第4話「53年で終わる人生」
王都の学院外れにある中庭は、午後になると柔らかな光が集まる。
古い霊樹の枝が影を落とし、噴水の水音だけが耳に残った。
リリアは腰を下ろし、胸の奥を押さえる。
霊脈のざわめきは朝より強い。
遠くで誰かが砂を噛むような――そんな痛みが、世界の底から染みてくる。
「……また顔色悪いじゃない。倒れるつもり?」
背後から聞こえるぼそっとした声。
振り返らなくても、セラだと分かる。
「だ、大丈夫。多分」
「その“多分”をやめなよ。あんたの多分は信用できない」
セラはリリアの隣に座って、白衣の端を払いながらため息をついた。
油と金属が混ざった匂いが、いつもの彼女そのものだ。
「午前中の暴発。あれ、ただのミスじゃないでしょ」
「……霊脈が、変なんだと思う。私だけ、いっぱい聞こえちゃって」
「……やっぱりね」
セラは視線を空へ上げた。
大気の端で、薄い光の筋が揺れている。霊脈の呼吸だ。
「今年の霊脈、波形が不安定。観測塔の数値もずれてる。
教授は黙ってるけど……目は笑ってなかった」
リリアは少し震えた。
自分だけがおかしいんじゃない。
世界の方が、ひずみ始めている。
「……ねえ、セラ。もし、霊脈が本当におかしくなってたら……」
「死ぬよ」
セラは淡々と言った。
「この国は霊脈ありきで動いてる。魔導計算も、技術も、祭りも。
もし本格的に乱れたら、真っ先に死ぬのは“過敏体質”のあんたみたいな子」
「……冗談だよね?」
「冗談なら良かったね」
彼女の声は冷たく、でも痛いほど真剣だった。
そのとき、中庭の向こうから聞き慣れた声がした。
「――リリア!」
アシルが走ってくる。
息を切らせながら、いつものように太陽みたいな笑顔を浮かべていた。
けれど、すぐに気づく。
その笑顔の裏にある違和感。
(また……胸を押さえてる)
アシルはごまかすように笑い、セラに軽く会釈した。
「ごめん、ちょっと探してて。リリア、授業終わった?」
「う、うん。どうしたの?」
「……あのさ。最近、ちょっと変なんだ。
急に息が苦しくなったり、胸がぎゅって痛くなったり」
リリアの心臓が跳ねた。
霊脈のざわめきが強まる――アシルが近づくほど。
アシルは続ける。
「巫士の人たちが言ってたんだ。『若い時期の霊脈反応は、祝福の兆し』だって」
その言葉に、セラは眉をひそめた。
「祝福? 宗教派がよく言うやつじゃない」
「うん。でも、俺……本当にそうかもしれないって思うんだ。
だって、最近――夢を見るんだよ。
白い場所で、誰かが名前を呼んで……」
アシルはそこで言葉を切る。
喉の奥で、何かを押し留めるように。
リリアは震える声で尋ねた。
「……痛いの?」
「平気。少しだけ。
――それより、リリア。少し歩こう?」
アシルは手を差し出す。
温かい手。
いつも通りの、太陽みたいな優しさの手。
でも、その手の奥にあるものが、リリアには見えてしまう。
(この痛み……霊脈のざわめきと同じだ)
世界そのものが、アシルを引っ張っているみたいだった。
二人で学院通りを歩く。
街には祭りの準備の旗が揺れ、明るい音楽が流れている。
けれど、どこか空気が重い。巫士たちは忙しなく走り回っていた。
アシルは空を見上げ、ぽつりと言う。
「リリア。俺たちの寿命って、53年で終わりだよな」
突然の話題に、リリアは足を止めた。
「ど、どうしたの急に……?」
「最近、よく考えるんだ。
もし俺たちがもっと長く生きられたら、どんな未来があったんだろうって。
……本当に、それ以上生きられないのかなって」
風が一瞬止まり、世界が静まったように感じた。
リリアは答えられない。
自分の中で霊脈が軋む音すら聞こえる。
アシルは笑ってごまかそうとする。
その笑顔は、空に貼り付けたみたいに不自然だ。
「なんか、ごめん。変な話で。でも……時々怖くなるんだ。
今日が最後みたいに胸が痛いと、さ」
その言葉と同時に。
霊脈が――悲鳴をあげた。
「――ッ!」
リリアは耳を押さえた。
世界の底がひび割れるような、鋭い断裂音。
誰も気づかない。
でも、リリアだけは確かに聞いた。
アシルの顔が歪む。
胸を抱え、膝をつきそうになる。
「っ……あ、あれ……? また……」
「アシル!?」
リリアは彼の腕を掴んだ。
アシルの魔力が不規則に乱れ、身体の奥が震えている。
(これは――普通じゃない)
ただの体調不良じゃない。
霊脈のざわめきと、アシルの痛みは“同じ波”だ。
リリアの中で言葉にならない確信が生まれる。
――世界がおかしくなっている。
――そしてアシルは、その中心に巻き込まれている。
アシルはなんとか立ち上がり、「大丈夫」と笑おうとした。
その笑顔が怖かった。
壊れそうで、消えそうで。
「リリア……ごめん。今日は帰るよ。
また、明日」
ゆっくりと背を向け、歩き出す。
その背中が、どこか遠い。
リリアはただ見つめることしかできなかった。
胸の奥の糸が強く引かれ、世界が軋む。
(アシル……)
そして、気づく。
――このままだと、アシルは死ぬ。
世界が彼を引き裂こうとしている。
その断絶音を聞けるのは、自分だけだ。
リリアは震える手を握りしめた。
「……絶対に、放っておかない」
初めて自分の意思で呟いた言葉だった。
その瞬間、中空の観測塔が赤い警鐘を鳴らした。
針が一瞬だけ、ありえない数値へ跳ね上がる。
それは、王都で最初に記録された“明確な霊脈異常”だった。
リリアは空を見上げ、息を呑む。
――大精霊祭まで、あと六日。
王都はまだ浮かれているのに。
世界は、確実に崩れ始めていた。




