ANOTHER CODE 前編
この話はある町をテーマにした公募の為に書いたものです。
しかし、人形、今までのシリーズの続編としてもなりたっています。
ただ、テイストは神話をテーマにした推理物のようになっています。
プロローグ
その者は暗闇で微笑んでいた。鎧戸からの木漏れ日が埃の流れを見せている。その仄かな視界の中で、その表情は猟奇的で尋常ではなかった。すぐ側では、歪にあらぬ方向に首を曲げられた男性は白目を剥いて涎を垂らしている。彼の腰掛けている安楽椅子は風がないのにゆっくりと揺れていた。
「全てはこれからだよ」
―――早く誰かに知らせなくちゃ。もう、何もかもお仕舞いだ。
暗闇の空間に潜んでいたもう1人の存在は必死に畏怖の心臓を抑えながらリノリウムの床を這って入り口に向かう。その時、手に何かが触れた。ゆっくり摘み上げて見るとそれは緋色の液体で濡れた妙に白い手首であった。
思わず声にならない悲鳴を上げる。刹那、戦慄が全身に電撃のように襲った。背後に冷たい気配が覆い被さるのを感じて体が動かせなくなってしまった。心臓が凍てつく水に浸けられたような感覚を覚える。胃に冷たい水を一気に流し込んだように重く重量感が襲う。
「驚嘆の声すら上げられないか」
殺人鬼は残忍に表情を綻ばせた。追い詰められたその人物は咄嗟に掴んだ手首を背後の『彼、もしくは彼女』に投げつけて何とか体を無理やり動かしてドアに向かって駆け出した。この薄暗い空間でカーテンから漏れる極僅かな光が保つ視界の中で出口のドアノブに手を掛けることができたのは、奇蹟、幸運と言えるだろう。
「このまま逃げられると思うな」
耳障りな声が心にまで響いて気を張り詰めていなかったら意識を失いそうであった。ドアが開け放たれて大量の光が押し寄せて目を瞑った。
―――この光の先には何があるのだろう。外には依存できるものがあるのだろうか。
背後の戦慄が凄まじいスピードで迫りつつあった。その時、はらりと朱に染まったメビウスの帯のが近くのテーブルから舞落ちた。それは禍禍しい存在が運命のトリガーに指を掛けたことを示しているのだった。
見えない痕跡
グッチのショルダーバッグを肩に掛けた柏崎更紗は浮かない顔をして彼女の高校の校門の前でお気に入りのフェンディの時計を眺めていた。それは彼女が去年のゴールデンウィークに友人とフランスで旅行した時に買ったものだった。辺りに珍しく白い氷の粒達が溢れる想いとともに積もっていく。冷たい風が彼女の髪を優しく撫でる。淡く輝きのあるグロスが魅力的な唇から白い息が灰色の空に広がって溶けていった。
「あ、悪い悪い」
校舎から彼女と同じクラスの竟水舜が息を切らせながら走って来た。顔を合わせた瞬間、更紗は鋭利な視線を突き刺して舜は思わず後ずさりをした。
「7時28分の電車なのよ。家に帰って着替えて荷物を持って、ぎりぎりじゃない」
しかし、舜は悪びれることを止めて不貞腐れた表情を見せた。
「待ってくれなんて頼んでないし、部活サボるのに手間取ったんだよ」
「みんなに舜のお守りをするように言われているの!」
2人は走りながら言い合いを続ける。
「着替えの時間をなくせば充分、間に合うだろう」
「制服で山奥の旅館に向かうっていうの?」
「…わぁーたよ」
凍ったアスファルトに足を取られた更紗を支えて舜の方が転倒した。体の全体重を受けた右手の手首に激痛が走った。しかし、それよりも気になったのは舜のカバンから飛び出した見覚えのない紙切れである。それもメビウスの帯を形作ったもの。誰かの悪戯だろうとその時は気にするのを止めて、慌てて埃を掃いながら立ち上がった。
「大丈夫?」
「そのように見える?…大丈夫だ、それより急ぐぞ」
右手を庇う仕草を隠しながら立ち上がった。すると、視線を落した水溜りに奇妙なものが映っていた。それはまるでこの世の全てを恨んで死んだ女性の逆さまの睨んだ顔である。
幻覚だと自分に言い聞かせて先に駆ける更紗を追い掛けた。
やっとの思いで辿り着いた駅のホームにはまだ電車が来ていなかった。舜は肺に残っていた息を全て吐いて崩れるようにベンチに腰を下ろした。その隣りに座るまどかは彼の顔を覗き込んだ。
「情けないぞ、男の子だろう」
「お前なぁ、俺はお前の荷物持ちじゃないんだぞ」
「か弱い私の荷物を持って上げようって思わないの?」
「か弱いって自分で言うな。…否、そう言うことじゃないって。この荷物の量、なんなんだ?夜逃げか引越しじゃないんだから」
彼の前には3つの巨大なスーツケースとルイヴィトンのボストンバッグが並んでいる。その内、舜の荷物はスーツケース1つである。
「女の子は色々物入りなの」
「物には限度ってものがある。これは多過ぎだって。しかも、重いし」
「それはスーツケース自体重いからなの」
電車が入ってくるのを目で追いながら更紗は白い肌を染めて照れながら強くそう言って俯いた。
ボックス席に腰を埋めてすっかり疲れ切っている舜を横目に、更紗はガイドブックを取り出して愛らしい顔を綻ばせた。
「これ見て」
「ん、そのごっついネールアートがどうした?」
すっかり気が抜けている舜は視線だけを彼女の手元に向けて、窓際に頬杖を突いたまま言葉を落した。
「ごついって言うな」
鮮やかなネールアートの施されている人差し指が長野県の最南端、阿南町のガイドブックのある写真を示している。それは人形芝居のものであった。
「これは早稲田人形芝居だよな」
「なんで、舜が知っているのよ?」
彼は大きく伸びをして口を開いた。
「それよりそれがどうしたんだ?そんなにサラが興味を持つものでもないだろう?」
ガイドブックを仕舞い少し心外そうに更紗がぷいとそっぽを向いた。
「そうね。私が興味を持ったのはこの人形。ね、似てない?あの人形」
彼女の表情が真剣になり、若干の畏怖の色を醸し出した。舜もいつものようにおどけることをやめて溜息をついて大きく頷いた。
刻は約2ヶ月前。12月23日の早朝のことであった。どういう訳か目覚ましより1時間も目が覚めた更紗は、早々と寒さを堪えて新聞を取りに出た。埼玉にこの時期、雪が降ることはないことは分かっていたが、折角の明日にはホワイトクリスマスイヴを望まずにはいられなかった。
郵便ボックスの中を覗き込むと新聞と数通の封筒とともに小さな箱が入っていた。全てを抱えて玄関に大胆に零すと箱を目の高さに持ち上げて側面、裏側をまじまじとみる。それは真っ白な長方形の箱である。どこにも模様も文字も書かれていない。
―――爆弾?!
恐る恐る中を覗いて見るとそこには1体の人形と1枚の紙切れであった。日本人形ではあるが、傀儡、つまり操り人形であった。
手紙を広げると、パソコンでプリントアウトされたイタリック体のアルファベットの文字が並んでいた。その上の1文字の梵字が気になったが、あえて無視をして中央の1列に視線を走らせた。それは更紗への宛名とインターネットのあるサイトのURLアドレスであった。
部屋に戻るとノートパソコンをベッドに放って立ち上げるとインターネットに接続した。最近回線をASDLに切り変えたばかりでその立ち上がりの早さに多少感心していた。
そのサイトを踊る鼓動を抑えて垣間見た途端、彼女は得体の知れぬ畏怖に襲われ指を振るわせながらキャラクターのカーソルを動かした。
『神々の伝言』
何かの宗教のサイトかと思ったが、視線を文字になぞっていく。
『阿南町の地に神送りの伝統がある。しかし、もう1つ、地元でも忘れられてすでに知っている人は数少ないものがある。それは50年前に呪われた儀式ということで封印された。詳しい内容を知りたくば丑寅の『土雲』の末裔を尋ねるといいだろう』
彼女はこの時、あの不気味な人形が自分の知り合いによるSOSのような気がしてきた。すぐにそれをプリントアウトすると人形とともに抱えて外に飛び出した。早急に何かをしなければいけない気がしていた。
すると、通りの向こうに同じクラスの舜がやって来るのが見えた。彼とは小学校から同じ学校で特に親しい友人であった。舜は更紗に気付くと足を止めてまるで厄介事から避けるように後ずさりした。
「ちょっと、何よぉ。その態度」
車が通り過ぎるのを待って向かい側に渡ると舜は冷や汗を流したが、その腕にある人形に視線を向けると表情を強張らせた。
「何か面白いことがあったみたいだな。話してみろよ」
彼らは少し離れた小さな児童公園のベンチに腰を掛けた。昔、よく彼らが遊んだその公園も今ではずっと狭く感じる。早朝の空気は冷たく肌を鋭く突き刺した。彼ら以外誰もいない空間は子供達の残像さえ残していなく、ただ、冬の香りのする風がブランコを揺らしているだけであった。
更紗はプリントアウトした紙と人形を見せて簡単に説明をした。舜は意外にも神妙な顔でその話を素直に聞いていたが、感覚的に何か重大なことが行なわれようとしていると推測した。
「ここで幾ら考えても埒が開かない。そこへ行って調査しよう。何か分かるかも知れない」
「そうね、って舜も手伝ってくれるの?」
「まぁな。幸い暇で面白そうだからな」
それに何かの危機を阻まなければならないという義務感も密かに感じていることは黙っていることにした。悪戯に不安を煽っても仕方がないことは重々承知であった。
「冬休みにアム姐に連れてってもらおうぜ」
「お姉ちゃんも彼氏いないし、暇だろうからね」
柏崎愛夢。更紗の4歳年上の姉であり、彼女は現在千葉県の某大学に在学している。ほとんど実家に帰ることはないが、更紗とは携帯電話で頻繁に会話をしていた。愛夢も幼い頃から舜と遊んで(からかわれて?)いた。そして、舜はいつしか彼女を『アム姐』と頼るようになっていた。
早速、更紗は携帯電話で話をする。彼女は『不気味な人形』や『神送り』の話に敏感に反応して間髪入れずO.K.をした。
―――お姉ちゃんも舜もどうして人形の話になると異様な反応を見せるのだろう?皆、何かを隠している?どうして、何を知ったのだろう?
そして、彼らの旅が決定したのだった。
その人形は今は大事に更紗の荷物の1つに収まっている。ガイドブック早稲田人形芝居の写真に写るその人形はどことなくその人形に似ているようだったが、日本人形など全て似ているのでそう見えるのかもしれない。
「そうだな。知り合いにルポライターがいるんだよ。その人から阿南に行くって言ったら色々教えてくれたんだ」
そして、ガイドブックに書いてあることを簡単に説明した。
「…つまり、ここは文化の中間で色々な風俗、宗教、習慣が合流した地でもあるんだ。長野、静岡、愛知の合流地と言えることからも分かる。だからこそ、この神事から発生した人形が舞台劇を超えて土俗信仰へ踏み込んだんだろうな。これは他に例のない珍しいものなんだ」
「ふうん…。でも、その人形劇が信仰に取り込まれたきっかけってなんだろうね?」
「人形は神の寄り代とも神の遣いとも考えられているけど、そこまでは分からないさ」
彼らは東海新幹線に乗り継ぎ最前席に収まった。げっそりした舜はとぼとぼと席番を探すその横目でトイレを一瞥する。ほとんど空いているのに1個所だけ閉め切られているが、特に気にすることはしなかった。再び疲れきった舜に流石に荷物持ちの罪悪感を感じた更紗は菓子をカバンから取り出して彼の目の前に差し出した。
「いつも、こんなもの持ち歩いているのか?」
「そうよ、いいから食べてよ」
舜はわざと表情を訝しげに引いた。
「そんな珍しい優しさを見せても何もやらんぞ」
「はいはい。…それにしても、何故私にあのサイトのURLの書いてある紙と人形が送られてきたのかな?誰だろう」
彼女は初めて舜の前で不安そうな表情を見せたが、すぐに強がりで平然を装った。
「ストーカーだったりして。私って可愛いから」
額に手を当てて舜は溜息をついた。
「自分で言うな。…お前が言うと洒落にならないし。でも、ストーカーなんてする物好きはいないだろう」
「どういう意味よ」
更紗は舜の頭を軽くはたいた。舜は頭を抑えて体を窓の方に避ける仕草を見せた。その瞬間、彼の座席から何かが舞い落ちた。それはメビウスの輪を形取った小さな紙切れであった。それは2人に理由のない不安を与えるのに充分な効果があった。しばらく、それから沈黙が続いた。
「私、ちょっと」
違和感の漂う雰囲気が彼女の言葉で和らいだ。彼は少しおどけた表情で更紗をからかった。
「トイレ?絶えず何かを食べているからだよ。カバンにも菓子がいっぱいだし…」
愛らしい端麗な頬を染めて軽く舜の肩を突つきぷいっと足早に前方のトイレに向かった。
「デリカシーのない奴…」
そこでは順番待ちの人でいっぱいだった。その人達の話に更紗は自然に耳を傾ける。
「この真中のトイレさっきから閉まったままなのよ」
裕福なご婦人がそう周りの人達に騒ぎ立てている。すると、若夫婦の奥さんは口を挟む。
「私は東京から乗っているのですけど、このトイレが閉まっているのに気付いてからずっと開いたところを見ていないのよ」
「中で脳卒中か何かで倒れているのじゃないかしら?」
別の初老の女性がさも心配そうにおろおろしながら言う。更紗は気になったが、一番左のトイレが開いたので中に入った。
鮮やかないい香りのするハンカチを仕舞いながら、更紗は戻って来たそのときに、後方から特徴のある少し鼻に掛かったあどけない、そして愛らしい声が耳に飛び込んで来た。それもかなり聞き覚えのある声である。更紗は視線を後ろに向けて耳を後ろに傾けた。
「宿泊券はどうした?」
細波明日馬が幼馴染の香住愛香に尋ねた。彼女は目を雑誌に向けたまま素っ気なく答える。
「ポッケの中」
彼女は上着の中に左手を差し入れる。勿論チケットがあったが、それと同時に歪んだ輪のような紙が薬指に触れた。しかし、虚無主義の彼女は特に気にしなかった。
「ちゃんと持っておけよ。いつも大事な物をなくすんだから」
「はぁーい」
雑誌に目を向けながら愛香は気のない返事をした。愛香は某町の山奥の廃屋でのロケに向かうところであった。ところが、途中で車の故障により時間もなく急遽電車での移動となった。他のスタッフは後で向かい役者は先に向かうことになったのだ。それは休憩、台本の予習、役作り、ロケ地周囲の把握と台本にストーリーによる関連のイメージ作り、トレーニングの為である。
その前に道玄坂でバラエティの撮影があった為、愛香は他の役者と別行動をしていた。偶然、愛香の推薦(我侭)によりちょい役として参加することになった、最も彼女が信頼、依存する明日馬は彼女と行動を共にしていたのだ。マネージャーの姿は近くには見られなかった。
その時、彼女の前方の席で大きな叫び声がした。
「あっ」
そして、少ししたら更紗が前の座席から振り返った。その手にはボールペンと手帳が握られている。少々興奮気味に言葉を放った。
「愛香さんですよね、私ファンなんです。サインをお願いします」
周りの人に気付かれないように彼女は声をできるだけ低くして言った。
愛香の隣りの明日馬は深い溜息を落して横目で愛香を一瞥した。
「折角帽子とサングラスで変装しているのに大声出すから」
けれど彼女は笑顔でサインを更紗に渡して話掛けた。
「独り旅行?」
「隣りの腐れ縁の友達と駅で車で待っている姉とその友達で旅行なんです」
愛香は自分の正体が分かっていて興味を持たずコンタクトを取ろうとしない更紗の隣りの友人、舜が気になった。
さっと前に廻ると舜の前に屈んで頬杖をしながら舜の顔を覗き込んだ。彼は冷めた視線で興味がないようにすぐに窓の外に向けた。
「照れてるぅ」
しばらく見つめていた愛香がそう言うと舜は呆れて鼻で笑った。
「まぁた、意味不明なことやってる」
彼女は明日馬に引張られていった。その時、愛香のポケットから紙切れが落ちた。それは何とメビウスの輪の形をしていた。舜の座席から落ちたものとそっくりのそれは足元で重なり合った。4人は目を丸くしてその光景を見つめた。
歪んだ禍禍しい運命が廻り始めた。そう、メビウスの形をした運命が。新幹線はようやく名古屋に滑り込んでいった。
荷物をまとめて舜は更紗を背中で感じながら歩き、例のトイレの前を横切った。あの開かずの間はそのまま固い口を閉ざしたままであった。
更紗達が新幹線から降りたその後で、ホームが大騒ぎになっていたことには2人は気付かなかった。新幹線のトイレで中年男性の遺体が発見されていた。
死因は絞殺。それも、彼の首にはメビウスの帯の形のした和紙が掛けられていたのだった。
歪んだ形の運命は休息に周り始める。宿命という名の錆び付いたトリガーはすでに数発弾かれたのであった。
忘れられた信仰の村
「雪のような哀しみが 募る想いと溢れ出す白亜の心の石達に 無情に厚く降り積もる」
作家志望の先沼実生はそう呟いてテーブルの手帳を閉じる。
「また新しい小説?」
向かいに座る愛らしい女性は首を傾げて大きい瞳を彼に向ける。そのあどけない表情のショートヘアの女性は愛夢であった。
「いいや、詩集だ」
彼は自分の創作・興味のある話以外に何も興味を持たない性格であった。そのストイックで彼を取り巻く独特の空気は愛夢以外の人を遠ざけた。大学の講義で彼は彼女の大きな助けになっていて、それが知り合う契機でもあった。
駅の近くのコーヒーショップで彼らは更紗達を待っていた。しかし、待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。愛夢が来店してから時計の針は1周を回っていた。最近、流行っているこの店は若者達で満ち溢れていた。
「ここは少々騒がしいな。僕の居場所じゃない」
そう言葉を零して手帳をコートのポケットに差し入れて実生は瞳を閉じた。
「それにしても、遅いわね」
人差し指の鮮やかなネールでこつこつとテーブルを叩きながらアメリカンコーヒーのカップのスプーンを掻き回し続ける。
「どうして、珍しくこの旅行に参加することにしたの?」
「僕はインドア派だからあまり外に出ないと前に言ったね。でも、僕でも外出することもあるんだ。執筆の取材の時は長期でも海外でも旅行に出掛ける。今回も特にネタになりそうだからね」
そう言ってカプチーノを一口含みその味わいを楽しんだ。すると、やっと更紗が顔を見せた。その後を荷物を引き擦りながら汗だくの舜がやって来る。
「おっそーい」
愛夢がそう言うと周りの男性の視線を集めながら更紗の方に歩み寄り笑顔で軽く彼女の頭を叩いた。
「ごめーん」
軽く舌を出して髪を掻き撫でた。
「荷物もあるし、兎に角、車に行こうよ。アム姐」
息を切らせて人の邪魔にならないように注意しながら舜がそう言った。
駐車場にはの愛夢には似つかわしいミニバンの車があった。トランクに荷物を積むと舜と更紗は後部に座る。最後部は2人が思い切りシートを下げているのでかなり狭くなっている。
出発すると、愛夢はMDの今流行りの曲に合わせてハンドルの指を軽快に動かした。助手席の実生は首を曲げて舜に声を掛けた。彼はそのぼさぼさの頭にいつも眠そうな表情、アンニュイな言動から、一見何にも興味を持たない虚無主義者に見えたので、初めて会う舜に声を掛けることに彼も更紗も目を丸くした。
「君、ルポライターの友達がいるんだろう?」
彼はワンテンポ送れて返事をした。それを見て実生は意味ありげに微笑む。
「じゃあ、色々今回の旅について聞いてきたんだろう」
そう、今回の阿南町の旅行は全て実生が計画したのだ。本当は愛夢に頼んだのだが、彼女は面倒だとそのまま彼に任せてしまったのだ。
「じゃあ、これから向かう旅館のことは知っているかい?」
妙な顔で舜は少し戸惑いを見せた。相変わらず実生は涼しい顔を彼の方に向けている。
「確か、江戸時代から続く伝統的な『月夜見館』、ですよね?」
「そうそう。東北にも同じ名前のホテルがあったんだけど、それとは別」
その実生の言葉に愛夢は鋭い視線を向けたが、誰もそれに気付くことはなかった。さらに彼の話は続く。
「今はその山奥のホテルは横文字の名前に変わって、最近、謎の火事で全焼したんだけど。まぁ、その話は置いておこう。今向かっている『月夜見館』の名前の由来は分かるかい?」
「さぁ…」
舜が首を傾げると彼は満足げに微笑んだ。人見知りでないとしても、ここまで初対面の人間に馴れ馴れしいのには気が引けるものがあった。
「月夜を見ると書くんだけど、元は月読、つまり、月を読むと書いたんだ。そして、読み仮名もいまの『つきよみ』でなく、『つくよみ』と読んだ。『月読』とは『月齢を数える』という意味で古くから農耕と密接に関係している。暦を見るのは農耕は重要だからね。そう、日本神話に出て来る月読命に関することと同様なんだ。天照大御神、須佐之男命と合わせて三貴子呼ばれるその神は、月の神だが先程の理由から農耕の神としても知られている。ちなみに三貴子の『みはしら』とは、三柱、つまり、3柱の神って意味だね。神の数え方は『柱』なんだ。仏教の仏の場合は『尊』で特別なんだけど。その神は食物神である保食神を殺してしまうエピソードもあるが、『殺された食物神の肉体より食物、牛馬等が誕生する』ので農耕を象徴する行為と捕えられている。それで、古今東西、『食物神の殺害』という行為は、農耕神に共通するエピソードがあるんだ。ただ、これと似た話が須佐之男命にもあるんで、同一神格…、何か話が宇宙まで外れて行ったみたいだね」
「出た出た、実生ワールド。あんまり舜を巻き込まないでよ」
この異様でマニアックな空気を愛夢が打開してくれたので、全員は息を思い切り吐いた。
「いつも、これなのよねぇ。私は慣れているから話させるだけ話させて放っておくんだけど、貴方達にはキツイわね」
「失敬だなぁ。僕は知的なんだ。その知識を披露したいっていう欲求は当然だと思うんだけど」
「どうでもいいけど、人の気持ち、もう少し考えたら?」
前の2人の言い合いを余所に舜は更紗に耳打ちをした。
「何故、あの人に今回の旅を任せたんだ?」
彼女も困った顔をして首を傾げた。
「お姉ちゃんが人形とか風土とかそういう調査に丁度いいって。…確かに良さそうだけど」
「いらないことまで調べそうだけどな」
舜は先が思いやられるといった表情で更紗にわざと苦笑して見せた。彼女も同感といったように彼の肩を叩いた。
「で、結局旅館の名前の由来は?」
何を思ったのか、愛夢は先程の話をぶり返させた。彼は待ってましたと言わんばかりに快調に口が周り始める。それを失敗したと顔を手で抑える愛夢を更紗は舜と顔を合わせた。
「土俗信仰と日本神話に由来する神道、数個の宗教が合わさり特殊な宗教が出来たんだ。今はそれは衰退して早稲田人形芝居、人形による神送り、雨乞いという神事が名残りとして残っているんだ。人形にしても、神事から発生した人形が舞台芸ばかりでなく土俗信仰と融合して今の早稲田人形となったんだ。こういう人形がここまで神事に踏み込んでいるものは他に例がない。それだけ、人形による神掛りなものはここ独特で意味があるものなんだ」
「また、話が反れていってるんだけど」
話を早く終わらそうと愛夢は急かした。後ろの更紗は大きな欠伸をしている。車窓の向こうを遠い目で眺める舜は物思いに耽っているようで、しっかり実生の話を耳に入れていた。彼もその手の話は嫌いではなかった。
「そう、慌てるなって。全ては繋がっているんだから。で、どこまで話したっけ…。その早稲田人形の起源は分かる文献は皆無に等しいが、言い伝えでは江戸時代以降だと言われているんだ。でも、この土着信仰と神道、複数の宗教が合わさったこと、人形が盛んに神事に使われたことがこの人形のルーツのキーとなっていると思うんだ」
そして、一息つくと彼は遠い目で左手の風景に目をやった。いつの間にか乗っていた中央自動車道では爽快に他の車を抜かしていく。
「先に結論を言おう。その数々の宗教の合わさったある宗教は神道の影響を大いに受けている。その1つに先程言った月読命の話。それはこの独特の土着宗教に取り込まれたときに月読命もその宗教の神としてそのまま取り込まれた。それを奉った社がこれから行く旅館になったんだ」
「インドの神が仏教に取り込まれたようなものですね」
舜がそう言うと物凄い勢いで実生は振り向き万面の笑みを輝かせた。
「そうなんだよ。仏教の天のほとんどがヴェータの神なんだよ。インドラが帝釈天だしシヴァは大自在天、ブラフマーは梵天で…」
これ以上語らせると長くなると思った更紗は咄嗟に話に割って入った。
「最初に宿に着いたら、手分けして調査しましょう。まず、人形と紙を送った人を探して助けること。その人は危機に直面しているはずだから。そして、『土雲』の末裔を探しましょう。その人形やもう1つの50年前に封印された呪われた儀式を調べないと」
飯田ICで下りるとそのまま町並みの通りを進んで行く。40分は過ぎただろうか。阿南町に入って国道151号線を進み左に見える山道に入って行く。山奥に進んで行く頃には誰も疲れ切っていて話をするものはいなかった。やがて、舗装道路が途切れ土肌が顕わになりやけに車体が揺れた。舜は必死にドアに掴まり更紗に体が付かないようにして畏怖に近い空気に耐えていた。
―――何か目に見えぬ邪な力が満ちている…。
しばらく車が横の木々の枝を擦ってやっと通れる小路を進み森が開けた空間に飛び出した。その中心に奇妙な古い日本建築が立っている。それは大分改築、増築をされているようだったが、社であった面影や雰囲気は微かに残っていた。
手前の駐車場にようやく止まるとよれよれの4人はポーチに向かった。入り口の上に古木に『月夜見館』という鮮やかな書体の看板が掛かっている。
多過ぎる荷物を実生と舜で手分けして抱えてエントランスに恐る恐る足を踏み入れる。きょろきょろ辺りを見回しながら全員はロビーに向かった。
「どうして、こんな山奥に旅館を営んでいるのだろう?しかも、宣伝さえ禄にないし、この場所に旅館があることさえ気付くのは至難の業だぞ。それに社を旅館に、何ていうのも疑問だし」
舜がそう呟くと奥から紳士風の初老の旅館の主人が現れた。その笑顔から彼の呟きを聞いてしまったようだ。
「この山の辺りにはかなり昔に孤立した集落があって、そこには独特の土俗宗教があったんです。江戸時代の少し前までには多くの宗教の要素が影響して取り入れられたりして変化を見せていったんですけどね」
刹那、実生の瞳に輝きが戻った。すぐに旅の疲れを跳ね飛ばし口を開いた。
「そうそう、宗教の、神の取り入れ、融合、結合は良くある話なんですよね。例えば七福神。文化文政時代に定義された時は恵比寿と大黒、この2神だけだった。
恵比寿は農村では竈神などと習合して、田の神として崇拝されることが多い。恵比寿神の本社は兵庫西宮市の西宮神社で夷三郎と呼ばれ、広田社(天照大御神を祀る)の摂社はいくつもあり、夷社は大国主神を祀り、三郎社は事代主神(八重言代主神)を祀る。この二つの混合で夷三郎という1柱の神として崇められ、恵比寿の始まりとなったと言われる。
大黒の場合、宗教習合の典型と言えるだろうね。インドの戦い、破壊の部分を司る部分が仏教に取り込まれた神。古くは寺院の守護、豊穣を司る神だったが、大自在天(シヴァ神が仏教に取り込まれた神)と同じに見られるようになって、生産、戦闘の神の役割を持つようになった。密教では大日如来の化身とされる重要な神格で、その信仰はチベットで特に発展したんだ。
で、現在日本で『だいこく様』と呼ばれる七福神にも含まれる神は、大黒天と日本神話の神の大国主神が合わさった神なんだ。
つまり、七福神の大黒は『インドのヴェータ時代の神、ヒンズー教のヴィシュヌ、ブラフマーと並ぶ三大神の1つで世界を破壊する神のシヴァ』から『仏教の大黒天』となり、『仏教の一部、密教の大日如来の化身』と派生したりして、その仏教の神『大黒天』と日本神話の『大国主神』が融合して日本や中国の一般信仰の七福神となる。まさに宗教の垣根の超えた物と言えるだろう。
ちなみに弁財天、毘沙門天、布袋が後に加わり五福神となる。
弁財天はインド神話の河の女神『サラスヴァティー』が仏教に取り込まれた形なんだが、その際、知恵の神バーチと結合することで弁才天は知恵と技芸の神とされたんだ。鎌倉時代以降十五童子を伴った福徳神として尊崇され、七福神に加えられる。また、日本では水の女神の宗像三神の市寸島比売命と習合されて「○○弁天」呼ばれながらこの女神が祀られることも少なくないんだ。
布袋は唐末の僧なんだ。
さらに、福禄寿、寿老人も加わり江戸時代中期には七福神として崇拝されるようになったんだ。
福禄寿と寿老人は南極星の化身とされ同一視される場合もあるんだ」
やっと、そこで実生は一息ついて視線は虚空のまま話を続ける。
「南極老人星は人間の寿命を司る星の神格化で、二十八宿の内東南の角の亢のことで『寿星』とも言って、これが柔老人のことなんだ」
そして、彼はぼさぼさの髪を激しく掻いて溜息をついた。
「また、世界宗教と民族宗教の互いの影響も顕著で同じ神が各々の神話に登場をするし、あのインドの神インドラでさえ、大昔のインダスの神から派生した神という考えもある。民族宗教の習合が世界宗教の成立と考える人もいる。まぁ、民族宗教、バラモン教、それが派生してヒンズー教、インド神話、ヴェータ、そこから仏教が派生、その後その中から密教が派生する。チベット仏教、モンゴルの宗教も民族宗教の他に仏教が取り入れられたものもある。中国、日本に入り儒教、道教、日本神道、古神道に影響を与えた」
「まぁ、インド神話の『リグ・ヴェータ』、仏教、ジャイナ教の『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』の二大叙事詩、『プラーナ(古譚)』でインド宗教、神話、無数の神話、伝説、挿話が収められているのでよく分かるから。
今日のヒンズー教は、すごく大雑把に言えばこの時代に興ったものだけど、ここに新しい要素が入ってくるんだ。イスラム教の影響。
12~13世紀にインドに新参勢力、イスラム教徒の侵入があった。19世紀までインドでヒンズー系の諸王朝とイスラム系の諸王朝が混在する。インドに根付いたイスラム教はその影響を受けて神秘主義寄りになったんだ。
イスラム教は輪廻を信じない一神教、ヒンズー教は輪廻を信じる多神教で共通点はない。でも、どの宗教にもいわゆる『神秘主義』、つまり厳しい修行で神と一体化を目指す教えがあり、それが互いに似通っている。しかも、インドには神秘主義に基づく豊かな伝統があり、イスラム教はすぐにインドに根付いた。この影響で互いの神秘主義の影響を大いに受けた。この2つの統合を目指した宗教も複数誕生した。その1つはシーク教だね。
この2つの排他主義が新聞を賑わす今日でも2つの宗教がともに拝んでいる神や聖者は少なくないんだ。例えば、オライチャンディやパンジ・ピールなどだね」
ふと、我に返り実生見回すが、舜以外周りに誰もいなかった。
「皆はおじさんに部屋に案内されていきましたよ。今は部屋でくつろいでいるんじゃないかなぁ」
実生は照れ笑いをして溜息をついて俯いた。それを見て苦笑すると、意を決して舜は話に付き合うことにした。ロービーの座りにくい木の長椅子に腰掛けて自動販売機からコーヒーを買って木のテーブルに置いた。一息ついてお互いに顔を見合わせて舜が沈黙を破り口を開いた。何か、今回の件の手掛かりになるかもしれないと、かなり不安の残るほとんど可能性低いが聞いてみることにした。
「宗教間の影響とか融合とかあることは分かったけど、宗教の一般論はこの際、置いておいて今回の件に入りましょう。で、これから旅館の主人を連れてきてお話を聞くので今度は話に割り込まないで下さいね」
実生は面目ないと後頭部を撫でた。舜の連れて来た主人は薄くなった頭部を撫でて彼らの向かいに腰を掛けると少し疲れた顔を見せていた。そして、2人を見回して咳払いをして厳かに話しを始めた。
「さて、どこから話したらいいのでしょうか。貴方の言われる通り、この旅館はかつてあった地元宗教の社でありました。仏教、密教の総本山、京都、奈良、また三重があったのは既知だけれども、その密教である真言宗、神道が大きく影響していて、その神道の中の月読命が取り入られて特にその宗教が廃れ始めた頃も、その神の社としてここは存在していました。それも昔の話です。あの早稲田の神事もその名残りなんですよ。今は儀式だけが残り、誰も知る者はいなくなってしまいました。この私の知識ですら、祖父が小さい頃から話してくれたものなのです。その大部分は忘れてしまいましたがね。…へへへ、もう、歳なもので」
「元社の神官の末裔としての子孫への伝説を伝えるのは宿命だったのかもしれませんね」
舜らしからぬ言葉はその場を重く沈ませた。そこで、実生が難しい顔をしてあることを訊いた。
「その信仰は実は裏である一部の人々によって信仰されているという話は聞いたことはありませんか?」
すると、宿の主人は慌てふためき両手を振った。
「そんなこと、地元の連中でも聞いたことはありませんって」
しかし、更に彼は意味ありげな鋭い視線を向けて突っ込む。テーブルの上には両手の指が軽く当てられている。
「しかも、早稲田人形芝居等の人形の神事の他に、忘れられた古の人形の神事が密かに行なわれている、とか?」
すると、主人は驚愕の表情で両手を仕切りに横に振って用事があると言い残して去っていった。きっと、古の忘却に廃れた宗教の神官の末裔である宿の主人は何かを知っているのだろう。他言無用なのは彼に危機が降り掛かるからであろう。
しばらく、ロビーで2人は無言で思案、推測に没頭した。
すると、近くに西洋人の風体の男性がにこやかに現れた。人辺りのいい笑顔の優しそうな男性は少し離れて腰を下ろすと軽快に話しを話出した。
「こんにちは。…初対面で図々しいと思いましたが、遠くから貴方達の話が聞えたもので」
彼は賢明なイギリス文学家といった感じで手元の本を広げた。
「先程の話では、アジアの話ばかりだったけど、西洋の場合は特別なんだ。ヨーロッパには各地に様々な宗教があったんだ。民族宗教それがエジプトよりの世界宗教に圧倒されて、邪教として殲滅されることも多かった。ゲルマン・ケルト神話のアーサー王の話さえ、キリスト教の影響で鍋が聖盃に変更されてしまったんだ。キリスト教はその他にも数々の民族の習慣、宗教の変更を余儀なくされてしまった。西洋はキリスト教が大き過ぎるほどの影響を受けていたからね」
そして、一息ついてはっと顔を上げて会釈をした。
「あ、申し遅れました。私、マーク・スチュワートと申します。主に、歴史人形学を研究しています。仕事はルポライターで、こちらで早稲田人形の取材に来たんです」
いかにも、気が愛想な実生はマークの話に食い付いた。
「どういて、歴史人形学研究家になったんですか?」
彼は物思いに耽り、刹那思い詰めた表情を垣間見せた。
「祖先がイギリスの宮廷人形師だったからです。歴史の影に埋もれてしまっていますが、それを解明することが最終目標なんです」
舜はすぐにこの旅館について、この隠された地元宗教について尋ねた。これには何か禍禍しい何かが意味しているように思えて畏怖さえ感じるのだった。
「それはその内に話ますよ、しばらくここに滞在しますしね」
そう言って、満面の笑みを浮かべて軽く手を振って自分の部屋に戻っていった。
部屋に入ろうとドアノブに手を掛けたマークの前に1人の男性が現れた。彼はダッフルコートにチューリップハット、蒼いサングラスにスノーシューズ。手にはスーツケースが握り絞められていた。何よりその体の大きさと帽子から食み出している金色の髪が目を引いた。
「ここの主人は何かを知っている。そして、何かを企んでいる。しかも、君はその何かを知って止めようとしている。…だろう?俺にも手伝わせてくれ」
「そう言って、実は敵だが味方の振りをして近付く、何てね。冗談。さぁ、話をしに来たんだろう、どうぞ」
2人はマークの部屋に入った。社だったところから増築された和風建築で典型的な旅館の部屋であった。中庭からは巨大な池の広がる日本庭園が広がっている。枯山水の風情よりも生き生きとした生き物の息吹の満ちたこの緑の庭園はマークは好きだった。イギリス生まれだが、かなりの日本フリークなのである。穏かな性質に隠すその瞳の奥の光を見て、客人は無表情で瞳の色を隠している。テーブルに用意してあった抹茶を啜りながらその客人は口を開いた。
「まずは…私もここに導かれし客の1人、工藤魁だ。ここに来た理由はおそらくここに来た者と同様、面白い贈り物の所為だろうな。…ただ、あの謎が解けなかったものもいるだろうが」
マークは笑顔を崩さずに話を黙って聞く。
「人形とURLの書かれた紙。これはここに誘き寄せる餌だ。この宿がその社だったという事実を突き止めていない者はこの周辺の宿にいるかもしれんがな。そして、謎の隠された古いにしえの信仰を探るように各々行動するだろう。そこが『敵』の狙い目だな」
「何人に招待状が送られたのか、どうやって選ばれたのか…」
「それはいずれ分かる。何しろあれを送り助けを求めたのは、ここの主人なのだから。『敵』もすでに気付き妨害を開始し始めているだろうな」
「いずれ、あの老人が自ら話しをしてくれるっていうことですね。よし、今は貴方と手を組みましょう。信頼できるようだし。その『敵』による『危機』も気に入らないですからね。阻みましょう、共に」
魁は湯呑を飲み干し肘をテーブルに突いて両手の指を突き合わせた。サングラスの奥の視線はおそらく真っ直ぐマークの笑んだ瞳に向けられているのだろう。マークも感情を感じさせることは難しかった。穏かさを兼ね揃えた笑顔と無表情、互いの二癖もある人物は胸の内を微塵を相手に感じさせることはなかった。
「で、何故、この古の地元信仰は様々な宗教等の影響を受けた?」
「そこから、『謎の信仰』を解明しようと。基礎知識の会得は賢明ですね」
「御託はいい。さっさと始めろ」
「はいはい。全くせっかちなお人だ」
マークは説明を始める。
「長野県最南端、天龍川に近い阿南町は、北部は飯田市に繋がり南端は愛知県と接します。歴史的には武田信玄・織田信長・徳川家康という周知の大物の名が頻出するのは自明の地理条件なのです。
当時は宗教と政治は密接であったことは言うまでもないでしょう。
しかし、地理的に渓谷、峰々、急斜面の多い森といった山深い渓谷美、自然美を前にすると、そこで繰り広げられる芸能や祭りの多彩さが何故花開いたが疑問なところがあります。(これはこの宿に来るまでに見てきたので既知でしょうけど)
実は、愛知県、すなわち三河地方文化と接している立地条件が阿南を北部長野県とは別文化圏と仕立て上げたんです。まぁ、私に言わせると、どこにも類のない独特の文化の陸の孤島というべきでしょうね。
しかも、宗教だけではない重要な文化等のある奈良・京都・伊勢の影響を受けて独特な芸能等を育んだのは、三州街道(国道153号線)、阿南町を南北に貫く遠州街道(国道151号線)、天龍川左岸の秋葉街道で、これらの街道は東海道方面から伊那谷に至る主要な交通手段の役割を果たしてきたんです。
そうでなくても、当時の『大きな街道』や『大きな河川』は重要な交通手段であり、生活においても重要な意味を持っていたんです」
長く熱い話の間も、魁は聞いているのか聞いていないのか分からないように腕を組み深く背もたれに体重を預けていた。なおをマークの話は続く。
「で、なおかつ、主要品の塩は『塩の道』を作り、やがて経済道路となりました。…そして、文化、宗教が行き交うことになります。修験者・山伏・僧侶・芸能集団等が行き交う道筋に変化していきました。
やっと、ここで私の話たいことの触りが出てきましたね。…もう少し、話しますと、阿南町は北から富草・大下条・和合・新野といった旧村の地域から成り立っています。…実を言いますと、他に某旧村も数ヶ所合わさっているんですけどね。
特に、新野は愛知県側からも飯田市方面からも狭く険しいつづら折りの山道を超えてやってくると、突然目の前が開ける高原になっています。
つまりですね、宗教と芸能等の吹き溜まり、多彩過ぎる文化等が花開く格好の舞台だったんです」
すると、やっと話が終わったのかと魁は背もたれから置き上がり湯呑に抹茶を注いだ。湯気がサングラスを曇らせていく。
「そして、山、渓谷や高原、自然多き場所…」
「人の余り足の踏み入れぬ『田舎』、だろう」
「ははは。手厳しい。悪い言い方だとそういうことになりますね。当時、スポンジのように吸い上げ続けた芸能、文化等の世俗は残り独自の変化を遂げることになり、早稲田人形芝居等の成立頃の江戸時代には外からの影響はすでに微塵も入ることもなく、しかも、他界との親交を断つ結果となったのです。
但し、これは我々のいう謎の宗教・習慣のことに限りますけど。地元の人さえ忘れたそれは、この山のどこかで秘密裏に今も息づいているのですね」
「しかも、危険な気配を含みながら。何が起こっているか、主人の話を待つとしよう。また来る」
彼は話を聞くだけ聞いて自分の部屋に去っていった。彼の広い背中を見届けるとマークは指を顎に当てて思考の奥を巡り込んでしまった。
月夜見館の主人、見比修吾は全員を夕食の為に大広間に集めた。48畳もある大広間にはお膳が並んでいた。仲居達はおろおろしている中で宿泊客がお膳の前に並んでいった。
実生・愛夢・舜・更紗が最初に陣取る。その隣りにマーク・魁が座る。その横に3人の風呂上りの若い女性陣が五月蝿く現れる。そして、2人の男性が少し距離を取って座って密談をしている。最後に遅れて3人の若い男性が入ってくるが、お膳が1つ足りずに数分後に遅れて運ばれて来た。これで宿泊客全員であろう。
舞台には見比に立つとスタンドマイクの調子を調整して咳払いをした。
「実はここにいる人物は私が『人形』と『あるサイトへのURLを記載した紙』というヒントから謎解きをして辿り突かれた優秀な方々なのです。ただ、気になるのは、招かれざる人物がいます。それで、お膳が足りなかったのですが…」
すると、愛夢は手を上げて愛らしい声を上げた。
「私達は妹の付き添いで…」
「勿論、すでに予約の際に解っています。私が助けを求める為に調べ上げた優秀な人材を集ったのは9名です。流石ですね、全員ここに辿り着かれました。付き添いの方は柏崎様のご友人、お姉様、そのご友人。華院かいん春香はるか様のご友人ご2人。以上、14人のはずなのですが…」
「宿泊リストはどうなのですか?」
中年男性の1人、ルポライターの那賀健ながたけるが尋ねるが、見比は首を捻った。
「それが、全員招待客で宿泊の予約を受けているんですよ…」
「座敷童子みたいだな。全員いるのに1人多いなんて」
若者の男性の1人、八幡高台がいつもの大声を上げる。全員顔色をを変えて、オカルトめいたことを否定する者、拘る者、畏怖に囚われる者、語る者で騒然となった。魁とマークはお互い意味のある視線を合わせて頷いて全員を見回しながら、目に見えぬ異様な雰囲気を全身で敏感に感じようとしていた。
「まぁ、いいじゃないか。そろそろ話を始めようじゃないか、ご主人」
一番、虚無主義的な若者の1人荷稲精大の言葉で主人、見比は全員を見回して話を始めた。空間に静寂と神妙な空気が漂う。
「そう、ここはかつての古神道の1つの派生がありました。その起源も元の信仰も書紀も記紀等の神典も残っていない為に分かりません。この社のご本尊も不明で、当時唯一よくこの信仰の歴史を伝え覚えていた私の曾祖母から、見比卯主みくらべのうぬしという中国から伝わった大河の龍王が神道に伝わったものと言っていたような気がします。…大分、昔で潤覚えですが」
彼は縋るような目で全員を見て、警戒をするように部屋の周囲を見回した。
「そして、ご本尊を奉る末社であった見比卯神社――かつてのこの建物の名前ですが――月読命がこの信仰に取り入れられ最高神が入れ替わり、或いは分岐し、月読命が最高神になり、宗教名も『月読荒魂形代信仰』と呼ばれるようになってからは、摂社となったのです」
「よく分からない宗教の話はいい。もっと、簡単に手短に話してくれ」
30代近そうなのに、銀髪を立てた三白眼のロックミュージシャンを思わせる出で立ちの青年、翡翠ひすい翔しょうは腕と足を組みながら言葉を言い放った。見比は神妙な面持ちで言葉を放っていいかどうか躊躇っていたが、意を決したようにゆっくり頷く。
「ここにはもう1つの人形を扱う神事があるのです。弁当山から八尺山に渡る山岳地帯の奥にそれを信じ、古よりの掟を護る旧某村の民族が存在しています。実は私もその1人なんです。そこでは、1世帯に1体、神の宿る人形を奉り、村人は神から守護されて、代わりに神の意志を遂行します。人形に神が宿り、村人に宿命を与えるところの名残りが早稲田の人形芝居です。宿命が終われば、ある手順と仕来りにより天龍川に神送りされます。それが、早稲田の1月15日の神送りに由来しています。
ここで、問題なのが、この古の信仰の謎を知った者、教えた者は抹殺されるというところです。こんな馬鹿げた習慣をなくす為、私は救世主達を独自で調べて集めました」
すると、若者の1人、大徳だいとく光明こうめいは視線を奥の床の間の人形に鋭利な視線を突き刺して両手の人差し指を付けてそれに向けて1言呟いた。
「吽御魂」
「その人形に神が宿っていられるのですか?」
見比はすぐに殺されるといった表情で驚愕のあまり腰をついて固まってしまった。魁は巨体を置き上げ床の間までゆっくり歩いて行くと、サングラスの奥の残虐な瞳で人形を睨み付けた。
「止めなさい。神は人の心を惑わす」
主人の言葉を聞かずに手のひらを花嫁人形に向けて心を氷のように凝結させて重い切り手に力を入れた。人形ケーズのガラスにひびが蜘蛛の巣状に走り人形は首をあらぬ方へ曲げて倒れた。そして、振り返り、畏怖の欠片さえ微塵も見せずに見比にヴァリトンの声を投げ掛けた。
「早く火に放るんだな、死にたくなければ」
「あ、貴方は何か知っているのですか?神の力が通じないのですか?」
「いいから、早くしろ!」
慄いて腰を抜かしていた主人は壊れた人形を中庭に放り投げてライターで火を点けた。心を呆然とさせる緋色の炎は天へとなびき続けた。
しばらくして、落ち付いた全員に見比はゆっくり言葉を紡ぎ始めた。
「私が貴方達を集めた要素はいくつかあります。神に対抗する為の『不思議な力』を持っている人。廃れ忘れられし、秘密の信仰を解明する為の知識、知力のある者。人形に詳しい人。人形のオカルト的な事件を経験、もしくは知っている人。全国隅々まで取材し、知識豊富なルポライターといった感じです」
「で、その私達の助けを求めたという詳細を説明して下さい」
実生の優しい質問に彼はほっと胸をな撫で下ろし、精神の安定を少々取り戻した。
「このもう1つの呪われた儀式をこれ以上、起こさない為にです。この儀式は信仰者でも限られた者しか詳しくは知らないのですが、地域外より、悪しき心の持ち主を神送りの時に苦しめて生贄とするものです。そのターゲットが今度は私の娘の夫なのです。警察に通報しようとしても無駄です。山奥の村ぐるみですし。誰かの力で止めようとしても、『神の力』で阻まれ、よくて入院、精神異常、悪くて苦しみ無残な死を遂げるのです。
…こんなことに巻き込んでしまって申し訳ないと思っています。でも、他に手がないのです。…どうか、どうかお助け下さい」
すると、じれったそうに精大は単刀直入に言った。
「つまり、人形に何故か宿る『神』と思われる類に村人は利用されて、意志通りに行動される。それも、悪者をここに誘き寄せて辛苦を与えて殺害し――裏の信仰・習慣・神事かどうかはともかく――そして、村ぐるみで犯罪を隠蔽する。その秘密をバラしたら、伝えた方も聞いた方も同様に殺害。事が終わると神送りとして、天龍川に流され寄り代より『神』は天に戻る。ってことか」
高台は首を傾げる。『神』を信じることができないし、超自然的なことも受け入れることもできなかった。
「集団催眠か?」
「いいや、そもそもここで人を操っている信仰の主は『神』なんかじゃない」
何かを知っているかのように魁が素っ気無くそう言うと、食事は解散となり、全員それぞれ大広間から散っていった。
秘密を知り命の危機を肌で感じて怖くなったのか那賀は足の震えを隠しながらトイレに向かった。
長い廊下を過度に警戒しながら足早に進み奥のトイレに飛び込んだ。中は以外にも古い日本住宅の割りに洋風で最新のウォシュレットが設置されていた。そこで腰を据えるとやっと少し安心して今までのことを考えた。数人は学者、ルポライター、何の宗教か分からないが力のある者である。それをどこからか調べて来たのだろう。ただ、分からないのが荷稲、八幡、特に柏崎という一般的な女子高生、女子大生の3人組み等、選ばれる理由があるのだろうか。―――翡翠という人間は言い表せぬ力を持っていることが解る。
ふと、ひんやりした空気が彼の背中を駆け抜けて胃に冷たいものを詰め込まれた感覚を覚えた。そして、冷たい空気が流れる上にゆっくり視線を上げると恐ろしい髪の長い女性がずぶ濡れで白目を向いて上から上半身を乗り出していた。息が詰まり卒倒しそうになり、驚愕の悲鳴さえ上げることができなかったその時、トイレのドアの外から男性の声がした。
「それは『幻』だ。自分の弱い心が見せている、人形どもの『禍禍しい力』だ。目を閉じて深呼吸をして指で久慈を切るんだ。心霊ではないけど、このくらいの小さな『彼らの力』なら打開できる」
「…き、君は?」
那賀の必死の声にならない声の質問に答えはなかった。長年ルポライターをやっていれば、こういう怪奇特集も取材する。そのときには実際に明かな心霊の証拠を捕えることもある。その場合、テレビ・雑誌の取材の暗黙のルールでそれを世間に示してはいけないのである。どんなに口惜しくても…。しかし、これほどのものは経験はなかった。上から滴る泥臭い水を必死に無視して思い切り瞼をぎゅっと瞑って九字を切って(人差し指で空に縦横に切り)、小声で久慈を唱えた。
「臨・兵・闘・者・皆・陳・烈・在・前」
すると、畏怖に近い違和感の重厚な空気がさっと引いて気が楽になった。気付くと上には女性の姿はなく、トイレの中には何1つ異常を見ることはできなかった。
用を足して外に出ると誰かがいた形跡はなかった。トイレに異変をどう起したのか。仮にトリックにしても、謎の信仰の神にしてもこのトイレのどこかに仕掛けがあるはずである。トイレのドアを調べていると、舜と実生がやってきた。
「あまり、トイレが遅いので心配になって来たんですよ」
舜の言葉を口火に今まであったことを怒涛の如く那賀は言葉を羅列した。
「お前らが来る前に、ここに誰か来なかったか?」
彼らは互いに顔を見合わせて首を傾げた。
「ここに来るまでに誰にも擦れ違わなかったですよ。別の廊下からか庭を回ったのか…」
すると、舜はじっと空気を感じる仕草を見せてトイレ近くの柱に貼ってあるお札を剥がした。
「この地元信仰には似つかわしくないし、比較的新しいから」
その札の裏には女性を形取った紙の人形が現れた。僅かにどことなく湿っている。きっと湿気の為であろう。
「これの所為ですよ」
舜は感覚だけでそう呟くと実生に庭に放りライターで焼いてもらった。そこで、実生の演説が始まる…。
「これは『人形・形代』です。よく、神の寄り代とすることが多いね。紙・木を人の形に作ったものが人形で、呪いの藁人形もその類。人形が人間の代わりなら形代は神霊の依り代のことで神の形を形取って据え、神の代わりとしたんです。かつての子供の人形遊び、雛人形も関係しているけど、ここでは割愛しましょう。人形はこの形代の一種でもあります。今は見られないが、古代からは鉄の人形が用いられて、金、銀のそれもあったそうです。大祓の時に人形で身体を撫で息を吹き掛けて罪汚れを移したんです。身代わり人形や保命符のように自分の不幸を代わりに引き受けてくれるものもありますよね。自分の具合の悪いところを人形に移す、ということもよくありますよね。
…これを水に流すか土に埋めるのが本来であるが、現在では河川法によって焚き上げることがほとんどですね。人形・その他のものの供養も現在では焚いていますから、それは既知だと思いますが。
先程、少し触れた3月3日、桃の節句の費な飾りは3月上巳じょうしの祓の流し雛(人形)が起源であるのも有名ですよね。
話は少し変わりますが、陰陽師の扱う式神の法は陰陽道の秘術の1つです。『識神』とも書き、『しきしん』と読むこともあります。神を用いるという意を持ちます。神の力を借りる宗教は仏教を含めて沢山ありますよね。まぁ、陰陽道は中国の道教から来ていますけど。陰陽五行説、中国天文学、風水、その他の複合の学問と私は考えていますけどね。…話が少し反れましたね」
今話していることすら、すでに大筋から離れているという言葉を舜と那賀は喉の奥で飲み込んだ。
「で、式神は特定の神格を示していないんです。
式神には2つのタイプがあり、無生物に生命を吹き込み生きているかの如く振る舞わせるもの。これは有名な陰陽師の話、安部晴明が藤原道長を蘆屋道満の呪詛より救ったエピソードなどに登場する。
一般的な『式神』といった場合はこのようなもので中国道教秘術の1つである剪紙成せんしせい兵術へいじゅつに影響されたものと思われます。
もう1つは密教呪術の護法童子の法や修験道における飯綱の法と同様で、鬼神を呼び出して使役する法です。安部晴明が使役した十二神将が有名ですね。いわゆる、薬師如来の眷属の夜叉の一群ですね。夜叉、つまり鬼、鬼神のことですね。薬師如来の教え、それを志す者の守護者で、彼らの7000の眷属を従えているんです。また、十二尊というところから昼夜十二時の護法神とされ、十二支と関連付けられそれの動物の冠に頂いているんです。
宮毘羅・伐折羅・迷企羅・安底羅・摩邇羅・珊底羅・因達羅・波夷羅・摩虎羅・真達羅・招杜羅・毘羯羅が一般的ですね。
こちらもやはり道教呪術の1つである召鬼法しょうきほう、または役鬼法えきほうとも言われるが、これの影響を受けて成立したものと思われているんです」
やっと、実生の演説が終わり、2人は寒い廊下でぽかんとしていた。そして、つい、那賀が1言呟いた。
「それで?」
「今回の人形を依り代とする神に関係しているのではと…、ちょっと詳しく話過ぎましたね。悪い癖です、はい」
彼は苦笑して後頭部を掻いて恥ずかしそうに俯いた。そして、ロビー付近のレストルームに向かって歩き始める。
「でも、人の形をしているものは命が宿るっていうし」
そう舜が言うと、柱の影から栗毛の肩まで伸びた女性が腕を組んで姿を現せた。どことなく色気を漂わせて意味ありげに口の端を上げる。彼女は女性3人組みの1人、方神ほうしん沙耶香さやかである。
「命は人間の形をしていないものにも宿るのよ」
そう言って突如大人びた表情から愛らしい顔付きに変化させて郷愁に浸りつつ口を開いた。
「私ね、小さい頃から物と話ができたの。人形、ぬいぐるみ、傘、長靴、自転車…。頭の中から現れた空想の存在ともね」
煙草を吸って天井に煙を吐いて一息付いてから話を続ける。
「ほら、愛着のあるものや、古いものには魂が宿るっていうでしょ?」
「じゃあ、『神』とやらと話をしてくれ。君達の仲間にも人形が送られて来たんだろう」
那賀の言葉に寂しそうに俯いて首を横に振った。
「中学に上がる前くらいかな…。ある日、物に命があることに疑問を持ったのよ。自転車に命があるなら、ネジにもハンドルにも、サドルにだって命があるんじゃないかって。1つの物には沢山の部品から出来ている。その1つ1つに命があることになるんじゃないかって思ったら、その途端、物と話しを出来なくなってしまったの。残念にもね。ただ、精霊とはお話できるわよ。悪戯好きの風の妖精、ソフィアとかね。彼女は風や天気を操ってくれる。でも、私の意図と反したこともしたけどね」
3人はつくづく変わり者が集められたと感じた。けして信用できる話ではなかったし、幻覚、幻聴であるのは容易に想像できた。
続く
今までと違った物語になっていると気づかれたと思います。
これはあくまでも阿南町をテーマにした公募用の物語だからです。
前編はまだ話の筋にも入らないので、この先を楽しみにしていて下さい。