青空ノ瞳
「はあ……。」
電車に揺られながら命は深いため息をついていた。本日土曜日、補習はない日だ。では何故学校に向かっているかというと、蓮見に昨日の夜の事について話があるからだ。
昨日の夜。
蓮見と別れて家に帰ってから、命はある重大な事に気がついた。そのままの赤い瞳の方が力が出ることから、仕事の時にはコンタクトははずしていたのだ。当然あの時、蓮見は本当の目を見ていたはずだ。そして気づいただろう、赤い瞳の事を。
確かにあの時辺りは薄暗かった。運が良ければあの人は気づかなかったかもしれない。そう前向きに考えようともした。だが…
「蓮見に限ってありえないよな…。」
そう、彼、蓮見陽杜は異常に目がいいのだ。以上に。あれは暗闇でも何の支障もなく生活できるだろう。
よく考えれば不思議な男だ。
授業中に蓮見が後ろを向いて黒板を書いている隙に、ある男子生徒が机の中に隠していた携帯でメールをしても、彼は後ろを振り向かずにそれが誰なのかを的確に注意できる。
というわけで、昨夜のことは完璧に見えていたわけで…
「はあ、やらかした…。」
蓮見に限って誰かに言うなんて事はないとは信じているが、だが一応話しておかなければならない。
また蓮見との秘密が増えてしまった。それは面倒なことであるはずなのに、なぜか頬が緩み、顔がにやけてきてしまう。それに何かこう、胸の奥がざわざわとして何だか変な感じだ。こんな感じは初めてだ。
学校に着いて命は、まっすぐ職員室に向かった。
「失礼します…」
そろりと職員室の扉を開けると、中にいた先生たちが一斉に振り返った。それは面白いくらいに…
「どうした榊!?今日は土曜だぞ。」
学年主任の体育の片岡先生が言った。そんなに意外なのだろうか。
「あの、蓮見…先生はいますか?」
「蓮見先生?」
キョロキョロ職員室を見渡す片岡先生。
「ううん…ここにはいないな。」
「そうですか…」
じゃあ、どこにいるんだろうか。
「あっ、でも今ちょうど昼だからいつもの所だな。」
「いつもの所…?」
「屋上だよ。休日の昼は大抵そこで食べてるからな。」
片岡先生にお礼を言うと、急いで職員室を後にした。屋上は5階にある。今まで気になってはいたが、あそこにはちょっと悪いお方たちがたむろしてらっしゃるので、行ったことがないのだ。一段飛ばしで階段を上っていたが、日頃の運動不足が災いしてか、3階の時点で力尽きてしまった。
「はあ、はあ…」
息切れがして、足も重く感じて上がらず、手すりに掴まりながら上っていく。勉強もできない上に、運動もできないなんて、何て救いようのないやつなんだ、私…。情けなくて涙が出てきそうだ。
やっと5階に着き、重い扉を開けると、ビュッと気持ちのよい爽やかな風が吹き抜けてきた。目の前に雲ひとつない綺麗な青空が広がる。目的の人物は、扉のすぐ横にいらっしゃった。
「うわ…ビックリした。榊、どうした!?」
「はあ、蓮…見」
目的地に無事たどり着けた安堵感で、ズルズルと体が落ちていき、蓮見の横にへたりこんでしまった。
「お前、何でそんなに疲れてるんだよ…ここまで階段で上がってきただけだろ?」
「はあ、かよわい…んです…。」
「おいおい、かよわいって言うか…本当、若いのに今からそんなんでどうするんだ?」
「はあ、はあ…うう…」
「本当に死にそうだな。ほら、これ飲め。」
そう言って蓮見は持っていたペットボトルのお茶を渡してきた。ありがとう、と言ってペットボトルのキャップを開けて口をつけようとしたが、はたと気がついた。
これって、蓮見も飲んでいるんだから、その…もしかして…
ペットボトルを持ったまま真っ赤になり、命は硬直していた。そんなうろたえている姿を見て蓮見はふっと笑った。
「それ、口つけてないから。俺、マイコップでペットボトルも飲む派だから。」
そう言ってシンプルなコップを私に見せてきた。というか、そんな派あるんだ…。そう思いながらも少しホッとしながらペットボトルに口をつけた。その様子を蓮見はすぐ横でじっと見ていて、いきなりぼそっと呟いた。
「お前、かわいいな。」
ブッッッ
盛大にお茶を噴き出してしまった。吹き出させた犯人は汚いな、とか言いながら笑っている。命は更に顔を真っ赤にしながら、唇を手でぬぐってバッと蓮見の方を向いた。
「な、なななな何なの、急に。」
「どもってるぞ。」
「うるさい!」
「ほら、もう飲まないなら返せ。」
蓮見は手を伸ばすと、私の手元にあったペットボトルを掴み、そのまま口を付けた。
「ペットボトルのまま飲まないんじゃなかったの!?」
「ん?コップ派だとは言ったが、別にそのまま飲まないわけじゃねえよ。」
蓮見はのどを鳴らしてお茶を飲みながら流し目でこちらを見てきた。そして目を細めて笑う。
悔しい…完全に反応を見て遊ばれている。どうせ蓮見から見たらお子ちゃまだろうけど、年の差を何だかすごく見せ付けられたような気がした。
「で?」
「え?」
呆けたように命が言うと、蓮見は呆れたような口調で言った。
「補習もないのにわざわざ学校に来て、俺に何か話があるんじゃないのか?」
「あっ…。」
そうだった。すっかり忘れていた。何のために、頑張って階段を上ってきたんだ、私…。
命は蓮見に向かって正座をした。
「な、何だ…。」
「あの!昨日…見ましたよね?」
「あ?」
「だから!えっと、私の…」
すると蓮見は手のひらをこちらに向けて言葉を止めた。
「なあ、榊。もうひとつ俺の秘密、教えてやろうか?」
「え?」
蓮見はちょっと待ってろ、と言って、少し後ろを向いた。そしてすぐにくるり、とこちらを見た。
「あ…」
「俺の目、何色に見える?」
先ほどまで真っ黒だった蓮見の瞳の色はもうそこには無く、代わりにそこにあるのは今日の青空のように澄んだ綺麗な青いビー玉のような瞳だった。
「蓮見って…ハーフかなんかだっけ?」
「いや、普通に代々日本人。俺だけだよ、こんなんなのは。」
そう言いながら目を伏せる蓮見はひどく悲しげで、この人のこんな顔は今まで見たことが無かった。
「これで、どんな事が起こるかは、まあ、想像つくだろう?だから隠してるんだよ。お前と一緒だな。」
「蓮見…」
何でそんな人に絶対知られたくないような話を、一生徒である私なんかにしてくれるのだろうか。どうしてそんなに信頼してくれるのだろうか。気持ちがこみ上げてきて、胸がひどく熱くなった。
「蓮見、ありがとう。じゃあ、私の話も聞いてもらっていい?」
蓮見はうなずきはしなかったが、黙って私の目を見つめた。
「今まで、誰にも話したことが無くて、というより話せなくて、だから、うまく言えるか分からないんだけど。」
「うん。」
「信じられないかもしれないけど。」
「いや、信じるよ。」
そう言って笑う蓮見の顔を見ていると、何だか、本当にこの人なら分かってくれるような気がした。
「ありがとう。」
命はぽつり、ぽつりと話し始めた。家のこと、伝説のこと、そして私の力のこと。
蓮見ははじめ、やはり信じられないような顔をしたが、何か思い当たる節があったのか、はっとしたような顔をした。
命が言い終わった後、蓮見は柔らかく微笑み、いつものように頭を撫でた。
「話してくれてありがとな。」
普通なら信じられないような話なのに、どうやら受け止めてくれたらしい。たった一人理解してくれる人ができただけで、こんなにも世界は変わるものなのだろうか。心は軽く、世界が明るいものに見えた。