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プロローグ

 一人の学生が、通学の道を急ぎ足で歩いていた。寝坊をした。歩いて行くのでは遅刻。急がなくてはならない。

 そんな彼の目の前に、現れた一台の車。全体が黒に染まった、一人乗りの車だ。少年はその車に見覚えはないから、無視をして先を急ごうとした。

けれども、その車は彼の目の前に止まる。扉は開かれた。まるで、彼に乗ってくださいと言わんばかりの形で。

 その光景を見た少年は見て全てを察した。そうか、自分は「人柱」に選ばれたのだな。黒塗りの車は「人柱」を迎える車――これはプラーナの住民の常識。そして、選ばれた以上、すぐに車に乗り込むのはプラーナの住民としては当然の選択だ。

 彼が車に乗り込んだ瞬間を見た人間は、いない。


 「人柱」はなぜ必要なのだろうか。

 なぜ自分が選ばれたのだろうか。

 小型の自動車に揺られながら、ヒミキ・カタクラは考えていた。考えて答えが出るものではなかったが、他に考えることもなく、退屈だったのだ。本来なら学校で授業を受けている時刻のはずなのに、なぜ俺はここにいる。

 彼はすでに一時間以上も、車の中にいた。外の景色は見ることが出来ない――というのも、この車は窓が黒く塗りつぶされ、外が見えないようになっていたからだ。車は自動で目的地へ連れて行ってくれるから、外の風景を確かめる必要はなかったが、なかなかに苦痛だった。車の中には、あまり座り心地がいいとは言えない椅子、一人の人間が座ることが出来るだけの空間、そして申し訳程度の光を放つライト。長い間座り続けたため、凝り固まった筋肉をほぐしたいところだが、立ちあがるスペースはおろか、姿勢を変えることもできない。しかたなく、時折腕で身体を揉みほぐしながら、車から出ることが出来る時を待っていた。

 ヒミキは自由に車の外へ出ることは出来なかったし、そもそもこれから行く場所さえも知らなかった。確かなことは、自分が「人柱」であるということ。それ以上の事は知らされていない。

 「人柱」というものに関しては、彼もその内容を知っていた。はるか昔、まだ国というものがあり、その国に八百万の神がいた頃、その神を宥めるために捧げられた人。それを人柱といったらしい。人を生かしたまま土に埋めた、あるいは水に沈めたというのだから恐ろしい。しかし、神がいなくなった現代においての「人柱」というものは、神に捧げられる人柱とは異なっている。まず、人柱を求めるのは神ではない。現代において、「人柱」を求めるのは機械なのだ。

 世界には、人の住む地域が点在している。決められた区間に高度に発展させた技術を詰めこみ、その中に人間は住んでいた。それらの区画は、居住区と呼ばれている。居住区同士は繋がっており出入りすることができたが、多くの人は生まれた居住区の外に出ることもなく一生を終える。そもそも出る必要もないのだ。一般人にとって必要な物は一つの居住区の中にそろっている。

 そのような現代において「人柱」を求めたのは、それら居住区の一つ、ヒミキが住む約十キロメートル四方の居住区――プラーナを総括管理している機械。本当は作られた際に付けられた品番があるはずなのだが、もちろんそんな番号とアルファベットを並べた名称は不便なので、人々はその機械をキュベレーと呼んでいる。誰が名付けたかは知らない。昔から、慣例的に呼ばれている、いわばあだ名のようなものだ。

 このキュベレーと呼ばれる機械は、プラーナに住む人間の安全を守り、その生活が快適になるよう管理を行っている。具体的に何を行っているか、詳しいことは知らない。プラーナに住むほとんどの人間は、そのようなことは知らない。人々はキュベレーがどこに置かれているかさえも知らない。ただ、長年の経験から、信頼しているのだ。それは食べ慣れた野菜の安全性を疑わないことと同じだ。ジャガイモに毒性のあるソラニンが入っているからといって、食べない人間はほとんどいない。

 キュベレーは自立してプラーナの管理を行うことが出来るが、それでもごくまれに人間の力が必要になることがある。その時に呼ばれる人は、「人柱」と呼ばれた。「人柱」はキュベレーによって選ばれる。選ぶ際、何か基準もあるのかもしれないが、その基準は一般人にはわからない。前触れもなく、真っ黒な一台の車が目の前に止まる。そして、扉が開かれる。それが迎えの車であり、「人柱」に選ばれた事を知らせる合図でもある。迎えが来て、やっと「人柱」に選ばれたことがわかるのだ。

 この迎えに拒否権はない。拒否した場合はどうなるかは誰も知らない。人々が知る限り、拒否をした人間はいないから。噂ではキュベレーによって、殺される。しかも、自然死としか見えない形で死を迎えることとなる、といわれているが、そもそも拒否をするということ自体おかしなことだから、真相は知らない。

 「人柱」に求められる役割は時により異なる。機械のメンテナンスを行うことや、数か月の間話し相手となること、意図が不明な質問を幾つか投げかけられるだけで解放されることもあるらしい。普通の高校生と変わりはないヒミキは特殊な技術など持ち合わせていないから、機械のメンテナンスなどできない。果たせる役割といえば会話をするなど簡単なことだろうが、その内容はキュベレーと相まみえるまでわからないのである。いつ解放されるかもわからない。それまで、学校の授業が遅れてしまう。長引けば、間違いなく留年だな――彼は溜息をついた。できるだけ、短い用事であることを望んだ。


 すでに、車に乗り込んでから、二時間以上の時が経った気がする。正確な時間は時計を持っていないヒミキにはわからない。せめて外が見えれば、日の位置で時間の確認をすることもできるのに。黒く塗りつぶされた窓を睨みつけるが、だからと言って透視出来るわけでもなく、どうあがいても黒一色としか見えない視界。彼は溜息をついた。

 きっと高校では、皆何も知らずに授業を受けているのだろう。クラスメイトが彼のことを心配するとは考え難い。彼らにはヒミキが「人柱」となったことは知らないだろう。「人柱」というものはそういうものなのだ。当人がもどってくるまで、「人柱」であったことは周りに知らされない。

 もちろん「人柱」になったことが、明確に知らされることがなくとも、予測は出来る。「人柱」になる人間は、行方不明になるのだ。行方不明になった人間は大概の場合において、キュベレーに呼ばれたのだと人々は考える。

 昔と違って、平和な居住区で暮らす限り、事件はほとんど起こらない。プラーナは狭い。他の居住区へと移る時は、手続きが必要なのだ。その出入りはキュベレーに管理されており、居住区を移動した人は、機械端末さえあれば、どこからでも確認することが出来る。また、人は居住区のどこにいようとキュベレーに生死を認識されているから、いつの間にか死んでいるなんてことは起こり得ない。人が死亡したら、その旨が家族や隣人に知らされる。死亡通知がないということは、つまり生きている。それでも見つからないということは、すなわちキュベレーの元にいるのである。

 しかし、その判断をできるのも、しばらく後の事だ。今の時点では、おそらくずる休みをしたのだと思われているだろう。ヒミキは普通の男子学生だから、その程度の前科はある。それでも、せめて、誰か一人くらいはわかって欲しい。

 不意に多量の光が眼の中へ飛び込み、思わず目を細める。

 眩しい。

 扉が、開かれたのだ。どうやら、目的地についたらしい。

「さあ、付きました。疲れたでしょう。まずは、車から降りて、少し休みなさい。用事はその後に言い渡します」

 中性的な声が響く。これが、キュベレーの声なのか。耳に心地よい響きの声だ。長い間狭い所に閉じ込められていたため、くたくただ。お言葉に甘えて、しばらく休むとしよう。

 ヒミキは声に従い、車の外へと出た。目の前に広がっていたのは、青。地平線まで広がる空の青と、海の青。彼は目を見開いた。写真では見たことがあったが、実物の海を見たのは初めてだった――というのも、プラーナには、海はなかったから。あるのはコンクリートに覆われた土地と、申し分程度の土、人工的に作られた川と池。海なんて巨大なものは、人が住む空間には必要がなかったのだ。

 つまりここはプラーナの外なのだ。そもそもキュベレーがプラーナの中にある必要はなかった。プラーナの外でも、内側のことを管理することは出来る。この場所はどこの居住区にも属さない可能性だってあり得る。だからこそ、居住区の中をどんなに探しても、キュベレーも「人柱」も見つからないのだ。

 そしてまた、ヒミキは自分の立っている場所を確認する。

 彼は海にせり出した場所に立っていた。目の前は崖。高さは三十メートルといったところか。落ちたらどうなるかは、考えたくもない。あまりの高さに足がすくんだ。湿っぽくて、涼しい風が吹き付ける。

「ところで、俺はどこへ行けばいいんだ?」

 ヒミキは尋ねた。どこに向かって問えばいいのか分からず、海に向かってつぶやいたような形になった。それでも、すぐに答えは返ってきた。

「このまま、まっすぐ前方へ向かえばいいのです」

 前方に向かえと言われても、目の前にあるのは崖だ。何かの間違いだろうと思った。とにかく崖から離れようと、後ろを振り返る。

 先ほどまで止まっていた車が、動き出した。

 横に滑るように動く。ヒミキの方へと。

 車に押され、彼は後ろへと飛ばされた。

飛ばされた先には地面がなかった。

 海へと落下する。何かを掴もうと伸ばした腕もむなしく、手は空を掴み、ひたすらに落下していく。

 下へ、下へ。ただ青へと落ちて行く。

「なぜ?」

 背が打ちつけられ、強い痛みを感じる。呟いた口へ、海水が流れ込む。冷たい。しょっぱくて苦い水をしこたま飲んだ。苦しい。肺が、身体が。泳ごうとするが、身体が上手く動かない。水に落ちた衝撃で、どこか駄目になってしまったようだ。

 水の中へと沈んでいく。

 意識を失うまで、実際は一瞬だっただろうが、ヒミキにはそれがものすごく長い時に思えた。苦しい。おぼろげな意識の中で、思い浮かぶのは、両親の顔。友人の顔。そして――。

「君は誰だ?」

 青の視界は暗転した。


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