第10話:薔薇の誘惑と、凍てつく独占欲の境界線
北の帝国の凍てつく冬を溶かすかのように、その男は現れた。
五大列強の一角、芸術と美を尊ぶ「花の王国フローリア」の第一王子、ユリアン。
黄金の巻毛に、天を仰ぐような長い睫毛。彼は一歩歩くたびに、魔法で生成された薔薇の花びらを散らすという、徹底した美の権化だった。
「ああ、この冷たい空気……。ですが、その中心に咲く銀の蓮を見れば、私の心はたちまち春の陽光に包まれます」
謁見の間。ユリアンは、アルスターの殺気など露ほども気にする様子もなく、セレスティーヌの前で優雅に膝をついた。
その手に握られているのは、魔力を込めて「決して枯れない」よう細工された、真紅の薔薇のブーケだ。
「セレスティーヌ皇后陛下。貴女の美しさは、大陸中の詩人が束になっても描き切れない。……そんな貴女が、この刺々しい氷の城に閉じ込められているのは、あまりにも悲劇だと思いませんか?」
ユリアンが、セレスティーヌの手を取ろうと指先を伸ばす。
その瞬間——。
キィィィィィンッ!!
鋭い音と共に、ユリアンが差し出した薔薇のブーケが、一瞬で「黒い氷」の塊へと変貌した。
あまりの低温に、薔薇はガラスのように砕け散り、ユリアンの美しい指先に微かな霜が降りる。
「……私の前で、よくもその薄汚い色欲をさらけ出せたものだ。フローリアの道化が」
玉座から立ち上がったアルスターの周囲には、物理的な闇が渦巻いていた。
彼の瞳は、もはや人間を見ているものではない。自分の宝に触れようとした害虫を、どう効率的に磨り潰すかだけを計算している、神の如き冷徹さだ。
「アルスター陛下、おやおや。芸術的な挨拶を暴力で返すとは、野蛮ですね。……セレスティーヌ様、どうです? 我が国へ来れば、貴女のその『修復』の力で、世界中の名画や彫刻を永遠のものにできる。貴女自身も、美の女神として一生跪かれる生活が約束されますよ」
「……あ、あの、ユリアン様」
セレスティーヌが、困惑したように口を開いた。
彼女は、アルスターの腕の中に引き寄せられ、彼の荒い鼓動を背中で感じていた。
「私の力は、絵画を直すためのものではありません。……陛下が守りたいとおっしゃるこの国を、そして、陛下のお心を癒やすためのものです。……貴方の薔薇はとても綺麗ですが、私の心には、陛下の贈ってくださる一輪の氷の花の方が、ずっと温かく響きますわ」
セレスティーヌの、無自覚かつ致命的な一撃。
アルスターの口角が、勝ち誇ったように僅かに上がった。
「聞いたか、道化。……君の言う『美』など、彼女にとっては道端の砂利にも等しい。……彼女が求めているのは、私の執着だけだ」
「……くっ、まさかこれほどまでに洗脳されているとは。……だが、セレスティーヌ様! 貴女のその力は、世界の共有財産だ! 北の帝国が独占していいものではない!」
ユリアンが、焦りから本性を表し、声を荒らげた。
その不敬な言葉が響いた瞬間、アルスターの忍耐は終わりを迎えた。
「共有財産、だと? ……面白い。ならば、お前たちの国の『美』という概念を、今ここで根底から修復不能にしてやろうか」
「な……何を……!?」
「セレスティーヌ、その手にある『手鏡』を貸してくれ」
アルスターが、先日の大使から没収し、セレスティーヌが修復した「神具の手鏡」を手に取った。
彼はそれをユリアンに向け、冷酷に微笑む。
「この鏡には、君が与えた『真実を映す』という概念が宿っている。……さあ、見ろ。フローリアの王子よ。お前のその虚飾に満ちた内面が、どのような姿をしているかをな」
鏡がまばゆい光を放った。
ユリアンが悲鳴を上げて顔を覆う。
光が収まった後、鏡に映し出されたのは、絶世の美男子などではなく、強欲と嫉妬で顔を歪めた、醜い怪物の姿だった。
「ひ、ひぃぃぃっ!? これが……これが私だと!? 認めん、認めんぞ!!」
自分の醜悪な本質を突きつけられたユリアンは、精神に異常をきたしたように喚き散らしながら、衛兵に抱えられて広間を逃げ出した。
静寂が戻った謁見の間で、アルスターはセレスティーヌを、骨が鳴るほど強く抱きしめた。
「……もう、誰にも見せない。……君が、あんな男に一瞬でも微笑みかけたこと、私は一生忘れないからな」
「陛下……。微笑んでなどおりませんわ。困っていただけです。……それより、腕の力が強すぎて、少し苦しいです……」
「……離さない。……今夜は、君の全身に私の魔力を刻み込んで、他の男の残像をすべて消し去ってやる」
アルスターの独占欲は、もはや国境を越え、彼女の魂の隅々まで支配しようとしていた。
セレスティーヌは、彼の重すぎる愛に溜息をつきながらも、その温もりが自分にとって唯一の「正しい場所」であることを再確認するのだった。
一方。
フローリア王国へ逃げ帰ったユリアン王子の惨状は、瞬く間に列強諸国へと知れ渡った。
「北の帝国の皇后に触れれば、自らの本質(醜さ)を暴かれ、破滅する」
その噂は、さらなる恐怖と、そして抗いがたい「渇望」を呼び起こしていくことになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第10話、いかがでしたでしょうか。
美を誇る王子を、セレスティーヌ様の「真実の光」で文字通り粉砕いたしましたわ。
「私の心には、陛下の氷の花の方が温かい」……。
これほどまでに甘く、残酷な拒絶があるでしょうか。
アルスター陛下も、もはや嫉妬を隠すことさえやめてしまわれました。
「君の全身に私の魔力を刻み込む」だなんて、
ミオも書いていて頬が熱くなってしまいましたわ。
「陛下、もっと囲い込んで!」「列強が絶望する姿がもっと見たい!」
そんな風に思っていただけましたら、
ぜひ【ブックマーク】や【評価】で、二人の燃え上がる愛を応援してくださいませ。
皆様の評価という「薪」が、物語をさらに熱くいたしますの。
次話、ついに列強諸国が武力による「至宝強奪」を開始。
しかし、セレスティーヌ様が放つ「世界規模の修復」が、
戦争という概念そのものを書き換えてしまうことに……。
どうぞお楽しみに!




