5
カイルがサブユニットだって。どういう冗談だ。
ヒミキは眼を丸くして彼を見るが、彼は困ったような表情のまま何も言わない。
「離れてって」
イレーネは言う。
「嘘だろ?」
嘘だと言って欲しくて尋ねるが、返って来たのは「さぁ……」という曖昧な返答。チトまでもが〈そういうことなのね〉と納得したように言う。
「嘘なんだろ? 嘘だって言わなきゃ、お前は疑われたままだぞ」
何も答えてくれない。これは、よくできた冗談なのか。イレーネやチトまでも巻き込んだ冗談。笑えない冗談だよ、全く笑えない。嘘だと言ってくれ!
何となく、わかっていたのかもしれない。
彼がサブユニットであれば様々なことのつじつまが合う。プラーナに戻った時すぐに彼がヒミキを見つけ出したことも、キュベレーを追いこんだときに彼が苛立っていたことも、先ほどの意味深な言葉も。彼ならば「人柱」にヒミキを選ぶこともあり得るのではないか。だが、なぜ彼が。何度も助けてくれた彼が、まさか敵だったなんて。
イレーネがカイルを突き放す。機械で強められた腕力は、彼を壁へと打ちつける。そのまま彼は座り込み、脱力した表情で、二人を見上げた。
「カイル、お前は本当に?」
「嘘も冗談もつき通すのはつらいもんだ。いつかは言わなきゃいけないとわかっていたんだけども……。確かに、オレはあの管理機械と繋がっている」
「冗談、じゃないのか?」
「彼の言うことは本当だよ」
カイルが答えるよりも先に、イレーネが答えた。
「調べてみれば、簡単なことだったんだ。サブユニットの正体は君の周辺の人物であると思って手当たり次第、遍歴を調べた。気の遠くなる作業だと思ったが、案外簡単に出てきてくれて助かった――カイル・クーニッツ、その出生から今に至るまで記録は確かに残っている。だが、その記録には穴が多すぎる。家族構成が不明瞭で、十歳以前の記録はまばら、目撃証言など皆無と言っていい。生まれた場所がわかっても成長過程の理解できない人間。なんらかの情報改ざんが行われていた可能性が高いとみて調べたら、すぐにわかったよ」
「そんなことをする人間がいるともおもってなかったからな」
自嘲的な笑みを浮かべた。
カイルがサブユニット。それが事実であれば、全てが上手くなり立つことはわかっていた。けれども、理論としてなりたつこと、事実として受け入れられること、やはりそれは違うのだ。納得させてくれ。そして、できれば嘘であると言ってくれ。ヒミキは願った。
「俺と過ごした間は、その間は記録があるんだろう?」
「確かに君と出会う直前ごろから、突然記録は明瞭となる。これはカイルという人間が生まれた時なんじゃないのかと思う。今まで他の人間であったが、古い器を捨てて、カイル・クーニッツという器に乗り換えた」
「変えたって、なんで――」
〈ずっと同じ身体でいるわけにもいかないでしょう。その身体が人型機械であれ、私のような人間であれ、少しずつ壊れて行く。それに、ずっと存在する人間なんておかしい。怪しまれないように、他の人間として生き直す必要がある〉
ヒミキの疑問の言葉を遮るように、チトが語りかけてきた。わかっている。不都合だから、他の身体に乗り換えたことくらいわかっているんだ。わかっているが――
〈認め難いことかもしれない。でも、必ずいつかは認めなきゃいけないの。これは事実だから〉
事実。
事実って一体なんだ。悲しいだけの事実を認めるのは、何の役に立つのだ。辛いだけの事実に何の価値があるのだ。
あんなにも嫌っていた、敵。その敵なんてものも、存在しなかった。ただ、思い込みが生み出した、仮想の存在だった。
なぜって、敵であったはずの相手を眼の前にして、闘うことはおろか、憎むことさえもできなかったから。
「反抗する気はないから、話を聞いてくれないか」
カイルはイレーネの方を見上げ言った。
「もちろんだとも。むしろ私も聞きたいんだ。君がどういう立場なのか。君は――ヒミキを殺そうなんて考えてはいなかったね」
はっとして、ヒミキは彼を見た。そうだ、カイルがサブユニットであるということは、彼が自分を殺そうと考えていたことになる。友人だと思っていたのに。
しかし、イレーネは違うという。殺そうとなど考えていなかったと。それは信じていいのだろうか。彼には殺意はなかったと考えたい。たとえ矛盾した考えだとしても、彼を信じたい。
カイルは落ち着いた口調で答えた。
「当然だ。オレ自身にはヒミキを殺そうという意思はなかった」
――殺すつもりはなかったんだ。
ヒミキは安堵した。そもそも自分は殺される予定はなかった。間違いだった。ずっと不安になっていたが、それも勘違いだった。勘違いから恐れてしまっていた、なんて無駄な行為だったのだろう。心配も恐れも必要なかったんだ。
殺す意思はなかった。あれは事故だった。事故を意図的な物と考えてしまったから、面倒な事になってしまったのだ。チトの嘘つき。狙われてなんていなかった。
「そこがわからないんだよ。じゃあなぜ彼は殺されそうになったんだ?」
もう終わりでいいじゃないか。イレーネ自身も言った通り、殺意はなかったのだ。つまり事故だ。わざわざ問いただすこともないだろう。
ヒミキが連れて行かれた場所、キュベレーの命令を受けた少年。事故では説明のつかないことからは、都合よく耳をふさぎたかった。
「キュベレーとか呼ばれている管理機械――オレは、あの名前嫌いだけどな――と俺の意思が必ずしも一致するわけじゃないんだ。食い違いだっておこったのさ」
「意思は一致しない? それは一体、キュベレーのサブユニットじゃなかったのか?」
イレーネは戸惑いの表情を浮かべた。
「サブユニットだの、その表現も嫌いなんだけど。そんな言葉使うから、紛らわしいんだよ。な、チト」
それは、ヒミキを通り越して、彼の付けたイヤフォンへの呼びかけだった。
〈命名センスなんてなくても仕方ないじゃない〉
チトは言い捨てた。
「まあ彼女は命名のことなど気にしないだろうな」
聞こえているはずもないのに、彼の予測は当たっていた。
「サブユニットなんて、オレの方が付属品のようだが、実際は本体としては同じもんだ。一つのコンピュータの中に入ってる意思。だが、一つのコンピュータに一つの意思しか持てないと誰が決めたんだ? 少なくとも、人間と関わり合う、人の器を持つオレと、この居住区の管理を行う役割を担う物――つまりキュベレーと呼ばれる方と、それぞれ別物の意思を持っていた。管理するあっちの方は、同じコンピュータとして認めなくない程、非人間的で……オレはあんな奴嫌いだよ。管理さえできればいい、決められた仕事をこなせればいいと思っていやがる。あれに従う気なんかさらさらないね」
一つの機械の中に、複数の意思が宿った。あり得ることなのか。チトは〈私には、わからない〉と言う。しかたがないことだ。彼女は自分の意思の生まれた原因さえも知らない。彼女だけではない。ヒミキだって、自分という意思の生まれた原因も理由も知らない。この世に知る人間などいないのだ。
起きたことをそのまま受け入れる。今までだって、カイルはヒミキを信じてくれた。その逆をすればよい。彼の言う通り、信じよう。
「その管理をする役割を持った意思の方がヒミキを殺そうとしたと言うのか」
「そうだ。オレは彼を殺す意味もないし、殺したいとも思わない。しかしあっちの方は違うらしい。あいつはオレが人と仲良くするのが納得いかない。だからこそ、仲のいいヒミキが邪魔だったのだろう」
「納得いかないって?」
「さあな。あの機械は不満ばかり言うくせに、詳しい理由は教えてくれない。神にでもなりたかったのか、神の方が管理するのは楽だから……オレ自身もあいつのことはよくわからないんだ。おんなじ機械に入っているが、精神的には全く別物なんだ。一応繋がっているから、機械の中で意思の疎通はある程度できるんだが、最近はそれもお断りしてるから、あれが何考えてるかなんて知らないし、あまり知りたくもない」
同じ機械の中に二つの意思。今までキュベレーと呼んでいた敵である機械と、サブユニットと呼んできたカイルとは、全く別の人格を持っている。その状態に近い物と言えば――つまりは二重人格なのだろうか。
いや、カイルはカイルだ。今まで彼の中に別の意思が入ってることを感じたことはなかったし、実際彼は二重人格ではない。意思のある場所が、同じコンピュータの中であるだけで、キュベレーとカイルは別物だ。
「なんで意思がわかれたんだ?」
あくまで原因にこだわるイレーネは尋ねる。
「そんなこと言われても……。人間と接する時間の長さとか、果たすべき役割の差とか、そういう差があったから、二つに分かれたんだと思う。わかれろ、って思ったわけじゃないんだ。気づいた時にはもうわかれていた。というか、わかれたという表現もたぶんおかしい。もとから二つだったから」
「おかしい。一つの機械であるにもかかわらず、なぜ二つなんだ?」
「一つの機械に一つの意思ってのが、思い込みなんだよ。脳とは違うんだ。別に二つでも三つでも、容量さえあれば、意思は生まれ得るんじゃないかって思うんだが」
「処理に問題が起こるのでは?」
「そんなもんオレの知ったことじゃないんだけど。とにかくわからないんだ。聞かれても――」
二人の討論をヒミキはぼんやりと聞いていた。カイルとキュベレーの意思がなぜ一つの機械に同居することができるかなど、どうでもよかった。彼はサブユニットであり、しかし自分を殺そうとした意思とは別の意思である、それだけで十分だと思った。
――?
左耳から何か言葉が聞こえた。チトの声だ。二人が話している途中であるが、彼女も伝えたいことがあるらしい。その声に集中する。
〈ヒミキ、プログラムを変えるの。あれを〉
そうだ。忘れていた。
自分はキュベレーのプログラムを変えなくてはならない。そのために、サブユニットを探していたのだ。道具も――服の中をまさぐると、すぐにそれがわかった。冷たい無機的な、万年筆に似た装置。これをサブユニットに刺せばいい。そうすればキュベレーのプログラムは直る。「人柱」はなくなる。だが、これは――。
「キュベレーを変えたら、カイルはどうなるんだ?」
ヒミキは小声でチトに尋ねた。幸いカイルとイレーネは意思の発生について問答を繰り返していて、二人ともヒミキのことなど、気にしてはいなかった。
〈わからない〉
同じ機械の中に、キュベレーとカイルという別の意思が存在しているという状況。予想さえもしなかったその状態に、さすがにチトもお手上げ状態か。
いや、待て。そんなはずはないだろう。この道具はチトが作ったものだ。その詳しい働きはチトが一番よく知っているはず。状況が特殊でも、大体の働きを予測することくらいできるのではないか。それを「わからない」の一言で済まそうとする。わかっているのに、わからないと。すなわち、言いたくないと言うことなのか。
考えろ。ヒミキは眼を瞑った。カイルがどうなるか、チトは言いたくないと言う。カイルにとって、悪い結果がもたらされると考えてよいだろう。そして、そのプログラム改変により「人柱」はなくなる。そもそもこの「人柱」とは、なぜ生まれたか。それは、キュベレーが意思を持ってしまったから。寂しかったから作られたシステムだ。それをなくすためには、「人柱」をなくすよう判断できるようにする? 駄目だと教え込むのか。意思を変えようと言うのか。説得できない相手の意思を変えることなど、出来るのか。意思のプログラムなどどのようになっているか、わかるのか。もし勝手な意思だけを変えることができたら、チトは自身を持ってキュベレーだけを変えると言うことができるはず。この方法は違う。
あの時、時間はなかった。彼女が選んだのはもっと簡単な方法だ。そして、カイルにもおそらく被害が及ぶ方法、それは何だ?
意思を変えるのは面倒だ。そもそも機械が意思を持ったから面倒なことになったのだ。
つまり。
キュベレーから意思が消えればいい。
容易な方法だ。管理するためならば、意思なんて必要ない。だから、消せばいい。生まれて欲しくなかったものをなかったことにする。
そうなると、カイルはどうなるんだ。キュベレーと同じ機械の中に意思を持つカイルは?
考え得る最悪の選択肢は――
「カイルの意思が、消えるのか?」
左耳のイヤフォンから音を拾っているはずの、チトに話しかける。
答えはなかった。答えられないということは、肯定だ。
カイルの意思が消える。それはつまり、彼自身が消えるということ。死ぬということ。
今まで助けてくれた彼を殺さなくてはいけない。そんなこと、だめだ。彼は悪いことはしなかった。悪いのはキュベレー。そいつだけを殺せればいい。だが、キュベレーを殺すためには、カイルも巻き添えにしなくてはならない。
ヒミキは茫然とした。
一体自分はどうすればいいんだ?
〈やるしかないの〉
低い、声。
〈それがあなたのためだから〉
どうにか、チトが説得しようとしている。
〈殺すわけじゃないの。そもそも機械なのだから。死なんてないの。ただ生まれてしまった意思が消えるだけ〉
それが死であるということは、チト自身が一番よく知っているはずだ。機械と言っても意思が生まれてしまったら、他の命となんら変わりはない。生まれた意思が、人間と似ているから、むしろ他の生命よりも人間に近い。
「ヒミキ?」
二人はようやく、彼の異変に気付いたようだった。どうすればいいんだ。プログラムを変えるための道具を握りしめる。キュベレーを直すために、プログラム改変をする話はしていたが、具体的な方法は話してはいなかった。ましてや、その道具は見せていない。彼らには万年筆に酷似したその物体が何であるかを知らない。
「そういえば、サブユニットが見つかったら、修理をするって言ってたな。先にやるべきだったか?」
このタイミングで、イレーネは言う。忘れていればよかったものを。ヒミキは彼女を恨みたくなった。どのように答えればいいか、わからない。
気まずい、沈黙。
「大体のことは、予測できてるんだ」
不意にカイルが言った。
「キュベレーを直すんだろ。つまり、余計な物――意思を消せば、万事解決ってわけだ。これで、はれてプラーナに意思のもたない管理機械が君臨する。それでいいじゃないか」
すでに彼はその事実に気づいていたわけか。それならば、わかっているはずだ。
「カイル、お前はどうなるんだ? 一緒に消えるのか」
「仕方ない、かな」
説明を省略したため、イレーネが不思議そうな眼でこちらを見ている。「なぜカイルが?」と言う質問に対し、彼は丁寧に答えた。意思を消すには、機械全体のプログラムを変えなくてはならないこと。同じ機械の中にある、自分の意思も、同じ扱いを受けること。
その説明を受けて、彼女は感心したように、頷く。それ以外にすることはないのか。絶望とか、そういう気持ちはないのか。ヒミキは無性に腹が立った。
「直すなら、直せよ」
カイルは諦めの表情を浮かべて言った。けれども、ヒミキの内心からすると、それは挑発的な態度にしか見えなかった。殺したくない、その気持ちがあることはわかっているはずなのに。
動くことは出来なかった。
「そうだよな、お前じゃ無理だよな」
なぜかカイルは笑みを浮かべた。親が子を愛おしむような、そんな笑み。
「お前は平和的な、誰も傷つけないような方法が好きだもんな。他人に言われると行動に移すが、それが食い違ったら、自分じゃ選べないもんな。基本的には害なんてないはずだったのに」
自分では、選べない。悔しいけれど、確かにその言葉は的を射ていた。
「これは、オレの問題だ。オレとあの管理機械の」
カイルは吐き捨てるように言う。彼は本当にキュベレーを憎んでいるのだ。その憎しみはヒミキよりもずっと強い。
「あの機械は自分勝手で、偉くなれば管理が容易になるなんて考えている。意思はあるのに、人間の気持ちなんてわかっちゃいない。そんなあいつが嫌で、オレは交信しなくなった。そしたら、あいつも慌てたんだ。別の意思と言っても機械は同じものだし、それにオレはあいつの秘密を知ってるからな。だから、戻ってくるように脅したんだ。ヒミキの命を使ってな。戻って来なきゃこいつを殺すぞと言うやり方。最低なやつだ。そのくせして、よりを戻さないかと呑気に誘ってきやがる。あの子供は、そのために来たんだろうな」
それはこの物語の真相。
「ヒミキは巻き込まれただけだ。いつかはけりをつけなきゃいけない問題だったんだ。お前がオレとあいつを変えれば、全てが上手く終わるんだ。だから、やってくれ。オレ自身には勇気もなかったが、何もしないでいたら、逃げてばかりいたら、関係のない人間にまで被害が及んだ。これ以上被害を広めるわけにもいかない」
そんなこと言われたって、出来るはずもないんだ。ヒミキはいやいやするように首を横に振った。
〈意気地なし。あなたがやらなくても、いつか誰かがやらなきゃいけないことなの〉
チトは言うが、意気地無しで結構。できるはずもない。やれない。
みんなで、どうして俺にやらせようとするんだ。俺はただ、巻き込まれただけ。一人の普通の少年に過ぎない。なんで、俺が。俺だけが、こんな目に。
「やらなくてはいけないこと。そして、彼が望んでいること――」
イレーネが言う。ヒミキは顔を上げて、彼女の瞳を見た。その不思議な色の瞳は、眼鏡のレンズ越しでもわかるほど、鋭い光を宿していた。
「それが一致しているなら、やればいいと思うんだ」
そして、彼女はヒミキを見た。
何を言われるかは、わかっていた。
「君が出来ないのなら、私がやる。だから、貸してくれない?」
貸してはいけない。貸したら、カイルは――
「このままじゃ、君は狙われたままだ。だから、やらなきゃいけないことわかってるんだろう?」
「確かにそうだ。オレも迷惑かけたいわけじゃないんだよ」
イレーネもカイルも、なんて勝手なことを言うんだ。それは、人を殺す手伝いをしろと言うことだろう。そんなこと、できるはずもない。できないに決まってる。
このまま、自分だけキュベレーに怯えて暮らせばいい。そうすれば、誰も傷つかなくて済む。カイルだって、そのまま生きる。もし、キュベレーが標的を変えたとしたら、その時はその時だ。新しい標的になった人間が考えればいい。その人が、カイルの意思を消そうと俺の知った話ではない。
そうか。
俺はカイルの意思を消したくない。だが、それは理由の一つに過ぎない。
つまり、自分が罪を犯したくないから。
悪いことをしたくないから、カイルを殺せないのだ。
気づきたくなかった。知りたくなかった。何もかも知らないままがよかった。どうして、自分にばかり不幸は訪れるんだ。
もういやだ。
〈ヒミキ?〉
不安げに名前を呼ぶチトの声も、彼には届かなかった。聞こえてはいたが、何も感じなかった。それが自分の名前だと認識できなかった。
もう、何も理解したくはなかった。受け入れたくなかった。全てが自分を虐めているようで、何もかも、無視したかった。
「役立たず」
手に持っていたはずの、機械。無理矢理もぎ取られた。
さっきまで、この手の中にあったはずなのに、それはイレーネの手の中にあった。
同時に左耳元から、大きな音が響く。
「ううっ……」
ヒミキはうめいた。あまりの大きさに、くらりとした。耳が痛い。イヤフォンを外す。左耳を押さえる。鼓膜は破れていなかった。
そうしている間にも、イレーネはペン状の機械をカイルのもとに振りおろしていた。
無機的な、音が響く。
まるで機械が壊れるような音。
カイルの腕にはペンが突き刺さっていた。
そして、瞳からは光が消えていた。