第6話:お帰りください、見知らぬ方 —— 絶望を知らぬ愚か者への引導
北の帝国の謁見の間。
そこは今、凍り付くような沈黙と、暴力的なまでの威圧感に支配されていた。
玉座に深く腰掛けるのは、漆黒の衣を纏った皇帝アルスター。その傍らには、彼の「唯一の聖域」であるセレスティーヌが、白銀のレースをあしらった菫色のドレスに身を包んで座っている。
彼女の指先には、アルスターによって贈られた「帝国の守護」を象徴する大粒のアメジストが、不敵な輝きを放っていた。
「……ひ、久しいな。セレスティーヌ」
広間の中央で、震える声を出したのはアステリア帝国の第一王子、エドワードだった。
かつての傲慢な輝きは見る影もない。金髪は脂ぎって乱れ、纏っている正装も所々が綻びている。何より、その顔色は土色に沈み、余裕を失った瞳が血走っていた。
セレスティーヌは、その男をじっと見つめた。
かつては、この男の一言に一喜一憂し、嫌われないようにと必死に己を削っていた。……今となっては、なぜそこまで執着していたのか思い出せないほど、遠い過去の話だ。
「……何か、御用でしょうか。エドワード殿下」
セレスティーヌの声は、広間に響く清流の音のように澄んでいた。
あまりにも冷ややかで、慈悲のない「他人」としての響き。エドワードはその一言に、心臓を直接掴まれたような衝撃を受けた。
「なんだ、その態度は……! 私がわざわざ、迎えに来てやったのだぞ! 国を挙げての『婚約破棄』は、お前の慢心を戒めるための、いわば教育だ。……さあ、満足だろう。すぐに荷物をまとめろ。アステリアは今、未曾有の国難にある。お前が戻って、その『何か』で修復せねばならんのだ!」
エドワードの言葉に、傍らにいたアルスターの周囲で、パキパキと空気が凍り付く音が響いた。
皇帝の蒼氷の瞳に、逃れようのない殺意が宿る。
「……私の前で、よくもそれほど汚らわしい妄言を吐けたものだ、アステリアの塵が」
「なっ……皇帝陛下! これは我が国の内政問題です! セレスティーヌは我が国の『聖女』……いや、『道具』だ! 返していただかなければ——」
エドワードがセレスティーヌに向かって手を伸ばそうとした、その瞬間。
——ドォォォォン!!
見えない圧力がエドワードを襲い、彼は広間の床に無様に叩きつけられた。
アルスターが、ただ指をわずかに動かしただけで、エドワードの周囲の重力が数倍に跳ね上がったのだ。
「……その汚い手で、私の神に触れようとするな」
アルスターが立ち上がり、ゆっくりとエドワードの元へ歩み寄る。
一歩ごとに、床が凍り付き、エドワードの身体から体温を奪っていく。
「セレスティーヌは、君たちが『ゴミ』として捨てた。……捨てたものを、必要になったからと拾いに来る。その卑しさが、私をこの上なく不快にさせるのだ」
「ひ、ひぃっ……! わ、私は……ただ、彼女の『義務』を思い出させようと……」
「義務? 彼女の義務はただ一つ。私の腕の中で、世界で一番幸せに笑っていることだけだ。……お前たちの枯れた大地も、崩壊した王宮も、彼女には一切関係のないことだ」
アルスターはエドワードの首元を掴み、軽々と持ち上げた。
バタバタと足を掻くエドワードの視界に、セレスティーヌが映る。
彼女は、悲しむでもなく、怒るでもなく。
ただ、窓の外に舞う雪でも眺めるような、透き通った瞳で彼を見下ろしていた。
「……セレスティーヌ……! 助けてくれ……! お前は優しかっただろう……! お前がいないと、アステリアは、私は……!」
セレスティーヌは、ゆっくりと席を立ち、アルスターの元へ歩み寄った。
彼女の歩みが、アルスターの荒れ狂う殺意を凪がせていく。
「陛下。……その手を、そんな方の血で汚さないでくださいませ」
彼女の柔らかな手が、アルスターの腕に触れる。
アルスターは瞬時に毒気を抜き、愛おしげにセレスティーヌを抱き寄せた。
「……ああ、君がそう言うなら。……だが、せめてこの男に、真実を刻みつけてやらねば気が済まない」
アルスターはエドワードをゴミのように床へ投げ捨てると、セレスティーヌの腰を抱き寄せ、エドワードの目の前で彼女の額に深く口づけをした。
それは、世界で最も甘く、そして最も残酷な所有宣言だった。
「見ていろ、エドワード。君が『無能』と嘲笑った彼女の指先一つで、私の呪いは消え、この国は永遠の春を手に入れた。……そして、君は。……君を助けるはずだった唯一の光を、自らの手で握り潰し、闇へ投げ捨てたのだ」
「……あ、ああ……」
「お帰りください、見知らぬ方。……いえ、アステリアの元王子、でしたかしら」
セレスティーヌが、これ以上ないほど優雅な礼をして見せる。
「貴方の声は、もう私には届きません。……アステリアの崩壊は、私が願ったことではありませんが、私が救うべきことでもございません。……どうぞ、ご自分が愛したエレノア様と共に、最後まで足掻いてくださいませ」
「セレスティーヌ……待ってくれ! セレスティーヌーーーっ!!」
エドワードの絶叫が響く中、アルスターが冷酷に手を振ると、エドワードの姿は漆黒の魔力に飲み込まれ、国境の外へと強制排除された。
静寂が戻った広間で、アルスターはセレスティーヌを強く、壊れそうなほどに抱きしめた。
「……よく言った。だが、まだ足りない。……君の瞳に、あんな男の残像が残っていることさえ、私は許せないんだ」
「陛下……。もう、大丈夫ですわ。……私の中に、あの方はもう一欠片も残っておりませんから」
セレスティーヌは、アルスターの胸に顔を埋めた。
かつての冷たい雨の日は終わり、今はただ、この執着に満ちた熱い愛だけが、彼女のすべてを満たしていた。
一方、アステリアの国境に放り出されたエドワードが見たのは、
不気味な地響きと共に、ついにその全容を崩し始めた、母国の王城の姿だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ついに! エドワードへの「直接的な拒絶」を描き切りましたわ!
「お帰りください、見知らぬ方」
この一言、執筆しながら私の背筋もゾクゾクいたしました。
かつて自分を傷つけた相手を、恨むことさえせず「他人」として扱う……。
これこそが、魂を磨き上げたヒロインにのみ許される、最高級の復讐ですわ。
そしてアルスター陛下。エドワードの目の前でセレスティーヌ様に口づける姿……。
独占欲が服を着て歩いているような、この重すぎる愛。
読者の皆様も、彼の熱にあてられてしまったのではないでしょうか。
「エドワードの絶望が最高だった!」「陛下、もっとやって!」
そんな風に思っていただけましたら、
ぜひ【ブックマーク】や【評価(☆☆☆☆☆)】で、彼女の自由を祝ってあげてください。
皆様の応援が、アステリアの崩壊をさらに加速させますの(ふふっ)。
次話、ついにアステリア帝国が完全崩壊。
そして、セレスティーヌ様と陛下の「真の成婚式」が執り行われます。
世界の理が書き換わるその瞬間を、どうぞお見逃しなく!




