表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

4

 キュベレー、そして正体をもわからないサブユニット。それらを敵に回して、一人では闘うことは出来ない。知識を共有する仲間が必要だ。隠すべきことも、もうなくなった。

 チトと決めたこと。全てを話そう、協力してもらおう。

 情報収集をしていた部屋――ヒミキが逃げ出した部屋に戻ると、まだその場所にカイルとイレーネは残っていた。二人の視線が彼の元に集まる。睨みつける眼、戸惑いを浮かべる瞳。

 二対の瞳に見つめられ、「ごめん」とヒミキは謝罪の言葉を口にした。二人も何かしら言いたいことがあるだろうとわかっていたが、先に言わなくてはならない。二人が口を開く前に、彼は言葉を繋いだ。

「聴いて欲しいことがあるんだ」

 二人から、不満の声が漏れる。しかし、聞きたくないとは言わなかった。イレーネはヒミキが今から語ろうとしていることが、「人柱」あるいはキュベレーに関することであることを察したのだろう。それを聞き逃すわけにはいかない。たとえそれがどのような情報であろうとも、情報を持たざる彼女は、知ることを欲しているのだ。そして、カイルもまた、好奇心かそれとも友人としての付き合いなのか、どちらかを察することは出来ないが、先を話すことを促してくれた。

 二人が聞いてくれることを確認したヒミキは、サブユニットとは何か――チトの存在も含め、知っている限りの全てを語った。

 語っている間、イレーネは何度も顔をしかめ、口を挟もうとした。その度にカイルは彼女を手で制した。全て語り終えるまで、黙っていろと。彼女もそれを無視してまで話そうとはしなかったが、落ち着きはなかった。神経質に何度も眼鏡の位置を直し、髪をかきあげる。機嫌を損ねていることには間違いないだろう。

 それでも、彼女が最後まで聞いてくれたのは、我が友人のお陰だ。また、カイルには感謝しなくてはならない。

 語り終えた後、先に口を開いたのはカイルの方だった。

「まだ、そんなことを隠してたわけか」

 彼は不機嫌そうな表情をするが、これも冗談の一種だろう。口元が緩んでいる。許してやるよ、とその表情が語っている。信頼してくれている。

だが、もう一人はそう簡単にはいかなかった。

 彼の感想の言葉が終わると、間髪いれずイレーネは口を開いた。

「ありえない。証拠はあるのか? 機械が、自然と意思を持つ証拠が?」

 予想通り、彼女は納得がいっていないようであった。ヒミキが説明をする間に疑問を口にできなかったため、不満が溜まっていたのだろう。少々苛立った口調で話す。早口で、いくつも疑問を投げかける。

「そのチトって子は本当に存在しているわけ? その子、というか機械が嘘を言っている可能性はないの? その子が機械だっていう――」

「落ちつけよ、おばちゃ――イレーネさん」

 カイルがのんびりとした口調で、イレーネを諌めるが、言われた本人は彼の言葉など聞く耳を持たないようだ。今までおあずけをくらっていたのだから、今は話しをさせろと言うことか。一層声を荒げて、問いただす。

「機械が意志を持つなんて、考えられないんだ。それが事実だと言うなら、証拠を見せてくれ。私が納得できる証拠を」

 彼女はヒミキに詰め寄った。厳しい表情を浮かべる彼女の迫力に、気圧され後退る。助けを求め視線を彼女から逸らすと、カイルと眼があった。彼はうんざりだといった様子で、肩をすくめてみせる。

「イレーネさん、ヒミキが嘘をついて何の利益があるんだ?」

「嘘をつくのに利益が必要? 利益も関係なく嘘をつくことだってある。君がいい例じゃないか?」

 痛い所をつかれた。彼は理由もなく冗談を多く言う。それは事実。同様に友達も嘘をつくのではないかと言われると――

「君は彼を友人だから信じるのかもしれないが。ヒミキが嘘をつかないという保証は出来るのか?」

「ヒミキはそんな奴じゃない」

「そうかい。君は友人の全てを知っているつもりかもしれないが、友人と言えっても他人だぞ。実は、彼は君が思う通りの人間じゃないかもしれない」

「そんなこと……」

「彼が『人柱』に選ばれた以降の内容は彼が語っただけのことだ。私もその証言を信じて動いていた。だがすでに、嘘――とまではいかないかもしれないが、しかし重大なことを隠していた。この子だって隠しごとをするんだ。嘘も同様じゃないのか。もしかしたら、全てが嘘であるかもしれないな」

 イレーネは誰の味方であるのか、わからなくなってきた。そもそも、彼女は誰の味方でもないのかもしれないが。

 カイルの瞳が揺れるのが見て取れた。おそらく、今、彼の心が揺れた。

今まで、信じられないような事が起こった。多くのことをその身で体験したヒミキでさえ、本当に起こった出来事なのかわからなくなってしまうような出来事が多くあった。カイルは、ほとんどのことを体験さえもしていない。キュベレーに殺されそうになったこと、「人柱」が異常な制度であること、キュベレーの持つサブユニット、そしてチトの存在、全て彼は話で聞いただけなのだ。

信じてもらえなくても仕方がないことを、彼は信じてくれた。ヒミキならば信じられる、その一心で。

 カイルは、彼自身が言うような冗談をヒミキが言っているのではないかと問われると、きっぱりと否定することができない。今までそのようなことはなかったから、言っていなかったということは出来る。だが、確かに隠し事はしていた。それも重大な隠し事だ。それと同様に、今回突然彼が嘘をつきだしたのだとしたら。普段は冗談など言わない彼であるが、時には嘘を言いたくなるかもしれない――きっと悩んでいるだろう。

 もちろんヒミキは自身が嘘をついてないことはわかっている。自分は嘘をついていないと自信を持って言うことは出来るが、それだけでは納得してもらえない。彼は嘘をついていないと言う事実を伝える術がなくて、もどかしかった。

 これを信じてもらえなければ、この後の活動が困難になる。サブユニット探しはヒミキ一人でどうにかなる問題ではない。イレーネの情報力あっての活動だ。しかも彼はキュベレーに狙われている身であるのだ。一人で闘うなど到底できまい。チトの存在が知られ、キュベレーが危機感を抱いていると考えられる今となっては、あの機械に管理されている道を歩くことさえも危険を伴うのではないか。

一人では無理だ。ここで、嘘だと思われてしまって、愛想も尽かされたら、おしまいだ。

 信じるしかない。信じてもらえることを、信じるんだ。

 カイルの焦げ茶の瞳が、ヒミキを見た。その瞳に対し、信じてくれることを願う。

その瞳は未だ揺れている。真摯な眼差しで、見つめている。

 ――彼は小さく頷いた。

 希望が、見えた。

「あんたが信じたくなければ、信じなくて結構だ」

 カイルが、何を言い出すかと思えば、先ほどまでとは打って変わって強気な口調で、イレーネに対し喧嘩腰とも思える発言をする。信じてくれたのだろうか。だが、その態度に不安になる。イレーネの協力なくして、サブユニット探しを続行することは不可能に近い。

「カイル――」

 落ちつけよ、と言うつもりが眼で制される。

「だが、オレはヒミキの言葉を信じるぜ。機械が勝手に意志を持つなんて、わけのわかんないような話だが、一応筋は通るだろ。それを信じないと言うなら、もう協力はしない。ただし、研究も進まないだろうな」

 そう言うと、上目づかいで彼女を見てにやりと笑った。

 これは、冗談ではない。真面目な時の彼。なるほど、研究を引き合いに出されては、イレーネも信じないとは言えないのだ。あくまで彼女の目的は「人柱」の理由を知ること。疑わしいとはいえ、重要な情報を嘘と決め付けてしまうわけにはいけない。

「さあどうする?」

 交渉をする時のカイルの表情。少し大人びて見える。

 ずっと彼はイレーネのことが好きなのだと思っていた。でも、それは違うのかもしれない。彼はヒミキのことを考えて、判断してくれていたのかもしれない。ただそれが、納得できないような、妙な選択だったから、他の誰かのための行動だと思っていた。

 中途半端なんだ。俺のために動いてくれると言うのなら、もっと俺の気持ちをわかってくれればいいのに。ヒミキからしてみれば、カイルの不器用さがもどかしい。

 イレーネは半ば呆れたような、でも何か満足したような、不思議な表情を浮かべ、カイルに言葉を返した。

「そこまで言うか。もし嘘だった時は、責任をとってくれるのだろうね?」

「もちろん。責任は取る。ここにいる、こいつがね」

 不意に肩を叩かれ、ヒミキは驚く。戸惑って左右を確かめると、「お前だよ」とカイルに念を押されてしまった。

「俺?」

「もし嘘をついてるとしたら、自業自得だからな。その場合はオレも助けはしないぞ」

 イヤフォンから〈頑張れ〉とチトのやる気のない声が響く。本気で応援してくれるわけではないようだ。ただ形式で、言っただけらしい。彼女もこれが嘘でないことはわかっているくせに、薄情なものだ。

「少なくとも、私は――」

 イレーネはヒミキの頭へと腕を伸ばす。左耳を押さえた時には、既にイヤフォンは彼女の手の中にあった。

 ヒミキは眼を見開いた。

 この女はイヤフォンをなんだと思っているんだ。チトから貰った大切なイヤフォン、重要な通信道具。これがなくては、チトの言葉が聴けない。いざという時に守ってもらえない。大事な、大切な道具なのに。安易に持ち去っていいようなものじゃない。

「返せ」

 チトと連絡が取れない。それはだめだ。自分はキュベレーに狙われているのに。それがなくては。不安だ。物凄く不安だ。

 それなのに、澄ました表情でイレーネは言う。

「言葉だけじゃ信じない。実際に聞いてみないと、信用できないんだ」

 取り返そうとヒミキが伸ばす腕を払いのけ、イレーネはイヤフォンを自分の耳へとはめた。なんで勝手に他人の物をとっているんだ。それがなければチトと連絡が出来ないんだ。

「返せって!」

「ヒミキ、落ちつけ」

 カイルが腕を掴んだ。なぜ?

「ちょっと強引だったが、イヤフォン貸すだけだろ。そんな慌てることないじゃないか」

 貸すだけ? 本当に貸すだけか? 壊されたらどうする?

 口に出すことも面倒で、無理矢理にイレーネから取り上げようとするが、また彼女は機械で腕力を高めていた。卑怯なやつ。機械相手に、一般の人間の力では太刀打ちできないのだ。簡単にはねのけられてしまう。

 それでも、イヤフォンを渡すわけにはいかない。チトと話せないのは嫌だ。

「そんなにその子と連絡するのが大事か?」

 友人のくせにカイルも彼の気持ちを理解してはくれない。

「もちろんだ」

 チトがいなくては、生きていることもできなかった。

「――信用できないのかよ」

 冷めた声。驚いて、カイルを見る。彼は眼を伏せた。

「オレはヒミキのこと、信用していたが、お前は信じてくれないのか?」

 この言葉は、冗談?

 まさか信じてもらえないからと言って、拗ねるような人間でもないだろうに。信じて貰いたいなどと要求するとは、カイルらしくない。彼は、文句を言うことはあっても、大概のことを自分でやり遂げる。普段から他人への要求は少ない人間だ。今回に限って要求するなど、何か変じゃないか。

 彼はついと顔を上げ――

 頬に強い衝撃を受けた。

 何事かと、カイルを見ると、その口から言葉が激流のように流れ出した。

「いつでも自分のために他人が動いてくれるなんて思うなよ。信頼してもらうためには、信頼することが必要なんだよ。助けてもらうためには助けることが必要なんだよ。自分だけ、やりたいようになるなんて、ありえねぇんだよ。甘えるな!」

 本気で怒っている、のか。あのカイルが? そういえば、確かに彼は朝から機嫌が悪かった。イレーネと喧嘩をしていたっけ。それにしても、こんなに怒らせてしまうとは――自分は余程のことをしてしまったらしい。

頬が痛い。殴られたんだ、とようやく気付く。

「別に殴ることないんじゃ」

「足りないくらいだ。折角オレが――のに……」

 言葉が不明瞭で聞きとれない。怒りにより、彼の頬は赤く染まり眼が爛々と光っている。

 まずいことをしてしまったのだろうことは、予想が付く。けれどもこんなにも彼が怒る理由は、ヒミキにはわからなかった。今自分は普段通りにしているだけだ。チトと連絡が取れないと困るから返して欲しいとせがんだ。ただ、それだけのことなのに、カイルはなぜ怒るのか。信用してくれ、と言われるのはわかるが、なぜ怒る必要があったのだ。

「オレが殴った理由、わかんないのか?」

 カイルに尋ねられ、素直に頷く。

「ちょっと甘やかしすぎた。それもいけないんだろうけど、な」

 甘やかすって、まるで子供に対する言葉。

 確かに、頼りすぎていたのかもしれない。だがこんな非常時だ。他人に頼らなくては、生きることもできない。必要以上に警戒してしまうことも、仕方がないのではないか。まあ、当事者ではない彼には、全くわからないのかもしれないが。

 カイルはふっと、息を吐いた。

「まあ、ちょっとやりすぎた。気が立っていたみたいだ」

 笑みを浮かべる。まだほとぼりが冷めきっていないためぎこちないが、先ほどまでの硬い表情と比べたら、大分ましだ。仲直りしようと言うことか。

「ごめん、俺も勝手だった」

 信用してくれた相手を信じないのは、申し訳なかった。カイルは、「人柱」に選ばれて以来、何度も手助けをしてくれていた。彼のことを信じないで、一体プラーナの誰を信じようと言うのか。イレーネの方は、ヒミキの言葉を信用してくれなかったが。

 たぶん、まだ彼女を信用しているわけではない。警戒は解けていないのだ。誰がキュベレーの手先とも知れない。油断するよりは、怪しんでいる方が安全だ。

 そのイレーネは、二人の会話に口をはさむことなく黙って見ていた。何を考えているのだろう。ここは何も言わない方がいいと判断したのだろうか。彼女は、結論が付いたと見ると、ニッと笑ってイヤフォンを指で指し示す。

「じゃあ借りるね」

 カイルのいる手前、また止めるわけにもいかない。渋々頷く。

「CQ、CQ――じゃなかったかな?」

 冗談とも本気とも取れないコールを入れ、彼女は宙へと呼びかける。傍から見れば、なんとも真の抜けた様子だ。そして、それは普段時であればヒミキの姿だった。

「ん、機械音かと思いきや、案外可愛い声だな」

 当然だ、チトの声は機械音なんかではない。澄んだ人間の声だ。

「で、君が勝手に意思を持ったと言うのは、本当なのか」

 勝手にというのはおかしな話だ。彼女が望んで意思を持ったわけではない、意思を持ったことは偶然の結果に過ぎないのに。

チトがどのように答えたかはわからないが、「そうか」と、イレーネは頷いた。何を話しているのだろう。彼女の声は聴くことができるが、それに対するチトの言葉がわからなくてもどかしい。短い受け答えばかりで、内容の推測もできない。

 そろそろ返してくれてもいいのではないか。身体が落ちつかない。

「お前の長い説明もちゃんと聞いていたんだ。もうしばらく待てよ」

 カイルがたしなめてくる。やはりこいつは、あのイヤフォンの重要性をわかってはいない。チトの存在の重要性も。

「わかった、信じようじゃないか」

 短い応答を何度も繰り返した後、ようやく、話が終わったのか、イレーネがイヤフォンを差し出す。最後に認めてくれるのならば、初めから認めてくれればいい物を。ヒミキはイヤフォンひったくるように取り戻し、自分の左耳にはめた。カイルが、何か言いたげな視線を投げかけているが、あえて無視をする。

 左耳にイヤフォンをはめた途端に、素晴らしい安定感に満たされる。チトと繋がっていられる、その事実が心を落ちつかせる。コンタクトレンズもあるが――常に映像を映し出すことはできないそれとは違い、イヤフォンは常にチトの音を伝えてくれる。

「チト」

〈何?〉

 呼びかけると、答えてくれる。

 やはりチトがいなきゃだめだ。チトじゃなきゃだめなのだ。

 キュベレーに追われる、緊迫した状態。なぜか迷い込んでしまった非現実的な状況の中で、この心の安らぎは、彼女によってのみ得られる。


「まだ謎は残っている。例えば、君がなぜキュベレーに個人的な恨みを買ったのかは知らないけど、これはむしろチャンスだね」

 チトの存在を認めた後、無言で資料集めを行っていたイレーネは、ようやく自らの中で考えをまとめたのであろう。ヒミキに話しかけた。だが、キュベレーに追われる状況がチャンス? 他人事だと思って。

「それのどこがチャンスなんだ?」

「キュベレーのサブユニットは隠れてさえいれば、中々見つけることができない。けれども、その機械にとって緊急事態ならば、ずっと隠れているというわけにもいかないね。サブユニットだって動かすかもしれない。となると、サブユニットを見つけるチャンスだ」

 カイルが横から口をはさむ。

「いや、逆だよ。サブユニットを動かしたら危険なことくらい、キュベレーはわかってるだろう。どんなに焦っていても、絶対に危険にさらしたりはしないぜ」

 この中では一番知識もないくせに、何を偉そうに。サブユニットは、動けないキュベレーの機動機関だ。それを、このような時に使わないでどうするんだ。使うにきまっているだろう。

 反論しようかと思ったが、〈そうね、私もサブユニットは最後まで隠れていると思う〉と、チトは同意をした。そして、イレーネも。

「確かにそうか……。あの機械の性能は私よりも君達の方が知っているだろうし。甘く見ちゃいけないな、何せ人命がかかってる」

 彼女はヒミキの方を窺う。人命ね。その人命が軽く見られているような気がするのは気のせいか。どうも、キュベレーをおびき出すための餌として見られているような。彼女にとってヒミキは所詮研究材料に過ぎないのかもしれない。

「まあ、クマのお面の子供、だっけ。その手下をどうにか捕まえれば、何か情報を得られるだろう」

〈あの子供が、情報を持っているとは思えないのだけど――〉

 左耳でチトが呟いた。その言葉は、イレーネやカイルには伝わらない。ヒミキにしか聴こえないのだ。だから、彼は彼女が言った通りの言葉を二人に伝える。

「それって、君の意見? それともチトという機械の?」

 イレーネはわざわざ訊ねるが、そんなものどちらだっていいじゃないかと思う。これはチトの意見でありながらヒミキの意見でもあるのだから。

 けれども、チトが考えた内容を、勝手に自分の考えたことのように拝借してしまうのも、彼女に申し訳ない。考えたもとをはっきりさせるためにも、彼は答える。

「チトの考えた意見だ」

「彼女が考えたならば、そうなのだろうな……」

 ふむふむ、と顔に指を当て頷く。

 チトの意見が信用されることは、自分のことのように嬉しい。まるで自分が信用されているように思える。それにしても、疑い深いこの女性を簡単に信頼させるとは、やはり彼女は凄い。少女の功績が自分のことのように誇らしく感じる。

「しかし他に頼りがあるでもなし――とりあえずどうにか、その子供に接触してみよう」

 接触すると言うことは、危険なのではないか。自分は狙われているんだぞ、ヒミキは主張しようとするが、イレーネは彼を手で追い払うような仕草をする。「調べてみるから、一人にしてくれないか」などと言うなり、ヒミキとカイルを、本当に部屋から追い出してしまった。

 また、身勝手な行動だ。彼女の中ではある程度結着が付いたのかもしれないが、ヒミキは何もわかってはないない。情報を与えただけで、何も得られてはいない。扉を開こうとするがロックがかかって開けることができない。助けを頼んだはずなのに、この仕打ちだ。ヒミキは舌打ちをした。

「まあまあ、情報集めも大事な仕事さ。あんなオバチャンなんていても、お前の護衛にはなってはくれないって。その代わり、オレがいるじゃないか。ナイトの役目はオレに任せなさい」

 腕を上げ、筋肉を盛り上がらせてみせるが、あまり意味はなかった。盛り上がる程の筋肉は、彼にはない。

「冗談」

 指摘すると、「わかってらっしゃる」と、笑った。

「お前なんかより、エリーの方が役に立つよ」

 名前を呼ぶと、先ほどまでスリープ状態だったのだろう、カイルの肩に巻きついていた機械魚が、むくりと頭を上げた。白目のない眼で見てくる。

「エリー、ヤクダツ」

「そうだな、エリーは役立つ子だ」と、カイルはエリーの頭を撫でる。機械魚はくすぐったそうに、その長い身体をくねらせた。つくづく、この魚の何がよいのだろうと考えてしまう。魚よりも、もっと身近な生き物の方が癒される気がするのだが。

「それはそう、と――」

 カイルは視線を戻し、むきあう。機械魚は不満げに彼を見上げているが、彼はもう構う気はないらしい。魚は諦めて、彼の近くに漂うだけに留まった。

「さっきは本当にごめんな」

 さっき? 何のことを言ってるんだ。色々なことがあった気がするが――

「殴ったことか?」

「そう、ちょっとオレもわけありで、気が立っているんだ」

 言い訳、それも曖昧な言い訳だ。わけあり、か。どうせ、構ってもらえないとか、そういうことだろう。命を狙われることに比べたら、きっと些細なことだろう。まあ、そんな些細なことでも、こいつにとっては重大なのか。

 ……あまり苛立っても仕方がない。カイルは友達だ。今は対面している状況があまりにも違うので、わかり合えないことが多いが、友達であることに変わりはない。

「気にしてはないよ」

 まだ頬は痛むが、気にしてはいない、おそらく。

「それはよかった」

 言葉通りに信じてくれたのか、それとも疑いながらも信じている振りをしているのか、どちらかはわからないが、とりあえずカイルは納得したように言う。そして、僅かに顔を伏せた。茶髪が垂れて、顔に影が出来る。

「今は言えないけど、オレの抱えている物、たぶん後になったらわかるぜ。まあ、本当はわかって欲しくないんだけど、どうも展開がね」

 歯に物が挟まったような言い方。まるで、何か重大な秘密を抱えているようではないか。

 まさか――

「冗談、だよな?」

 カイルはいつまでたっても話の外側、大した役にも立てないから、何か重要な役割につきたくなっただけだよな。意味深な発言をして、恰好をつけたかっただけだよな。冗談ならば許されるなんて思ったのかもしれないが、ヒミキからしてみれば紛らわしいことこの上ない。

「もちろんだとも」

「そうだよな。もし、お前がキュベレーの手先だったら、今までだって俺をどうにかする機会はあったからな」

 下らない冗談に騙されてしまった自分が情けなくなると共に、こんな時に変な冗談を言うカイルに怒りを感じた。疑心暗鬼になっている時に言うべき冗談ではない。

「ヒミキは今、疑いすぎなんだよ。ちょっと肩の力を抜けって。どうせキュベレー自体も、サブユニットも目立つ所で罪を犯すことなんてできないんだからさ」

「お前なあ……」

「ほら、そう怒らないで。気楽に行こうぜ。焦ったり怒ったりすると、何もかにも上手くいかなくなるからさ。じゃ、オレは用があるから。エリー、後は任せた」

「ワカッタ」

 ヒミキが怒っているのを察したのか、カイルはどこかへ行ってしまった。用事など、ないことはわかっている。イレーネの手伝いを始めて以来、学校はもちろん、彼は家にさえも帰っていないのだ。彼曰く連絡すれば、納得してくれる親らしい。そんな彼が、どこかへ行く用事などないに決まっている。ヒミキと喧嘩をしないために、逃げたのだ。

「本当にエリーの方が役に立つな」

 無表情な機械魚に語りかける。「アリガトウ」と形式的な答えが返って来た。大きさの問題もあるのだろうが、人工的に作られた知能など所詮はこの程度だ。ひねりのある回答を、期待することは出来ない。

 だからこそ、人間らしい言葉をくれる機械へと話しかける。

「チト、これから俺はどうするべきだろうか?」

〈――自室で休めばいいと思う〉

「投げやりな回答だな」

〈ごめん、ちょっと考えていたことがあって、そこまで処理能力を回せないの。お話するのは、もうちょっと待って〉

「何を考えているんだ?」

 イヤフォンから、答えが返されることはなかった。ヒミキは溜息をつく。チトまで、自分のことにかかりきりになるとは。俺を守ってくれるんじゃなかったのか。まったく、どいつもこいつも――。

 不満を心の中に並べながらも、結局ヒミキはチトの助言に従い、自室で休むことを選ぶのだった。それ以外の選択肢は考えられないから。


 部屋に戻っても、やることがない。寝るには早すぎる。日は傾き始めていたが、沈むにはまだ早い時間だった。ベッドの上に寝転がり、ぼんやりとヒミキは考える。

 一体なぜ、皆は俺の助けをしてくれないのだろうか。一番危険にさらされているのは間違えなく自分なのに。

 周りが自分にかかりきりになれないこともわかる。それぞれに、やるべきことがある。例え殺されそうな人間がいても、全員が全員、常に助けになってくれるとは限らない。それでも、この状況は薄情すぎる、とヒミキは思う。場所も状況も敵は知っているにもかかわらず、変わらない場所で、何もできずにいる。護衛についているのは、一匹の機械魚のみ。もしくは、隠れて護衛をしてくれる人がいるのかもしれないが、この施設は単なる研究施設だ。厳重な警備システムがあるとも思えない。

 チトは――イヤフォンとコンタクトで繋がっている彼女であれば、きっと何かあった時は助けてくれるだろう。だが、それもいつになるかはわからない。今の所、彼女は別の事を気にかけて、ヒミキのことなど考えてはいないのではないかと思う。

 信じているのに。なぜ、助けてくれないのだろう。

 自分でも機嫌が悪くなっていることはわかっている。そうならざるを得ないのだ。命の危険と、周囲の対応と、不当なことばかり起こる。自分ばかりに不幸が押し寄せるのはなぜだ。

 そもそもキュベレーが自分を「人柱」に選んだことがいけない。あの機械は、何の根拠を持ってヒミキを選んだのか。偶然だとは思えない。理由があるはずだ。何か危険因子だったとか。自らも気づかないような力を身に秘めていたとか、そのような理由が。

 ――下らない。

 結局は、偶然なのだ。人のことを考えもしない機械によって、偶然「人柱」に選ばれ、殺されかけ、今も身の危険を感じている。不幸だ。なんて不幸なんだ。

 居住区を管理する役目を持つ機械が、なぜ人を殺そうとするのかなんて知らない。やはり壊れているのだ。人に似た意思を持とうとも、その意思がねじ曲がっているのだ。だから、人を殺そうとする。所詮は機械だ。人のような意思を持ち得ない。

 チトは?

 チトも確かに機械だが、彼女は特別だ。特別な環境で、愛情を受けて育ったから、奇跡が起きたのだ。キュベレーとは違う。

 その考えが根拠のない差別に似た感情であることに、ヒミキは気づかない。彼にとって、理由など何でもよかった。とにかくキュベレーを否定したい。自分を不幸に追いやった元凶を、絶対悪として考えたい。

 彼が「人柱」に選ばれるまで、見守ってくれていたことなど、忘れた。感謝する気持ちなど、ない。どんなに今までが優しくとも、突然殺そうと考えるなど、まるで家畜のような扱いではないか。機械の元で平穏に暮らし、その時――つまり食べごろが来れば、容赦なく殺される、あの獣たちと同じだ。

 となると、自分はキュベレーにとって家畜と同じ存在なのか? 自分は家畜と勘違いされているのではないか? あり得ない。人間と家畜を間違える程、低能な機械であるはずもない。あの機械は、家畜は殺すようにプログラムされているだろうし、人間は保護すべき対象として設定されているだろう。作ったのは人間だから、人間を守る様に作られている。

 それなのに、自分は。人間の中でも、例外として扱われるのだろうか。

 まさか。自分は人間に害をなす存在であるとでも、判断されたのか。

 いや、これもない。機械が管理するのは、気候、人や物の出入りだ。倫理的な問題には関与しない。それは人間のすることだ、プログラム通りに動くように出来た機械のすることでない。正義のために人を裁くなど、やはり異常なことなのだ。それに、少なくとも今のヒミキには、人類に敵対した存在になる予定はない。そのような力もない。

 キュベレーから個人的な恨みを買っただろうか。チトもそのような事を言っていた。サブユニットが自分を知っている人間ではないかと。心当たりはないが、どんな些細なことで恨まれるかは分かったものではない。何せ相手は機械だ。人間とは違うのだ。

 では、それは誰かと言われるとさっぱりわからない。知っている人間全てが疑わしく見えてくる。

 考えても何もわからない。サブユニットのことも、キュベレーのことも。見つけだすまでは、怯えて過ごさなくてはならないのに、見つけ出せる見込みがない。

 いつになったら、平穏に過ごせるようになるのだろう。サブユニットは本当に見つかるのだろうか。もしかしたら一生このまま?

 どうにかして、プラーナを抜け出せないか。チトへの提案は却下されたが、何かしら抜け出す方法があるのではないか。最初は、他人のために頑張るなどと、偉そうなことを考えていたが、そんなことできるはずもなかったのだ。自分の事で手いっぱい。自分さえ助かればよい。居住区の外へ脱出し、今まで一人きりだったチトと一緒に、幸せに暮らしたい。あの金髪の少女をもう一度、見たい。映像でなく、生の姿で。

 どんなに願おうとも、今はまだ、何もできない。

 自分を殺すために、キュベレーは誰か刺客を送り込むのだろうか。それとも、何かしらの機械を使って、あるいはプラーナのシステムを使って、窮地に追い込むつもりなのだろうか。わからないから、対策もできない。予測できないから、恐ろしい。

 現実味を帯びた危険に怯えながら、ヒミキは一日の残りの時間を過ごしたが、結局何も起こらなかった。安堵感は感じなかった。キュベレーは自分に興味を失ったのではないだろうか、などと予測することは、もはやできなかった。今まで何度、あの機械から解放されたのではないかと期待しただろう。あの機械が自分を忘れたのではないか、そう期待する度に、また危険が訪れ、まだ狙われているという事実を思い知らされた。

 敵なんてこないで欲しい。それはもう無理な話だ。それでも、必ず来てしまうと言うのならば――どこからか危険が訪れるというのならば、今すぐに来てほしい。いつやってくるかわからない敵に怯えている状態の方が辛い。

 眠れない夜になるかもしれないと覚悟していた。しかし意外なことに、睡魔はすぐに訪れた。それほどまでに疲れていたのか、それとも危険の中に身を置くことに慣れてしまったのか。どちらにせよ寝られるものなら寝てしまおう。面倒な現実世界よりも、夢の中の方がいくらかましな世界だろう。


 眼が覚めると、眼の前に子供がいた。一度こんなことがあったような。それがいつだったのか、目覚めたばかりのぼんやりとした脳みそでは思いだすことができない。この子供は、どこから来たのだろうか。ここで研究を行う誰かの子供だろうか。澄んだ緑の瞳で、ヒミキを見つめている。

「こんにちは」

 その声には、確かに聞き覚えがあった。

「お前は!」

 ヒミキが動く前に、彼が発した言葉から敵意を感じ取ったエリーが彼に巻きつく。一瞬にして、少年は身動きができない状態になった。子供も足掻くが、巻き付いた魚は子供の力では引き離すことはできない。さすが、機械魚。

 子供が動けないことを確認して、ヒミキは彼の前に立った。今までのようにお面を被っているわけではないが、この子は間違いなくクマのお面を被って現れた少年だ。声と体格、金色の髪がそれを証明している。

 首を絞められかけた時は恐ろしく感じたのに、いざ対峙してみると、彼は一人の子供にすぎなかった。どこにでもいるような、普通の子供。あんなにも恐れていたことが、馬鹿らしく思える。

「離してよ。僕はただ話しに来ただけなんだ」

 見上げる少年の瞳は怯えていた。その色を見て、自分がやっていることが悪いことである気がして、ヒミキは躊躇する。気がするというだけではない。子供を虐めている。それは弱い者虐めだ。褒められた行動ではない。

 エリーに命令して、解き放ってやるべきなのか。だが、解き放ったところで襲われないとも限らない。幸いにも機械魚はペットであるため、人を傷付けないための力の加減を知っていた。巻き付いてはいるが、締め付けてはいない。少年は苦しそうではなった。

〈警戒しておいたほうがいいよ〉

 昨日は構ってくれなかったが、今日は連絡に手が回るようになったのか、チトの声が聞こえた。言われなくともわかっている。少年には申し訳がないが、前科がある。子供といえども油断は出来ない。しばらくその状態でいてもらおう。

「なんで、ここに来たんだ?」

 この状況はまるで尋問のようだが、それも仕方がない。

「それは神様から伝言があるからだよ」

 ここでもまた、神様。やはり少年の指す神様とはキュベレーのことだろう。イレーネもあの名前には女神と言う意味があると言っていた。

「神様は僕じゃ力不足だって言うんだ。あんたを倒すだけだったならよかったのだけど、知らないうちに、仲間を増やしちゃって。たとえあんたがいなくなっても、危険なことに変わりはない。このままじゃ駄目だって神様は思ってるんだ」

〈そうね。今となってはヒミキ以外の人間でもキュベレーに立ち向かう人はいる。その全てを排除しない限り、いずれキュベレーのプログラムは改変される運命。今やっていることも、無駄だって。だったらやめてくれればいいのに〉

 チトの言うとおりだ。早く諦めて、素直にプログラムを直して欲しい。あがきなどしないで欲しい。せめて自分を狙わないで欲しい。キュベレーに立ち向かう人は一人ではないのに、襲われるのは自分だけということは不公平だ。

「根本的な部分を変えなきゃいけないって、神様は言っていた。それが何かは教えてくれなかったけど、それをあんたに伝えてって言われた。だから伝えた。僕の仕事はこれで終わり。そろそろ離してくれるかな?」

 子供は、多少は自由がきく脚をじたばたと動かすが、少し動くことができた程度で、エリーはびくともしない。

「ハナス、スルベキ?」

 機械魚は無表情に訊ねる。

〈まだ離しちゃだめよ。駄目もとだけど、幾つか訊いた方がいいことがあるの〉

「エリー待て」

 ヒミキが命令すると、機械魚はそれに従った。どうやらカイルによって、一時的にヒミキの命令に従うように指示されているようだ。少年は恨めしそうに彼を見上げた。その瞳を直視するとまた罪悪感が生まれてしまいそうで怖くて、眼を逸らす。

「なんで帰してくれないんだよ?」

〈まずは、神様は何か、そしてどこで神様の話をきいたのかを訊いてみて〉

 チトの誘導に従い、ヒミキは少年に質問をする。彼は不満げに頬を膨らましたが、案外素直に口を開いてくれた。

「神様は神様だよ。僕のするべきことを教えてくれたんだ。神様は僕のタンマツに連絡をくれたんだ。君の助けが必要だって。神様が言ってくれたから、僕は従ったんだ」

 タンマツ――おそらくコンピュータ端末のことだ。プラーナ内ではどこでも通信が可能で、小型のコンピュータ端末は、小さな子供でもその多くが所持している。ヒミキは「人柱」に選ばれて以来、どこかにやってしまったが、おそらく今頃海の底に沈んでいるのではないかと思う。

 端末を通して連絡をしていたのならば、この子供がキュベレーに関して知っていることはほとんどないかもしれない。彼が聞いたのは選別された情報だけ。キュベレーやサブユニットの容姿も場所も知られずに、情報だけを伝えられたのだ。やはり一筋縄にはいかない。

「なんで、それが神様だと思ったんだ?」

「神様が自分は神様だって、名乗ったんだ。それに、神様は僕の秘密を知っていた。だから間違いない、本物の神様だって思ったんだ」

 本物の神様、か。機械がはびこるこの世の中で、神の存在を本当に信じる人はどれくらいいるだろうか。秘密だって、検索すればわかってしまうかもしれない世の中だ。神は入り込む余地もない世界。神なんて、彼が子供だからこそ、信じ得た想定だ。

 だが、イレーネに言わせれば、ヒミキ達も神を信じているのだと言う。いや、ヒミキの場合は信じていたと言うべきか。キュベレーという存在は、プラーナの中では絶対だ、神に等しい存在なのだ。その証拠に「人柱」という存在を無条件で許している。無意味かつ、不当なシステムであるにも関わらず、大きな反論もなく機能している。

 方便かもしれないが、キュベレーは自分を神様と称した。これは偶然の一致なのだろうか。それとも、あの機械は神になりたいのではないだろうか。神の名前が付けられたのは全くの偶然かもしれない。だが、神の名前で呼ばれ続ければ、やがて本物の神になりたいなど思うのではないか。機械の考えることなど、わからない。ただプログラムを改変されてしまっては、神になることは不可能だろう。それは、「人柱」を必要としない、従順な機械に戻すための――機械を人間の道具に戻すための改変なのだから。

〈全てその神様とやらの指示なのかしら?〉

 チトに促されて、質問を続ける。

「その神様が全て命令したんだな?」

「そうだね」

「俺を殺そうとしたのも?」

「うん、最初はあんたを殺して欲しいって言われた。でも、人を殺すのは、普通はいけないことだよね。神様にそれはいけないんじゃないのって訊いたけど、神様の決めたことだから良いんだよって神様は教えてくれた。だから神様との約束通り、殺そうとしたのだけど、失敗しちゃった。神様も、さすがに無理なお願いだったって、謝ってくれたよ」

 子供に人を殺させようとするとは、キュベレーに人と同様の意思があるとは思えない。キュベレーの心は、間違っている。何かねじ曲がっている。

「監視したのも神様の命令?」

「そう、あんたの場所を神様が教えてくれたんだ。さすが神様は何でも知ってるよね。言われた通りに行ってみると、確かにあんたがいたんだ。だから僕は隠れて、あんたが何をしていたか、神様に報告した」

「今日お面をしてないのは?」

「お面のアイデアも神様が考えてくれたんだ。顔を隠すべきだって、ね。でも、今日はもういいって言われた。どうせバレてるだろうからって」

 答えを渋るかと思った質問に対しても、すらすらと答える。それが意外だった。チトも同じように感じたのか、次の彼女の要求は、〈こんなに話してよかったのかな。秘密にする必要はないのか、訊いてみて〉だった。

「神様は自分のことを秘密にしろとは言わなかったのか?」

「最初は隠してって言ってた。でもさ、そんなのつまらないじゃん。神様は僕を選んでくれたんだよ。それをみんなに自慢したかったのに、ずっと黙ってた。そうやって、ずっと我慢するのは辛いだろうから、もう隠さないでいいよって、さっき神様が言ってくれたんだ。だからもういいの」

〈怪しい……〉

 なぜ、このタイミングでキュベレーは隠れるのをやめたのだろう。子供から重要な情報を持っていないからだろうか。確かに、この子供の話すことはあまり役には立たなそうだが、それでも多少のヒントはあるかもしれない。情報はないよりあったほうがいい。それを話してしまってよいと、言いきってしまうのはなぜだろう。許可してしまえば、この子が話してしまうことは眼に見えている。ここまでの内容を話すことを、見越しているようにも思える。

〈嘘が混じっているかもしれない〉

 チトが言う。嘘を言うために、全てを話したのならば納得がいく。だが、今の内容に嘘が入る余地はなかった気がする。もし、嘘を含んでいたとしても、それが重大なことに繋がるような嘘はつけていない気がする。

 ということは。

 キュベレーは自分の活動を、ヒミキやチトに知ってもらいたかったのかもしれない。それが何になるかはわからない。殺すことを諦めたのかと思わせて油断させるつもりなのか。それとも、今まで隠れていたが、実は目立ちたがりだったのか。どちらもあり得るが、しっくりとはこない。

「そろそろ行ってもいだろ?」

 再度、少年は解放されることを要求する。

「どうする?」

 子供を束縛するのは、もうやめた方がいいんじゃないかとも思ったが、解放してしまったら、嘘を見破る術がなくなる。ヒミキは自身で判断することができなかったから、チトに相談を持ちかけた。

〈まだ襲う可能性はあるし、下手に帰さない方がいいかもしれない〉

彼女は子供相手にも容赦なく言い捨てた。堅実だが、相手のことは考えていない判断。〈とにかく、イレーネには相談した方がいいよ〉と、付け加える。

 その言葉が意外だった。チトが他の人の意見を頼りにするとは。しかもよりにもよって――いつの間に彼女とイレーネは信頼関係をはぐくんだのだろう。似た者同士だったということなのか。

 自分より、イレーネの言葉を頼りにしていることに、嫉妬した。俺だって、頼りにされたいのに。

 まあ、こんなくだらない感情でせっかくの助言に逆らうべきではないだろう。チトに言われた通り、イレーネを呼ぼうとは思う。ただ、あの人も子供には容赦がなさそうだ。まさか暴力的手段をとりはしないだろうが、少々荒っぽい事だってしかねない。

 少し、捕まった少年を不憫に思う。この子供は無事今日中にこの子は家へ帰れるだろうか。ヒミキは彼に一度殺されかけたが、彼自身に悪意はなかったのだ。悪いのは、キュベレーだけなのだから。

 考えないようにしよう。今は他人のことよりも、自分を守ることの方が大切だ。

「もう少し待っていて」

 視線を合わせないようにしながら、少年に言う。

 この視線の動きが気にかかったのだろう、チトが指摘をした。

〈ヒミキ、あなたってもしかして年下に弱い?〉

 うるさいな。誰だって弱い者いじめはしたくないだろうし、可愛い女の子に頼まれたことは従いたくなるだろう。それは人間の心理だ。ヒミキに限ったことではないはずだ。それに、チトは見た目が年下でも、実際はかなり年上じゃないのか。

「早くしてよ」

 子供の言葉を背後に聞きながら、扉に手をかける。

 そういえば、この子はどこから入ってきたんだ? 窓は開いていなかったが。

 扉を開くと、そこにはカイルがいた。

「丁度よかった――」

 言い終わる前に、カイルは口を開いた。

「エリー、離してやれ」

 彼の言葉に従い、機械魚は子供を解放する。「サンキュー、お兄さん」

止める間もなく、二人の間をすり抜け子供は扉の外へと出て行ってしまう。

 驚いて、カイルのことを見る。彼は、けれども何事もなかったような冷めた表情で、ヒミキを見返した。

「子供を虐めるのはいけないと思うんだ」

 それは、ヒミキも思ったことだ。だが、彼を助けることと、勝手に解放することとは違う。仮にもキュベレーの手下。それを何も考えずに、自由の身にしてしまうとは。

「あの子がまたキュベレーの命令で、何かをしようとしたらどうするんだ?」

 その言葉に対し、カイルはあからさまな嫌悪を顔に浮かべる。

「そういうの、もうやめようぜ。こんなことのために、色んな人が巻き込まれて、もうこりごりだ」

「昨日の疑うことはやめろっていう話の続きか?」

 カイルは首を横に振った。

「いや、もっと根本的な話だ。本当にあんな小さな子供まで巻き込んで、こんなことしていいわけがないじゃないか。そもそもあの子供は、オレが少し話そうと思って中に入れたんだ。まさかあの子が勝手に、ここに向かうとは思っていなかったけど」

「知り合いなのか?」

「知り合いと言うか、なんというか。あの子を通してなら伝えられると思ったんだ。彼の主人をどうにかやめさせなきゃ」

「やめさせるって――」

 カイルの言っている意味がわからない。主人というのは、キュベレーのことなのだろうか。一人であの機械を止められるとでも思ったのか。言葉だけで説得できると思ったのか。あの子供がクマの面を被った子であると判断できたのならば、彼を建物へ入れる危険性もわかるだろうに。

 わかっていてやったのか。あの子供がヒミキにとって危険な存在であることを知りながら、話をしたいと思ったのだろうか。

 カイルは、自分なら襲われないだろうと考えたのだろうか。たとえヒミキが危険にさらされる危険性があったとしても、気にしなかったのだろうか。

違う。彼はそんな風に友人を扱うような人間じゃないはずだ。

「冗談?」

 冗談だと笑うと思った。けれども彼は悲しげな表情で。

「全て冗談だったならよかったんだけど。どうやらあいつは本気らしいんだ。そもそも、冗談なんて言うようなやつじゃなかった」

 あいつって誰だ。冗談じゃないのか。カイルは、何かを知っているのか。

 よくわからないが、いやよくわからないからこそ、身の危険を感じる。なぜだろう、いつもの彼と違うような気がする。

〈ちょっと離れた方がいいかもしれない〉

 言われなくとも、一歩後ろへと退いていた。何かがおかしい。

「ヒミキ、今すぐに彼から離れて」

 同じような内容を、違う声で叫ぶのが聞こえた。声の元を見ると、イレーネが何を焦っているのか、珍しく走って彼らの元へ向かってきていた。良く見ると、息が切れている。これは相当だ。

 で、彼から離れろと? 一体これはどういうことなんだ。

 カイル本人問いたいが、ただ寂しそうな表情をしているだけで、答えてはくれなそうな気がした。一体彼がどうしたというのか。

 その答えを、イレーネが告げる。

「間違いない、そいつが、サブユニットだ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ