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朔の夜

作者: 六三

 月の無い夜。

 空は常にも増して黒く染まり、それだけに星達がはっきりと見えた。

 深い森の奥。その星々が照らす僅かな光すら遮る中で、二匹の獣が交わっている。

 雄が雌に後ろから圧し掛かり、獣の様な声をあげている。雌も獣の様な声をあげていた。当たり前だ。獣なのだから。しかし不思議とその叫びは、人の情欲を誘った。


 朝、日が昇ると、一人の女が一匹の犬を連れて道を歩いていた。犬は女の周りをクルクルと回りながらしっぽを振り、嬉しそうについていく。女は犬に愛おしげな視線を向けた。そしてなおも道を進む。


 夜、月が昇ると、一人の男が一匹の犬を連れて道を歩いていた。犬は男の周りをクルクルと回りながらしっぽを振り、嬉しそうについていく。男は犬に優しげな視線を向けた。そしてなおも道を進む。


 女は、王宮に勤める侍女だった。男は、王宮に勤める兵士だった。女は美しく、国王に見染められ、王の傍につかえる事になった。だが、女と男は恋仲だった。


 2人は逃げたが、捕まり、王の前に引き出された。

 一国の王より、一兵士を選んだ女。自分は一兵士より劣るというのか。女への憎悪が、王の心を燃やした。

 一国の王より、自分を選ばせた兵士。それほどこの男は優れているというのか。男への嫉妬が、王の心を蝕んだ。


 国王を捨て他の男の元に走るなど、許される事ではなかった。王は最も尊ばれる存在で無ければならない。一兵士より劣る王など、民衆は支持しないだろう。2人には死罪すら生ぬるい。国王は、王宮仕えの魔道士に、男と女へ呪いをかけさせた。


 2人とも犬になる呪いをかけられたのだ。だが、その呪いが解ける時があった。


 女は、日が昇ると人間に戻る事が出来た。

 男は、月が昇ると人間に戻る事が出来た。


 魔道士の呪いは完璧だった。犬になっている間は、体どころか心まで獣になっていた。その間は獣の本能で動いた。しかしお互いを慕う心は残った。そして、人間に戻った時、獣だった時の記憶も残っていた。犬となって裸で歩き回り、虫や蜥蜴を食い散らし、糞尿を道端に撒き散らす。人に戻った時、それらの行為を覚えているのだった。


 死にたい。2人はそう思ったが、相手には、どの様な姿となっても生きていて欲しかった。だから一緒に死んで欲しい、とはいえない。そして、自分1人死ねば残された者はどうなるのか。


 犬として動き回った挙句、町中で一糸纏わぬ姿で人間に戻るのだろうか。化け物として殺されるか、見世物になるか。相手の事を思うと死ぬ事すら出来なかった。


 王国を追われた2人は旅を続けた。


 ある日、日が昇り女が人間の姿になると、荷物の上に手紙が置いてあるのに気づいた。

 君が犬になったとしても、君を愛している。

 そう書かれた手紙を読み、女は傍に寄り添う犬を抱きしめた。


 夜、月が昇り男が人間の姿になると、荷物の上に手紙が置いてあるのに気づいた。

 彼方が犬になったとしても、彼方を愛しています。

 そう書かれた手紙を読み、男は傍に寄り添う犬を抱きしめた。


 男と女の手紙のやり取りは続いた。

 手紙を介しての言葉のやり取り。それこそが2人が人である事の証なのだ。


 あまりの愛おしさから、男は犬を抱こうと考えた事があった。だがそれは、人として、してはいけない事なのだ。


 あまりの愛おしさから、女は犬に抱かれようと考えた事があった。だがそれは、人として、してはいけない事なのだ。


 体どころか、心まで獣に変える完璧な呪い。その為、2人は常に人間と獣としてしか接する事が出来ない。そう思われたが、ひとつだけ盲点があった。それは朔の夜。月が浮かばぬ夜。

 日が沈んだので、女は獣になった。月が昇らないので、男は獣のままだった。


 お互いを慕う心をもった二匹の獣は、その想いのまま獣の本能で何度も交わった。いや、獣は何度も交わりはしない。何度も交わるのは人間だけだ。二匹は獣以上に獣と化していた。


 日が昇り、女は人間の姿になると、傍に寄り添う自分を抱いた犬を抱きしめた。女の口から嗚咽が漏れていた。


 月が昇り、男は人間の姿になると、傍に寄り添う自分が抱いた犬を抱きしめた。男の口から嗚咽が漏れていた。


 それから手紙のやり取りは無くなった。


 盲点ではなかった。王はこうなる事が分かっていて、共に獣になる時を用意していたのだ。2人はそう思った。


 だが、しばらくして、また女からの手紙があった。その手紙にはこう書かれていた。

 妊娠しました。


 男は返事をしたためた。

 産もう。


 魔道士の呪いは完璧だが、それは自分達だけに対してのはずだ。生まれてくる子供には影響しないはず。それは確信出来た。


 それから、手紙のやり取りは再開された。

 子供が産まれたら、男の子ならカイン、女の子ならヘレンにしよう。

 手紙のやり取りの中でそう決めた。それは二人の人間だった時の名前だった。


 数ヶ月後、子供が産まれた。女の子だった。なのでヘレンと名付けた。


 思ったとおり、呪いは子供にまでは影響していなかった。

 日が昇ろうと月が昇ろうと姿は変わらない。

 そして朔の夜すらも。



 両親の姿は昼と夜とで変わったが、娘はそれでも自分の親が誰か分かるようだ。

 昼は父の硬い毛皮にまとわりつき、夜は母の温かい毛皮にくるまった。


 男から女へ手紙があった。

 娘は愛おしい。だが自分達の様な者が育てるより、他の者に育てて貰った方が、娘は幸せになる。誰か別の人に育てて貰おう。


 女は返事をしたためた。

 そうしましょう。


 農家の軒先に娘を置いてきた。


 娘を見つけた農婦は、これは可愛い、と娘を抱き寄せた。

 朝、女がその光景を木の蔭から見ていた。


 娘を抱きかかえる農婦が、さあお食べ、と娘に食事を与えていた。

 夜、男がその光景を窓の外から見ていた。


 男と女が、その農家を訪れる事は二度となかった。



 娘は幸せになった。優しい夫を得て、沢山の子供に囲まれている。娘は自分にまとわりつく子供達に、優しく声をかけた。わおん。


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― 新着の感想 ―
[一言] 中島敦の国語の教科書に出ていた話を思い出しました。 シリアス系大人恋愛ファンタジーですね。でもちょっと最後の作者様独特のユーモアみたいなのもあって。 この二人は、切ないけど、一緒に居られ…
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