第9話:漆黒の至宝を狙う、列強諸国の青い野心
アステリア帝国が地図から消えて数ヶ月。
北の黒檀帝国は、かつてない活気に包まれていた。
皇后セレスティーヌの【概念修復】によって、不毛だった北の大地は豊かな実りをもたらし、凍てついていた民の心には希望が灯っていた。
だが、その「奇跡」を、外の世界が放っておくはずもなかった。
「……鬱陶しいな。ハエが次から次へと」
皇帝の執務室。アルスターは、机の上に山積みにされた各国からの「親善大使派遣」の親書を、視線だけで燃やし尽くしていた。
彼の背後では、セレスティーヌが淹れたばかりのハーブティーの香りが、殺伐とした空気を辛うじて繋ぎ止めている。
「アルスター様、あまり根を詰めないでくださいませ。……皆様、私の『修復』についてお聞きになりたいだけなのでしょう?」
セレスティーヌが、アルスターの肩にそっと手を置く。
その瞬間、皇帝の険しい表情は、春の陽だまりのような甘いものへと豹変した。彼は彼女の手を取り、甲に深く、吸い付くような口づけを落とす。
「君は優しすぎる。奴らの狙いは、君という『資源』だ。……私にとっては命よりも重い唯一無二の伴侶だが、奴らにとっては国を繁栄させるための『道具』に見えている。……それが、反吐が出るほど不快なのだ」
「私は、貴方様以外の道具になるつもりはございませんわ」
セレスティーヌが微笑みながら返した言葉に、アルスターの理性が微かに揺らぐ。
「道具」という言葉を逆手に取った、彼女なりの愛の言葉。
アルスターは彼女を力任せに抱き寄せ、その細い首筋に鼻を押し当てた。
「……ああ。そうだ。君は、私だけのものだ。指一本、視線一つ、他国に貸し出すつもりはない」
だが、そんな二人の秘めやかな時間を切り裂くように、女官長ヒルダが鋭い足音と共に現れた。
「陛下、失礼いたします。……西の商業大国『エルドラド』の親善大使が、広間に到着いたしました。……『皇后陛下に直接、商談を申し込みたい』と、無礼極まる物言いで居座っております」
アルスターの瞳から、一瞬で温度が消えた。
——エルドラド。金こそが正義と信じる、傲慢な成金国家。
「……セレスティーヌ。行こうか。……君を金で買えると思っている愚か者に、この世には『対価を払えないほど尊いもの』があることを、骨の髄まで教えてやらねばならん」
——謁見の間。
そこには、派手な金の刺繍を施した法衣を纏った男が、ふんぞり返って立っていた。大使のカシムだ。
彼は現れたセレスティーヌを、品定めするような卑しい目で見つめた。
「おお、貴女が噂の『修復』の皇后ですか。……アステリアの残党から聞きましたよ。何でも、触れるだけで枯れた大地を戻すとか。……どうです、我が国に来ませんか? 報酬はアステリアの国家予算の十倍を約束しましょう」
広間に控えていた騎士たちの剣が、一斉に鞘から抜ける音が響いた。
だが、それよりも早く、セレスティーヌの隣に立つアルスターから、漆黒の魔圧が爆発した。
「……金か。面白いな」
アルスターはセレスティーヌの肩を抱き、カシムを見下ろした。その瞳は、獲物を解体する肉食獣のそれだ。
「カシムと言ったか。……お前の国の金貨をすべて積み上げても、彼女の指先ひとつを飾る宝石にすら及ばない。……それほどに価値がわからない無能に、商人を名乗る資格はないな」
「な、なんですと……!? 我が国を敵に回すおつもりか! 我が国が手を引けば、北の帝国の流通は——」
「止めてみろ。……その前に、お前の国のすべての『金』の概念を、彼女に命じて無価値な石ころに変えさせてもいいのだぞ?」
「え……?」
カシムが絶句する。
セレスティーヌの【概念修復】は、逆を言えば「崩壊」を決定づけることも可能……アルスターは、彼女の力をそう「再定義」して脅したのだ。
実際にはセレスティーヌがそんなことをするはずもないが、アルスターの放つ圧倒的な「本気」の殺意に、カシムの背中には冷や汗が流れた。
「……セレスティーヌ。この男に、君の『価値』を少しだけ教えてやってくれ。……ただし、美しすぎて目が潰れぬようにな」
セレスティーヌは、一歩前へ出た。
彼女はカシムが持っていた、成金趣味の大きな「金の手鏡」を手に取る。
「カシム様。……金は、磨き方ではなく、そこに宿る『形』が大切なのですわ」
彼女が鏡に軽く触れる。
一瞬、銀の光が走った。
すると、ただの成金趣味だった手鏡は、細工の歪みが完全に修復され、現代の技術では不可能なほどの精密な装飾を施された「神具」へと変貌した。
そのあまりの神々しさに、カシムは思わず鏡を落としそうになる。
「……これが、私の力です。……ですが、この力は陛下の愛に報いるためのもの。……貴方の金に、私の心は『修復』できませんわ」
セレスティーヌの、凛とした拒絶。
アルスターは満足げに彼女を抱き寄せ、カシムに向かって冷酷に宣告した。
「帰れ。……次にその卑しい口を彼女に向けたら、お前の国の『繁栄』という概念を、永遠に修復不能にしてやる」
カシムは、腰を抜かしたまま衛兵に引きずり出されていった。
北の帝国の謁見の間には、再び静寂が戻る。
「……アルスター様。少し言い過ぎではありませんか?」
「足りないくらいだ。……セレスティーヌ、君が美しすぎるのが悪いんだ。……今夜は、君を部屋から一歩も出さない。……いいな?」
アルスターの腕に力がこもる。
一難去って、また一難……というよりは、陛下の過保護がさらに加速する予感に、セレスティーヌは小さく溜息をつきながらも、その独占欲に満ちた熱に心地よさを感じていた。
しかし。
去り際、カシムが落とした手鏡の輝きは、さらなる「強欲な影」をこの国へと呼び寄せることになる。
——列強諸国による、「セレスティーヌ争奪戦」の火蓋が切って落とされたのである。
お読みいただき、ありがとうございます。
第二部、華やかに開幕いたしました!
今度の敵は「国」ではなく「大陸」。
セレスティーヌ様の価値を「資源」として奪い合おうとする強欲な王たちを、
アルスター陛下が愛と魔力でどう叩き潰していくのか……。
「陛下の嫉妬が最高!」「もっと無自覚な奇跡を見せて!」
と思ってくださったら、ぜひ【ブックマーク】や【評価】を。
皆様の応援が、陛下の独占欲という名の炎をさらに燃え上がらせますわ。
次話、ついに五大列強の一つ、美を崇拝する「花の王国」から、
自称・大陸一の美男子である王子が、セレスティーヌ様を口説きにやってきます。
アルスター陛下の理性が、ついに限界を迎える……!?
どうぞお楽しみに!




