中学校時代1
中学校。
この時代は、私にとって、やはり地獄のような学校生活だった。
部活が。強制入部だったので、きつかった。
やりたくもない部活に入ったのだから。
お友達が、手芸部(茶道、料理)に入るというから、一緒に見学に行って、そのまま流れるように決まった。
自分の意思なんて無いに等しかった。
どちらかというと、吹奏楽の方が興味があったが、人見知りが激しかったので、相変わらず一人行動の出来ない子だった。だから、発表会など、目立つことが苦手だった。つまり、吹奏楽も向いてなかったということになる。
部活の顧問も、私のやる気のなさを見抜いてか、何かと目をつけてきていた。
私は優しくない先生が嫌いだった。
卒業する前に、部活で一人ずつ挨拶しなければならなかった。
私は、人前で話すのが極端に苦手だから、
壁を見ながら、しどろもどろ、取り繕って、
最後に「何も教えれない先輩でごめんね。」と、言った。
そしたら、後輩の一人が泣いてしまった。
言葉というものは、なんて難しくて、繊細なんだろうと感じた。
私は暗い部屋でテレビゲームばかりしていて、目を悪くした。
わざと、悪くしたのだ。
眼鏡をかけたくて。伊達でも良かったものを。
人間の醜い部分を描いた内容のサイコホラーゲームを長時間していたものだから、
影響を受けた私は、口の悪い人間にどんどんなっていった。
口の悪い人間は損だと思う。
つまり、性格の悪さを露呈した人間は損だ。
反社会性パーソナリティ障害だったのではと、今なら思う。
性格判断のような心理テストを中学の授業で学年全員受けたが、私の性格の豊かさを表現した蝋燭の炎は、今にも消えかかりそうだった。
模範的な回答をして、蝋燭の本数を増やすことは容易かったが、私はどうせならと、本音で答えていた。その時々の気持ちによって結果は変わるだろうが、当時の私の性格は、豊かさの欠片もないような無残なものだったのは確かだ。
人間不信というよりも、人間嫌いに陥った私は、誰とも群れることを次第に避けていった。
ある程度、友達という人たちはいたけれど、
皆、陰では自分の中傷を言っているように思えた。
実際そうだったと思う。
私の性格が歪んでいたからだ。
教室の自分の席、よりにもよって真ん中で、
一人でいたときのことを未だに思い出す。
すぐに気付いた友人2人が話しかけてきてくれたけど、それは単に同情だった。
しかし、嬉しかった記憶として残っている。