23・初のオフ会5
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四人の、空虚で不自然な笑い声が、潮風に吹かれて消えていく。肺の中の空気どころか、ドロドロに溶けかけていた心の底までを、無理やり冷たい外気で入れ替えたような、そんな奇妙な静寂が訪れた。
その静寂を、誰よりも早く、そして最も容赦のない形で切り裂いたのは、彩だった。
彼女は組んでいた腕をほどき、まるで今までの狂騒がなかったかのような、恐ろしいほどに平坦な声で宣言した。
「兄妹での結婚という悪い『夢』を見ていた。そういう笑い話で済ませられたのだし、建設的な話をしましょうか」
その瞳には、親友を案じる情愛も、事態を面白がる好奇心も欠落していた。あるのは、ただ一つの目的を遂行しようとする、ギルドの軍師としての冷徹な意志。
「感情の問題は、今この瞬間にログアウトさせなさい。これ以上の内輪揉めは、時間の無駄でしかないわ。……いいわね、二人とも」
彩は一歩踏み出し、信也と市香の間に割り込むように立った。
「今日こそボイスチャットでの連携を実戦投入して、今度こそ『機械竜ヒヒイロゴン』への勝利をもぎ取るわよ」
機械竜ヒヒイロゴン。
この二週間、ギルド「戦国」が文字通り心血を注ぎ、そして煮え湯を飲まされ続けてきた宿敵だ。
攻撃パターンは完全に把握している。回避も、防御も、回復のタイミングも悪くないはずだった。それなのに、あと一割というところで、無情なシステム――時間切れ――が割り込んでくる存在。
チャット入力というコンマ数秒の遅延が、火力の集中を妨げ、決定打を欠かせている。それが、この二週間の絶望の正体だった。
「そうだな。新しい作戦で、必ず勝とう!」
信也は努めて冷静に、一人のプレイヤー、ナガとして応じた。先ほどまでの脳内の薔薇色の残滓を、無理やり「効率」という冷水で洗い流す。
隣に立つ市香も、まだ微かに頬に赤みが残ってはいるものの、既に「日常の妹」としての仮面を被り直していた。彼女は一度だけ小さく咳払いをすると、真っ直ぐに彩を見つめ返した。
「そうね。私も、あいつに負け越したままなのは癪だし。アヤちゃんの言う通りに、頑張るよ」
その声は、驚くほど平坦だった。まるで先ほどの爆弾発言など、すべては熱に浮かされた冗談だったと自分に言い聞かせているようでもあった。
「そうよ。あなたたちの『中の人』が誰であろうと、私の知っている『ナガ』と『イチ』の連携はギルドの生命線よ。二週間、あと一歩で届かなかったあの白星。ボイスチャットによる即時連携があれば、必ず届く。戦力ダウンに繋がるすべての私情は、今夜のログインまでに完全に封印しておきなさい。……一分一秒を惜しんで、ギルドとしての、そして一人のプレイヤーとしての職務を全うすること」
それは提案ではなく、絶対的な軍令だった。
ネトゲ廃人としての情熱、あるいは「攻略」という大義名分。彩はそれを使って、この場に口を開いた禁断の深淵を、強引に埋め立てようとしていた。
「じゃあ、教室に戻るわよ。これ以上ここにいたら、午後のチャイムに遅れるわ」
彩は市香の手を引くと、迷いのない足取りで体育館の陰から踏み出した。
市香は信也と目を合わせることもなく、けれど取り乱す様子も見せず、彩の隣を「いつもの親友」として歩いていく。その背中は、どこか現実逃避にも似た強固な平静さに包まれていた。
「……ふぅ。アヤちゃんはスパルタだねぇ。さて、私たちも行こうか。織田」
風火が、信也の背中を「バシッ」と力任せに叩いた。
その痛みが、信也をさらなる現実へと引き戻す。
市香と彩のグループと、信也と風火のグループ。
二つに分かれて移動する背中。その距離が、今の自分たちの歪な関係性を象徴しているようだった。
教室に戻るまでの短い距離。信也の脳内で、正確な時計が刻まれ始める。
五時限目と、六時限目。
授業二つ分と、放課後の下校時間、そして夕食。
「……あと、三時間ちょっとか」
その短い猶予の先に待っているのは、画面越しに「ナガ」と「イチ」して再会しなければならない、あの地獄のような、それでいて抗いがたいほど甘美な夜だ。
教室に入り、自分の席に座る。
隣のクラスには、市香がいる。
約三時間後には、同じ家の中にいながら、別々の部屋から、電子の海で愛を囁き合った「夫婦」として、声を重ねなければならない。
(……最悪だ。……最悪すぎる)
口ではそう毒づきながら、信也の指先は、既にキーボードの感触を、そして「イチ」と過ごす夜を欲していた。
授業を告げるチャイムが、日常が壊れていく音のように、やけに鮮明に校舎内に鳴り響いた。




