたらすぐに新宿へ戻ればいいはずだ。
事務所は時折新人弁護士を採用することがある。当然のことだがどの顔も例外なく誇らしげに輝いている。僕は若い彼らに事務所や法廷のしきたりをひとつずつ教え、彼らと共に依頼人の意向を聞いた上で、該当する法令や判例をピックアップし、関係者から聞き取り調査を行い、実地調査の結果と共に新人弁護士に差し出す。それらの情報は弁護士資格を持つ彼らによって交渉に使われ、時には法廷に持ち込まれ、最終的に示談や和解に至って契約書を交わし、あるいは依頼人に有利な判決という、目に見える果実となる。
その果実を味わうことができるのは、当然のことながら僕ではない。自信に満ち溢れた笑顔を浮かべる彼らのみが手にする資格を持っているのだから。
僕は咀嚼された後の残り滓として排泄され、下水に流される。僕の姿は跡形も無くなる。しかしそれはあたりまえのことだ、僕は弁護士ではないのだから……。僕が弁護士を目指していなければこんなに情けない思いをしなくても済んだのかもしれないと思うこともある。寂しい。僕の存在など何の意味も無いのだと、つい思ってしまう。この世からふと消えてしまっても誰も困らないだろうと思うと心が塞がる。
行く宛がある訳ではなかった。行く手にぽっかりと大きな空白ができた。けれどもそれはなんと言えばいいのだろう。決して絶望ではなかった。むしろ久しぶりに感じる、何の目的もない完全な自由だった。もしかしたら司法試験の受験勉強を始めた時から今日に至るまで感じたことのなかった解放感、だったのかもしれない。
何をしようか……。所長が言っていたように温泉に行こうか。このあたりにはたくさんの有名な温泉がある。のんびり湯に浸かるのも悪くない。山の垢も溜まっているからちょうどいい。何も考えずに宿でゆっくりしよう。そう思って駅の中にあった観光案内所に戻ろうとした。が、ふと思い出した。昔、松本に住んでいた男のことを。
かつて僕は秋田市内の手形山という名のゆるやかな起伏に抱かれた高校に通っていた。彼はその当時一学年下の後輩だった。彼も僕も山が好きで山岳部に所属し、不思議なほど気が合った。合宿以外の休日には、彼と二人で秋田県周辺の山々を自分の庭のように歩いた。僕たちが特に好きだったのは真冬でも凍ることがない田沢湖の北東に聳える活火山、秋田駒ヶ岳からおっぱいのような形をした乳頭山への見晴らしの良い縦走路だった。途中には至る所に信じられない程多くの種類の高山植物が咲き乱れていて、この世のものとは思えないくらい美しい景色だった。
将来の夢は山岳警備隊に入ることだと語っていた彼は、高校卒業後に信州大学へ進学して松本に暮らした。しかし、彼は二十二歳の冬に、北アルプス穂高連峰の明神岳Ⅱ峰とⅢ峰の鞍部(=山の尾根のくぼんだ所)で平衡感覚が薄れて行動不能となり、ビバーク(=露営)中に命を落とした。
彼と一緒に行動していた地元山岳会の経験豊富で屈強な男たちは、吹雪のテントの中で次第に意識が混濁していく彼がゼイゼイと苦しそうな呼吸をし始めたため、高山病だと確信した。ヘリを要請したが、非常に強いシベリア寒気団の影響による大変な悪天候で飛ぶことができなかった。
彼の葬儀では山岳会の大男たちが声を押し殺してとめどなく涙を流した。彼の恋人だという女性も葬儀に参列していた。彼がアルバイトをしていた造り酒屋のお嬢さんで、高校三年生ということだった。セーラー服を着た可憐な彼女は、涙を必死に堪えていた。
葬儀の後、彼のご両親は「息子は幼い頃、呼吸器系が弱かったのです」と漏らした。「弱さを克服するために水泳やマラソンや登山など色々なスポーツで体を鍛え上げ、健康になったと喜んでいました。けれどもそれは表面上のことで、生まれながらの体質は強度の肉体的ストレスに耐えられなかったようです。でも、好きなことをして亡くなったのだから本望でしょう」と、涙に濡れた小さな銀の十字架を握りしめて静かに語った。
彼が亡くなった当時、僕は既に大学を中退しており、アルバイトをしながら独学で司法試験に挑んでいた。正直言って日々の生活と試験のことで頭がいっぱいだった。葬儀に参列することはできたが、僕は彼のことを深く思う余裕がなかった。すまなかった。今頃になって君のことを思い出すなんて……。どうか許してほしい。
松本に僕を引き留めたのは、もしかしたら彼だったのかもしれない。彼が僕を呼んでいるのではないだろうか……。そうだ。きっとそうに違いない。彼は、僕を、呼んでいるのだ。そういえば彼が亡くなったのも二月だった。彼は僕に会いたがっている……。それは次第に確信に変わった。
もちろん僕も彼に会いたい。そうだ、この三日間の休暇を使って彼に会おう。しかし、どこに行けば会えるのだろうか。彼が住んでいた下宿の跡か、信州大学か、それとも松本の街をさまよえばいいのか。
そもそも彼の魂は今どこにあるのだろう。彼の魂が宿る場所、それはいったいどこなのか。
ああ、それはただ一カ所しかないではないか。あそこだ。間違いない。彼の魂は今も標高三一九〇メートルの奥穂高岳を中心とする穂高連峰に宿っているのだ。そこに行けばきっと彼に会える。今からその頂へ向かおう。
いや、三日間で山頂に立つのはとても無理だ。せめてその姿を、穂高を間近に望むことができれば……。
僕はザックを開けて地図を取り出した。彼が最期の時を過ごした明神岳の、主峰からⅡ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ峰までの尖峰を一望できる場所を探す。
地図を目を皿のようにして穴が開くほど見詰める。するとそこに、ちょうど条件に合う一つの場所が見つかった。
徳本峠……。明神岳の真南にある峠で、島々谷から上高地へ抜ける、古くからある街道の要所。
ここだ。ここにしよう。地図で見る限り、ここからなら遮るものなく明神岳を真正面から望むことができる。
島々谷への入り口、新島々までは松本駅から列車が出ている。列車を降りて一五キロメートルほど歩けば峠に着く。雪道だから往復に二泊は必要だろうが、三日以内に東京に帰ることが可能だ。
・今日:新島々駅から徒歩で島々谷を遡行、テント泊
・明日:島々谷を出発→徳本峠に到着。穂高連峰を仰ぎ見る。同地にてテント泊
・明後日:徳本峠を出発→新島々→松本→新宿
・予備日を一日
ざっとそのような計画を立てた。
僕は早速必要な食料を駅前のコンビニで買い込み、装備を点検して松本駅に戻った。そして七番ホームから松本電鉄の新島々行き列車に乗った。列車は三十分ほどで終点の新島々に到着した。
日は既に暮れている。ザックを背負って島々谷に入り、暗い雪道を二時間ほど歩いた所で荷を下ろした。今夜はここに泊まろう。谷底から空を振り仰ぐと星が所狭しと輝いていた。明日も晴れる。
翌朝、まだ暗いうちに起きて支度をする。湯を沸かし、紅茶にコンデンスミルクをたっぷり入れる。
昔、彼と二人で山に出かけた時も僕はこれと同じものを飲んだ。彼は僕のことを「上田さん」と礼儀正しく呼び、僕は彼のことを「ケン」と愛称で呼んだ。
「上田さん、そんなに沢山コンデンスミルクを入れていいんですか。甘い物を摂りすぎるとバテますよ」
彼はいたずらっぽく笑っている。
「こうやって少しでも荷を軽くしているんだ。ケンにもわかるだろう? 重いとバテるからな」
僕は真面目くさってそう答えた。
「上田さんのしていることはまったく理解できませんね。なにしろ僕は先輩より若くて元気ですから」
「よくも言ったな!」
確かに彼は本当に元気だった。僕が高校三年生の夏に彼と二人でアルプスの長大な縦走路を踏破した時も、キャンプ場の信じられないほど遙か下方にある水場まで飛び跳ねるように水を汲みに行ったのは僕ではなく彼だったし、僕が暑さに参ってしまった時に平気な顔をしてザックを抱えながら僕を日陰まで背負って運んだのも彼だった。つまり彼は後輩というよりもとても頼りになる相棒だった。
また、彼は動物や昆虫や植物や鉱物に非常に詳しく、道を歩いている最中に珍しい種類のそれらのものを見つけては詳しく解説してくれるのだった。
パンをちぎって口に放り込んで紅茶で胃に流し込むとテントを畳んだ。午前三時。ヘッドライトで前方を照らす。雪は固く締まっていてザクザク音を立てる。ワカン(=かんじき)を装着しなくてもよさそうだ。途中の岩魚留小屋までは谷筋に沿って歩けばいい。道に迷うことはないだろう。
昼前、小屋が見えた。看板を見ると『岩魚留小屋』とあった。戸や雨戸は釘で固く打ち付けられている。徳本峠小屋も冬期は誰もいないはずだ。
干しブドウとナッツ類の簡単な昼食を済ませてすぐ出発する。積雪が多くなってきた。けれど新雪ではなく、固く締まっているので歩きやすい。
三時間ほど谷を遡った所で右側の斜面を登り始める。傾斜がきつくなる。膝上まで雪に埋まるのでワカンを着けた。どこに本来の道があるのかさっぱり分からない。ところどころに小さな赤い布が木の枝に巻かれているが足跡は無い。地図とコンパスを睨みながら登る。あと三時間も登れば峠に着くだろう。
なあケン。君と僕はどうしてあんなにも気が合ったんだろうな。
そういえば、小型軽量な山岳調理用のストーブについて、ガソリン仕様の製品と灯油仕様の製品ではどっちが優れているかで君と論争したことがあった。僕は灯油派、君はガソリン派。君は持論を曲げなかった。後輩のくせになんて生意気なやつだとカチンときた僕は君と延々と議論して、あげくの果てに二人で何度も実験してデータをとった。
君も僕も真剣だった。部室にあった全てのガソリンストーブと全ての灯油ストーブを比べて、燃料消費量、熱量、予熱時間、安全性、耐久性……。様々な項目を調べ上げた。そのうちに二人で業務分担して効率的に実験を進めるようになった。得られたデータを二人で分析し、議論を重ね、数週間後にレポートを作成した時には僕たちはお互いに信頼しあえる『同志』になっていた。
結局はガソリン仕様でも灯油仕様でもそれぞれの特徴を生かして使えばいいのであって、優劣はつけがたいという結論になったのだけれど、それはそのまま君と僕の特徴のようだった。共通しているのは二人とも熱くなると燃えるということだったが……。
君は登山計画書を作るのが得意だった。それは芸術的とも言えるもので、山への強い憧れが結晶していた。『そこに行きたい。その峰の頂に立ちたい。あの稜線の風を感じたい』という君の気持ちが、美しく描かれた概念図や高低図に現れていた。そして計画書にはいつも必ず詳細なエスケープルートが記入された。いつどこで計画が破綻したとしても安全に下山するための情報がそこにはあった。これにはただただ感服するしかなかった。君は後輩だったが、尊敬すべき岳人だった。
いつしか僕たち二人は近県の山にも足を伸ばしていた。一人で眺めているうちはモノクロームだった世界が、ケンといると鮮やかな虹色に輝き始めた。彼と歩く山岳は小さな宇宙だった。そこには必要なものが全て存在していた。喜びも希望も僕たちのものだった。
僕が三年生になった春、「ケン、僕は仙台の大学に行くよ。どうしても弁護士になりたいんだ。君は信州大学に行きたいって言ってたな。僕が卒業したらお別れだね」と彼に話しかけた。
彼はしばらく考えていたが、「上田さん、夏休みに二人で北アルプスに行きませんか」と僕を誘った。彼は以前から行きたかったのだという。
翌日、彼は上高地から穂高、槍ヶ岳、後立山連峰を抜けて日本海沿いの親不知までを二週間で踏破するという登山計画書を持ってきた。
あの北アルプスを日本海まで縦走する!
山好きならば誰もが震えるほど胸が熱くなる計画だった。綿密で、周到で、完璧な登山計画書。
行こう……。僕は決意した。旅費を貯めるため、翌週から部活が終わった後、ケンの友人の父親が経営するガソリンスタンドでケンと共にアルバイトを始めた。受験勉強はアルバイトが終わった後に必死でやった。北アルプスに必ず行く。大学も絶対に合格する。授業も部活もアルバイトも受験勉強も百二十%頑張った。
高校時代最後の山行。それが夏の北アルプス行きだった。ケンが立てた綿密な計画によって僕たちは上高地から日本海までの縦走を無事に終えた。それは今も輝き続けている大切な思い出。あのまま永遠に二人でどこまでも歩いて行きたいと思った。僕はどこまでも続く稜線を求めていたのかもしれない。
僕はその後受験勉強に集中し、憧れていた大学の法学部に合格した。
しかし、大学の寮に入ったのが大きな失敗だった。確かに寮費は非常に安くて助かったが、寮は極端な思想を持つ者たちに占拠されており、非寛容で抑圧的な雰囲気は僕には全く合わなかった。次第に寮で暮らすことに耐えられなくなり、また、金銭問題に苦しめられていた両親が突然亡くなり、僕は精神的に不安定になった。次第に体を動かすこともままならなくなり、処方された薬を飲んでも改善せず、講義に出ることもアルバイトをすることもできず、結局、僕は大学を辞めた。それから先のことは思い出すのも辛い。
急な斜面を登っていくと、たくさんの木が生えている稜線に出た。木々の幹の間から、真っ白い雪に覆われた神々しいまでの穂高連峰が見えた。しかし、辺りを見渡しても小屋らしきものは無い。どうやらルートを間違えたらしい。地図とコンパスで確認すると、かなり霞沢岳に寄ってしまったようだ。西に行きすぎたのだ。けれど心配ない。この稜線を東に向かえば必ず徳本峠にぶつかる。僕は一歩一歩雪を踏みしめて稜線を歩いた。
今日は雲一つない晴天。左に見える白い穂高が太陽の光を反射してとても眩しい。フィルター入りのメガネを掛けていても目が潰れそうだ。ケン、そういえばあの夏の大縦走、奥穂高岳の祠の前で僕が柏手を打ったら、クリスチャンの君も横で柏手を打っていたな。
「ケン、君が祠に祈るのはおかしいんじゃないか」と僕が真顔で言うと、「いいんですよ、今の僕は先輩と一心同体なんです。こういうのは気持ちですから」とかなんとか分かったようなことを言っていた。あれはどういうことだったのだろう。自分以外の神を決して認めない者があふれかえっているこの世界で、君はあの時、どのような神を感じていたのか。
稜線をゆっくりと歩く。無風だ。青いパーカーの下は既に汗ばんでいる。ずいぶん長い時間この稜線を歩いているような気がする。それにしても長すぎるのではないか。だんだん不安になってきた。
もしかしたら気付かないうちに峠を行き過ぎてしまって、とんでもない場所へと向かっているのではないだろうか……。
日が傾いてきた。周囲の山々を地図とコンパスで測り、現在地を確認した。峠はまだこの先にあった。僕はこれ以上汗をかかないようにゆっくり歩いた。太陽はますます傾き、茜色の光が輝き始めた。
と、そこに突然、木々が切り拓かれた空間が現れた。雪に覆われた大きな岩は、よく見ると雪に埋もれた小屋だった。小さな崖を降りて近付くと、木の板を釘で打ち付けて開口部を完全に塞いだ小屋には看板が掛かっており、それには『徳本峠小屋』とあった。間違いない、ここだ。ついに目的地に着いたのだ。
ザックを降ろし、北の空を振り仰いだ。
そこに、夕日に真っ赤に染まる穂高連峰があった。その山体は血が滴るように赤い。
明神岳が見える。主峰からⅡ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ峰へ、連続する鋭い峰が血を吸った鋸の刃に見える。あの峰々のどこかにケンがいるはずだ。彼の魂はあの峰の上にあるのだ。
ケン! 久しぶりだな。そこから僕の姿が見えるか? ここに僕を呼んだのは君だろう!
僕は明神岳に向かって「おーい」と思いっきり叫んだ。《おーい、おーい、おーい》と自分の声が周囲の高峰にこだました。それはあたかもケンが返事をしているかのように聞こえた。
風が出てきた。峠の下からゴオーッと吹き上げてくる。山々を染める茜色が薄れていく。全てが混沌とした闇へと消えていくようだ。ああ、ケン、君はこれから再び眠りに就くのか、永遠の眠りへと再び……。
その瞬間。明神岳が緑色に輝き始めた。それは光線を失って暗い夜へとただひたすら向かっていく姿を想像していた僕にとっては驚異的な出来事だった。
明神岳は自らの意志でエメラルドのような美しいグリーンに発光している……。僕にはそう思えた。背景の空は黄金色に染まり、その黄金色の空は神々が浮遊する空間のように感じられた。
ああ、ここにはケンが生きている。確かにこの瞬間、君はここに生きていて僕にその姿を見せている。
僕は今一人ではない。ケンと一緒だ。あの穂高の稜線を縦走した時と同じように。
「会いに来たんだ、ケン、君に……」
「ケン、もっともっと君と一緒に歩きたかった……」
「頑張ったけれど僕は未だに司法試験に合格できない……」
「僕はひとりぼっちになってしまった……」
僕は、美しい緑色に発光する明神岳に向かって何度も何度も叫んだ。いつのまにか涙が両頬を伝っていた。
「上田さん!」
風の音に混じって、声が聞こえた。これは…… これは、まさか……
「ケン! 君か?」
耳を澄ませた。が、渦巻く風の声しか聞こえない。
「ケン! 君なのか? どこにいるんだ、返事をしてくれ!」
「上田さーん!」
「僕はここだ! 君はケンなのか」
「そうです、先輩!」
「君に会いたかった……。会いに来たんだ」
「僕も先輩に会いたかったです」
「ケン、覚えているか、二人で北アルプスを歩いたことを」
「はい、もちろん……」
風が強い。声が聞き取りにくい。
「おーい、聞こえるか! ケン、あの時、僕はただ全力を尽くせばいいと、全力を尽くしさえすればそれでいいと思っていた」
「僕も同じでした!」
「ケン、なのに僕は司法試験をクリアできない。全力を尽くしても未だにクリアできない。かといって逃げることもできない」
「先輩、一つ質問をしてもいいですか?」
「質問? ああ、かまわないよ」
「司法試験には、人間の生死を超える絶対的な価値があるのですか?」
「いや、決してそんなことはないが……」
「先輩、僕はもっと生きたかったんです。生きて、生きて、もっと生きて、もっと山に登りたかった……」
「ケン、君の気持は痛いほど分かる」
「先輩は今、生きています。先輩は、今、生きているんです」
「ケン、僕はもう生きる意味すらよく分からなくなってしまった。いったいいつまで受験し続けるのか、自分でもわからないんだ。自分で自分にあきれている。それに、この世界はもう誰も僕を必要としていない」
「先輩、一緒に歩きましょう。そうすればあらゆるものが、無限にある選択肢のうちの一つに過ぎないと分かります。僕はいつも、いつまでもここに居ます。先輩、僕が居る場所がどこか分かりますか?」
「君は今、明神岳に居るんだろう?」
「いいえ、違います。今、先輩の目に見えている高い山々が聳そびえる世界は、僕がいるこの世界は、僕が大好きな上田先輩の心の中にあるんですよ。この世界は、僕がいるこの世界は、先輩の心の中なんです」
「僕の心の中に?」
「そうです。先輩が僕のことを思い出してくだされば、僕はいつでも先輩と一緒にいることができるんです。先輩、あの日のように歩きましょう。新しい目標へ向かって」
「新しい目標……。今の僕には、それを想像することすらできないんだ」
「先輩は既に新しい道を歩いています。だからこそ今ここにいるのではありませんか。目的地は、今すぐには見えないかもしれません。けれど、歩いているうちに必ず……」
ケンの声がそこまで聞こえた時、峰々はエメラルドグリーンの光を失い、背景の空は黄金の輝きが薄れ、漆黒の闇へと急速に変化した。
「ケン!」
呼びかけても、返事はなかった。風が止み、深い静寂が訪れた。
ケン……
君と歩きたい。君と一緒なら僕は歩くことができる。たとえどんなに悲しくても、どれほど孤独であっても、生きている限り、君と一緒にどこまでも歩くことができる。前を向いて、あの日のように胸を張って。そうだろう?